第53話 貴様を殺しに来た
戦いは、決着した。
「……お前、ビックリするくらいしつこいな。もういいだろ。飽きるって」
精霊アラニスの勝利によって。
「ガッ……グ……ッ!」
地面に倒れ伏す化け物は、非常に痛々しい。
大量の血が流れているし、泥まみれで視界に入れるのもはばかれるほどだ。
自慢の鋭い牙はいくつも折れており、回復したはずの脚も再び吹き飛ばされている。
一方で、呆れたように目線を落としてくるアラニスには、目立った傷は一つもなかった。
化け物にとっての奥の手である、エステルから引き継いだ水の力。
初めて見せた力だったが、それでも精霊に届くことはなかった。
「そうか。無制限で回復できるわけではないんだな。まあ、当たり前か。そんなもんだろ」
考察するようにうんうんと頷くアラニス。
そんな彼の前で、化け物はまだもがく。
地面に沈み、泥にまみれるというのに。
傷が痛み、血が噴き出して命のともしびが消えることを速めるだけだというのに。
それでも、化け物は戦おうとする。
ひとえに、母を守って救い出すために。
「ほら、大人しくしてろって。自分で回復できねえんだろ? これ以上動いたら死ぬぞ? できる限り、生かしてやりたいとは思ってんだからさ」
「グ……!」
アラニスの言う通りだ。
このままだと、自分は命を落とすだろう。
死ぬのは怖い。母と共に自由になり、広大な世界をゆっくりと見て回るのだ。
だが……ここで引けば、その母はどうなる?
処分という背筋が凍るような冷たい言葉から連想されることは、とても簡単なことだ。
それは、それだけは……!
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
「うぎゃっ!?」
カッと化け物の口元が光る。
飛び出したのは、水の砲撃だ。
もう立ち上がることもできず、抵抗すらできないと高をくくっていたアラニスは、まともにその攻撃を受けて後ろに吹き飛ばされてしまう。
大人の男よりも体格の劣る少年のようなアラニスの身体は、太い木の幹にぶつかってようやく止まった。
化け物はニヤリと笑った。
精霊に大してダメージが入っていないことは分かっている。
ただ、吹き飛ばすことができただけだ。
だが、それでも化け物は勝ち誇ったように笑った。
「……ってえな」
ぽつりとつぶやくアラニス。
下を向いているためその表情を窺うことはできなかったのだが……。
「ああ、そうかよ。じゃあ、もういいわ」
スッと顔を上げたアラニスの表情は、無だった。
喜びも怒りも悲しみも楽しさも、何も宿っていない。
まるで、精巧に作られた人形のようだった。
だが、それは彼が何も考えておらず、感情を抱いていないというわけではなかった。
燃え盛るような怒りが、彼の胸の中で燃え上がっていた。
それを抑えながら、アラニスは呟いた。
「お前もいらねえ」
「グギャアアアッ!!」
化け物の全身から、血が噴き出す。
どことか関係ない。
頭部、頸部、腹部、背部、脚部。
ありとあらゆるところの皮膚が裂け、肉を削られ、血が流れる。
もはや、どのような攻撃をされているのか、どういう風に攻撃をされているのか、それも分からなかった。
ただ、身体を襲う衝撃と激痛。
そして、命を削られていく冷たくおぞましい感覚。
それしか感じることができなかった。
もう、力は何も残っていない。
水の力を使うことも……。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
いや、まだだ。
化け物は最後の力を振り絞り、水を集める。
ギュルっと音を立てて集束する水球。
これで大きなダメージを受けることはないが、吹き飛ばされるだけの威力はある。
そのため、アラニスも多少の警戒をして構えていたのだが……。
「グルルア!!」
化け物は空へと顔を向け、水の力を天高く打ち上げたのであった。
高い空で炸裂し、小粒の短い雨を降らせる。
小さな虹までできて、この惨劇とは不釣り合いな歪な空間を作り出していた。
そして、それで最後の力を出し切ってしまった化け物は、地面に倒れた。
文字通り、指一本たりとも動かすことはできない。
息はどんどん浅く短くなっていく。
「……なんだお前。馬鹿なのか? そこに俺はいねえよ! もう目も見えてねえのかあ!?」
そんな化け物の様子を見て、楽しそうに嘲笑うアラニス。
見るだけでも、化け物がもう何もできないことは伝わってくる。
一切の警戒もせず、気安く化け物に近づいていき……。
「じゃあな。今度生まれ変わったら、もっと聞き分けの良いペットになってくれよ。そうじゃなかったら……また殺さないといけないのは、面倒だからな」
化け物の首を、鞭で抉った。
首が切り離されることはなかったが、大きく削れて大量の血が噴き出た。
首はほとんどの生物にとっての急所だ。
それは、この化け物も例に漏れない。
致命傷だ。化け物は、ここで死ぬ。
彼が求めた母の自由も、一緒に旅をすることもできず。
「あ、ああ……」
それを見ていたのが、破壊された牢屋で倒れていたエステルである。
意味をなさない言葉は、いつも通りだ。
しかし、その表情は絶望に染まり、目は倒れ伏す化け物をずっと見ていた。
「さてと。次は母胎の方だな。はあ……割と疲れたし、さっさと終わらせよう」
「あ、う、ああ……」
頭をぼりぼりとかきながらエステルに近づいていく精霊。
彼女が今まで見たことのない反応を見せていることに、目を丸くして驚いていた。
「……ん? そいつに愛着でもあったのか? こんな反応は初めて見たな……。ずっと守ってもらっていたからか? それとも……母親としての感情か?」
化け物は常にエステルに寄り添い、アラニスから守ろうと身体を張っていた。
そんな彼に一切反応を見せなかった彼女だが、案外心の深層で大事に想っていたのかもしれない。
「まあ、どうでもいいや。早く終わらせよう。さよなら」
しかし、そんなことはアラニスにとってどうでもよかった。
光の宿さない目からポロポロと涙をこぼし、倒れ伏す化け物を見るエステル。
彼女はもう必要ないのだから。
化け物とのじゃれ合いは、意外なほど体力を消耗させた。
早く休もう。
そう考え、とげとげしい鞭を振るおうとして……。
「ッ!?」
ズダン! と空から降りてくる二つの人影。
かなりの高さから着地しただろうに、二人はすぐにすっくと立ち上がった。
砂煙が巻き上がり、その様子を窺うことはできない。
アラニスは目を細め、警戒する。
「お師匠様から離れろ、ゲス野郎」
「……はあ? いきなりなに?」
ピクリと眉を跳ねあげるアラニス。
誰だか知らないが、自分に向かって……世界を支配する精霊に向かって、その暴言はいただけない。
こんな直接的な暴言を受けることはなかったため、アラニスは多少面喰いつつも青筋を額に浮かべた。
砂煙が晴れる。
「お師匠様を助けに来た、勇者だ」
「……と、貴様を殺しに来た破壊神様だ」
キリッとした決意を秘めた顔を浮かべるマルコと、凶悪な笑顔を浮かべるバイラヴァが、アラニスの前に立ちはだかったのであった。




