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第142話 命乞い

 










『しかし、ワシが戦闘を行うのは久しぶりじゃなあ。それこそ、精霊がほとんど生まれていなかったころ、たった一人で異世界を侵略していた時代が最後かのう?』


 古い記憶を探る精霊王。

 本当に古い。小さな苗木が巨木になるのを何周も繰り返すほどの長期間、精霊王は戦闘から遠ざかっていた。


 そのため、おそらく戦闘技術という部分だけを見れば、彼は非常につたないということができるだろう。

 それこそ、異世界侵略を行っていたロメロと比べれば、彼のほうが戦闘技術では高いほうだ。


 だが、それでも、精霊王が他の強力な精霊たちに反乱を起こされず、命令に従わせていたのは、単純にその力があまりにも強大だからである。

 膨れ上がる精霊王の力。


 大地が揺れ、ギチギチと空間がねじ切れそうになる。

 ここが、精霊王の作り出した破壊神バイラヴァとの戦闘のためだけの空間でなければ、世界に対する影響は甚大なものがある。


『どれ。自分の力がどんなものかもあわせて、小手調べじゃ』


 ギュルリと音を立てて収束する魔力弾。

 精霊王の大きな掌に集まっているため、その魔力弾も大きい。


 そこに込められた魔力と殺意は、広範な地形を一撃で変貌させることができるだけの破壊力があった。

 これを小手調べということができることから、破壊神の力の強大さがわかるだろう。


『さあ、破壊神バイラヴァよ。お前の力も、今一度ワシの目の前で見せてくれ』


 そう言って打ち出される魔力弾。

 ガリガリと大地を削ってバイラヴァに迫る。


 直撃どころか、かするだけでも深刻なダメージを受けるであろうことは簡単に推察できた。

 かの破壊神でも、何もせずに立っていれば、致命傷になるだろう。


 それは、彼自身もよくわかっている。

 だから……。


【もちろん、そのつもりだ】


 バイラヴァはヒト型を解除する。

 黒い瘴気の塊である破壊神バイラヴァとしての本来の姿が、今精霊王の前にあらわになった。


 ビリビリと衝撃波が生じているような威圧感が、彼から感じられる。

 なるほど、これほどの力ならば、精霊たちが皆殺しにされた理由もわかる。


 これは……精霊程度では、勝てないだろう。

 バチュン! と、バイラヴァが軽く腕を振るっただけで、精霊王の撃った魔力弾は消滅させられた。


『むっ!?』


 これには、さすがの精霊王も多少の驚きを見せる。

 自身の攻撃が、手加減していたとはいえ、これほどあっさりと無力化されるとは思っていなかったのである。


 そして、驚愕している彼の頭上に現れるバイラヴァ。


【精霊王。愚かな貴様に、一つ教えておいてやろう】


 バチバチと異質な力の本流を集めるバイラヴァ。

 ただ見ているだけでも、それが危険な攻撃であることは一目瞭然だ。


 精霊王である自分でさえも、存在を消し飛ばされるほどの……。

 精霊王は、小手調べをした。


 今の自分がどれほどの力を持っているのか。どれほどの攻撃をすることができるのかを確かめるために。

 破壊神の力もどれほどのものなのかという再確認もしたかった。


 そして、なにより……精霊王は、いきなり全力を出すタイプではなかった。

 今回に限っては、それはバイラヴァとは正反対だった。


 バイラヴァは、最初から全力で、本気で、精霊王を殺しに来ていたのであった。


【最強でありたいならば、最初から本気を出しておけ】


 ゴッとバイラヴァから放たれた黒い瘴気。

 すべての生命を吸い取り、世界に厄災を齎す破壊の力。


 それが、膨大な波の奔流となって、精霊王に覆いかぶさるように襲い掛かるのであった。


『ぐおおおおおおおおおおおお!?』


 全身に瘴気を浴びる精霊王は、苦悶の悲鳴を上げる。

 彼がこんなにも苦しんでいる姿をさらすことは、通常であれば考えられないことだ。


 精霊王に従う精霊たちが見れば、唖然とすることだろう。


『ごふっ! ぬううううううううう!!』


 吐血しながらも、精霊王は腕を振るう。

 すると、まるで水の入ったバケツをひっくり返したように、大量のとめどなく注がれていた瘴気が打ち払われる。


『はあ、はあ……! そうか。自分と同等の存在との戦闘とは、そういうものだったか。久しくしていなかったから、ワシとしたことが忘れていたわ』


 精霊王は全身傷だらけだった。

 血がとめどなく流れている。


 傷を負い、血を流し、痛みを感じるのはいつぶりのことだろうか。

 少なくとも、記憶にはない。


 精霊王自身が戦っていた終盤のころは、もはや傷一つ負うことなく異世界侵略を成功させていた。

 精霊王の口元が弧を描く。


【そうか。じゃあ、思い出す前に死ね】

『つまらんことを言うでないわ! せっかくの世界の趨勢を決める決戦じゃ。ワシとしても、久々にたぎる殺し合い……。すぐに終わらせるなど、さみしいではないか!』


 戦闘が楽しいとは、思ったことがなかった。

 いや、忘れていたのだ。


 一瞬でも隙を見せれば、命をとられかねないというスリル。

 心臓が常に高鳴り、汗が出てくる。


 ストレスが非常に強く、心身ともによくないことなのだろうが、それ以上にそのスリルは昂らせてくる。

 たまらないものだ。


 しかし、そんなことはバイラヴァにとって知ったことではない。


【我は別に貴様と戦うのが好きなのではない。世界に暗黒と混沌を齎すことが好きなのだ】


 それを邪魔する精霊王などに、これ以上付き合ってやる道理はない。

 今、戦闘の優位性は一気にバイラヴァのほうに傾いている。


 血だらけの精霊王と、異質な瘴気の塊となっている破壊神。

 世界の命運をかけた戦いは、始まったとたんに終わろうとしていた。


【だから、早く死ね】


 ふっとバイラヴァの身体が消える。

 高速で移動するというよりも、瘴気が霧散するような形だ。


『ぐっ……! ふ、懐に……!』


 そして、次に現れたのは精霊王の懐である。

 瘴気が集結し、またおぞましい塊が形成される。


 煌々と光る真っ赤な目は、精霊王の背筋を凍らせる。

 これほど接近されれば、戦闘技術を失っている精霊王ではどうしようもない。


『よ、よせ……!!』


 そのため、精霊王の口から出てくるのは、まるで命乞いのような言葉。

 決して精霊王ならば発しないはずの言葉。


 そして、自分に言われたとしても、決して聞かないような言葉だ。


【よさん】


 それは、もちろんバイラヴァもである。

 精霊王の腹に手のようなものを当てる。


 そして、ドン! と精霊王の腹部を貫き、空高くまで黒い瘴気が伸びていくのであった。




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