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第101話 このクソガキ

 










「ああ、待っていたわぁ。ずっとぉ、ずっとぉ……あなたが思っていた以上に長い年月を、私は我慢して待ったわぁ」


 ドロドロと、底なし沼に引きずり込まれてしまうような、精霊の蠱惑的な声。

 危険であることが分かっている為、本来であれば近づくことなんてありえないはずなのだが……何故か、それに吸い寄せられるような危険な魅力があった。


 無論、我がそれにされるがまま引きずり込まれることはなかったが。

 退廃的な笑みを浮かべ、こちらを情熱的に見つめてくる精霊には、違和感しかない。


「そしてぇ、ようやく逢えたぁ……。あぁ、それだけで身体が熱くなるわぁ」


 どうして、我はこんなにも歓迎されているのか。

 今まで、彼女の仲間である精霊を随分と破壊してきた。


 恨まれこそすれど、歓迎されるようなことはないはずだ。

 他の精霊と仲が悪く、だから破壊しても感謝されているのか?


 ……いや、どうにもそんな感じではない。

 うーむ……さっぱりわからん。


『めっちゃ好かれているわね。知り合い?』


 知らん。

 内心で聞いてくるヴィルに答える。


「わ、わたくしに子種をくれなかったのは、こういった理由ですのね……!」


 違う。

 どこからか取り出したハンカチを噛んでギリギリと引っ張る女神には、返事もしない。


 内心で呟くだけである。

 ……というか、今ハンカチをどこからとった。


 見間違いでなければ、胸の谷間からとっていなかったか?

 どうなっているんだ。貴様のそこは。


「さあさあ。どうぞ座ってぇ。ゆっくりお話ししましょうよぉ」


 精霊は立ち上がると、けなげにも椅子を引いて我らを待つ。

 しかし、我は別に話し合いをするためにここを訪れたわけではない。


 そんな平和的な解決なんて、望んでいないのである。


「必要ない。今すぐ貴様を破壊して、終わりだ」

「そんなつれないこと言わないでよぉ。ほらぁ、色々と準備したのよぉ?」


 軽く殺意をぶつけてみるが、精霊はひょうひょうとした態度を崩さない。

 やはり、常人ではないことは確かだ。


 精霊は皆そうだったが。

 精霊が示す通り、テーブルの上には美しい造形の茶菓子や様々なものが入ったポットのようなものがあった。


 婦女子が気合を入れてティータイムをするときのようだ。

 だが、それは当然破壊神と精霊にふさわしくない。


 同じテーブルについて、仲良くお茶会をするなんてことはありえないのだ。


「……おいしそうですわー」


 我の背中からテーブルを覗き見て、だらしない顔をする女神。

 よだれを拭けよ。というか、奴は貴様をかなり酷い目に合わせた仲間だぞ?


 なにもてなされようとしているんだこいつ。


「何がいいか分からなかったからぁ、色々用意したのぉ。紅茶ぁ、コーヒー、緑茶ぁ……」

『さあ、バイラ! 先制不意打ち攻撃よ! ブッ飛ばしちゃって!』


 我がなかなか席に付かないため、慌てて色々と紹介してくる精霊。

 無論、我が心惹かれることはない。


 内心にいるヴィルも、怒りの声を上げる。

 ああ、任せろ。


 力を蓄え、こちらに無防備に背を向ける精霊にそれらをぶちまけようとして……。


「あとぉ、お酒ぇ」

『バイラ。まずは話しあうことも大事だわ。席に座りましょう』


 こ、こいつ……!

 あまりにも穏やかな声なので、本当にヴィルなのかと思ってしまったほどだ。


 酒が出てきた途端、席につくことを勧めてきやがった。

 なんだこいつ。本当に妖精か?


「必要ない。そもそも、こんな腐った湖のど真ん中で、飲食なんてできるか」


 そうだ。千年以上前のように、美しい澄んだ水が溜まっている湖ではない。

 ドロドロにおぞましい何かが溶けだした、腐った湖である。


 こんな異臭の放つ場所で、とてもじゃないがお茶会なんてことができるはずもなかった。


「ちゃんとそこも考えているわぁ」


 しかし、精霊はニッコリと笑うと、腕を振るった。

 すると、その瞬間から一切異臭を感じなくなる。


 湖は腐ったままだ。この場所も、死んだままだ。

 それなのに、匂いだけが遮断されているかのように、知覚することができなくなってしまった。


「あら? くちゃいのがなくなりましたわ!」


 そう言って笑顔を浮かべる女神。子供か。

 それに対して、精霊は退廃的な笑みを浮かべながら、小さな筒のようなものを見せびらかす。


「ヴェニアミンの発明品よぉ。これが、あなたを捕らえて実験していたことで作られたものかどうかは知らないけどぉ、随分と研究の手助けになったみたいよぉ。よかったわねぇ」

「喧嘩売っていますの、このクソガキ」


 バカな女神でも、精霊に捕らえられていた数百年はとても良い過去であったとは認められないようで、殺気を噴き出させながら精霊を睨みつける。

 とくに、戦闘に優れているというわけではない女神だが、それでもその殺気は大地が揺れて大気がきしんでしまうほどのものである。


 しかし、精霊は余裕の笑みを崩さない。


「あぁ、そんなことないわよぉ。ほらぁ、クッキー食べるぅ? 私が作ったのよぉ」

「ふざけるな、食べるわけないだろ。いいから立って戦闘を……」


 面白くもないことを言い続けるのはいい加減にしろ。

 クッキーを差し出してくる精霊を一喝し、戦闘へと持ち込もうとして……。


「いただきますわ!」


 馬鹿が椅子に座ってクッキーを頬張り始めた。

 クッキーで釣られるな、この馬鹿女神!


「ほらぁ。女神様も座ったわけだしぃ、神様も座りましょうよぉ」


 ひらひらと手を振ってくる精霊。

 頬をリスのようにふくらませて幸せそうな笑顔を浮かべる女神。


 ……それに毒が入っていたらどうするつもりだ。

 どうして敵の差し出す食べ物を平気で口に入れられるのだ……。


 ガクリと肩を落とし、力が抜けてしまった我は、高めていた魔力を落ち着かせる。


「……ちっ。少しだけだぞ。すぐに破壊してやるからな」

「えぇ。私も負けるつもりなんて毛頭ないけどねぇ」


 ニッコリと笑う精霊に、我は鼻を鳴らして椅子に座るのであった。




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