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第55話 精霊のペット

 










 アラニスが呼び出した『エステルの御使い』は三体。

 長い蛇の御使いは、一見すると巨大な蛇というだけなのだが、本来は尻尾であるはずの場所にはもう一つの頭が付いていた。


 二つの頭を持つ蛇が、長くかすれた威嚇の声を上げていた。

 黒い犬の御使いもいる。


 身体が大きく、人を一度噛むだけで死に至らしめることができそうなほどの鋭い牙。

 ダラダラとこぼれるよだれと血走った目が、何よりも恐ろしい。


 また、先ほどの蛇と同様、この犬も双頭だった。

 そして、最後の一頭は獅子の顔を持ち、ヤギの胴体で、尻尾が蛇のキメラだった。


「これらすべてを産ませたのか。……やっぱり、頭おかしい」

「俺に従順で強いとっておきの『御使い』だ。頑張ってくれよなあ」


 アラニスの言葉をきっかけに、『エステルの御使い』たちが動き出す。


「ッ!」


 最初に動いたのは、黒犬である。

 ビッ! と姿がかき消える。


 次に現れたのは、つい先ほどまでバイラヴァのいた場所でガキン! と牙を打ち鳴らしたときだった。

 よだれがだらだらと飛び散り、悪臭が漂う。


「ふはは! なかなか速いではないか! よし、次は我の番だな」


 かなり前のめりに動いているためか、黒犬は隙だらけだった。

 知能のある者ならば、そういった隙を生み出さないように色々と考え行動しているのだろうが、どうやらそれほどの頭がないらしく、ただ本能と欲望に従ってバイラヴァに攻撃を仕掛けたようである。


 彼の手のひらに異質なまでの魔力が集まる。

 それを遠慮なく無防備な胴体にぶつけようとして……。


「キシャアアアアア!!」

「ぬおっ!?」


 下から這い上がるようにして噛み付こうとしてきたのは、蛇である。

 とっさに首を反らして逃げるバイラヴァであったが……。


「もう一つあったな……!」


 逃げた先に食らいつこうとするもう一つの蛇の頭。

 双頭だからこその攻撃である。


 もちろん、それをすんなりと受けてしまうわけにはいかない。


「石でも食べてろ」


 足元にあった石を蹴りあげると、そこに破壊神の魔力を薄く込めて蛇の口に放り込む。

 ガキンと硬い石を食べさせられ、蛇はそれを砕くことができずに四苦八苦する。


 ニヤリと笑うバイラヴァであったが、ただの蛇ではなく『エステルの御使い』である。


「破壊神!?」


 マルコが声を上げたのは、蛇が牙から撃ち放った体液を腕にもらっていたからである。

 顔面目がけて迫る黄緑の液体を何とか腕でカバーしたが……。


「つっ……! 溶解液か……!」


 ジュッと音が鳴り、思わず鼻を抑えたくなるような人の焼ける匂いが漂う。

 蛇が放ったのは、強力な溶解液だ。


 衣服を、そして皮膚や筋肉も溶かしていく。

 鮮やかな白い骨まで見えて、バイラヴァは蛇から離れる。


 そして……獅子が口元で炎をほとばしらせるのを、視界の端で捉えるのであった。


「一体一体でもかなり強いけど、ちゃんと手を組ませたらこんなに厄介になるんだぜ? ここまでしつけるのは大変だったけどなあ」


 自慢げな独白をするアラニス。

 ニヤリと笑う表情は、自身の勝利を確信していた。


「まっ、そういうわけだ。ヴェニアミンを倒していい気になっていたところ悪いが、死んでくれや」


 視界の端で煌々と光るものを捉えており、その側面がとても熱く感じる。

 それほどの熱を、口元に集めているのだ。


 そして、それは打ち放たれた。

 ゴウッ! と地面を溶かすほどの高温で、破壊神である彼でもまともに受ければただでは済まないだろう。


 宙に浮きながら飛びずさっていた彼には避ける術はなく……。


「うおおおおおおおおお!!」


 しかし、今の彼は一人ではない。

 マルコが剣を振るい、そこから燃え盛る炎を撃ち放つ。


 バイラヴァに達するまでの間に、二つの炎が衝突した。

 同じ炎だが、少し性質が違っていた。


 マルコの炎は轟々と燃え盛る赤いものだが、一方で獅子のそれは光に近く、辺りを照らすような光線に似ていた。

 二つの炎は拮抗することなく、すぐさま交じり合ったと思うと、凄まじい爆発を引き起こすのであった。


「貴様! もうちょっと考えて撃てんか! 結局火傷を負っただろうが!」

「あのままだと溶かされていたか燃えていただろ! 贅沢言うな!」


 最悪の相性である。


「殺せなかったのは残念だが……でも、見ただろ? これが『エステルの御使い』の力だ。お前らじゃあどうしようもないよ。さっさと諦めて、その妖精を俺に渡せ」

「その妖精には毎日酒を捧げないといけないが、大丈夫か?」

「いや、ペットに酒はダメだろ」

「バイラ! 構うことないわ! やってしまいなさい!」


 アラニスの冷静な指摘に、ヴィルが一瞬で沸騰する。

 アルコール大好き妖精の鑑である。


「えぇっ!? いや、ダメだろ!? あんな小さいのに酒は!!」

「ふっ……見誤るなよ。あいつは一升瓶をラッパ飲みする女だ」

「ヤバい奴だ!」


 マルコは、妖精ってこんな感じなんだ、と戦慄する。


「さて、許可も下りたことだし、破壊しようか。まあ、ヴィルの許可なんてなくても破壊していたが」

「はっ! 強がりは止めとけよ。片腕は使えず、一方的に攻撃を受けていたのに、どうやって倒すってんだ?」

「こうやって、だ!」


 バイラヴァは木の枝を強力な魔力でコーティングする。

 すると、鉄の棒よりも硬く崩れない凶悪なものが完成だ。


 それを指ではじくようにして撃ち出せば、矢のように飛んだそれは蛇の口に飛び込み、一気に串刺しにしてしまった。


「シャアアアアアア!!」


 だが、『エステルの御使い』であるその蛇も、普通とは違う。

 双頭であるがゆえに、無事だったもう一歩の頭で彼に食らいつこうとする。


 すると、ニヤリと笑ったバイラヴァは、グイッと腕を引く。

 木の枝には魔力で糸のようなものが引っ付いており、それを強く引き付けることによって蛇の身体も引き寄せられる。


 体勢を崩され、食らいつくこともままならない。

 すでにこと切れたもう一方の頭を掴むと、バイラヴァはそれを唸るもう一つの頭に向けて……。


「なかなかの威力の溶解液だ。貴様自身でくらってみるといい」


 そう言って、頭を無理やり押しつぶしたのであった。

 ビュッと飛び散る溶解液。


 それは、双頭のもう一つの頭部に付着して……蛇とは思えないような絶叫を上げて、ドロドロと溶けていった。

 動物が生きながら溶かされるというのは、非常にショッキングな映像であった。


 しかし、無理やり頭を握りつぶしたため、もう片腕は完全に溶けてしまって使い物にならなくなっていた。

 失神失禁しても不思議ではないほどの想像を絶する激痛に襲われているだろうに、バイラヴァは顔色一つ変えることはなかった。


「グルルルルラアア!!」


 片腕を失った今こそ好機と、黒犬が襲い掛かる。

 よだれを撒き散らし、悪臭を撒き散らしながら鋭い牙で食らいつこうとする。


 その速度は目を見張るべきもので、百戦錬磨のマルコでも最初から視認して目を凝らしておかなければ、捉えることができないほどだった。


「犬っころが。しつけをしっかりしていない飼い主を恨めよ」


 バイラヴァはひょいっと拾い上げたのは、それなりの太さと長さを誇る木である。

 破壊神の魔力を注ぎ込めば、それは決して折れることのない強力な棍棒へと姿を変える。


 剣などのような鉄でできたものよりも強そうには見えないが、魔力でコーティングすれば、それは鉄の棒と何ら変わりない。

 そして、鉄の棒で思い切り殴りつけられれば、当たり所によっては後遺症が残るほどのものになる。


「一度見た。もう捉えられる」


 姿がかき消えるほどの速度で動いている黒犬。

 マルコはともかく、飼い主であるアラニスでさえ捉えることのできない双頭の犬の姿を、バイラヴァは捉えていた。


 ゴッとバイラヴァの振り下ろした棍棒が、彼にまさに食らいつこうとしていた黒犬の顔面に叩き込まれた。

 顔面が陥没し、頭がい骨が砕ける。


 その骨に守られている大事な脳までもが深刻なダメージを受け、黒犬は血を撒き散らしながら潰れた。


「ガルルルアアアッ!!」


 だが、この黒犬も双頭である。

 片割れが潰されても、その痛覚を共有していないため、もう一つの頭は嬉々としてバイラヴァに襲い掛かる。


 はたして、彼の腕に食らいつき、そして引きちぎった。

 血が噴き出し、完全に片腕が失われる。


「ふはは! 元気がいいではないか!」


 バイラヴァは狂喜の笑顔を浮かべていた。

 頬に自身の血を付着させながら、凄惨な笑みを浮かべていた。


 それは、知能が恐ろしいほどに低い黒犬に、本能的な恐怖を与えた。

 片腕が失われるということは、とてつもないほど大きいことだ。


 その激痛だって、耐え難いものだろう。

 だというのに、目の前の男は嗤っているのである。


 ゾッと血が遠くなるような恐怖に襲われる。


「だが、おいたはいかんなあ」


 バイラヴァは残った手で強く棍棒を握りしめる。

 蛇に溶かされていた腕を差し出したため、彼に攻撃の手段はまだ残っていた。


 そして……。


「がっ……!?」


 下から跳ね上げられた棍棒は、腕を喰らう黒犬の顎下を打ち上げた。

 強烈な衝撃によって強制的に口を閉ざされる。


 無理なかみ合わせで自慢の牙が崩れ、さらに舌を噛み切ってしまって血が噴き出る。

 甚大なダメージを双頭で受けた黒犬は、地響きを起こしながら地面に倒れ伏すのであった。


「ガアアアアアアアアアアア!!」


 その様子にもっとも脅威を抱いたのは、最後に残った『エステルの御使い』である獅子だ。

 次は、間違いなく自分だ。


 ならば、戦って生き残るしかない。

 逃げるという選択肢はない。


 そうすれば、自身の飼い主である精霊に殺されることになるからだ。

 それゆえに、獅子は決死の覚悟で攻撃を仕掛ける。


 その攻撃は、彼がもっとも自信を持っている最高最大の攻撃である、火炎だ。

 かつて、多くの人々を救った炎の勇者とも対等に戦えるほどの火力を誇る。


 喉が焼ききれても構わないほどの火炎を、バイラヴァに向かって撃ち放ったのであった。


「ぐお……っ!?」


 思わずマルコがそんな悲鳴を上げてしまうような、衝撃と熱風が吹き荒れた。

 バイラヴァは避けなかった。直撃である。


 木々が燃えるのは当然のようで、大地ですら溶け始めるほどの圧倒的な火力だ。

 獅子も、そしてアラニスも勝利を確信し……。


「なかなかの熱さだ。これだけの火力は、そうそうもらうことはない。褒めてやろう」


 燃え盛る炎の中から、そんな尊大な言葉が聞こえてくる。

 ありえない。生きているはずがない。


 だが、人影は炎の中から現れる。


「だが、あの戦争のとき、我の前に立ちはだかったイフリートほどではないな」


 バイラヴァは嗤っていた。

 大きな火傷を負っている。一切のダメージがなかったということはない。


 だが、それでも彼は楽しそうに、心の底から楽しんでいるように嗤っていた。


「その程度の力で我の前に立ちはだかったことを、後悔しながら死ぬがいい」

「――――――」


 炸裂したのは、何だったのだろうか?

 もしかしたら、ただの魔力の破裂だったかもしれない。


 まるで、超高火力の爆弾が目の前で弾けたようだった。

 その衝撃に、獅子は雄叫びを上げることもできずに、消滅した。


 辺りの木々や地面も抉り取られ、巨大なクレーターが出来上がる。

 破壊神バイラヴァ。その力は、千年の時を経ても未だに強大であった。


『エステルの御使い』。

 歴代最強クラスの女勇者から生まれた精霊のペットたちは、こうして破壊されるのであった。




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