第82話 花火の散る音と……
「佐久間。なに、この可愛い子と知り合い?」
「そうなんスよ。中学んころの部活の後輩で」
「あー、なんか言ってたな。お前、それで停学になったんだっけ?」
何かを。
彼らは……私の顔や身体をじろじろと見ながら、何かを話している。
「ってかさ――ハハッ、海老で鯛じゃん! この子、マジ美人すぎじゃね? てかよ佐久間。このレベルの女と知り合いなら、もっと早く俺に言えよ」
「はは、すんません。でも柳生センパイに教えたら、ソッコーで取られちゃうじゃないッスか」
「んなひでぇことしねぇって。佐久間にも桐下にも貸してやるに決まってんだろ?」
「え? オレにもっすか? うはぁ、テンション上がるっすわ」
下品な会話だった。……その意味がわからないほど、私は子供じゃない。
逃げなきゃ――全身が、私に訴えてくる。
ドクドクという激しい鼓動が。ここから早く離れろって、そう言ってくる。
「あ、そっちのブスふたりはもう帰って良いぜ。わかってるとは思うけど、サツとか呼んだらマジで攫うからな?」
ぎろっと鋭い目線。リーダー格の銀髪の男――柳生、でいいのかな――が、しっしと手を払うように動かした。
それを受けた、ふたりの女性は……瞬く間に、ここから逃げ出した。私のことを、一瞥だけしして。
ごめんなさい――そんなふうに、目線で言われたような気がした。
「んじゃ、邪魔者も消えたし。恋歌ちゃんだっけ? な、俺らと遊ぼうぜ」
「…………ひ、っ……」
三人の男の視線が、私へと注がれる。
目の前の彼らは、私の顔を、胸を、腰を、脚を……全身を、値踏みするみたいに眺めてきた。どういう目で私のことを見ているのかなんて、最初から隠す気ないのだと思う。
「かーっ。この子、マジ可愛いっすね。顔は最高だし、肌もめちゃくちゃ白いっすし。あー、すんません。オレ、我慢できないんすけど」
「おいおい、焦んなよ。まずは俺からに決まってんだろ? お前は口とかで我慢しとけって」
「いや柳生先輩、それじゃあ俺また見張りやらされるじゃないッスか」
けらけらと笑い声混じりの会話。
早く……早く、ここから逃げないと。
それがダメなら、助けを呼ばないと。大声を出して、誰か、大人を――、
「あの、柳生センパイ。すんません、ここは俺に任せてくれません? なんつーか、コイツとは因縁みたいなモンがあるんで」
「いいけどよ、しくじんなよ? こんな上物、二度とお目にかかれねえぞ?」
「へいへい、わかってまスって」
荒い鼻息に、気持ち悪い視線。
――怖い、よ。やだ、やだよ……、
「――よ、恋歌ちゃん。四年ぶりか?」
「…………ぁ、……っ」
声って――声って、どうやって出すんだっけ……?
わからない、わからないよ。
お願い……お願いだから、誰か、教えてよ。
「忘れたわけじゃないよね? 俺さ、恋歌ちゃんのせいで停学になってさ。んで、決まってた高校の推薦もナシ。そのあとの受験も全滅で――俺の人生、めちゃくちゃになっちゃったんだけど」
目、が。
……嫌、だよ。その目は……すごく、嫌だよ。
「なあ、どう責任取ってくれんの恋歌ちゃん。俺の人生めちゃくちゃにしただけじゃなくてさ、さっきの女の子たちも逃げちゃったし。あーあ、どうすんの? なあ、なあ?」
「…………ぃ、ぁ……」
「ククっ……はははっ、いい顔できんじゃん。そうそう、その顔だよ。恋歌ちゃんみたいな美人はさ、そうやって男を喜ばせる顔だけしときゃいいんだよ」
――誰か。
――お願い、誰か……、
「な、恋歌ちゃん。今からでも、俺の女になれよ。そうすりゃ、今までのことは水に流してやるからさ。だから――な、いいだろ? あっちで俺らと遊ぼうぜ?」
「ぁ……や、やだ……っ」
「あァ? 声が――小さくて聞こえねェなァッ!!」
木の幹が、蹴られた。
音が。衝撃が……すごく、怖かった。
「おいおい、あんまデケェ声出すなよ佐久間。周りに聞かれたらどうすんだ?」
「ッ……すんません」
足音。……お願い。これ以上は、もう、近寄らないで。
私……もう、嫌だよ。怖い、怖いよ……、
「あのさ、恋歌ちゃん。俺らとしても、あんま痛いことはしたくないのよ。恋歌ちゃんの超キレーな肌に、できれば傷とかつけたくないしさ――ってわけで、黙って俺らに着いてきてくんないかな?」
そんなの――できる、わけがない。
怖い、し……足だって、竦んで動かない。
「それに、俺らは恋歌ちゃんにチャンスをプレゼントしてんだぜ? うちの可愛い後輩が、なんか恋歌ちゃんのことを恨んでるみたいなのよ。だから、ほら。恋歌ちゃんにも、責任があんじゃないの?」
「…………ぇ、?」
「他人の人生をめちゃくちゃにした責任が、だよ。でもよ、うちの佐久間は優しいから、恋歌ちゃんの態度次第じゃ許してくれるみたいでさ。――どうよ。ほら、罪を償う絶好のチャンスってやつじゃない?」
罪を、償う。
そっか……私は、やっぱり。
こうやって、ずっと、ずっと――誰かのことを、不幸にし続けてたんだ。
「俺らもさ、恋歌ちゃんのせいでイラっとしちゃってんの。恋歌ちゃん、美人な自覚はある? そんだけ整った顔してんのに、おめかしなんかしちゃってさ。俺ら以外の男も、みぃんな恋歌ちゃんにイライラしてると思うぜ?」
「…………さ、ぃ……」
「ん? 恋歌ちゃん、どうしたの?」
「ごめんなっ、さ……ぃ……」
その、言葉は。
ひとりの、大好きな幼なじみに。
――秋人に、向けたものだった。
「ごめんな、さい……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……っ」
だって。
思って、しまったから。
秋人に――助けてよって、心の中で祈ってしまったから。
そんなことになったら、きっと、秋人はまた傷つく。あのときと同じで……佐久間先輩に、酷いことをされてしまう。
なのに。それがわかっているのに、秋人に縋らずにはいられなかった。
あぁ、やっぱり……そうなん、だ。
私は……私という、存在は。
秋人のことを不幸にさせちゃうだけの、疫病神でしかないんだ。
「チッ……な、恋歌ちゃん。あっちに俺らの車があるから、一緒に行こうな?」
左腕の手首を、捕まれた。
そこには、大事なミサンガがあって。
「…………っ、やぁ……っ!?」
逃げようと、してしまった。
でも、そのとき――音が、した。
何かが、切れたような音。
「あ? んだよ、このボロいヒモ。きったねぇなぁ」
それを。
秋人にもらった――私の大事な、ミサンガを。
地面に、捨てられて……ぐちゃぐちゃに、踏みつけられて。
「ぁ……やめ、て……っ」
それだけは。
私と、秋人を……繋いでくれていた、ものだから。
お願い、だから。それだけは――やめてよ、ねえ……っ!!
「――――――あの。そいつ、俺の連れなんですけど」
同時。
花火の散る音が、聞こえた。
どかんという壮大な音が、暗闇の中に鳴り響く。
「とりあえず、失せてもらえます? ――あんたらのクソ汚い手で、恋歌に触れてほしくないんすけど」
ふと、気づけば。
私は――彼のことを、見つけていた。
夜空に咲き乱れる花火なんて、もう、視界にすら入らない。
そんなものよりも、ずっと――その横顔のほうが、何倍も愛おしかったから。




