第139話 諸悪の根源
「ただいま戻りましたわー! ……って、あれ? バイラヴァ様はいらっしゃらないんですの?」
バイラヴァを見送ったヴィル。
そんな彼女のもとにやってきたのは、世界中に散らばった精霊を迎撃していた豊穣と慈愛の女神であるヴィクトリアであった。
精霊に捕まってから、性格も大きく変わっていた。
両手を上げてこんな能天気な性格ではなかったのだが……ヴィルからすれば、今の彼女も嫌いではないのでそれでもよかった。
「あ、ヴィクトリア。精霊を倒せたの?」
「もう、ギッタンギッタンにしてやりましたわ」
にっこりと笑い、ふんぬと拳を握るヴィクトリア。
バイラヴァには大丈夫だとは言っていたが、精霊に負けてしまうことだって考えられていたので、こうして無事に戻ってきてくれたのは幸いであった。
それに、戻ってきたのは彼女だけではなかった。
「今までの恨みのお返しだよ。まあ、僕をあんな目に合わせた精霊本人ではないけどね」
「精霊である以上、当然の報いよ」
「そういう考え方をしているからぁ、神様が現れるまで人類と魔族で戦争を続けていたんじゃないかしらぁ?」
「は?」
水の勇者エステル。最強の魔王ヒルデ。退廃の精霊ヴェロニカ。
バイラヴァの味方として精霊と戦っていた彼女たちは、全員大した傷を負っている様子もなく戻ってきた。
一度は全員破壊神と殺しあった仲というのが面白い。
千年前の大戦時などでは想像もしていなかったことが、今の時代に起きている。
そして、彼女たちは一度は敗北した精霊たちを打ち負かしている。
それも、ある意味ではうれしい誤算だった。
「ところで、破壊神は本当にどこに行ったの? 君が普通にしている以上、最悪の事態があったわけじゃあないんだろうけど」
「精霊王のところよ」
エステルの問いかけに、ヴィルは隠すことなく教えた。
どうせばれることだろう。
バイラヴァはいまいち気づいていなかったが、彼女たちの彼への執着は非常に強い。
それこそ、死ぬことよりもつらい目にあっていたのを、彼は救い出してくれたのである。
一度壊れてしまった彼女たちは、バイラヴァという柱が必要不可欠なのだ。
だから、もしヴィルが彼の居場所を言わなかったとしたら、草の根を分けてでも探し出すことだろう。
そして、その間精霊の侵攻は確実に無視される。
すべての精霊軍を殲滅したわけではないため、そうなればバイラヴァが戻ってきたときにまた一から精霊に支配された世界の開放をさせなければならなくなる。
それを回避する理由もあった。
「たった一人で?」
「悪手でしょ。どうして行かせたのよ」
エステルは眉を上げ、ヒルデはあからさまに不快感を示す。
彼女たちは、たった一人でバイラヴァが精霊王のもとに向かったことが納得できないのだろう。
「あら、そうですの? では、待っておきますわ!」
「あなたは不安じゃないのねぇ? 私はよく知っているけれどぉ、精霊王の力は強大よぉ? 私たち精霊を従えることができていたのはぁ、やっぱり強いからだものぉ」
唯一平常通りだったのは、ヴィクトリアである。
座り込む彼女に、ヴェロニカも目を丸くしていた。
千年精霊王の元から離れていたヴィルとは違い、ヴェロニカは彼の力をさらに正確に把握している。
そんな彼女をしても、精霊王は強いと評するしかなかった。
退屈が嫌いで、それをつぶすためなら何でもするヴェロニカだが、さすがの彼女も精霊王に表立って逆らうことはなかった。
そんな精霊王のもとに一人で向かったバイラヴァが心配にはならないのだろうか?
ヴェロニカが問いかければ、ヴィクトリアは首を傾げる。
「では、その精霊王は、わたくしたちが束になれば勝てるお相手なんですの?」
「……どうかしらねぇ」
そういわれると、言葉に詰まる。
戦いにおいて、数は非常に重要だ。
1対10ならば、後者が勝つだろう。
しかし、それはあくまで常識の範囲での話だ。
精霊王ほど規格外になれば、数の差なんて誤差でしかない。
ここにいる全員がバイラヴァの援軍として戦っても、役に立てるかどうかは微妙だった。
「むしろ、足手まといになるだけだと思いますわ。わたくしたちは一度敗北しております。ですが、バイラヴァ様は精霊に負けたことはありませんわ」
「だからって……」
ヴィクトリアの言うことには一理ある。
しかし、それでエステルやヒルデが納得できるかといえばそうではなかった。
もし、自分たちを救い上げてくれたバイラヴァが殺されれば……。
想像するだけで、背筋が凍り付きそうだ。
そして、破壊神を失ったこの世界は、間違いなく精霊王によって征服・支配されることだろう。
「それに、わたくしも、エステルさんも、ヒルデさんも、よくわかっていることじゃありませんか?」
全員の視線がヴィクトリアに集まる。
彼女は普段の能天気な姿を隠し、信頼し見守る豊穣と慈愛の女神にふさわしい表情で口を開いた。
「バイラヴァ様は、たった一人でわたくしたち世界連合を圧倒し、世界征服寸前までもっていったんですのよ?」
◆
暗い場所を歩く。
そこは、道と呼べるものにはなっていない。
地面だって確かに存在しているのかわからないほどなのだから。
この空間にずっといれば、心をおかしくしてしまっても不思議ではないだろう。
前に進んでいるか、後ろに戻っているかさえわからない。
叫び声をあげて、元いた場所に戻ろうとしても不思議ではないだろう。
我だって、何の目的もなくこのような場所にいたいとは思わない。
だが、この先に待っているのが、あの精霊王だとするのであれば。
我は、喜んでこの陰気な場所を歩き続けよう。
そうして、ただただ暗闇が広がっていたこの空間に、小さな光が差し込む。
それは、遠く前方にあったのだが、あちらから迫ってくるようにどんどんと近づいてきて……ついには、視界が光で満たされる。
そうして、次にしっかりと周りを視認できるようになれば、そこはまるで星空の中にいるような場所だった。
満月と星が煌々と光る明るい夜のようで、ひどく幻想的であった。
ザリッと踏みしめることのできる地面もある。
そこに、我の求めていた人物も、待ち構えるようにして立っていた。
『ようこそ、破壊神バイラヴァ。歓迎するぞ』
豊かな髭を揺らし、満面の笑顔を浮かべる大柄な男。
白一色の瞳や真っ黒な皮膚などから、やはり普通の人間ではないことは明白だ。
だが、もちろんその程度で委縮することもないが。
自然と口角が上がっていくのが、我自身でも分かった。
「ようやく会えたな。諸悪の根源め」
我がさんざん言われていたことを、精霊王にぶつけてやるのであった。




