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第100話 待っていた

 










 招待状を片手に、我は歩く。

 精霊ヴェロニカからの招待を、我が断ることはなかった。


 相手がどのような目的があるのかは知らないが、少なくとも我の目的からすると断る理由なんてあるはずがない。

 すなわち、この世界からの精霊の駆逐。


 それを成し遂げ、この世界を再征服する。

 その大切な過程だ。無駄にすることはできない。


 意気揚々と招待を受け、その場所に向かおうとしているのだが……。


「……で? 何で貴様も付いてきているんだ?」


 我の後ろをちょこまかと付いてくるお邪魔虫、女神に問いかける。

 なんだ貴様は。あの異常な街に残って、『ヴィクトリア教』の信者たちと語らっていた方がいいのではないか?


 そんなことを考えていると、女神はニッコリと慈愛に満ち満ちた笑顔を浮かべた。


「一人は寂しいですものね!」

「寂しくない」


 破壊神が一人で寂しいとか思うはずがないだろうが。子供か。

 それに、我の中には酒狂い妖精もいる。


 寂しくなりたくてもなれんのだ。


「それに、わたくしも神として……精霊とはお話がしたいと思っていますの」


 一転して、真剣な表情を浮かべる女神。

 ……まあ、思うところはあるのだろう。


 彼女は四大神の中で唯一精霊と戦った神であり……敗北して地獄のような日々を送ったのだから。

 世界を侵略してきた精霊に、何か言いたいことがあるというのは当然のことだろう。


 ……昔の女神だ。凛々しく、美しく、優しい女神。

 頼むから元に戻って我と敵対してくれ。今からでも遅くないから。


「邪魔だけはするなよ」

「もちろんですわ! だから、わたくしと子作りを……」

「この色ボケ女神が! まだ言うか!」


 クソが! 少し戻ったと思ったら、まだ壊れたままか!

 おのれ精霊め! 女神をこのような性格に改悪し、我に押し付けたことは許さんぞ!


 もう彼女をこのようにした精霊は破壊したが、連帯責任だ。

 全ての精霊に、同じ罪があるとして破壊してやる。


「……それにしても、招待状と言うからどれほどのものかと思えば、この子供が作ったみたいなものは何ですの?」


 女神が我の背中に飛びつき、頬をこすり付けながら我の持つ招待状を覗き見る。

 暑苦しいわ。背中に当たる弾力も鬱陶しい。


 ……とはいえ、女神の言うことにも一理ある。

 招待状と言えば……そして、封蝋までした格式のあるものならば、中身もまたしっかりしたものであるはずだ。


 しかし……。


『あーそびーましょ♡』


 その文言と共にキスマークのつけられた招待状。

 最も重要な居場所を知らせる地図は、『ここらへん』という適当な言葉とフリーハンドの曖昧な地形の絵が描かれていた。


 子供が友達を遊びに誘っているような、そんな拙いものだ。

 少なくとも、精霊が破壊神に送るものではない。


「貴様と一緒の知能指数か……」


 チラリと女神を見る。

 ああ、チンパンジーの知能と同じくらいなのか。ヴェロニカという精霊は。


 我の言葉に、流石に女神も怒りをあらわにする。


「わたくしもちゃんとすればもっと賢いですわ!」


 できるのであれば最初からしろ!

 我が普段からどれほど憔悴しているか知っているのか!


 戦闘以外でここまでもダメージを負うとか、想像もしていなかったわ!

 なんだまだその本気出していないからみたいな足掻きは!


「……ここでいいですの? 招待されるような場所とは、到底思えませんが」


 女神は不安そうに周りを見渡す。

 確かに、ここにいて楽しいと言える者は少ないだろう。


 場所は、分からない。

 そう断言するほかないほど、霧が濃く広がっていた。


 一寸先は闇……という表現が適切に感じるほど、真っ白な霧はまるで雲の中にいるかのよう。

 分厚いそれは、触れたら質感を感じることができるほどだ。


 女神の気持ちも分かる。

 誰だって、ここに初めて来れば不安に思うだろう。


 しかし……。


「いや、ここは……」


 しかし、我と……そして、ヴィルはその不安は一切感じていなかった。


『……あたしとバイラが忘れるはずはないわよね。ここは』


 そうだな。

 なにせ、ここは我とヴィルが出会った場所だからな。


 我らが不安に思わない理由は、それに尽きる。

 すなわち、ここに過去訪れたことがあるからだ。


 随分と変わったものだ。


『……あれから、千年以上経っているんだもの。精霊の侵略からも数百年……こうなっちゃうのは仕方ないわね』


 我とヴィルが出会ったのは、千年以上前のこと。

 封印されることになったあの戦争よりも前のことだからな。


 初めてここを訪れた時は、霧なんてなかったんだがな。

 美しい場所だった。


 全てを破壊するべくして生まれた我が、そんな風に思うことができるような場所だった。

 柔らかい草木が生い茂り、温かな陽光が降り注ぎ、穏やかな湖面を照らしていたこの場所で、我はヴィルと出会ったのだ。


 あれから、今に至るまでの付き合いがあるのだから……当時の我に聞かせれば、絶対に認めなかっただろうな。


『……もう、ここに妖精はいないわね』


 その声音から感じられるのは、単純な悲しみだけではなかった。

 もっとさまざまなものが混じっていて……。


「そうかも、しれんな」


 そんな歯切れの悪い返事をするだけで、精一杯だった。


「バイラヴァ様? どうかされまして?」

「……いや、なんでもない」


 不思議そうに我を見上げてくる女神。

 重たげな胸を揺らし、無防備に覗き込んでくる。


 千年前だったら即座に殺しているほどの無防備さだ。止めろ。


「そうですの? でしたら、早く見てくださいまし! 凄いんですわよ!」


 コロコロと表情を変える。せわしないことだ。

 女神は我に全てを見せようと、腕を広げる。


「霧が、晴れましたわ!」


 スーッと……少しずつではあるが、確かに霧が晴れて行っていた。

 一寸先すら見ることのできなかった景色が、少しずつ視認できるようになる。


 しかし、我の記憶とは、少し変わってしまっていた。

 草木は所々剥げて枯れ落ちてしまっているし、陽光は分厚い霧に遮られて届いていないし、湖は腐って嫌な臭いを発していた。


「……ああ、そうだな。破壊し甲斐のある、良い景色だった」

「奇麗だったときがあったんですの?」


 怪訝そうに顔を歪める女神。

 どう見ても、この場所は死んでいる。


 生きていたころの美しい景色が、想像もできないのだろう。


「……さあ、行くぞ。精霊が我を待っている」

「あぁっ! 待ってくださいまし!」


 女神の問いかけに答えることはなく、我は歩き始めた。

 その背中を、彼女は慌てて追いかけてくる。


 さあ、もうすぐそこに精霊がいる。

 そこに目がけて、脇目も振らずに歩くのであった。











 ◆



 そこは、本来はとても居心地のいい場所だった。

 柔らかな草木に心地よく照らす温かい陽光。


 そして、綺麗な湖があり、喉を潤すために小動物など穏やかな気性の動物たちが集まってくる。

 人里離れた場所で、滅多に寄りつくことのない条件が成り立っていたからこそ、そのような美しい光景が広がっていた。


 それでも、魔物のような荒々しく全てを貪り尽くすような怪物がいれば、その景色も潰されてしまうのだが……ここには、守り人たちがいた。

 彼ら彼女らは、この場所を……いや、この世界を守っていたのだ。


「まあ、もう関係のない話だがな」


 我はそう呟く。

 そうだ。彼らはもういない。


「どこに行けばいいのでしょうか? バイラヴァ様はお分かりですの?」

「……まあな。ここは、美しい景色とは裏腹に、底意地の悪い連中のすみかだった。だからこそ、我らのような部外者がのんきに過ごせる場所は、特定の所しかなかった」


 女神の言葉に、昔を思い出しながら答える。

 そうだった。とても美しい景色だというのに、ゆっくりと滞在して見ることもできない。


 それが許されないような、悪戯好きのガキどもがわらわらといたのだ。

 部外者と言えば、この世界を支配している精霊もまた部外者である。


 とすると、奴らのように快適に過ごすことはできず、かつての我のように立つことができる場所は限られていて……。

 ふわりと霧が晴れる。


 すると、そこにあったのは腐った湖のちょうど真ん中にできた小島だった。

 細い土の道が、そこに続いている。


 我と女神は、いつの間にかそこに立っていた。

 そして、その小島にあったのは、小さな丸テーブルにいくつかの椅子。


 その一つに腰を掛けて、退廃的な笑みを浮かべている女がいた。

 彼女は優雅にティーカップを掴むと、艶やかな唇に当てて中身を口内に注ぐ。


 小さく喉を鳴らして満足そうにため息を吐くと、ようやくこちらを見つめてきた。

 視線が絡み合う。


 それだけで、我は……おそらくは精霊も、様々な想いが湧き上がっていた。


「――――――待っていたわぁ、神様ぁ」


 精霊が、それらを全て吐き出すような、そんな声を発する。

 そして、我も……。


「ああ。わざわざ出向いてやったぞ、精霊」


 獰猛な笑みを浮かべて、それに応えるのであった。




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