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第47話 契約

 










「…………」


 言葉が出なかった。

 驚きも、悲しみも、怒りも。どの感情も、言葉では表現できなかったからである。


 本当に強烈な感情が湧きあがった時、人はそれを表現することができなくなることがある。

 今のマルコが、まさにそれだった。


「あの精霊はどうにも合理的な面があってのう……。流石に目の前で勇者エステルの両手足を斬りおとしたときは、ワシも驚いたわい」

「なっ!?」


 だが、その言葉には明確な驚愕を示す。

 あの強かったエステルが……自分に勇者としてのイロハを教えてくれたお師匠様が……。


「精霊が求めていたのは、母胎としての勇者じゃからな。両手足は子供を産むのに必要ではないじゃろう? 不必要と判断したのじゃろうが……えげつないのう。達磨にするなんてのう」


 血だまりに沈み、両手足を切断されたエステルの姿を想像してしまう。

 彼女は見た目も可愛らしい少女のようであり、なおさら悲劇的な印象を与えてくる。


 そして、それが自分にとって人生を支えてくれた大きな存在だとすれば、なおさら……。


「貴様! お師匠様を……助けに来てくれた人を売るなんてことを……! 貴様が何よりも悪だ! 世界の敵だ!!」


 マルコが激怒するのは当然のことだろう。

 剣をフィリップに向ける。


 そこには、かつて破壊神と対峙した時以上の殺意と敵意が満ちていた。

 強大な力を持つ勇者の本気の殺意をぶつけられるが、フィリップは余裕の表情を崩さない。


「うーむ……困るのう。まさか、勇者マルコはワシらに剣を向けるのか? この精霊による秩序と平和を、怖そうと言うのか?」

「お師匠様を……勇者を礎にした平和など、認めるはずがないだろう! 俺は貴様らを許さん!!」


 確かに、精霊との取引による平和はあるのだろう。

 彼だって、フィリップに召喚されてバイラヴァを討伐しに行く途中、精霊の尖兵たちに怯えながら貧しく肩身の狭い生活を送る人々を多く見てきた。


 一方で、マーウィン教皇国の人々はそのような恐怖や不安は持ち合わせておらず、確かに豊かとはいえないかもしれないが、明るく前向きに今を生きていた。

 この秩序と平和を壊すことには、彼だって一抹の罪悪感や躊躇を持たないこともなかった。


 だが、だからと言って、自分の仲間たちをキメラにし、助けに来た勇者たちを売り飛ばすようなことが認められるはずがなかった。

 その上に成り立つ平和など、認めるわけにはいかなかった。


 そのため、フィリップに指摘されても、彼の意思は強固なままであった。


「困ったのう。ああ、困った。ワシは戦う術を持たんし、勇者を相手に逃げ切れるとも思えん。じゃが……」


 ニヤリと豊かな髭の奥で口角を上げるフィリップ。

 彼だって、何の備えもなければ激怒した勇者の前に悠然と立っていられるはずがない。


「そんなワシが、何の備えも用意しておらんと思ったのか?」


 その言葉と同時に、月を背にして空から飛び降りてくる生き物がいた。

 ズシンと降り立ったのは、二足歩行をする大きな体格を持っていた。


 そして、二本ではなくそれ以上の複数の腕が生えており、それぞれ剣が握られていた。

 どれもこれもかなり鍛えられ、そして使われていたであろう名剣。


 一本を手に入れるだけでも大変な業物を、それは複数持っていた。

 そして、何よりもマルコを驚愕させたのは……。


「……なんだこいつは?」


 彼が見ているのは、複数の腕でもそれらが持っている名剣でもない。

 胴体の部分から現れている人の顔。


 首の上にあるのは二つの顔である。

 つまり、その化物には複数の人間の顔が張り付いており、どれもが様々な表情や声を上げていた。


 怒り、悲しみ、虚無。

 どれもこれも負の感情であり、見ているだけでもおぞましさを感じさせるものだった。


「精霊アラニスとは、平和と勇者の取引以外にも、別の契約を結んでおっての。一定のものを返してもらうようにしておるのじゃ。奴が飽きたものばかりだけどのう」


 ニマニマと笑いながら、フィリップは教えてやる。

 そうした方が、マルコが戦いづらいだろうと……自分にとって、都合のいい展開になるだろうと確信していたからだ。


「キメラ。その中でも、これは【勇者と勇者を合体させた】強力無比なキメラじゃ」

「貴様、どこまで……!!」


 もはや、想像はできていた。想定もできていた。

 だが、外れていてほしかった。


 その想いは、無情にも否定されたわけだが。


「さあ、戦うがいいぞ、勇者マルコ。貴様の先輩や後輩たちを、斬ってみるがよい」

「くっ……!」


 マルコの構える剣がプルプルと震える。

 嘆き悲しんでいるいくつもの顔の中に、師匠であるエステルのものはない。


 他の顔も、皆見覚えのないものである。

 しかし、それでも彼はそのキメラを切ることはできなかった。


 あれが人だと……人の集合体だと考えると、どうしても刃物を突き刺すことができなかったのである。

 だが、ここにいるのはそんな優しい彼だけではないのである。


「いや、我からするとまったく知らん奴だし、何とも思わんぞ」

「なっ……!?」


 ズドン! と重たい炸裂音が鳴り響いた。

 化物が悲鳴を上げて地面に仰向けになって倒れる。


 それを為したのは、やはり破壊神バイラヴァだった。

 彼は酷くつまらなそうな顔をしながら、化け物の身体の一部を吹き飛ばしたのであった。


 さらに追撃をかけようとする彼を、マルコが慌てて止める。


「ま、待て! そんなことをしたら、キメラになっている勇者たちが……!!」


 そんな彼を、心底煩わしそうにバイラヴァが見た。


「馬鹿か貴様。ならば、あのままずっと化け物のままいさせるつもりか? 我からすると、そっちの方が苦痛で仕方ないわ」

「ッ」


 ハッとするマルコ。

 彼だって、そういったことをまったく考えていないような能無しではない。


 ただ、どうしても勇者として優しい心を持っている彼は、キメラへの同情が前に出てしまっていたのである。


「それに、勇者は魂だけだろう? もちろん、苦痛などは感じるかもしれんが、さっさと殺して解放してやるのがいいだろう。違うか? 何かあるのなら、やってみるがいい。先ほども言ったが、我からするとどうでもいいからな」


 あのキメラを破壊することには、あまり楽しさを感じられないバイラヴァは、本当にマルコに手段があるのであれば任せるつもりだった。

 つまらなそうにため息を吐いているのは、彼からすると正義感に燃えて自分から立ち向かってくる勇者を、圧倒的な暴力と悪意で叩き潰したいからである。


 訳のわからない化物に仕立て上げられ、気味の悪いジジイの目論み通りに動く意思も感じさせないものを破壊しても、何も面白くないのだ。


「……いや、お前の言う通りだ、破壊神。同情で見誤っていた。俺は勇者を……殺す!」

「ふはははっ! 勇者殺しをする勇者か! 面白いな!」


 一線を越えた決意を固めるマルコ。

 そんな彼を面白そうに見て、バイラヴァは嗤った。


 ここに、炎の勇者と破壊神が肩を並べるという、まさに歴史的な光景が広がるのであった。

 それを見ても、何ら感慨を抱かないのがフィリップである。


「ふーむ……盛り上がっておるところ悪いのじゃが、お主らに倒せるのか? このキメラは、複数の勇者によって作られておる。そのため……」


 ギラリと光るフィリップの目。

 それに呼応するように、仰向けに倒れていたキメラが普通の生物ではありえないほどの勢いと不自然さで起き上がる。


 そして、高く跳躍し、マルコとバイラヴァに迫る。

 月光に当てられ、複数の名剣が怪しく光る。


「かつて、世界を守り多くの人々を救った強大な勇者の力を、複数扱うことができるのじゃよ」


 いくつもの名剣が、凄まじい勢いで振り下ろされるのであった。




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