第108話 すごぉ♡
ギュルリと黒い魔力が収束していく。
その中心にいるのは、破壊神バイラヴァだ。
爆発によって、血みどろの身体が隠されていく。
四肢も千切れかかっているところさえあった満身創痍の全身が黒い魔力で全て隠され……。
【やはり、人型というのは良くないな。無駄にダメージを受ける。とはいえ、便利な造りであることは間違いない。……まったく、脆くなければいいのだが】
「……あははぁ! 凄いわぁ、凄いわぁ!」
次に姿を現したのは、黒い瘴気の塊。
二つの真紅の目がおぞましく光っていた。
それには、ヴェロニカも見覚えがある。
ずっとバイラヴァを観察していて知っている、破壊神としての本来の姿だ。
ただ相対するだけでも押しつぶされそうになる圧を感じる。
しかし、ヴェロニカは表情に歓喜を浮かべる。
「私ぃ、それはちゃんと知っているわよぉ! ずっと……ずぅぅっとあなたを見ていたんだからぁ。それがぁ、神様の本当の姿なのよねぇ」
恐怖は感じない。喜びだけである。
嬉々として見てくるヴェロニカに何とも言えない感情を抱きつつも、バイラヴァは答えてやる。
【厳密に言えば違うが……まあ、そう思っていればいい。少なくとも、この世界で力を出せるのはここまでだ】
「それ以上出しちゃったら、世界が壊れちゃいますものね!」
うんうんと腕を組み、訳知り顔で頷くヴィクトリア。
豊満な胸が腕に乗せられて強調されるが、この場では誰も見ていないので問題ない。
ヴェロニカは、彼女の言葉に多少の興味を抱いた。
「へぇ……女神様もできるのぉ?」
「うーん……わたくしも人型に収めていることは一緒なのですけれど、あんなのを期待されたら困りますわ。あれは、破壊神だからこその力ですもの」
そう言うと、ヴィクトリアはニッコリと笑い……彼女の美しい容姿が崩壊した。
バチバチと凄まじい力の奔流を発しながらその場に現れたのは、バイラヴァと同じようで、しかし真っ白な光を放つ力の塊だった。
【こぉんな感じですわぁ!】
脳天気な声が届く。
それは、白い力の塊がヴィクトリアであることを伝えてくる。
しかし、ヴェロニカはその力の強大さに当てられて、声を出すこともできなかった。
これが、神。この世界最高の実力者たち。
黒と白。二つの強大な存在がこの狭い場所に集中していることによって、世界が悲鳴を上げる。
地震が起こり、ギチギチと大気がとんでもない音を立てる。
世界が、崩れていく。
【おい! 貴様までそれになったら、大陸が消えるだろうが!】
「おっと、それはいけませんわね。まだバイラヴァ様の子種をもらっていませんのに」
【……昔のお前を返してくれ。叩きのめすに相応しかったお前を……】
バイラヴァにいさめられ、ヴィクトリアはすぐに人型へと戻る。
その結果、地震などは収まったのだが、ヴェロニカの冷や汗は止まらない。
ヴィクトリアなんて、大して力のなかった女神のはずだ。
一度は自分たち精霊に敗れていることもあり、どこかで侮っていたのだが、それは間違いかもしれない。
当時、人々を守る存在として優しい神だったからこそ、影響を与えないために本来の力を発揮できなかったこともあるのだろう。
「……ただ存在しているだけで世界に傷を与えるとかぁ、神として酷くないかしらぁ?」
【神を何だと思っている。言っておくが、人間や魔族のために存在する神なんていないぞ? そこの女神は例外だったが、今はこうだしな】
「こうですわ!」
ヴェロニカの皮肉も、バイラヴァには通用しない。
むんっと自慢げに胸を張るヴィクトリアを、雰囲気的に呆れていた。
自分勝手で、自分本位。それが、本来のこの世界の神々である。
ヴィクトリアという例外もいたが、裏切られて地獄を見た今、もはや彼女も自分の欲望を隠そうとはしない。
欲望を向けられるバイラヴァからすると、絶望しかないが。
「へぇ。でもぉ、その異形になったからってどうだっていうのぉ? どれほど強力になろうともぉ、私の『無効化』を越えることはできないわぁ」
二つの異形を前にしても、未だに余裕の笑みを崩さないのは、それだけ自分の力に自信を持っているということだ。
『無効化』は、鉄壁の力だ。武芸百般に通じるような自身の身体を鍛え上げた猛者ならともかく、魔法やスキルといった特殊能力に頼る者が相手ならば、完封することだって容易である。
そして、バイラヴァも近接戦闘の心得がまったくないというわけではないが、どちらかと言えば特殊能力に長けている。
つまり、ヴェロニカの優位性は覆らない。
そのはずだったのだが……。
【そうでもない】
「……あぐぅっ!?」
ズドン! と衝撃を背後に受ける。
構えることすらできなかったヴェロニカは、そのまま前面に倒れこんでしまう。
後少しで腐った湖に落ちるところだった。
鼻が曲がりそうな悪臭に、思わず顔を歪める。
いつも崩さない退廃的な笑みが、崩された時だった。
そして、倒れ伏すヴェロニカを見下ろす、異形の神。
【ほら、攻撃が当たった。貴様の『無効化』。無効化する対象を視認して意識していなければ、作用しないだろう?】
「……あらぁ、ばれちゃったぁ?」
種を明かされたヴェロニカは、しかし絶望ではなく笑みを浮かべ立ち上がる。
せっかくの一張羅が、土に汚れてしまった。
バイラヴァと相対し、遊ぶことができるというから気合を入れてきたというのに。
しかし、この無駄にされることも……嫌ではなかった。
【我のことを見すぎだな】
「神様が好きだから見ていただけよぉ?」
【そう言って、じっと我のことを見続けることに違和感をなくしたのだろう? まったく、よくやる】
確かに、言動の節々に破壊神への好意を込めていたのは、その理由が大きい。
あまりにも凝視していれば、違和感を覚えられても不思議ではない。
しかし、その対象が好きだと……数百年来の想いがあるのだとしつこく伝えていれば、視線を向けることもおかしくはないだろう。
残念ながら、バイラヴァには通用しなかったようだが。
とはいえ、これで終わりではない。
この程度で、楽しい時間を終わらせていいはずがない。
「視認できない攻撃の対処法もぉ、一応ちゃんと考えているのよぉ?」
ひらりとヴェロニカは小さな手を軽やかに振るう。
すると、ぶわっと現れたのは黒い蝶だ。
ひらひらと舞い踊る様は、楽しげな社交界のようだ。
それが、ヴェロニカを守るように360度全方位に展開した。
「これでぇ、攻撃が迫れば蝶が教えてくれるわぁ。絶対に意識することができるからぁ、神様の作戦は台無しねぇ」
攻撃を受ければ、蝶が消滅する。
そちらを見れば、しっかりと意識して無効化することができる。
ヴェロニカの対策は万全だった。
しかし、バイラヴァはそれを児戯だと嘲笑う。
【いいや、まだあるさ】
「ッ!?」
ぶわりと展開した黒い魔力弾。
それが、全方位から襲い来る。
蝶が反応して消滅するため、意識はできているはずだ。
それなのに、ヴェロニカはとっさに飛びずさって『逃げた』。
【ほらな。何故逃げた? 『無効化』の力があるのに、どうして逃げる必要がある?】
「……さあねぇ」
バイラヴァは攻撃が避けられたのにもかかわらず、嗜虐的な笑みを浮かべる。
一方で、攻撃を逃れたヴェロニカは頬に冷や汗を垂らす。
まさに、対照的な反応である。
この攻防では、本来逆の立場になっていたはずの二人は、正反対の反応を見せていた。
【我が言ってやろうか? 貴様の『無効化』は、不可視ではあるがいわゆる壁のような形状になっているのではないか? さらに加えて、それを展開できるのは視認している方向に一つだけ。大きさまでは知らんが、だからこそ側面や背後、頭上からの不意打ちは『無効化』することはできないのだろう?】
「そこまで分かっていたなんてぇ……意地汚いわぁ」
完全に正解……というわけではないが、しかしほぼほぼバイラヴァの推測は合っていた。
ヴェロニカの展開できる『無力化』の壁は、一つの方向というよりも視界の範囲である。
見えている範囲内であれば、壁は展開することができる。
そのため、バイラヴァの初撃はかなり横に広がった魔力弾であったが、全て打ち消すことができたのである。
とはいえ、意識の外から……前を向いているのに背後から攻撃されれば、それは自分に届いてしまう。
ならば……。
「でもぉ、それが分かってもどうしようもないのではぁ?」
ヴェロニカはバイラヴァを凝視する。
なるほど、確かに意識外からの攻撃は、自分にとって致命的なものになる。
ならば、その攻撃を行う者を凝視し続ければいい。
攻撃を放つのであれば、必ずその者の身体が力を発する。
その瞬間、『無力化』してやればいいのだ。
それなら、完封できる。
だが……。
【いいや、もう終わりだ】
バチュッと惨い水音が響いた。
次の瞬間、ヴェロニカの視界から光が消えた。
闇だ。何も見ることはできない。
そして、頬を伝う熱い液体は、涙ではない。血である。
「……あらぁ」
激痛がある。
しかし、ヴェロニカの口から漏れたのは、そんな気の抜けた言葉だった。
【さらばだ、精霊。我を復活させたことは、大義であったぞ】
何も見ることはできない。
だが、バイラヴァが近くにいて、もはや詰んだ状況であることは簡単に推察できる。
次の瞬間には、死が訪れるであろう時に至り、ヴェロニカは……。
「やっぱりぃ、神様ってすごぉ♡」
蕩けた満面の笑みを浮かべた。
その直後、彼女に巨大な魔力の球が叩き付けられるのであった。




