第103話 興味
精霊王は鷹揚に跪く精霊たちを見下ろす。
別に、彼はマルエラのように誰かが屈服している姿を見て喜ぶような男ではない。
しかし、その嗜虐的な笑みは、善人ではないことを表していた。
『ふふん。なに、退屈そうなヴェロニカのために、面白そうなことを教えてやろうと思ってな。貴様らも暇だったじゃろう?』
「……私のためなんてぇ、陛下にしていただくことはありませんわぁ」
小さな独り言を聞かれてしまったヴェロニカは、内心面倒くさいことこの上ないと嘆きながらも、表向きはニコニコと笑顔を絶やさない。
『そう言うな。お主はなかなかつれないからのう。ワシとしても、少しくらい笑顔を見せてもらいたいものじゃ』
「笑っていますがぁ」
そう言えば、精霊王は失笑する。
『そんなつまらなそうな愛想笑いはいらんよ』
「ちっ」
その舌打ちは、誰もが聞き取れるほど大きかった。
普段の退廃的な笑みは吹き飛び、心底苛立たしげな凄惨な表情を浮かべている。
自分たちの王であるはずなのに、今にも殺しにかかってしまいそうなほどの雰囲気に、周りの精霊たちはごくりと喉を鳴らす。
「それで、面白そうなこととは……」
ヴェニアミンが慌てて話題を変えようと、精霊王に問いかける。
彼もまたこれ以上ヴェロニカをからかおうとは思っていないようで、あっさりと話題を変えた。
『ああ、そうじゃな。ほれ、我らは常に魔素の枯渇に苦しんでおるじゃろ? じゃから、数々の異世界に侵攻し、魔素を奪い取っておる。まさに、自転車操業じゃな』
現状を説明する精霊王。
しかし、いちいち説明されなくても分かっていることだ。
精霊たちが王の命令で異世界を侵略し、その世界を征服しているのも、全ては魔素のため。
枯渇していく魔素を補充するための行為であると、皆理解している。
それで征服される異世界の人間からすると、堪ったものではないが。
『じゃが、そろそろそれも終わりにせんといかんと思ってなあ。あの世界に目をつけていたわけじゃが……』
「ああ。あの魔素が信じられないくらい豊富だって言う……」
ヴェニアミンが反応する。
前々から目をつけていても、とある理由で侵攻をためらっていた世界のことを、彼は精霊王から聞かされていた。
その特異な世界は、魔素が信じられないくらい豊富で、大気中に満ち満ちているという。
一つの世界を征服して魔素を搾り取るよりも、何倍も魔素を手に入れることができるらしい。
「でもぉ、そこって侵攻できないんじゃなかったかしらぁ? だからぁ、豊富で魅力的でも侵略できなかったんでしょぉ?」
『うむ、その通りじゃ。あれは、結界のようなもので守られておる。それがある限り、次元を渡って侵攻することは不可能じゃ』
ヴェロニカの言葉に、精霊王が重々しく頷く。
侵攻できない理由は、その世界を守るように展開されている結界である。
まるで、強固な壁のようだ。
その壁がある限り、次元を超えて侵略することができない。
だからこそ、目の前の宝物があっても手に入れられないという、非常にもどかしい状況が続いていたのである。
「そもそも、何でそんな結界みたいなものがあるんだ? 今まで侵攻してきた異世界に、そんなものはなかっただろ?」
「考えられる一つの説ですが、過去に私たち以外の勢力から侵略されたことがあるのかもしれませんね。その対策に、結界を展開したのでは……」
『まあ、そこはどうでもよい。重要なことは、だ。その結界が、かつてないほど弱まっているのじゃ』
「弱まっている? 何で?」
ベニーとレオンの会話を、精霊王はバッサリと斬りおとし、重要なことをあっさりと話してしまう。
世界を守る結界が、弱まっている?
アラニスが首を傾げる。
『ふふん。今まで何もせず、指をくわえて眺めていたわけではないわ。ワシの謀略により、結界の力を弱めることに成功した。であるならば、やるべきことは一つじゃろう?』
自慢げに豊かな髭を撫でる精霊王。
もったいぶるように時間を空けてから、彼は口を開いた。
『侵略じゃ。あの世界に侵攻し、魔素を奪う。いつも通り、ずっとやっていたことじゃ。どうじゃ、少しくらいは退屈をしのげるのではないかの、ヴェロニカ』
「えぇ、そうですねぇ」
ニッコリと笑うヴェロニカ。
しかし、その実、心が躍ることは全くもってなかった。
退屈をしのげる? そんなはずがないだろう。
そう思って、今まで何度異世界に侵攻したというのか。
そして、そのすべてにおいて裏切られてきたのである。
精霊は強い。強すぎる。
世界でも最強と言われる存在は、自分たちの足元にも及ばない。
それで、どうやって退屈をしのげるというのか。
どうせ、この世界も同じだ。
結界というのが他の異世界とは違うが、それだけである。
自分たちが侵攻すれば、一瞬で片がつくに決まっている。
その内心を見透かしたように、精霊王はヴェロニカを見下ろす。
『なに。お主が思っておるより、あの世界は面白いものじゃよ。きっとな』
「…………はあ」
そう言われても、やはり心が躍ることはなかった。
精霊王はそんな様子のヴェロニカから目を離し、王として相応しい威厳のこもった命令を下す。
『さて、お主らも向かい、その世界を侵略せよ。そして、魔素をワシの元まで運ぶのじゃ』
『はっ』
◆
精霊王の言う通り、異世界を守る結界は弱まっていた。
確かに、災厄をはらう程度の力はあったが……精霊には通用しない。
一気にそれを打ち破り、異世界へと侵攻した精霊たち。
当然、その中にはヴェロニカもいる。
面白いものがある。
精霊王にそう言われたため、少しとはいえ期待していたのだが……それは見事に裏切られた。
この世界も、他の異世界と同様で、自分たちの侵略にろくに抵抗ができていない。
面白いと言える存在も、事象も、何もなかった。
「……やっぱりぃ、つまらないじゃない」
ボソリと呟かれたその言葉に、ヴェロニカの全ての諦めの感情が込められていた。
やはり、退屈だ。本当に。
こんなにも退屈ならば……いっそのこと、精霊王に喧嘩を挑んでみるのも悪くないかもしれない。
精霊たちの王。自分よりも強大であるはずの精霊王に挑めば、命を落とすことだって容易に考えられる。
だが、死ぬことなんて退屈よりもマシだ。
そんな価値観を持つヴェロニカが、危険な思考を抱こうとしていると……。
この世界を守らんとする、神と呼ばれる存在と衝突した。
豊穣と慈愛の女神ヴィクトリア。
他の神々は参戦しなかったが、彼女はこの世界の人々のため自分たち精霊と戦った。
その力は強大で、退屈だとウジウジしていたヴェロニカの目を少し輝かせるほどのものがあった。
とはいえ、彼女も同じ神であるアールグレーンの裏切りによって、あっけなく地面に倒れ伏すことになったのだが。
そんな彼女が、とても気になることを口走る。
「……あなたなんか、足元にも及ばない程度には凄いですわよ……」
「へぇぇ……!」
キラキラと目を輝かせるヴェロニカ。
ヴィクトリアの発した男の名に、少し……興味が湧いた。
「破壊神、ねぇ……」




