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第71話 最高の幸せ

「でもね――あたしは、秋人くんのことだけじゃなくて、恋歌のことも大好きなんだよ?」


 私の手の指に、瀬名が、自分の指を絡めてくる。

 ……あったかいな、って思った。瀬名の体温が、空調の風で冷えきった身体に嬉しかった。


「ね、恋歌。小六のとき運動会、覚えてる?」


「あ……う、うん……」


「あたし、応援団長になったでしょ? 学年で唯一の、女子の応援団長っ」


 はっきりと覚えている――みんなよりも長いハチマキを巻いて、背中に赤色のタスキをかけた、瀬名の応援団長姿。

 六年生のころは、私と秋人と瀬名の、三人で同じクラスだった。瀬名はそんな私たちのクラスのリーダーとして、みんなを引っ張ろうと頑張ってくれていた。


「でも――ほら。あたしって、ワガママじゃん? だからクラスの男子たちに、すごくうるさくしちゃってさ。ちゃんと全力で応援してよって、何度もお説教したりして」


 瀬名は負けず嫌いだ。そこに加えて、リーダーに立候補したという責任感もあったのだと思う。

 小学校生活で最後の運動会を、瀬名は、誰よりも勝とうとしていた。

 赤組の優勝と、応援賞のダブル獲得。その目標に向かって、私たちのクラスは毎日のように練習に取り組んでいた。

 でも――決して、クラスが一丸になっていたわけじゃなかった。


「それで、さ……途中から、ほとんどの男子にボイコットされちゃって。誰も応援練習に来てくれなくなっちゃったし、リレーも大縄跳びも、みんな明らかに手を抜くようになって……」


 ……覚えている。あのときの、クラスの男の子たちの冷たい目を。

 たしかに、瀬名にも非はあった。恥ずかしがり屋の男の子に、もっと大きな声を出してと迫ったり。足が遅い男の子に、フォームを修正するよう強要したり。友人の私から見ても、瀬名は瀬名でやりすぎなところがあった。


 でも、だからって――あんな仕打ちは、酷すぎる。


 瀬名はただ、勝ちたかっただけなのに。ダブル受賞のために、みんなに全力で取り組んでほしかっただけなのに。赤組のリーダーとして、精いっぱい頑張っていただけなのに。

 だけど、一部の男の子たちのボイコットは、そんな瀬名の心をわざと痛めつけるような行為だった。ある日の大縄跳びの練習中、男の子たちがひとりずつわざと引っかかる演技をしはじめたときに、瀬名は我慢できずに泣いてしまっていた。そうやって苦しむ瀬名のことを見て、男の子たちがゲラゲラと声を出して笑っていたのを覚えている。


「……すごく、辛かったな。あたしが間違ってるのかなって、すごく苦しんだ。やっぱりあたしには、応援団長なんて無理なのかな……って、そんなふうに思ったっけ」


 にへへ。瀬名は、力なく笑った。

 辛そうにする彼女のことを、見ていられなくて――私は自然と、彼女の手を握る力を強めていた。瀬名の表情が、ちょっとだけ嬉しそうに緩んでくれた。

 

「でもさ、恋歌。覚えてるかな――土日を挟んだ、月曜日の朝練習のとき。ボイコットしてたはずの男子たちが、全員参加してくれたんだよねっ」


 それも、覚えている。

 どうしたのだろう、と私は純粋な疑問を抱いた。この土日のあいだに、どんな心変わりがあったのだろうか。もしかして先生にでも怒られたのかな……なんてふうに、私は考えていた。


「――あれね。じつは、秋人くんのおかげなんだっ」


「…………え?」


 彼の、名前。

 私の大好きな幼なじみの名前をつぶやきながら、瀬名は笑った。

 今度こそ、心の底から嬉しそうな笑顔だった。


「秋人くんね。金曜日の放課後と土日を使って、ボイコットしてきてた男子全員と会ってたんだって。それで、みんなに頼んで回ってたみたいなの。本番までの二週間、俺のためだと思って瀬名に協力してやってくれ――って、そんな感じでさ」


 瀬名のその話を、私はすんなりと受け入れることができていた。

 ――秋人らしいな、と思ったから。

 誰かに寄り添うことが、とても得意で。いつも自分以外の誰かのために全力を尽くせる、彼ならではの行いだ。


「部活で日曜日に登校したときに、あたし、たまたま教室で秋人くんのことを見かけちゃって。ボイコットを主導していた男子の前でさ、秋人くん、土下座しててね――俺で良ければなんでもするから、せめて瀬名の前では頑張るフリだけでもしてくれないか、なんて言ってて。……あたし、泣きそうになっちゃったっ」


 瀬名の、私の手を握ってくる力が、強くなる。

 そして瀬名は――今まで一度も私に見せたことのない、女の子らしい可憐な微笑みを浮かべて、



「――――そんなの、さ。好きになっちゃうに、決まってるじゃん?」



 あぁ……これが、恋する女の子の顔なんだって思った。

 同性の私ですら、ときめいちゃうような。それくらい、あまりにも魅力的な笑顔だった。


「……ごめんね、瀬名」


 ふと、気づけば。

 私の口から、そんな言葉がこぼれ落ちていた。


「私のせいで……瀬名は、ずっと我慢してくれてたんでしょ……?」


「うーん。それは、ちょっと違うかなっ」


「っ、でも、だって……っ、私なんかがいなかったら、今ごろ瀬名は、秋人と……っ!」


「ね、恋歌。――寂しいじゃん。そんなこと、言わないでよ」


 そして、瀬名は。

 むぎゅう……と、私のことを、力強く抱きしめてきた。


「たしかに、あたしは秋人くんのことが好きになっちゃったよ? でも、でもね――恋歌のことも、大好きになったのっ」


「っ……なんで……私、なんか、を……?」


「忘れたなんて言わせないよ? 恋歌は――あのとき、こうやってさ。あたしを抱きしめて、よしよしってしてくれたでしょ?」


 まるで、そのときのことを再現するかのように。

 瀬名のやわらかい手が、私の頭を、ゆっくりと撫ではじめた。


「『よしよし。大丈夫、大丈夫だよ瀬名。瀬名には、私がいるから。私だけは、ずっとずっと瀬名の味方だから。何があっても、私だけは瀬名を支えるから。だから、もうちょっとだけ頑張ってみよう?』――ふふっ、すごいでしょ? あのとき恋歌がくれた言葉を、あたし、一文字だって忘れてないんだよ?」


「っ……だって、それは……っ」


 今だって、鮮明に思い出せる。

 あのとき瀬名と交わした、抱擁の温もりを。いつも頼りがいがあって、私のことを何度も守ってくれた瀬名の身体が、すごく華奢に感じたことを。


「瀬名が……っ、辛そう、だったから……っ」


「うん」


「だからっ、私……っ、何か、してあげなきゃって、思って……っ!」


「うん。そうだよね」


 よし、よし、と。

 私の頭を撫でてくる瀬名の手は、やっぱり、すごくあったかい。


「そんな恋歌のことが、あたしは大好きなの。そんな恋歌だからこそ、秋人くんとの恋を応援してあげたいの。だって、ほら――大好きな秋人くんと、大好きな恋歌。ふたりが恋人になって幸せになるなんて、最高でしょ?」


「……っ、でも、それじゃあ、瀬名が……っ!」


「あたしは一生独身でいるって決めてるの。でも、秋人くんと恋歌の親友っていう座は渡さないよ? ふたりとずっと、今日みたいにたくさん話して、遊んで、笑い合って――それが、あたしが思い描く、最高の幸せなんだっ」


 その声音は――本当に、どこまでも幸せそうで。

 嘘が苦手な瀬名は、何かを誤魔化そうとするとき、すぐに顔にも声にも出る。

 だから……すぐにわかった。瀬名が語ってくれたその想いは、紛れもない本音なのだ、と。


「そういうわけだから、さ。恋歌――ほらっ、ぎゅーっ!」


 瀬名の抱擁が、さらに強まった。

 ちょっとだけ、痛いくらいのハグ。思わず、ヘンな声が出てしまう。


「んっ……せ、瀬名……っ!」


「ふっふっふっ。恋歌、いい匂いするねぇ」

 

 くんくん、くんくんくん。……私の首筋のあたりで、瀬名がわざとらしく鼻息を鳴らした。


「……もうっ、瀬名。なんか、ヘンタイみたい……」


「あははっ。恋歌とハグできるなんて、あたしは幸せ者ですなぁ」


 冗談めかして、瀬名がくすりと笑う。

 私も……そんな瀬名につられて、ちょっとだけ笑ってしまった。

 すると瀬名は、ようやく満足してくれたのか、私からゆっくりと離れて、


「ね、恋歌。――教えてよ。前田さんに、何を言われたの?」


「え……?」


 前田さんの名前を、私は一度も出していないはず。

 だけど……瀬名には、お見通しってことなのかな。


「あたしは恋歌の親友だよ? そのくらい、わかるに決まってるじゃんっ」


「そ、っか。……そう、だよね」


 親友――そんな瀬名からの言葉が、私の心臓のあたりに染みこんでいく。

 ずきずきという痛みが、ちょっとずつ、和らいでいく。


「……あのね。私、は――」


 そして私は、前田さんに言われたことを、瀬名に打ち明けることにした。

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― 新着の感想 ―
瀬名ちゃん良い子すぎる 本音を言い合える親友がいて良かったね
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