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第128話 姉妹

 










 10号の身体を突き破り現れたのは、異形の化け物だった。

 その体躯は女の中でもそれなりに身長のあった10号を、容易く超える。


 そもそも、それは人型ですらなかった。

 四足で地面を踏みしめ、黒々とした身体は嫌に光っている。


 柔らかい人肌なんてなく、まるで鉄で作られているかのように硬そうだ。

 所々先端が尖った突き出たものがあり、触れることすらままならない。


 そして、巨大な口。

 時折見える牙は、触れただけで切り裂かれてしまうだろう。


 息をするだけで、機械から蒸気が噴き出すような凄まじい音がする。

 ポタポタと口元から垂れるよだれは、地面に当たると同時にその部分を溶かす。


 背中はいくつもの棘が生えており、ビタビタと地面を打ち付ける大きく太い尻尾まであった。


「なん、ですか、これ……。10号……? 嘘でしょう……?」


 11号は、化け物を唖然としながら見上げることしかできない。

 なんだこれは。


 これが、あの優しい10号だとでも言うのか?

 ビチャビチャと液体が滴り落ちる音がする。


 それは、黒々とした化け物の身体を濡らしている赤い液体。

 それは、10号の血で……。


『■■■■■■■■■■■■!!』


 形容しがたい雄叫びを上げる化け物。

 そのあまりにも大きな声に、11号は耳を抑えて身動きがとれなくなってしまう。


 そして……。


「がっ……!?」


 無防備な11号の腹部に、化け物の尻尾が直撃したのであった。

 後ろに強く吹き飛ばされ、大きな木の幹に衝突してようやく止まる。


「うぇっ、げえええっ!」


 胃の内容物を全て吐き出してしまう。

 ツンと据えた匂いが、涙をこぼさせる。


 喉が焼けるように痛い。

 血も混じった吐しゃ物が自身の脚を汚すが、気にしていられるほど余裕がなかった。


 腹部に違和感を覚えて手を当てると、大量の血が付着した。

 化け物の尻尾は、爬虫類のそれのようにツルツルとしておらず、棘がいくつも生えそろった鉄よりも硬いのこぎりみたいになっている。


 それが、彼女の柔らかい腹部を抉り、削り取ったのである。


「はっ、はぁっ、はっ、はっ……!」


 あまりの激痛に、呼吸が短く速くなる。

 ぐらぐらと視界が揺れて、立ち上がることすらできない。


 皮膚や肉を削り取られた腹部が、焼けるように熱い。

 一方で、全身はどんどん冷えていき、足先などはまるで氷を直接押し付けられているかのようだった。


「(し、死ぬ! このままでは、絶対に……死ぬ!)」


 冷静に考えなくても分かる。

 このままであれば、確実に自分は殺される。


 だが、11号にとって、死はそれほど恐怖心を覚えるものではない。

 彼女の頭の中にあるのは、ただ10号を取り戻したい。


 それだけである。


『オオオオ……』


 ズシ、ズシと重たげな音を立てながら、化け物は近づいて行く。

 自分の息の根を、確実に止めるためだろう。


 11号は、それでも化け物を見上げることしかできなかった。


「10、号……」

『…………』


 息も絶え絶えに、呼びかける。

 当然、それに応える彼女はどこにもおらず……。


『……ヴィ……ル……』

「…………?」


 ぽつりと、化け物が声を漏らした。

 言葉を話せるということにも驚いたが、その意味はまったくもって理解できない。


 誰かの名前だろうか?

 人工精霊は全て数字で呼称されるため、自分たちではないことは確実だ。


 精霊たちにもそのような名前の者はいなかったし、この世界に来てから知り合った者の名前だろうか?

 いや……。


「……おかしいです。な、何ですか、これは」


 頭を抑える11号。

 バチバチと脳内で火花が走っていた。


 何かが壊れるような……せき止めていた楔のようなものが、今外れかかっていた。

 そして、彼女の脳内を、まるで走馬灯のようにいくつもの閉ざされていた記憶の情景が浮かび上がっていった。


「これは……」


 小さな子供が遊んでいる。

 楽しそうにもう一人の子供と遊び、駆けている。


 恰好は泥だらけだ。それでも、心底楽しそうに笑顔を浮かべている。

 空には夕焼けが広がっており、もうすぐ一日が終わると思うと心がキュッと小さくなる。


 だが、子供は少しも悲しさなんて抱いていなかった。

 寝て起きたら、また今日みたいな楽しい一日が始まるのだから。


 家で待っていてくれたのは、両親である。

 二人とも、家の中に飛び込んできた子供二人を見て、優しい笑顔を浮かべて『おかえり』と言ってくれた。


 子供は彼らのことが大好きだった。

 両親は自分たちを愛してくれていることは強く伝わってきていた。


 決して裕福とは言えなかったが、幸せな家庭であったことは間違いない。

 そして、子供は彼ら以上に大好きな存在がいた。


 それは、自分と一緒に遊んで、この家まで戻ってきたもう一人の子供。

 自分よりも少し早く生まれ、自分の姉として生きるとても優しい『お姉さん』だ。


 名前はエスター。子供……ヴィルの姉である。

 大好きな家族と……姉との生活。明日も楽しい一日が続くと、当たり前のように考えていた。


 それがまやかしであることに気づいたのは、その日の夜であった。


「ああ……」


 家が、燃えていた。

 両親は、その中だ。もう、悲鳴も聞こえない。


 自分たちの家だけではない。

 村の他の全ての家も、焼かれていた。


 人が、殺されていた。

 自分はどうして五体満足で生きていられるのか?


 それは、隣で倒れこみ、ピクリとも動かなくなったエスターのおかげである。

 彼女は、自身を省みず、妹を業火から守り抜いたのだ。


 その代償は、非常に重たいものだった。

 大やけどを負い、もはや正常な部分は少しも見当たらない。


 一部は炭と化しており、他も痛々しいケロイド状になっている。

 これは、『姉』だ。


 姉が、命を賭して、自分のことを助け出してくれた結果がこれだ。

 多少煤に汚れていながらも無傷の自分。


 このままではそう遠くないうちに命を落とすであろうエスター。

 もし生き残ることができたとしても、彼女に待ってるのは火傷の後遺症による地獄のような日々だろう。


 呆然自失。今のヴィルを表す言葉は、それ以外になかった。

 両親が焼かれ、姉は虫の息。


 明日も幸せな日常が続くと、当たり前のように考えていた。

 では、これはいったいなんだ?


 どうして……自分だけは無事でのうのうと生きてしまっているのだ?


『ほう。まだ生き残りがおったか。まあ、別に皆殺しが目的ではないからのう』


 ズン! と背後にとてつもない圧迫感が生まれる。

 振り返れば、自分よりもはるかに大きな人影があった。


 長く豊かな髭を撫でている大男は、ヴィルを見下ろす。


『む……子供か。子供はいいぞぉ。しっかりと教育をすれば、容易く思うままの色に染めることができるからのう。まったく……教育は洗脳と何ら変わらんな』


 くくっと笑う大男。

 好感を持てるような男ではないことは間違いない。


 だが、ヴィルは動き出すことができないほど、精神的に消耗していた。


『さて、少女よ。お前には、二つの選択肢がある』


 大男は、ヴィルに向けて手を差し出す。

 ピンと人差し指を立てる。


『一つは、このまま何もせずにいること。お前の隣で転がっている家族は死に、生きるすべを持たないお前も、いずれは不様にの垂れ死ぬことになるだろう』


 次は中指を立てる。


『もう一つは、ワシについてくること。もちろん、幸せで自由な生活が待っているとは確約できん。嫌になることもあるだろうし……お前自身を失うことにもなるだろう。じゃが……』


 ニヤリと笑う。


『その家族、助けることができるぞ?』

「…………ッ!」


 バッと振り返る。

 掠れた呼吸しかすることのできなくなったエスター。


 彼女が、助かる?

 であるならば、何を悩む必要があるだろうか?


 彼女は、自分のせいで……自分を助けるために、こうなったのだ。

 ならば、今度は自分の番だ。


 どのような目に遭おうとも、どのような責め苦を受けようとも、それで姉を助けることができるのであれば、本望だ。


「私は、あなたについて行きます」

『うむ。よく言った。安心せよ。そやつは必ず救ってやる。まあ……』


 大して逡巡せずに答えたヴィルを、満足気に見下ろす大男。


『お互いがお互いのことを認識できるかどうかは、別じゃがなあ』


 その笑顔は、見る者がゾッとするような、背筋が凍るおぞましいものだった。

 その後のことは、語ることもはばかられる。


 彼女たちは精霊王による人体改造が行われ、身体どころか脳や記憶まで弄られ……自分たちが無から生まれた人工精霊であると信じ込まされたのだ。

 人工精霊の元は、人間である。


 侵略した先々で都合の良さそうな人間を捕らえ、侵略した精霊たちの手駒としてこき使っていたのだ。

 そして……。


「お姉、ちゃん……」


 11号は……ヴィルは、化け物となってしまった姉と相対しているのである。




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