第28話 よろしくお願いしますわ
彼女は、ずっと暗い中にいた。
ちゃんと目は明いている。寝ているわけでもない。
ただ、代わり映えのしないその視界を、数百年も興味を持って眺めつづけることは、流石に彼女でもできなかった。
たとえ、目に見えていたとしても、彼女の意識は深い闇の中にあった。
それは、数百年も自由を奪われてこの場に留められていることや、自身の存在するために必要な重要な魔素を搾り取られていることもある。
何よりも、拷問による苦痛。これが、本当に耐えがたいものだった。
全裸に剥かれ、身体を隠すものが何もない。
最初は羞恥を感じていたはずだ。だが、興味深そうに精霊が自身の身体を筒の外から覗き見ていても、もはや何も感じることはなくなっていた。
この道を選んだことに、後悔はないはずだった。
この世界の人々や魔族を守るために、精霊と戦った。
他の神々は皆そのようなことはしなかったが、だからこそ自分だけは……豊穣と慈愛の女神である自分だけは、彼らに優しくしよう。祝福を与えよう。
そう思って、今まで行動してきた。
千年前のあの戦争の時も、バイラヴァと敵対して戦ったのは、ひとえにその想いからだ。
他の神々は自分たちのことも考えて戦ったのだろうが、彼女は心から世界の人々のためだけを思い、自分のことなど一切考えずに圧倒的暴力に立ち向かった。
そして、数百年後、異世界から攻めてきた強大な力を持つ精霊たちに立ち向かったのもまた、同じ思いからである。
だが、それはそんな彼らたち自身によって打ち砕かれた。
背後から受けた衝撃と苦痛。驚かなかったといえばうそになる。
しかし、それでも彼女は彼らのことを思い、精霊が魔素を抽出する必要があることを伝えてきたときに自分を差し出した。
魔素というのは、非常に重要な要素だ。これを引き抜かれることは、死よりも辛い。
だから、それは自分が一身に受け止めよう。
彼女は守られていたにもかかわらず自分を裏切った彼らを恨んでなんていなかった。
彼女の優しさは、世界を征服しようとした破壊神にさえ向けられる。
であれば、自分を裏切った彼らにも向けられることは当然だった。
また、実際に裏切ったのはアールグレーンの信徒たちである。
それで世界中の人々を恨むのは筋違いだ。
そう、分かっていたはずなのに……。
数百年という長い年月とその間の拷問は、彼女を歪めてしまうのは十分すぎるものだった。
「(どうして?)」
自分が彼らを守ってあげなければならないのか。
他の神々は彼らを守らないから? 自分だけのために行動するから?
ならば、どうして自分もそうしてはならないのか。
「(どうして?)」
自分を裏切った人々のためにこの身を投げださなくてはならないのか。
恨んだらダメなのだろうか? 怒ってはダメなのだろうか?
自分はどれほど辛い思いをして裏切られても、そんな彼らを守ってあげなくてはならないのか。
「(どうして?)」
自分はこんなつらい拷問を受けなければならないのか。
異世界が危ないから? そんなもののために、何故自分が存在を危うくしてまで魔素を奪い取られ続けなければならないのか?
魔素は自分たち神が消滅する可能性もある非常に大切で重要なものだ。
それを痛めつけられながら吸い取られることは、想像を絶するほどおぞましいものだった。
「(どうして? どうして? どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして)」
彼女は壊れてしまっていた。
数百年という長い年月は、彼女を歪にしてしまうには十分だった。
人々のためではなく、自分のことを考えるのであれば、この筒からさっさと逃げ出したい。
だが、そうする力がすでに残っていないほど、彼女は魔素を搾り取られて痛めつけられていた。
「(誰か、助けて……)」
だから、彼女は誕生してから初めて他者に頼った。
初めて、彼女はすがった。
今まで彼女は頼られ、すがられていた。救った。助けた。
一方で、自分が頼り、すがり、救われ、助けられたことは一度もなかった。
なぜなら、彼女は神だから。慈愛と豊穣の女神だから。
そんな彼女が、生まれて初めて他者を頼ったのである。
……もし、それが実現されたら。
彼女の望みどおりに救われ、自分の身を全て任せてもいいような頼りがいのある存在が現れたのであれば。
もはや、彼女は修復できないほど完璧に壊れてしまうだろう。
人々を思いやり、自分よりも他人のことを考える利他的な彼女は消滅するだろう。
そうして、粉々に砕かれて出来上がるのは、自己主義の塊。
その救ってくれた存在に全てを預け、頼られ請われるという重責を全て押し付けるだろう。
だが、その代わりに彼女は尽くす。
今までこの世界に住まう全ての人々に向けられていた慈愛と優しさを、その存在にのみ捧げることになるだろう。
慈愛の女神の愛を、一身に受けることになる。
それは、幸せなことだろうが……ある種、悪魔に憑りつかれるよりもマズイものだろう。
あまりにも暗く、濁り、ドロドロとしすぎているものだからだ。
それに、そもそもそんな存在が彼女の前に現れるはずがないのだ。
彼女を捕らえているのは精霊。この世界の支配者である。
唯一対等に渡り合うことができるのは、神しかいない。
だが、四大神のうち二柱はその姿をくらまし、もう一柱は自分をこのような目に合わせた元凶である。
だから、彼女が救いだされることは不可能だし、未来永劫ありえない……はずだった。
長い年月の拷問で精神をすり減らしていた彼女ですら忘れてしまっていた存在。
四大神にあらずとも、そんな神々をも圧倒する最恐最悪の神がいたことを。
「――――――」
バリンと、割れた音がした。
それは、彼女を捕らえていた筒……それ以上に、彼女の沈みきった暗い意識が破壊された音だったかもしれない。
泥にまみれた深い海底に沈んでいた彼女に、光が差しこむ。
必死に……必死にそれに手を伸ばす。
本来は美しかったその手もボロボロだ。誰かに見せるのも恥ずかしく思うほど。
しかし、そんなこと気にすることなく、彼女はただ手を伸ばした。
「誰か……助けて……!」
涙ながらの言葉。女神が初めて、自分のためだけに行動した。
はたして、彼女の手は握られた。
「よう。久しぶりだなぁ、女神。我のこと、覚えているか?」
そう言って笑ったのは、かつての敵。
千年前、世界を征服し破壊しようと画策し、全世界の戦力と単体でまともになぐり合った男。
人々を思いやり救う女神からすると、天敵とも言える相手。
「あ、ああ……」
そんな彼に、彼女は救われた。
涙を流し、彼を見上げる。
全裸であることなど、一切気にならなかった。
彼女は……豊穣と慈愛の女神ヴィクトリアは、初めて他者を頼りようやく救われたのであった。
「やっと……やっと見つけた……」
この人なら……彼なら救ってくれる。
だから、自分も捧げよう。全ての重責を彼に担わせるのだから、その対価を差し出そう。
捨てられないように。二度と、自分があんな目に合わないために。
ああ、破壊神。自分のすべてを捧げよう。だから、自分のすべてを担ってくれ。
「わたくしを、よろしくお願いしますわ」
――――――わたクシの依存対ショウ。




