第46話 助けてくれないのか
「えっ……?」
「だーかーらー、交配だって。俺さ、ペットが好きなんだよ。珍しいやつ」
エステルが聞き返したのは、聞き取ることができなかったからではない。
聞いたうえで、飲み込むことができなかったからである。
アラニスがもう一度同じことを言うので、彼女はようやく戦慄しながらもそれを飲み込むことができた。
「この世界に来て最初の方は目新しくてよかったんだけどなあ。見たことのない魔物や動物もいたし。でも、流石に数百年もいたら、だいたい知り尽くして目新しいものがいなくなってしまったんだよな。だから、俺が考えたのは……交配」
交配。生物と生物を結びつかせ、子供を産ませる行為。
動物ならばよくあることかもしれないが、それが人間にも適用されるとなると一気に危険なものに変わる。
エステルもまた、目を見開いて震える。
「珍しいものがいないんだったら、自分で作ればいいんだよ! たとえば、キメラ。生き物と生き物をくっつけて、今まで見たことのない生き物を作り出す。実は、勇者の何人かはそうしているんだぜ。最高だろ?」
「お、おかしい……狂っている……」
にこやかに笑いかけてくるアラニスに対して、エステルが返すことができたのはそんな言葉しかなかった。
自分よりも先に召喚された勇者たちが、この精霊によって死すら生ぬるい地獄を味わったのである。
無理やり異種生物とくっつけられて自分の見た目を変えられる苦痛はいかほどのものだろうか?
それで死ぬことができるのであれば……召喚された勇者たちの魂が、あの不思議な世界に戻るのであれば、まだ救いがある。
だが、それが許されないのであれば……。
意識は残っていて、しかし魔物とくっつけられて自分の意思で動くことができないのであれば……。
それは、死よりも恐ろしいことかもしれない。
「俺たちがこの世界に送りこまれたのは、一応世界のために魔素を集めることなんだが……。お前らって生前強かった魂だからか、魔素の塊みたいなものなんだよな。だから、ヴェニアミンみたいにした方がいいんだろうけど……俺はあんまり世界のこととか興味ないからさ。悪いけど、好き勝手やらせてもらうぜ」
何のことを言っているのかさっぱりわからないが、アラニスが自分にとってマズイことを考えていることは分かった。
「キメラを作るのも楽しいけど、飽きてきたんだよな。だから、最近新しいことをしているんだぜ! それが交配。お前に手伝ってほしいことだよ」
「そ、そんなの、できるはず……!」
ない。
そう続けようとしたが、エステルとアラニス以外の者がポツリと呟いた言葉がやけに響いた。
「――――――なんだ。助けてくれないのか」
「ッ!」
誰の言葉か。
顔を跳ねあげて目をキョロキョロと動かすエステル。
アラニスとフィリップ……そして、それよりも少し離れた場所でこちらを囲むようにして見ている多くの人々。
彼らは、マーウィン教徒であった。
その中の一人が、ポツリと呟いた言葉。
それは、やけに響き、エステルの頭の中にスッと入ってきた。
「精霊にあんなことを言っていたから、助けてくれるとばかり思っていたが……結局何もしてくれないんだな。勇者も、そんなものだよな」
さらに、ゾッとするほど冷たい言葉が続く。
今、ようやく彼女は自分に多くの目が向けられていることに気づいた。
どれも同情や罪悪感のこもったものがなく、ただただ煩わしそうに面倒くさそうにエステルを見ていた。
その目に、彼女は喉をキュッと引きつらせる。
「だ、だって……」
エステルは絶望の涙を流す。
いくら何でも酷いではないか。
エステルは力のない人々のために勇者になった。
ただ略取されるのを見ることしかできない人々を助けたいと思って……。
だから、どれだけ強大な敵と戦うことになっても、エステルは決して逃げ出さなかった。
鍛えられた戦士でもお尻を見せて逃げ出すような、世界征服のあと一歩までいっていた破壊神バイラヴァに正面から立ち向かったことからも分かるだろう。
それも、自分のためではなく他人のためなのだ。
そんなことができる者は、この世界にどれほどいるだろうか?
しかし、そんな優しい彼女でも、いくら何でも魔物と交配させられわけのわからない化物を産むだけの存在に成り下がることは、受け入れがたかった。
しかし、それは決して非難されるべきことではないだろう。
尊厳を踏みにじられ、身体を蹂躙されることを、誰が進んで受け入れることができるだろうか?
自分のためでも我慢できないようなことなのに、ましてや他人のためなんて我慢できるはずがない。
それなのに……彼らはエステルにそれを求めてきた。
「僕に、そんな思いをしろって言うの……?」
彼女は人を助けてきた。
そして、今回も助けに来た。
エステルはすでに死んでおり、それこそ知らないふりだってできたはずだ。
本来なら関わる必要のない世界の人々を、身体を張って助けるためにわざわざ召喚に応じたのだ。
それなのに、彼らは『何もしてくれない』と……『助けてくれない』と叫ぶのか。
自分たちは、自分たちのために助けに来てくれた勇者たちを裏切り、だまし、精霊に引き渡しているくせに。
「さっさと精霊に従え!」
「私たちを助けなさいよ! あんたが大人しくしていれば、私たちは助かるのよ!」
「勇者なんだろ!? 自分のことばかり考えるなよ!」
囲んでいたマーウィン教徒たちから、一斉に罵声が飛んでくる。
エステルは見返りを求めて誰かを助けていたわけではない。
だが……。
「今まで……今まで、ずっと僕が助けてきてあげたのに……!」
涙を流し憤怒の表情を浮かべるエステル。
それは、まるで泣いた鬼のようだった。
「もう決まったみたいだな。じゃっ、行こうか。必要なものはちゃんと与えてやるよ。いらないやつは、全部捨てるけどな」
そう言うと、アラニスは邪悪な笑みを浮かべて絶望と怒りの表情を浮かべる虚無のエステルに近づいて行くのであった。




