第27話 拳というのは
ごわごわと、ヴェニアミンの体内で魔素が駆け巡る。
血流よりも早く全身を駆け回ったそれは、彼の身体に変異を齎す。
瞬きする間にもどんどんと巨大化していっくヴェニアミンの身体。
筋肉が異常なまでに発達していき、先ほどまでの二倍、三倍と大きくなっていく。
それだけではなく、彼の容姿は人間のそれとは異なっていく。
角が生え、顔は鬼のようにおぞましいものへと変わり、皮膚から飛び出るのは骨だろうか?
それが硬質化または変色し、鋭利な武器へと変貌する。
愛着のあった血みどろの白衣を破り、彼の身体は完成した。
【魔素にはこういう使い方もある。ちゃんと研究した私しか分かっていないことだろうがな】
こうして、彼は堂々と破壊神の前に立った。
その巨大化した筋肉は、軽く撫でるだけでも人の命を奪うことができそうだ。
禍々しい角がいたるところから生え、般若のような顔になった姿から、まさしく鬼と言うにふさわしい。
バイラヴァの前に立つ彼とは、まさに大人と子供のような背丈の違いがあった。
そして、一般的に強さというのは体格の大きさで決まる。
そのことから考えると、どう見てもバイラヴァに勝ち目はなかった。
【これで、戦闘が得意ではない私も君に勝つことができるというわけだ……な!】
ゴウッと唸りを上げてバイラヴァに迫る巨大な腕。
岩のように硬い拳を受け止めるが、その場にとどまることができずに彼は後ろへと飛ばされる。
その際、いくつもの筒が破壊され、中から液体と共に捕らえられていた素体が転がり落ちてくる。
「おいおい。貴様の大切な素体だろう? 破壊してしまってもいいのか?」
【必要ないさ! 君とあの女神がいてくれるのであれば、抽出する魔素の量は十分すぎる!!】
その言葉通り、追撃するヴェニアミンは筒など一切気にすることなく障害物として弾き飛ばし、バイラヴァへと迫る。
先ほどもあったが、異世界へと送る際に大きく損なわれる魔素のことを考えると、彼ら有象無象を大量に使うよりも、ヴィクトリアやバイラヴァといった魔素保有量が飛びぬけている存在を使った方が、はるかにお得だった。
「そうか。じゃあ……」
グイッと頬に付いた汚れを拭うバイラヴァ。
彼はニヤリと笑い、筒を破壊しながら迫ってくるヴェニアミンを迎え撃つ。
「我も遠慮なく破壊させてもらおう」
【……ッ!?】
ゴッとバイラヴァから溢れる衝撃波に、ヴェニアミン以上に筒が破壊される。
それは彼まで届き、迫る勢いを大きくそがれてしまう。
そして、その隙にヴェニアミンの懐まで入ったバイラヴァの拳が迫る。
【がはっ!!】
体格がまったく劣るバイラヴァの拳なんて、たかが知れている……はずだった。
しかし、ゾッと背筋に走る冷たいものを感じ取ったヴェニアミンが太い両腕で防御すれば、その上から叩き付けられたパンチで後ろに大きく吹き飛ばされてしまった。
【ぐっ……はぁ、はぁ……!】
チラリと見れば、拳にぶつかった方の片腕はぶらんと力が入らず、歪な方向に曲がっていた。
【……厳しいな。神は強大な力を持っていることは知っていたが……君は女神とはまた違うようだ】
「当たり前だ。やつは豊穣と慈愛の神。もともと、戦闘は得意ではない。だが、我は違う」
ザリザリと破壊された筒のガラスを踏みにじりながら、バイラヴァは両腕を広げながら近づいてくる。
「我は破壊神。この世界に暗黒と混沌を齎す者だ。戦闘が不得手なはずがないだろう?」
【そうか。なら……】
ギョロリとヴェニアミンは目を向ける。
そちらにあるのは、無事だった数少ない素体の入った筒。
そこに入っているのは、ヴィクトリアだった。
【こういう手段をとるしかないなぁあああああ!!】
「待っ……!!」
ヴィルに回復してもらったレナが制止の声をかけるが、もちろん止まることはない。
ヴェニアミンの振りかぶった手が、彼女の筒を破壊する。
「ちっ……!」
バイラヴァはとっさに散らばるガラスに身体を傷つけられ血を流しながらも、倒れ落ちてくる全裸のヴィクトリアを抱える。
何故こんなことをしたのか、自分でも理解ができない。
最善策は、彼女を見捨てて気にせず、ヴェニアミンに攻撃を仕掛けることだった。
【助けに来たんだから、そうするよなああああ!!】
飛び散るガラスを砕きながら迫るのは、太く大きく岩のように硬いヴェニアミンの拳である。
皮膚から飛び出た骨もあり、非常に痛々しく殴られればとてつもない苦痛を味わうことは見るだけでも分かった。
それが、バイラヴァに直撃する。
バァン!! と耳が張り裂けそうになるほどの大きな音を立てる。
手ごたえは、あった。
ヴェニアミンは勝利を確信してほくそ笑み……。
「――――――なるほど、悪くない」
バイラヴァがその場から一歩も動いていないことを見て、愕然とする。
先ほどは殴られて後ろに吹っ飛んだはずだ。
そして、今の殴打はそれ以上に力を込めたものだ。ここに立っていることがおかしい。
彼の渾身の拳は、バイラヴァの手によって受け止められていた。
「だが、拳とはこういうものを言うのだ。覚えておけ。そして、今度生まれ変わった時に、再び我の前に立ちはだかり、その拳を見せてみるがいい」
ゆらりと構えるバイラヴァ。
拳を握りしめている。
それは、魔素を取り込み巨大化したヴェニアミンからすれば、本当にか細い弱弱しいものだった。
だから、本来であれば、逃げるどころか防ぐ必要すらないものだ。
だというのに……本能が警鐘を鳴らしている。
逃げろ、逃げろ、逃げろ!
早く背中を向けて走れ! 頭を垂れて命乞いをしろ!
だが、それはもう遅かった。
「破壊神パンチ」
音を置き去りにするバイラヴァの拳が迫った。
いや、迫ったという表現は適切ではないだろう。
なぜなら、ヴェニアミンは彼の拳を見ることすらできなかったのだから。
「――――――あ?」
だから、次に彼が認識したのは、自身の身体がばらばらになって飛び散った時だった。
拳がぶつけられた場所から、筋骨隆々の魔素を取り込んだ硬い身体が、爆発四散したのだ。
両手両足首までもが離れて地面にボトボトと落ちていく。
「……これが、破壊神か。なるほどな」
遠のく意識の中、彼は小さく呟いた。
「一度でいいから、研究してみたかった」
精霊ヴェニアミンは、恨み言一つ言い残すことなく、この世を去ったのであった。




