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第102話 王

 










「緑茶ぁ、コーヒー、紅茶ぁ……どれがいいかしらぁ?」


 我らの方を見て、ニコニコと笑顔を浮かべる精霊。

 先ほどまでの退廃的なものとは違い、キラキラとしているようにも見えた。


 まあ、どうでもいいことだが。

 我に飲食は必要ない。つまり、精霊の差し出すものは、受け入れる必要はまったくなかった。


「わたくしは緑茶でお願いしますわ!」

「はぁい。神様はぁ?」

「いらん」


 我と同じ神である女神も必要ないはずなのに……。

 甘いお茶菓子対策に苦味のある緑茶を選ぶとか、もう満喫する気満々ではないか。


 ……精霊ごと押しつぶしてやろうか。


「えぇ……全種類のブレンドぉ? 仕方ないわねぇ」


 馬鹿なのか、この精霊は?

 誰がそんなものを頼んだ。


「貴様が飲めよ。我は飲まんからな」

「もぉ……毒なんて入れないわよぉ」


 そういう意味で言ったのではないが!?

 毒以前にクソ不味いだろ、それ!


 だいたい、生半可な毒なんて、そもそも我に通用しないし。

 とはいえ、警戒しないことは愚かである。


 この世界に、絶対はない。

 我に通用する毒も当然あるだろうし、相手はこの世界をごく少数で支配してみせた精霊である。


 そのような劇薬を持っていることだって、ありえる。

 だから、どれほど勧められても、決して口に入れるべきではないのだが……。


「美味しいですわ! もう一杯!」


 ぷっはー! と緑茶を一気飲みする女神。

 こいつはいったいなんなんだ……。


 馬鹿という概念を容易く超えている……。

 精霊はその隙だらけの馬鹿を攻撃することもなく、わざわざ手ずから注ぎ、女神に渡していた。


 もう、そいつにだけ毒を入れていてもいいぞ。

 精霊も椅子に座り、優雅にカップを傾けてコクリと喉を潤していた。


「ふぅ。今日この時を迎えることができてぇ、とっても嬉しいわぁ」


 退廃的な笑みは、むせ返るほどの色気を放つ。

 潤された唇が、ツヤツヤと輝いている。


「我と殺しあうことができるからか?」


 だとすると、とても気が合う。

 だから、一刻も早くこのつまらない時間を終わらせて戦おうではないか。


 しかし、残念なことに、精霊は首を傾げて唸る。


「うーん……それもあるけれどぉ、一番の理由はただ神様と会って話がしたかったからよぉ」

「なに?」


 我と話がしたい?

 話すことなど何もないというのに?


 もしかして、話しあいで和解でも求めようとしているのか?

 それは、ありえない話だ。精霊が世界を支配している以上、世界を再征服しようとしている我とは決して相いれない。


 どちらかが消滅するまで、この戦いは終わらないのである。

 しかし、次に精霊の口から飛び出した言葉は、我の予想を容易く飛び越えた。


「私ぃ、あなたのファンなのよぉ」

「…………は?」


 ……ファン? なんだそれは?

 いや、意味は知っている。


 だが、その感情を破壊神である我に、精霊が向けることはあまりにも滑稽な話だろう。

 散々敵対し、実際に何人もの精霊を破壊しているのである。


 恨みこそすれ、好意を向けることなんてありえない。


「流石ですわ、バイラヴァ様! 精霊みたいなクソにも、尊敬されるんですのね!」


 馬鹿は相変わらず何も考えていないようだ。

 どうしてこいつを連れてきてしまったんだ……。


『勝手について来ただけじゃん。出し抜こうとしても、追いかけてくるしね』


 女神としての力をこんな無駄なことに使いやがって……!

 馬鹿のくせに能力だけはそれなりに高いこいつが鬱陶しい!


「ファンだと? 破壊神をそのように見るということ自体おかしいが……我は貴様の仲間を次々に破壊していっているのだぞ? どこに好意的に見るものがある」

「あぁ、そうそう。神様は気になっているだろうから教えてあげるわぁ」


 手をポンとたたき、思いついたように言葉を発した。


「この世界に残る精霊はぁ、私で最後よぉ」

「ほう……」


 仲間であるはずの精霊が、自分を残して誰もいなくなった。

 だというのに、目の前の精霊ヴェロニカはニコニコと退廃的な笑みを浮かべている。


 自分一人でもどうにでもできるという余裕か。

 それとも……。


 だが、そんなことはどうでもいい。

 我にとって重要なのは、破壊すべき対象が、目の前の存在だけになったということだ。


 そして……。


「つまり、貴様を破壊さえすれば、この世界を再征服して暗黒と混沌を齎すことができるというわけだな!」


 我の悲願が、後少しで果たされる。

 自然と昂り、魔力が溢れ出す。


 ゴウッと吹き荒れる暴風は、精霊の髪を揺らし、腐った湖の湖面を激しく波打たせる。

 訳のわからない小さな生物が、湖面から飛び上がっては再び湖の底へと沈んで行く。


「そういうことねぇ」


 ヘラヘラと笑う精霊。

 なんだその薄い反応。つまらん。


 もっと戦意を見せて、むしろ我を殺してやるくらいの気概が欲しいものだ。


「ところで、ファンってどういうことですの? バイラヴァ様とあなたたち精霊は、どう見ても相いれないですわ。もぐもぐ」


 女神が頬を膨らませながら尋ねる。

 食べながら話すのは止めろ。


 本当に女神のかけらもないな、こいつ。


「私がファンになるのも当然よぉ。だってぇ、神様はずっとつまらなかった私をドキドキさせてくれた人なんだものぉ」


 ……ドキドキ?

 ちょっと何を言っているか分からない。


 しかし、頬を赤らめて貪欲な目を向けてくる精霊に、我の背筋が凍る。


「私の人生を彩ってくれた人のことぉ、好きにならないわけがないでしょぉ?」











 ◆



 足を踏み出すたびに、カッカッと高い音が鳴り響く。

 硬い材質の地面を、硬いヒールのようなもので歩けば、このような音が鳴るのは当然だろう。


 そんなつまらないことを考えながら、ヴェロニカは立派な宮殿の中を歩いていた。

 しかし、宮殿とはいえ、そこで働くようなメイドや兵士などは見当たらない。


 誰もいなくなってしまったように、ヴェロニカの姿しかなかった。

 ここも、かつては兵士やメイドなどが大勢いた。


 だが、その姿はない。

 当然だ。精霊によって皆殺しにされたのだから、いるはずもない。


「あれもつまらなかったわねぇ……」


 退屈そうに目を細めながら、その時のことを思い出すヴェロニカ。

 マルエラなどは心底楽しそうに蹂躙していたが、彼女は何が面白いのかさっぱり分からない。


 自分よりも弱い者をいたぶって、何が楽しいというのだろうか。

 こんな所にも別に来たいわけではなかったのだが……どうしても来なければならない理由があった。


 かつては玉座の間として利用されていた部屋へとつながる大きな扉を開けて中に入れば……。


「遅いわね。重役出勤なんて何様かしら? ぶっ殺してやりたいわ」

「あらぁ? 皆呼ばれていたのぉ?」


 先ほど考えていたマルエラが、心底嫌そうに顔を歪めながら自分を睨みつけてくる。

 敵意も挑発も無視して、ヴェロニカは周りを見渡す。


 そこには、自分とマルエラだけではない。

『奴』の手駒として働く精霊たちが、勢揃いしていた。


「ああ。どういった理由でかは、私たちも知らない」


 ヴェニアミンが答えてくれる。

 精霊の中でまともに会話ができる、数少ない存在である。


 なお、研究のことになると頭がぶっ飛ぶので、信頼することはできない。


「どうでもいいけど、さっさと終わらせてほしいなあ。ペットと遊ばないといけないんだ」

「どうせ、人間と戦わせるとか、つまんねえことだろうが」

「うっせー! じゃあ、何か面白い遊び考えろよ!」

「静かにしなさい。ここでは、私たちが普段の会話をしていいことにはなりませんよ」


 アラニスとベニーが喧嘩をし、それをレオンがいさめる。

 もともと、精霊は個性が強く、群れることに適さない。


 こうして集められれば、衝突するのは当然と言えた。

 精霊同士の殺し合いでも起これば、少しでも楽しめるのかもしれないが……。


「……つまらないわねぇ」


 やはり、つまらない。

 退屈は人を殺す。


 その点から考えると、ヴェロニカは今にも死にそうになっているほどだ。

 深いため息を吐けば……。


『そうか? ならば、少し刺激的なことを教えてやろうではないか』


 重々しく、まるで轟雷のような声が鳴り響いた。

 ここに集まっている精霊ではない声。


 その声を聴いた瞬間、全ての精霊が膝を屈して頭を垂れた。

 退屈なヴェロニカも、プライドが天よりも高いマルエラも、他の自分勝手な精霊たち全てが。


 誰一人として例外はない。

 それは、まさしく異常な光景であった。


 あの精霊たちが、許しを乞うように頭を下げているのである。


「私たちを集めた理由はなんでしょうか? 精霊王陛下」


 精霊を代表し、ヴェニアミンが言葉を発する。

 彼らの前にあったのは、巨大な体躯の精霊たちの王であった。




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