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第76話 約束の日

 高校二年生の夏休みは……残酷なもので、一瞬のうちに過ぎていった。 

 悲しいのは、幼なじみたちとの旅行以来、とくに何のイベントもなかったことである。英樹と勇利とゲームセンターに行ったり、鈴北さんとエンフィルをやったり、だらだらと夏休みの課題をやったり……そうこうしているうちに、時間は瞬く間に過ぎていった。

 短期バイトのひとつくらいしようかなと思っていたのだが、探すだけ探して、結局ひとつも応募しなかった。このダメ人間――と、恋歌の代わりに自分自身を罵倒してみる。虚しいだけだったが。

 

 そして気づけば、八月は終わりを迎えようとしていた。

 まあ――こんなもんだよな、と思う。子供のころは、夏休みが永遠に続いているような気がした。だけど年齢を重ねるに連れて、その感覚は失せていった。今となっては、大量の課題と猛暑に苦しめられるだけの、ただの大型連休となっていた。


 そして、ついに今日は。

 八月三十一日、夏休みの最終日。

 ――恋歌と、デートに行く約束をしていた日だ。


   ◇◇◇

 

『着いたよ』――恋歌からそんなメッセージが届いて、俺は急いで玄関へと向かう。

 扉を、開く。

 すると、そこには……浴衣姿の美少女が、立っていて。


「……おはよ、秋人」


 思わず、ごくりと固唾を呑んでしまう。

 想像はしていたし、覚悟もしていた。だけど――それ以上に、浴衣姿の恋歌は可愛くて、そして何より綺麗だった。


「どう……かな。この浴衣、お母さんのお下がりなんだけど……っ」


 もじもじと恥じらうように、亜麻色の髪をいじくる恋歌。

 紺色のその浴衣は、それはもう、似合っているなんていう次元の話じゃなかった。どうしてこの美少女は、何を着てもこんなに可愛くなってしまうのだろうか……なんていう間抜けな感想を、俺は本気で抱いてしまう。


「……似合ってるよ、恋歌。ぶっちゃけ、似合いすぎてて怖いくらい」


 浴衣に合わせてか、恋歌は髪型も変えていた。

 複雑なお団子結び。そこに刺さった簪が、恋歌の美しさを際立たせていた。和服美人という言葉が、今の恋歌にはぴったり似合う。

 それに――唇には、艶っぽいリップが薄く塗られていた。

 いつも恋歌は、どちからといえば可愛い系のイメージが強かった。だけど今日の恋歌は、綺麗系の美人という印象で。……あぁもう、ダメだ。あまりにも美しすぎて、呼吸すら忘れてしまいそうになる。


「ふふっ、何それ。でも――ありがとね、秋人」


 くすり、と恋歌は微笑んだ。

 言うまでもなく、可憐な笑みだった。……果たして今日、俺の心臓は破裂せずに済むのだろうか。不安である。


   ◇◇◇


 浴衣姿の天使……ではなく恋歌と歩きながら、ふと、俺は空を見る。

 雲ひとつない快晴だった。この感じなら、中止ってことはなさそうだ。

 しかし、今はまだ朝の九時。花火大会の開始時刻は、十時間ほど先である。

 では、なぜ俺たちが、こんあ時間から集まることにしたのかというと。


「秋人。楽しみだね、水族館っ」


 そう。俺たちの向かう花火大会の会場近くには、それなりの大きさの水族館があるのだという。

 この水族館に立ち寄ってから、花火大会を満喫する……それが鉄板のデートプランなのだと、ネットの記事に書いてあった。


「だな。何年ぶりだろうなぁ、水族館なんて」


「私もしばらく行ってないかも。子供のころは、よく家族で行ったけど」


 隣を並び歩く、浴衣姿の恋歌の横顔は――やっぱり、最高に綺麗だった。恋歌のまつげって、こんなに長かったっんだな、なんてふうに思う。

 誰もが認める超説美少女と、ふたりきりで夏休みの最終日を過ごせるなんて。俺は、間違いなく学園一の幸せ者だ。

 幸せ者、のはずなのに……、


(――やっぱりだ。くそっ、なんでこんなに胸が痛むんだ……?)


 俺は――恋歌に恋心を抱いている。

 ならば。俺の胸の奥に生じている、このトゲのようなものは何なのだろうか?

 好きな相手の浴衣姿を見ることができて。そんな彼女と、水族館へとデートに行けて。そのうえ、最後には花火を見る約束までしていて。

 なのに。やはり、ずきずきと胸が痛む。

 大事な何かを、俺は、見落としているような――、


「――――……秋人?」


 ぎゅっ。……服の袖を、恋歌につままれる。

 彼女は、いつもの不安げな上目遣いを俺に向けてきた。――似合いすぎている浴衣に、艶っぽさを帯びた唇。そんな大人っぽい恋歌の、あどけないその仕草に、俺はあっけなく魅了されてしまう。


「……どうかしたの? 何か、考えごと……?」


「いや……悪い、なんでもない。楽しみすぎて、逆にぼーっとしちゃっただけだ」


「そ、そうなの? なら、いいけど……」


 てきとうな言葉で誤魔化して、俺は恋歌から視線を切った。

 ――そうだ、そうじゃないか。

 考えたってわからないから、俺は恋歌をデートに誘ったのだ。行動しなければ、何も変わらないと思ったから。だから俺なりに勇気を振り絞って、恋歌へと声をかけたのだ。


 恋歌の“本音”と、そして――俺自身の“本音”を、確かめるために。

 余計なことを考えるのは、ここまでだ。

 今日はとにかく、恋歌とのデートを全力で堪能しよう。その果てに、俺は俺の“本音”を探り当てなくてはならないのだ。


 それを叶えることができたら、俺は。

 恋歌に――好きだ、と伝えるんだ。

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