第107話 そんな必要、ないんですもの
『ど、どうしてあれが聞いていないかのしら……? バイラの極悪性悪激ヤバ攻撃なのに』
「(言い過ぎだろ)」
ヴィルの言葉に突っ込みながら、しかしバイラヴァの目は油断なくヴェロニカを見据えていた。
彼女は一気に反撃を仕掛けようというつもりはないらしく、ニコニコと笑って彼を見ている。
それは、ヴェロニカなりの余裕の表れだろう。
むしろ、どのような理由で黒い液体を逃れることができたのか、考えてほしそうにしている。
それが多少癪に障りながらも、考えなければ攻撃を仕掛けることもできない。
頭を悩ませようとしていると……。
「ああああああああああああああ!! これ、知っていますわ!」
思わず耳を塞ぎたくなるような大声が響き渡る。
はしたなくも目と口を真ん丸に開けて驚いて指をさしてくるのは、慈愛と豊穣の女神であるヴィクトリアである。
千年前の清楚で穏やかな彼女はどこにいってしまったのか。
その当時のヴィクトリアと激しく対立していたというのに、バイラヴァは無性に当時の彼女が恋しくなるのであった。
「わたくしのときも、わたくしの力がこんな風に消されたんですの! あなたの仕業だったんですわね!」
聞いて聞いてと、バイラヴァに手をブンブンと振って報告するヴィクトリア。
思い出されるのは、数百年前の精霊の侵攻。
アールグレーンに諭された人間に裏切られて背中から攻撃され、精霊に捕らえられたヴィクトリア。
当然、それから一切の反撃を試みなかったということはない。
隙を見て、自身を捕らえるヴェニアミンに逆襲を考えたこともある。
しかし、力を使おうとすると、何故か最初からそんなものがなかったかのように消え去ったのである。
それは、今目の前でバイラヴァの力が消されたのと同じようで……。
「えぇ、そうよぉ。私の力は『無効化』ぁ。使い勝手がよくて便利なのよぉ」
ありとあらゆる力を、最初からなかったかのように消し去ってしまう力。
それが、精霊ヴェロニカの力であった。
非常に凶悪な力だ。
とくに、魔法やスキルといった特殊な力が多くを占めるこの世界では、ヴェロニカはかなりの強者まで上り詰めることができるだろう。
体術などを鍛える者は、少なくとも魔法やスキルを使えるのであればほとんどいないのだから。
「わざわざ種を明かすとは、貴様は馬鹿なのか?」
「うふふぅ。別に隠すようなことでもないしねぇ。これを隠していたからと言ってぇ、戦いが有利になるということもないでしょうしぃ。それにぃ……」
呆れた表情を浮かべるバイラヴァ。
どのような力か言わなければ、バイラヴァも警戒してうまく戦うことができなかったかもしれない。
しかし、ヴェロニカはそれを否定する。
この程度のことでバイラヴァを抑えられるとも思っていないし、それに……。
「このことを知ったからと言ってぇ、神様はどうすることもできないでしょぉ?」
「ふん、言うではないか」
ニヤリと厭らしくほくそ笑むヴェロニカに、バイラヴァも凄惨な笑みを浮かべる。
次の瞬間、いくつもの魔力弾がヴェロニカに放たれる。
その光弾はボールが蹴られるように彼女に向かって一直線に素早く迫る。
そこに込められた魔力も相当なもので、かつ破壊神の破壊の魔力である。
地形を容易く変えてしまうほどのものを秘めている。
しかし、ヴェロニカは退廃的な笑みを崩さない。
「無駄よぉ、無駄ぁ。どんな攻撃もぉ、私には届かないわぁ」
彼女に当たる直前、光弾は何もなかったかのように掻き消える。
パシュッと気の抜けるような音を立てて全力の攻撃が消える。
バイラヴァでなければ、心が折られてしまっても不思議ではない。
躍起になって攻撃を続ける。
しかし、それは明らかな下策である。
ひらひらと、バイラヴァの懐に忍び込んできたのは、黒い蝶である。
それがピタリと彼の身体に止まり、炸裂した。
「ぐっ、がはっ……!」
口から血を噴き出すバイラヴァ。
さしもの破壊神といえども、ゼロ距離で爆発に巻き込まれればダメージは通る。
血しぶきを撒き散らしながらもなお倒れないバイラヴァを、ヴェロニカは恍惚とした表情で見据える。
あの破壊神を、自分の手で痛めつけている。
その事実に、身体をブルブルと震わせて熱っぽい吐息を漏らす。
「あはぁ。あんまり攻撃ばっかりに意識を持っていっているとぉ、ボロボロになっちゃうわぁ」
爆発に巻き込まれて、その衝撃で身体を躍らせるバイラヴァ。
時折隙をついて魔力弾を撃ち放つが、『無効化』の力を持つヴェロニカには通用しない。
だというのに、何度も何度も懲りずに同じ攻撃を繰り返す。
すると、ヴェロニカは少し不満そうに頬を膨らませる。
「もっとぉ……もっと楽しませてよぉ、神様ぁ」
何か、もっとできることがあるだろう?
でなければ……せっかく復活させてやったというのに、意味がないではないか。
もっと楽しませろ。もっと興奮させろ。
それこそが、今破壊神がするべきことなのだから。
ふと、ヴェロニカはここに自分たち二人だけでないことを思い出す。
目を向けるのは、まだお茶菓子を頰いっぱいに突っ込んでいる豊穣と慈愛の女神ヴィクトリアであった。
「……そう言えばぁ、あなたは神様のことを助けなくてもいいのぉ? 流石に神様二人だとぉ、厳しいと思っていたんだけどぉ」
二柱の神が相手であれば、もっと楽しくなることだろう。
その結果、待っているのが自分の破滅だとしても……それはそれで面白い。
ヴェロニカは、破綻者ということができるだろう。
自身の退屈を殺すためならば、命さえ容易く投げだす。
刺激的で、興奮できて、面白いことならば、何を捨てたってかまわない。
まったく理解できず、またおぞましい性格である。
そんな彼女に問いかけられたヴィクトリアは……。
「……? 何故助けないといけないんですの?」
キョトンとした顔をして、首を傾げた。
これに目を丸くするのがヴェロニカである。
まさか、助ける気さえ一切持っていなかったとは思っていなかったのである。
「……意外と殺伐とした関係なのねぇ」
仲良さそうに見えていたが、実際はそうでもないらしい。
アールグレーンがヴィクトリアを裏切ったように、この世界の神々は仲があまりよろしくないようだ。
そして、それは事実である。
かつて、破壊神とそれ以外の神々に分かれて大戦争を引き起こしたし、彼が封印されてからは神同士の対立も深まって行った。
しかし、またもやヴィクトリアは首を傾げる。
「それも違いますわよ? だって、わたくし早くバイラヴァ様の子種をもらってたくさんの子を産みたいんですもの」
「それはちょっと反対だけどぉ……だったらぁ、どうして助けないのぉ?」
子種という言葉に少し頬を引きつらせながらも、ヴェロニカはさらに問いかける。
破壊神がこの女神と懇ろになっているのはまったくもって反対だが、それほど大切に想っているのであれば、どうして助けに来ないのか?
事実、バイラヴァは誰の目から見ても明らかなほど押されていて、全身もゼロ距離の爆発のおかげでボロボロの血みどろになっているというのに。
「だって……」
ヴィクトリアはニッコリと笑顔を浮かべる。
強がりでも、虚勢でもない。
本当に、心からそう思っているのだという、純粋な美しい笑顔だった。
それは、まさにかつての慈愛と豊穣の女神であった。
「そんな必要、ないんですもの」
「ッ!?」
次の瞬間、黒い魔力が吹き荒れた。




