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第60話 椅子

 










 魔王城。

 かつては魔族たちの王が座していた場所。


 人類と魔族は長年敵対関係にあり、大きな戦争も何度か経験したことがある。

 その際、人類から勇者と呼ばれる者たちが、この魔王城に攻め込んで魔王と激しい先頭を繰り広げたことも、数こそ少ないものの確かに存在する。


 しかし、今ではそんなことは決して起こりえない。

 人類と魔族は反目しあう余裕がない。


 この二つの大きな種族を支配しているのは精霊であり、この魔王城もすでに精霊マルエラが支配しているのだから。

 そして、その魔王城の最上階。


 かつては魔王がふんぞり返っていたこの場所で、二人の精霊が相対していた。


「久しぶりね、ヴェロニカ。あんたの顔はそんなに見たくなかったけど」

「あらあらぁ。いきなり酷いことを言うわねぇ、マルエラぁ。本当に久しぶりなんだからぁ、もっと楽しく会話しましょうよぉ」


 精霊マルエラと、精霊ヴェロニカ。

 強大な力を持つ精霊。彼らに虐げられている人々からすると、精霊が同じ場所に二人も現れるなんて悪夢でしかない。


 とはいえ、ヴェロニカは尖兵も作らず自由気ままに世界中を動き回っているため、それほど脅威や危険度が高いわけではない。

 まあ、そんなことは支配されている人々からすれば関係のないことなのだろうが。


 二人は精霊である。

 だが、その間に流れる空気というのは、お世辞にも穏やかなものとは言い難かった。


 ヴェロニカはニコニコと退廃的な笑みを浮かべているが、どこか冷たいものを感じさせる。

 マルエラなど、もはや不快感を一切隠さず、露骨に嫌そうに顔を歪めている。


「私の支配を受け入れない奴なんか皆嫌いよ。あんたは無理やり支配下に置くこともできないしね」

「ホント昔と変わらないわねぇ。何でもかんでも自分の思い通りにいかないとすぐに怒るんだからぁ」


 ケラケラと笑うヴェロニカ。

 二人の関係性は、数百年前から何も変わらない。


「……馬鹿にしに来たのかしら? だとしたら、さっさと失せなさい。殺されないうちにね」

「精霊同士の衝突はご法度よぉ? ここに来る前に説明されたでしょう?」

「はっ! 知ったことではないわ。ここに来て管理から離れた以上、私が従う義理はないわね」


 切り捨てるマルエラ。

 精霊の力は強大であり、また個性も非常に強い。


 自分の欲望のために動き回るような者たちなので、近づけば衝突することだって十分に考えられる。

 ここ最近、ヴェロニカは色々な精霊と接触していて戦闘になったことはないが、それは彼女だからである。


 たとえば、ヴェニアミンとアラニスであったり、アラニスとマルエラが出会っていれば、衝突していたことは否定できない。


「ちゃんと世界のために行動していたのはヴェニアミンだけだったわねぇ」


 しみじみと頷くヴェロニカ。

 彼女も世界のために何もやっていないのだが……。


「……まあ、こんなこと言っておいてなんだけど、あんたと本気で殺しあうつもりなんてないわ。そうなったら、私もただじゃすまないもの」

「だからこそぉ、普段私たちは関わらないようにしているものねぇ」


 マルエラもヴェロニカに対して冷たく苛烈な態度をとっているが、本当に殺しあいたいとは思っていない。

 そうなると、間違いなく覚悟が必要になる。


 自分が消滅し、殺される覚悟である。

 もちろん、いざとなればヴェロニカ相手にも退くつもりはないが、ただ顔を合わせたくらいでそんなことをするつもりは毛頭なかった。


 あまりにもリスクが大きい。

 それは、マルエラだけではなく、ヴェロニカも理解しているはずのことだ。


「……そこよ。精霊同士は関わらない。それは、私もあんたも守っていたはずよ。だというのに、どうして今になって接触してきたのかしら?」

「事情が変わってきているからよぉ。私たちがこの世界を支配してからぁ、世界は何も変わらなかったわぁ。私たちに逆らうなんて愚か者もいなかったしねぇ。ただぁ……」


 怪訝そうな顔を見せるマルエラに、ヴェロニカが答える。

 接触すれば衝突し合う。


 そのデメリットがあるということも大きいが、何よりも接触する大きな理由が何もないのである。

 必要性がないから。それに尽きていたのだが……。


「その愚か者が……その中でもとんでもない愚か者が現れたのよぉ」

「なんですって?」


 眉を上げるマルエラ。

 愚か者、という割には、やけにヴェロニカが嬉しそうである。


 つまらなそうにしていたから、この大きな変化が嬉しいのだろう。


「破壊神。聞いたことがないかしらぁ? 今ぁ、精霊を殺して回っているのぉ。ヴェニアミンとアラニスが殺されたわぁ」

「嘘、でしょ……?」


 唖然とするマルエラ。

 精霊のヴェニアミンとアラニスが、殺された……?


 それを聞いて、彼女が発した感情は怒りでも悲しみでもなく……。


「ぷっ、あははははははははははは!!」


 本当に面白そうな笑い声が響き渡った。


「あいつら、死んだの!? 殺されたの!? あはははははは! 信じられない! 馬鹿じゃないの!」


 マルエラは腹を抱えて笑う。

 涙を流し、ケラケラと。


 椅子の上で飛び跳ねると、その椅子が悲鳴を上げる。


「まあ、もともと戦闘が得意ってわけじゃないからねぇ、あの二人はぁ。でもぉ……」

「精霊はそれだけでこの世界の誰よりも強い……はずだったわよね。それが、二人も殺された」


 笑顔を止め、真剣な表情を浮かべるマルエラ。

 ヴェロニカは相変わらずとろけそうな笑顔をずっと浮かべているが。


 ヴェニアミンとアラニスが殺されたというのは面白いが、精霊を殺せる存在がいるというのは面白いだけで済ませていいことではない。


「しかもぉ、同じ一人にねぇ」

「ふうん……。あんたさぁ……」


 ギラリとマルエラの目が光る。


「私をたきつけてその破壊神とぶつけ合わせたいだけでしょ?」


 ピタリとヴェロニカが固まる。

 その退廃的な笑みは崩していない。


 だが、明らかに硬直したと理解できる。


「……そんなはずないじゃない。あなたのことを心配して忠告に来てあげたのよぉ?」

「嘘はいらないわよ。あんたの嘘は、私には通用しないわ。……それで? 何を企んでいるのかしら? いっつもここに来てからつまらなそうにしていたあんたが、とても楽しそうじゃない」


 ヴェロニカが本当に純粋な気持ちで自分に忠告しに来た?

 そんなはずがない、と鼻で笑うマルエラ。


 ありえない。自分たちはそんな関係ではないし、仲間意識なんてほとんどない希薄なものだ。

 そんな彼女がわざわざ数百年合っていなかった気も合わない自分のところに来たというのは……何か目的があるからだろう。


 それは、精霊を殺した破壊神という存在を、マルエラに伝えること。

 忠告という意味ではない。意識させたいのだ。


 マルエラに限らずとも、自分たちを殺せる存在が自分を探していると知れば、どうするだろうか?

 逃げるなり、対策をとるなり……少なくとも、精霊のような強大な力を持つ者は、対峙しようとするだろう。


 ヴェロニカは、それを求めている。

 破壊神と精霊の戦いを、求めているのだろう。


「…………」


 ヴェロニカは答えない。

 だが、その蕩けそうな笑顔が少し薄くなったのを感じ取る。


 それだけで、マルエラは満足だった。


「まあ、いいわよ。言いたくないんだったらね。あんたの思い通りにいくとは思わないことね」

「あらぁ? じゃあ、あの破壊神は無視かしらぁ?」

「いいえ。ここで……私の支配地で好き勝手するのであれば、殺すだけよ。私はヴェニアミンやアラニスと違うしね」


 おそらく、ヴェロニカの思った通りに事が進んでいるのだろう。

 だが、それでも構わない。


 自分と破壊神とやらの衝突を望んでいるというのであれば、してあげようではないか。

 自分が負けることなんて、ありえないのだから。


 何よりも、この支配を……自分の楽しみを奪われることは、まったくもって許容できない。


「……そんなに支配するって楽しいのぉ?」


 ヴェロニカが怪訝そうに尋ねてくる。

 彼女だからというよりも、マルエラの方が特異なのだろう。


 他の精霊たちも、彼女ほどこの世界の人間に接触して明確に支配している者はいない。


「楽しいわよ。人間なら誰しも持っているプライドや尊厳を無理やりぐちゃぐちゃにしてやって、嫌なのに屈服させる……力を持っている者の特権よね。本当に楽しいわ!」


 不思議そうに尋ねてくるヴェロニカに、マルエラは自信を持って答えた。

 相手の心の支柱をへし折り、決して望んでいないにもかかわらず自ら膝を屈するよう強制する。


 それは、支配者として心の満たされることだった。

 何よりも楽しく、この世界にやってきた意義があるというものだ。


「なんだったら、あんたもすればいいじゃない。私の支配地に被せない範囲でね。あんたの力ならできるでしょ?」

「いやぁ、いいわよぉ。私はそれが楽しいとは思えないしぃ、それにぃ……」


 ヴェロニカを誘えば、彼女はあっさりと否定する。

 本当に少しでも興味があるのであれば、この数百年の間に一度は経験しているはずだろうから、マルエラもとくに期待して言ったことではなかった。


 ヴェロニカの目は、マルエラの座る『椅子』に向けられる。


「そんな風に誰かを椅子にして喜ぶような性格でもないしねぇ」

「うっ、ぐっ……ぁっ……!」


 椅子というのは、木でできたものではなかった。

 人間。厳密には魔族だが、人間椅子といっても過言ではないだろう。


 膝を屈させ、手を付かせ、四つん這いになった背中に座る。

 尊厳を奪う行為そのものだった。


 褐色の肌に大粒の汗を浮かび上がらせているのは、ヒルデである。

 最初こそ、彼女はこんなに疲労していなかった。


 両手足という四つの軸で支えることができるし、何よりもマルエラの体重はそれほど重いものではない。

 だが……その余裕はどんどんとなくなっていった。


 まず、少しでも動くことは許されないということ。

 硬直しているというのは、人にとって非常に難しい。


 また、いくら軽いとはいっても、支えるべきマルエラの体重は数十キロはある。

 それを背中にずっと乗せていれば、激しく消耗してしまうのも当然と言えるだろう。


 ガクガクと頼りなく両手足が震える。

 しかし、それでも支えなければならない。


 自分を支配する、精霊のことを。

 だが、その揺れは確実にマルエラへと伝わる。


 ピクリと眉を上げた彼女は立ち上がると……。


「……勝手に椅子が揺れ出したらダメでしょ? 使えない奴、ねっ!」

「がぶっ!? ず、ずいません……!」


 四つん這いのヒルデの顔面を思い切りけりあげた。

 鼻血を噴き出させ、仰向けに倒れこみながら謝罪する。


 その痛々しい姿に、ヴェロニカは困ったように笑う。


「うーん……やっぱりぃ、楽しくなさそぉ」


 可愛そうとは思わない。

 助けてあげたいとも思わない。


 ただ、楽しくなさそうなだけだ。

 もし、これが楽しそうだと判断していたのであれば、ヴェロニカは自分も参戦してヒルデのことを痛めつけていただろう。


 精霊とは、そんなものである。


「ほら。話が終わったんだったら、さっさと失せなさい。あんたの顔をずっと見ていたいわけじゃないんだから」

「はーい。頑張ってねぇ、マルエラぁ。他の二人みたいにぃ、殺されないようにねぇ」


 しっしっと害虫を振り払うように追っ払ってくるマルエラに、ヴェロニカもこれ以上ここにいる理由もないので大人しく従う。

 背中を向け、ゆっくりと歩いて行く。


「誰に言っているのかしら、この馬鹿。私が殺してやるわよ、その破壊神をね」


 自信満々な声音。

 振り返っていないから顔は分からないが、おそらく表情もそんなものだろう。


 簡単に予想することができる。

 なるほど。確かに、マルエラは他の二人の精霊よりも戦闘が得意だ。


 ただでさえ強大な力を持つ精霊にプラスして戦闘が得意……となれば、これほどの自信を持つのは当然だと言うことができるし、実際にほとんどの存在は敵にならないだろう。

 だが……。


「(できるわけないでしょぉ、この馬鹿ぁ)」


 ヴェロニカは退廃的な笑みを嘲りを含んで浮かべていた。

 破壊神を……自分を楽しませてくれたあの男を、お前なんかが殺せるわけがないだろう。


 なぜなら……。


「(破壊神を殺すのはぁ、私なんだからぁ)」


 ヴェロニカの表情は、恋する乙女のように……しかし、それにしてはあまりにもドロドロとしたものだった。




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