第52話 悪夢を終わらせる
精霊アラニスと化け物の戦いは、苛烈を極めるものだった。
エステルたちの母胎を閉じ込めていた窮屈な牢屋は、あっけなく崩壊していた。
それだけではなく、その牢屋を覆い隠していた深い森林の木々もなぎ倒され、まるで災害がピンポイントで発生したかのような有様だった。
異世界からの侵略者であり、少ない個体数でこの世界を一気に支配してしまった精霊。
その力は強大なものであることに、異論を持つ者は誰もいない。
そして、エステルから生まれた化け物もまた超越した力を持っている。
ティルザを介して何度も交配を繰り返された彼の親はその時点で強大な力を持っていたし、また直近の親であるエステルも歴代勇者トップクラスの力を持つ母胎である。
その血は間違いなく上等のものであり、化け物の力は精霊と戦っても瞬殺されることはない。
それだけの力を持っていることは、非常に稀有でこの世界において称賛されるべきことだ。
しかし……。
「グギャッ!?」
「あははは! おいおい、もう体力切れかあ!? 初めて遊ぶんだから、もうちょっと頑張ってくれよな!」
その戦いは、一方的と言っていいほど化け物が押されていた。
牙をむき、その巨体をものともせずに目にもとまらぬ速さで移動する化け物。
アラニスの細い首元に食らいつこうとする。
化け物の力ならば、一瞬で彼の命を奪うことができるだろう。
しかし、その牙が届くことはない。
「ははっ、激しいなぁ! こんなに遊んでほしかったんだったら、最初からじゃれて来いよ!」
「ガルルルアアッ!!」
決死の覚悟で挑んでも、アラニスからすると化け物の攻撃はじゃれつきにしか感じられない。
化け物の牙が届くことはなく、一方的にダメージと傷は化け物に蓄積していく。
身体を覆う毛は泥と煤にまみれ、牙の間からは血が垂れ流れている。
それでも、化け物は引かない。
この精霊を打ち倒し、母を……エステルを救い出すのだ。
自由にして、この広い世界を一緒に旅するのだ。
美しいものを見て、美味しいものを食べて、素晴らしい体験をするのだ。
だから、ここで精霊アラニスを打ち倒す!
「ついでに、ここで一緒にしつけてしまうか! おら!!」
「ガッ……!?」
アラニスが手に持つ異形の鞭。
打つだけではなく、削り取ることを目的に作られた硬い鉄の悪意。
それが鋭く振られ、化け物に襲い掛かる。
高速で動く化け物を的確にとらえる。
ボッと化け物の脚が消し飛んだ。
横なぎに振るわれた鉄の鞭は、化け物の脚を抉り飛ばしたのである。
「反省したかあ? これからはちゃんと俺の言うことを聞いて行動しろよ」
ドサリと地面に倒れこむ化け物。
四足歩行でも、一本の脚を飛ばされればその巨体を支えることはできない。
泥と血にまみれ、その身体はさらに汚れる。
明らかな重傷。素早く治療しなければ、命の危険すらある。
アラニスだって、別にこの化け物を殺してやりたいなんてことは考えていない。
彼はペットが大好きだ。珍しい生き物も大好きだ。
そのどちらにも当てはまる化け物を、積極的に処分しようなんて思うはずもなかった。
だから、上下関係を叩き込んだらさっさと治療してやろうと思っていた。
しかし、そんな必要はまったくなかった。
「グウウウウウウ……!!」
「おお……嘘だろ……?」
切断された痛々しい脚の部分に、どこからか現れた水が集まる。
飛ばされた脚を運んできたと思ったら、それが切断された面に水と共に蠢くと……。
ズン! と立ち上がる化け物。
しっかりと四本の脚で地面に立っていた。
「は、はは……すげえじゃねえか!」
歓喜の声を上げるアラニス。
せっかく負わせた大きなダメージがなくなったことになるのだが、そもそも化け物のことを対等の敵とみなしていないため、焦ることはない。
むしろ、大喜びしていた。
この化け物に、切断された脚をつなげるような力があるのか。
自分のダメージを治癒することができるのは、人間や魔族ではそれなりにできることなのかもしれないが、魔物でそれができるというのは非常に珍しい。
それも、切断された脚をつなげるというような大きなダメージを治すことができるのであれば、なおさらだ。
「面白いなあ! その能力はどこまで使えるんだ? どれほどまでのダメージを治せるんだ? 確かめさせてもらいたいなあ!」
バチンと地面を鞭で叩く。
大きく抉らされるそれは、見る者に恐怖を与える。
「ガルルルルルル!!」
だが、それでも化け物は引かない。
怖くないわけではない。
だが、彼の背中にいるのは、母である。
母を守るためであるならば、その強大な敵に立ち向かうことだって逃げない。
「おっ?」
ガパッと大きく口を開ける化け物。
触れるだけでもバラバラにされてしまいそうな鋭い牙が見える。
威嚇にも十分効果をもたらしそうだが、化け物はそれを期待していたわけではない。
ギュルルル! と音を立てて集まるのは、やはり水。
どこからか生み出されたものは、一気に集束して球体を形作っていく。
「水の力……ああ、あの母胎の力を引き継いだのか! さっすが、血がつながっているだけあるなあ!!」
ケラケラと笑うアラニス。
親と血はやはりとても重要らしい。
優秀な親からは優秀な子が生まれ、その血は力を引き継ぐ。
なるほど。自分が新しく珍しいペットを求めるために交配を進めたのは、間違いではなかったらしい。
このペットを落ち着かせ、あの使えなくなった煩わしい母胎を廃棄した後も、また交配を続けよう。
「よし。さっさと終わらせようか」
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
そうだ。終わらせてやろう。
母をむしばむ、この悪夢を!
ゴウッ! と打ち放たれた水の砲撃。
柔らかい水だが、高速で打ち放てば人の身体なんてあっけなく吹き飛ばすことができる。
その高威力の砲撃が、精霊アラニスに迫るのであった。




