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『断崖令嬢 ―The Cliff Chronicle―』 ― 高所恐怖症だった悪役令嬢、世界の崖を制す ―  作者: 南蛇井


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7/13

【旅立ち】レミルの宣言 ― 仲間が集う

教会上層部の小会議室は、静寂そのものだった。

 白い石壁に囲まれ、冷たい光だけが高窓から斜めに差し込んでいる。光が落とす影までもが規則正しく、息をすれば乱してしまいそうなほど。


 円卓にはセラ司祭と補佐司祭が二名。

 壁際には無言の警備騎士。

 レミルは、その中央に立たされていた。丸裸にされた心臓だけが、静寂の中でやけに大きく脈打っている気がした。


 ここにいる全員が彼女を“審査している”。

 その事実が、胸の奥に重たく沈んでいた。


 沈黙は長く伸びた。

 耐えきれないほど張りつめ、ひとつの言葉で割れてしまうような緊張。


 レミルは、唇を湿らせる。

 喉が凍りついたように動かなかったが、それでも声を絞り出した。


「……私は、登りたい」


 補佐司祭たちが小さく息を呑む。

 だがレミルは続けた。


「──あの崖のてっぺんまで。

 自分の足で」


 声は震えた。それでも表情だけは、固く、動かなかった。

 これは“与えられた台本”ではない。

 誰の期待にも沿わない、彼女自身の言葉だった。


 その瞬間、室内の空気が微かに揺れた。


「危険すぎます!」

「儀式がまだ終わっていないのですよ、レミル様!」

「沈黙の谷へ向かうなど──」


 補佐司祭たちが慌ただしく声を重ねる。

 自分たちの描いた物語から外れることを、許せないと言わんばかりに。


 だが、セラだけが違った。


 白銀の睫を伏せ、わずかに笑みを浮かべた。

 それは優しさではなく、“価値の算定を終えた”者の静かな微笑。


「……よいでしょう」


 一同が息を飲む。


「巡礼として、あなたの登攀を認めます」


 レミルの心臓が、ひときわ大きく跳ねた。


 許された──。

 だがその言葉が、鉄の鎖のように聞こえたのはなぜだろう。


 セラは穏やかな声で続けた。


「あなたが再び崖を登ると知れば、民は喜ぶでしょう。

 “試練を越える娘”の物語は、信仰を支えますから」


 その声音には、喜びも悲しみもなかった。

 ただ事実として“使える”と告げる響き。


 レミルは悟る。

 彼女にとって、自分は生身の人間ではない。


 ──神話素材だ。


 レミルは胸の奥で、小さく拳を握った。

 たとえ利用されるとしても、それでも、自分の足で歩く道だけは選びたかった。


 セラは、淡く微笑む。


「さあ、巡礼の準備を始めましょう。

 あなたの“物語”を、美しく整えるために」


 レミルは表情を変えずに、ただ黙ってその言葉を聞いた。


 誰にも知られないところで、小さな反抗の火が、確かに灯っていた。



 セラは、卓上の書類に一瞥を落とすと、

 微塵の迷いもなく言葉を放った。


「巡礼には、三名の同行をつけます。

 ──役割の異なる、三人を」


 その声音は、あらかじめ答えを知っている者の静けさだった。


 レミルは瞬きもできずに立ち尽くす。

 “同行”と名づけられているが、その実は監視であると、誰よりも強く理解していた。


 セラはまず、一人目の名を挙げる。


◆1. 修女リゼル


「支援魔導士、修女リゼル」


 扉が開き、白い修道服に身を包んだ少女が現れる。

 柔らかい笑顔。胸元で握りしめられた小さな祈祷書。

 その目に宿っていたのは──純粋すぎる敬意。


「レミル様……っ。ほんとうに……生きて……!」


 声が震え、涙がこぼれそうになる。

 レミルは戸惑い、視線を逸らした。


 セラは淡々と付け加える。


「彼女はあなたを“神の導き人”と信じています。

 祈りであなたを支えるでしょう」


 ──支えるという名の、信仰による枷。


 レミルは息をひとつ飲む。


◆2. 騎士カイン


「二人目。断罪執行騎士、カイン」


 鉄靴の音が床に重く響く。

 現れた男は騎士の鎧に身を包み、兜を脇に抱えていた。

 鋭い眼差し──だがその奥底に、浅く沈んでいる影がある。


 カインはレミルの前に立つと、片膝をついた。


「……俺は、あなたを落とした。

 その責を背負うための同行です」


 短い言葉。

 だが、刃が胸に触れるような痛さがあった。


 セラが静かに断言する。


「彼には、あなたの護衛と──行動の記録を命じています」


 “護衛兼監視”。

 まるで二重の鉄鎖のようだった。


◆3. 技師エルゴ


「三人目。登攀技師、エルゴ」


 扉の向こうから、工具のぶつかる金属音が聞こえた。

 黒い作業服に、乱雑な髪。肩には奇妙な装置を背負った青年が現れる。


「やあ。君が“落下して生還した娘”か」

「興味あるね。重力痕のデータ、ぜひ見せてほしい」


 目に宿っているのは宗教的な敬意ではなく、

 純粋な好奇心──そして揺るぎない無信仰。


 レミルは思わず眉を寄せた。


 セラはそんな彼を見ても微動だにしない。


「彼の技術は旅に必須です。

 そして何より……あなたの“力”を観察する者が必要です」


 エルゴは苦笑し、肩をすくめる。


「まあ、監視って呼ばれても文句言わないよ。

 面白ければ、だけどね」


 レミルの胸の中で、冷えた何かが軋んだ。


◆三者三様の“異なる意志”


 信仰。

 罪。

 好奇心。


 三つの目的が、レミルを中心に重なった。


 決して調和しない三者が、同じ道を歩む。

 その旅がどうなるかは、ここにいる誰も予測できない。


 ただ一人、セラを除いて。


 司祭長は静かに手を組み、淡く微笑んだ。


「これで、あなたの巡礼は盤石なものとなるでしょう。

 ──レミル。

 あなたの“物語”は、さらに深まります」


 レミルは震えた息を押し殺す。

 これは自分の望んだ旅ではない。

 だが、その中で“自分の足で立つ”ことだけは決して捨てない。


 そう決意した瞬間、

 三者の視線が重なり、緊張だけが室内に満ちていった。


 巡礼宿の小さな中庭。

 風に揺れる草の匂いと、礼拝堂から微かに漏れる聖歌の残響。

 レミルは深呼吸し、気持ちを整えてからそこへ足を踏み入れた。


 ──その瞬間、白い影が勢いよく駆け寄ってくる。


「レミル様っ!」


 若い修女が、祈祷書を胸に抱いて立っていた。

 柔らかな金髪。幼さの残る頬。

 だがその瞳だけは、燃えるような信仰の色を宿している。


 修女リゼル。

 支援魔導士であり、セラが指名した“同行者”の一人だ。


「……あなたが、リゼル?」


「はいっ! お会いできて、光栄……いえ、幸福です!」


 息を切らしながらも、その表情は満面の喜びに満ちていた。

 まるで失われた聖 relic を見つけた信徒のように。


 レミルは慌てて手を挙げる。


「そんな、大げさな……私は、ただの……」


 その言葉を遮るように、リゼルは一歩踏み出した。


「レミル様はきっと、神に選ばれた方です!」


 声は震え、熱を帯びていた。

 その純度の高さに、レミルは思わず後ずさる。


「私は……その奇跡を身近で見届けたいのです。

 あなたの歩む道を、祈りで支えたい……!」


「待って。私は……奇跡なんかじゃ──」


 否定の言葉が口をついて出た瞬間、

 リゼルの表情はふっと柔らかく、しかし確信に満ちた微笑みに変わった。


「レミル様がどう思おうと……

 私は、あなたを“神の手が触れた人”だと感じるのです」


 その優しさは刃だった。


 悪意も、押し付けもない。

 ただ“善意だけで人を縛る鎖”。


「……感じる、って……そんな、勝手な……」


 レミルはうまく言葉を継げない。

 胸の奥の痛いところを、無造作に撫でられているようだった。


 リゼルはその戸惑いを全く理解していない。

 むしろ嬉しそうに、祈祷書を差し出してくる。


「この旅で、レミル様の奇跡がまた現れるのではないかと思うと……

 胸が熱くなるのです。

 どうか、その瞬間を隣で見させてください!」


 レミルの“人としての苦しみ”への想像は、一欠片もない。


 ただ、輝かしい像としてのレミルを見つめている。


「……私は、奇跡を起こしたわけじゃない。

 ただ落ちて、生きて、戻ってきただけ」


 必死の否定。

 だがリゼルはふんわりと首を傾げ、

 まるで幼子をなだめるように言う。


「ええ。だからこそ、奇跡なのです」


 ──息が詰まった。


 純粋で、疑わない瞳。

 あまりにもまっすぐで、逃げ場がない。


 その優しさは、セラの策略よりも、

 騎士の剣よりも強くレミルを追い詰めていく。


 リゼルは両手を胸の前でそっと合わせ、囁いた。


「レミル様。

 どうか……私に、あなたを信じさせてください」


 レミルの心に、ひどく居心地の悪い温度が広がる。


 ──圧力は、やさしさの顔をしていた。


 巡礼隊の集合時間より少し早く、

 レミルは大聖堂裏の訓練場に立っていた。

 朝靄の残る石畳。

 誰もいないはずのその場で、ひとつの影が黙々と剣を振っている。


 ──カイン。


 断罪執行人。

 そして、かつてレミルをあの崖へと突き落とした男。


 剣の軌跡は冷たく正確だった。

 罪人を切り捨てるためだけに研ぎ澄まされた動き。

 だが、その背中には微かな鈍色の重さが宿っている。


「……ここにいたのね」


 レミルが声をかけると、

 カインは振り向きもせずに剣を収めた。


 鞘に収まる音が、妙に重く響く。


「巡礼に同行せよとの命だ。準備はできている」


 短い言葉。

 その声に感情はほとんどない……ように聞こえる。


 だが、レミルの姿を見た瞬間、

 わずかに視線が揺れた。


 避けるようでいて、離れられないような。

 そんな歪な距離感。


「カイン……あなた、私を見張るために?」


「監視も護衛も、職務のうちだ」


 ぴたりとした無表情。その冷たさ。


 しかしレミルは気づいてしまう。

 ──その奥に、沈んだ色があることを。


「……あの時のこと、覚えてるわよね」


 カインの指が鞘の上でわずかに固まる。


 沈黙の後、低い声が落ちた。


「忘れたことはない」


「なら……どうして、あなたが同行者に?」


 問いかけは、ほんの少しだけ責める響きをもつ。

 それを聞くと、カインはようやく顔を上げた。


 射抜くような瞳。

 けれど、どこか壊れかけた硬さが滲んでいる。


「……あの時の判断が正しかったのか、確かめたい」


 それは告白にも似た声だった。


「司祭の命は絶対だ。

 だが──俺は、あの瞬間……迷った」


 レミルは息を呑む。


「もし、俺の手が間違っていたのなら……

 それを知る義務がある。

 そして、もしまた同じ危機が訪れるなら……

 俺は“今度こそ”お前を落とさない」


 その言葉は、誓いにも、贖罪にも、自己弁護にも聞こえた。


「……保護したいの?

 それとも、贖いたいだけ?」


 レミルが問う。

 カインの眉がかすかに動いた。


「どちらか一つとは言えん。

 俺は……二つの挟間にいる」


 職務への忠誠。

 そして、罪悪感。


 剣よりも重く鋭いその狭間に、

 カインはずっと立ち続けているのだ。


 彼はふと、レミルの肩越しに遠い崖を見た。

 その表情は、まるで傷口を押さえるような痛みを宿していた。


「お前があの崖を望むなら……

 俺はその道を切り開く。

 ただし──」


 視線が真正面からレミルを捕らえる。


「二度と、あの時のような選択はしない。

 俺自身の判断で、お前を守る」


 レミルは胸の奥に、鈍い熱を感じた。


 まだ信じられない。

 許したわけでもない。


 けれど──


 “この男は、もう二度と自分を手放すつもりはないのだ”


 そんな気配だけは、確かに伝わってくる。


 緊張と罪悪と沈黙の影。

 その全てを背負いながら、

 カインはレミルの“もっとも危険で、もっとも堅い盾”になろうとしていた。


大聖堂を離れ、町外れへ向かうと、

 空気の匂いが違ってくる。


 礼拝の香油も、祈りの静けさもない。

 代わりに、鉄と油と焦げかけた魔導触媒の匂いが漂っている。


 そこに、奇妙な工房があった。


 壁には半分だけ完成した翼の骨格。

 机には歯車と魔石が無造作に散らばり、

 床には「絶対に触るな」の札がついた失敗作らしい球体が転がっている。


 レミルが足を踏み入れた瞬間、

 奥の作業机から声が飛んだ。


「そっち触んな! 爆ぜるとめんどくせぇ!」


 油まみれの手袋をはめた青年──エルゴが顔を出した。


 乱れた前髪。

 どこか楽しそうな目。

 そして背中には、巨大な登攀器具らしき試作品。


 見るからに“教会の空気”とは正反対の男だった。


「……あんたが、あの《落ちても死ななかった娘》か?」


 まるで珍しい鉱石でも見つけたかのような視線。

 レミルは少し身を強張らせる。


「私は……ただ、生きただけよ」


「生きただけぇ? 一〇〇メルトの崖から、だろ?

 普通なら原型ねぇよ」


 エルゴはレミルの周囲をぐるりと回り込み、

 肩や背中のあたりを観察するように目を細めた。


「ほらな、やっぱりだ」


「……何が?」


「重力反転の痕、だよ。

 落下したはずなのに、一部の外傷のつき方が逆向き。

 つまり──“落ちなかった瞬間”が混ざってる」


 レミルは息をのんだ。


「そんなこと……」


「普通は起きねぇ。実験じゃ再現もムリ。

 だから面白ぇ」


 その声は狂気ではなく“純粋な興味”で満ちている。

 魔術でも神意でもなく、ただ原因を知るための興味。


「エルゴ技師。

 巡礼に同行してほしい」


 セラの補佐司祭が端で言うと、

 エルゴは鼻で笑った。


「巡礼? 神意? 奇跡?

 ハッ、笑わせんなよ。

 俺はそんなもん信じねぇ」


「では、不参加で?」


 補佐司祭が勝ち誇ったように言う。

 だがエルゴは肩をすくめて笑う。


「いや、行くさ。

 この娘の身体に何が起こったのか、

 自分の眼で確かめるまでは帰れねぇ」


 そして、レミルに向き直る。


「安心しろよ。解剖したりはしねぇ。

 生きて動いてるほうが面白いデータになるからな」


「……全然安心できないわ」


「ま、そう言うな。

 あんたが登りたいってんなら、

 俺がその足を補助してやる。

 神でも奇跡でもねぇ、純粋な技術でな」


 油と歯車の匂い。

 信仰と無縁の価値観。

 皮肉屋でありながら、人間としては妙に誠実な眼。


 エルゴは、レミルの旅に

 “科学という異物”を持ち込む存在だった。


 信仰を信じる者たちとの会話は、

 常に彼が火種になるだろう。


 だが同時に──

 “登攀”という行為を実現可能にする唯一の技術者。


 レミルの旅は、この瞬間、完全に形を持ち始めた。


大聖堂の出発門には、

 朝の光が冷たく差し込んでいた。

 静寂を切り裂くように、石床に杖と甲冑の音が重なる。


 セラ司祭が一歩前に出て、

 四人を順に見回す。


「これで、巡礼の一行が揃いました。」


 その声音は、祝福とも命令ともつかない。

 ただ状況を“確定”させる響きだけがあった。


■リゼルの視線 ― 熱すぎる純粋さ


「レミル様……!」

 リゼルは胸の前で祈りの指を組み、

 まるで神像を前にしたかのような目で見つめてくる。


 光をそのまま閉じ込めたような、純粋すぎる瞳。

 尊敬、憧憬、崇拝──そのどれでもあり、どれでもない過剰な熱。


(この子は……私じゃなくて、“奇跡のレミル”を見てる)


 レミルは胸の奥がそっと軋むのを感じた。


■カインの視線 ― 過去の重さ


 隣に立つ騎士カインは、

 硬い表情の裏に沈んだ影を抱えていた。


 崖でレミルを落とした者――

 その罪をまとった瞳。


 謝罪の言葉を探しながら、

 しかし職務ゆえに言えない不器用な沈黙が漂う。


 視線がぶつかった瞬間、

 カインはわずかに目をそらした。


(……見てるのは、罪を犯した自分自身の影。

 私そのものじゃない)


■エルゴの視線 ― 冷たい好奇心


「よぉ、実験体──じゃねぇや、巡礼者サマ」


 エルゴは軽口を叩きながらレミルを頭の先から足先まで眺め回す。


 観察、分析、推測。

 その視線は温かくも冷たくもない。

 ただ“理解したい未知”を見る科学者の目。


(この人も……私じゃなくて、“不可解な現象”を見てる)


■四つの視線が交錯する瞬間


 崇拝。

 罪。

 好奇。

 その中心に、レミルがいた。


(まただ……

 どこへ行っても、私は“私”じゃなくなる)


 胸が締めつけられる。

 逃げ場のない感覚。

 だがその苦しさが、むしろ彼女の決意を研ぎ澄ました。


(だから、登るんだ。

 私の言葉で、私の足で──

 “私自身の物語”を取り戻すために)


■出発直前の“呪いの祝福”


 セラが、静かにレミルの前へ歩み出た。


「どうか、あなたの物語が……

 神の御心に沿いますように。」


 一見、優しい祈り。

 しかしその響きは、

 “逸脱を許さない”という鋭い縛りのようだった。


 レミルは、胸の奥にひやりとした痛みを感じる。

 けれど息を吸い込み、震えを押しとどめて言った。


「……自分の物語は、自分で選ぶ。」


 その言葉はかすかに震えていたが、

 決して折れてはいなかった。


 四人の視線が、同時にレミルへ向く。

 その中心で、彼女はわずかに足を踏み出す。


こうして、巡礼の旅は始まった。


 大聖堂の門が開き、

 ひんやりとした外気が四人のあいだを抜けていく。

 それは“旅立ちの風”であるはずなのに、

 レミルには、どこか鎖の音のようにも聞こえた。


■レミルの目的が、静かに形を得る


 リゼルの崇拝。

 カインの罪。

 エルゴの好奇。

 そして、セラが織る“神の物語”。


 そのすべてが、レミルという一人の少女を

 **「偶像」**へと縛りつけようとする。


 だからこそレミルの胸に、

 明確な目的が宿りはじめていた。


(私は……私を取り戻したい。

 誰の物語でもない、“私自身”でいたい)


 その願いはまだ弱く、頼りない火だ。

 だが確かに、燃えはじめている。


■セラの存在は、見えない鎖として機能する


 セラの言葉は、祈りの形をしていた。

 だがレミルには、それが鋭い指示に聞こえていた。


 “あなたは奇跡であり続けなさい。

 あなたの物語は、私が定める筋書きに沿うのです。”


 セラ本人が一切、力を振るわなくても、

 その影響はレミルの背に重く降りかかる。


 逃げようとしても、

 彼女の視線が追いかけてくるような圧。


 見えない枷──それが、セラの力だった。


■三人の仲間が物語を押し動かす“衝突のエンジン”になる


 三人は誰一人として、

 レミルの“答え”を知らない。


 だがそれぞれが信じる“答え”を、

 レミルの上に載せようとする。


 リゼルは信じる。

 カインは悔いる。

 エルゴは疑う。


 価値観の三点が、旅の中で常にぶつかり、

 レミルを揺さぶり、押し、支え、引き裂く。


 その度に、レミルは自分自身の輪郭を

 少しずつ、取り戻していくのだ。


■登攀の旅は、「四人それぞれの価値観」の旅になる


 崖を登る旅は、

 単なる“高さとの戦い”ではない。


 信仰、罪、理性、意志。


 四つの価値観が互いに干渉し、

 ぶつかり合いながら進む“精神の旅”となる。


 だからこそ、この旅はただの冒険ではなくなる。

 誰もが、それぞれの心を抱えたまま

 見えない崖を登っていく物語となる。


 レミルは背に荷を背負い、深く息を吸う。


(ここから始まるんだ。

 私の物語が──私だけの足で、歩き出す)


 その足取りはまだ不確かで、

 震えが混じっていた。


 だが確かに、前へ向かっていた。




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