第64話 嫌いではない
「久しぶりね、クソ神。あたしのこと、覚えていてくれたのね」
魔王ヒルデ。
その名前を我が口にすれば、不敵な笑みを浮かべる。
まあ、見た目もあまり変わっていないしな。……衣装以外。
こんな痴女スタイルではなかった。
「もちろんだ。勇者と共に我に立ち向かい、それなりの力を示したからな。覚えているに決まっている。……まあ、それ以外の面でも大きいがな」
「あたしも若かったわ。あんた程度にあんなことをしようとするなんてね……」
頭が痛そうに白髪をかく。
我が覚える対象というのは、やはり千年前の戦争時にそれなりの力を示したものである。
女神然り、勇者然り、この魔王然りだ。
その中でも、この魔王のことは酷く印象に残っている。
ただ強かった……ということもあるが、それ以上に……まあ、面白い奴だったのである。
「ところで、勇者ではないが、その馬鹿みたいな恰好はなんだ?」
「精霊様がお求めになられている衣装よ。精霊様が求めることをするのが、あたしの役目。だから、何らおかしいことはないわ」
どこか自慢げに身体を見せてくる魔王。
発達の良い肢体がさらにさらされて、勇者の機嫌が悪化する。
いや、痴女に怒りを抱くなよ……。
「ほう、そうか。まあ、それはどうでもいい。それで? 何の用だ?」
精霊の変態趣味などどうでもいい。
たとえ、誰をも助けようとする聖人君主であったとしても、我は殺すだけだからだ。
その質問を受けて、魔王は顔を歪ませる。
「……あんた、恐れ多くも精霊様を殺すだなんてことを言って、あまつさえ実行しているらしいじゃないの。精霊様に逆らう、愚か者め……!!」
憤怒の表情。
我は千年前から魔王を知っているが、彼女がこんな怒りをぶつけてきたのは、初めてのことだ。
あの時は、我に対する怯えと恐怖が全面に出ていたからな。
なるほど。随分と精霊に心酔しているらしい。
だからこそ、精霊を殺して回っている我のことが許せないのか。
魔王は目を我……ではなく、その後ろに向ける。
「その愚か者を崇める宗教を、ぶっ潰してやりに来たのよ」
よっしゃ!
我が覚えた感情は、怒りではなく歓喜だった。
『バイラヴァ教』を潰してくれるのか!? なんて素晴らしい魔王なんだ……。
「この邪教が! 潰してやる! かかれ!!」
その言葉に従い、魔王の後ろに控えていた魔族や尖兵たちが一斉にこちらに襲い掛かってくる。
数百人の雄叫びと共に一斉に駆け寄ってくるその光景は、なかなか壮観だった。
よし、やれ! 愚か者と言ったことは許さんが。
とりあえず、精霊の居場所を知っていそうな魔王を締め上げるが、それ以外はスルーしてやろうと思っていると……。
「舐めたこと言ってんじゃないわよ!!」
「ッ!?」
そんな勇ましい声が聞こえてきたのだ。
振り向けば、怒りの形相を浮かべるカリーナ……そして、バイラヴァ教徒たち。
な、何で勢揃いして、しかも武装を……!?
「あたしたちの信仰を踏み潰すことができるとは思わないことね! 徹底抗戦よ! 死ね、異教徒おおおおおおおおおおお!!」
雄叫びを上げて精霊軍に向かっていくバイラヴァ教徒たち。
二つの勢力はどんどんと近くなっていき……そして、激突した。
せ、戦争じゃないか……。
◆
人が全力で自分に走ってきたら、どう思うだろうか?
それも、友好的な態度ではなく、敵意と殺意をみなぎらせた表情を浮かべて、だ。
おそらく、ほとんどの人は逃げることを選択するだろう。
それが正しい。無駄にぶつかり合う必要はないのだから。
では、それぞれが殺意をみなぎらせて全力で走り、向かって行ったとしたら?
「――――――!!」
凄まじい激突である。
何と重々しい音だろうか。
ドラゴンとドラゴンが高速で飛行しながら正面衝突をしたような、そんな衝撃と音である。
人は、個ならば弱い。吹けば死んでしまうような弱さだ。
だが、人は群れることができる。
集団となった人の力は、凄まじいものだ。
その集団同士のぶつかり合い……すなわち、戦争である。
精霊によって強制的に徴用された魔族たちと、精霊の権威を借りるために忠誠を尽くす尖兵たち。
一方、ただの人間でしかも昔から鍛え上げられていた者が少ないバイラヴァ教徒たち。
一見すると不利だが、その強烈な信仰心でなんとか食い下がっていた。
「……さて、では我らも始めようか?」
死んだ目をしてやってきた信徒たちを見ていたバイラヴァであったが、気分を変えるように提案する。
そうだ、破壊をすればいい。
そうすれば、少しは気が楽になるはずだ。
「ふん! あんたたち程度なんて恐れるに足りないわ。二人まとめて相手をしてあげてもいいのよ?」
余裕の表情を浮かべているヒルデに、バイラヴァは本当に面白そうに顔を歪める。
まさか、彼女に……魔王に、こんなことを言われるとは思わなかった。
「ほう、言うようになったではないか。あのビビりヘタレの魔王がな」
「……ぷっ、くふふ……っ」
バイラヴァの言葉に、エステルがこらえきれず噴き出す。
ビビりヘタレの魔王。その言葉を聞いて、ピクリと身体を反応させるヒルデ。
「貴様、千年前の時はあれほど我に怯えていたというのに、随分と変わったものだ。かつては、我に服従しようとしていたほどではないか。それなのに、久しぶりに会ったら問答無用で殺そうとしてくるなんて……寂しいなあ」
魔王は魔族最強。
だからこそ、今バイラヴァと向かい合って彼に接している態度こそが、魔王としてふさわしい姿なのかもしれない。
しかし、千年前の彼女を知る者としては、その変貌ぶりには笑みがこぼれてしまう。
あの時、自分に果敢に向かってきた女神ヴィクトリアや水の勇者エステル。
では、魔王ヒルデは?
彼女は最初から勇気を振り絞って立ち向かってきていない。
バイラヴァを前にしたとき、彼女は怯えて震え、膝を屈して服従を申し出た。
あの時の彼女が……自分に怯えることしかできなかった彼女が、今ではこんなにも素晴らしいことを言ってくれるのである。
その成長ぶりに、バイラヴァは目を細める。おじいちゃん目線だった。
なお、破壊はする模様。
「……ふん。あたしはあの時のあたしじゃないわ。確かに、あの時はあんたに恐怖というものを持っていたかもしれない。でも、今はそんなことはまったくないわ」
バイラヴァと相対しても、脚が震えない。頬も引きつらない。涙が出てくることもない。
しっかりと二の足で地面に立ち、彼を見据えることができている。
「もう、あんたなんかこわくない。なんて言ったって、あんたよりも強大な力を持つ精霊様に出会ったんだから! 精霊様と比べれば、あんたなんかゴミみたいなものよ」
精霊。自分でその言葉を吐くと、身体が勝手に震えだす。
新たな恐怖が、破壊神から精霊に移った。
だから、もう破壊神は怖くない。
「言うようになったなあ。いいぞ、嫌いではない。少なくとも、千年前戦わずして服従しようとしてきた貴様よりはマシだ、魔王。いい飼い主を見つけたではないか」
「抜かせ! 今のあたしを、昔までのあたしと思うなよ!!」
凄惨な笑顔を浮かべるバイラヴァに、ヒルデは攻撃を仕掛けるのであった。




