第63話 今までと、これからと
「――――恋歌は、さ。俺のことが、好きなのか……?」
そう自然と尋ねてから、俺は自分自身に驚いていた。
遅れて、慌てて手を塞ぐ。
だけど文字通り、何もかもが遅かった。
恋歌のきょとんとした顔が、やがて赤く染まっていく。その光景が、さっきの俺の言葉が届いてしまったことを裏付けていて。
「あ――そ、そのっ、違うんだ! えっと、これは……っ!!」
何が違うのだろうか。俺自身も、俺が何を言っているのかわからない。
でも――だって、そうじゃないか。
球技大会の放課後。あの河川敷で恋歌にかけられた言葉は、俺の鼓膜へと強烈に焼きつけられている。
それからの恋歌の態度。ツンとした態度はなくなり、異様に距離感は近くなり、俺を甘やかすような言動が増えて。
「……俺、さ。ずっと、恋歌に嫌われてるんだと思ってたんだ」
あの日。放課後に、恋歌は俺の陰口を言っていて。
その数日後には、目の前で、はっきりと大嫌いだと告げられて。
だから俺は、彼女から距離を置くことに決めた。恋歌のために、自分のために。お互いの心を守るためには、それが最適策だと思ったから。
「でも……あのとき、言ってくれたよな。あれは、ぜんぶ強がりだったんだ、ってさ……」
正直。あのときの恋歌の言葉を、俺は純粋な気持ちで受け入れることができなかった。
大嫌い、大好き。好きになる要素なんてゼロ、ダメなところも好き――今までとは真逆の言葉に、感情を大きく揺さぶられた。信じることを躊躇ってしまった。
だけど。
今なら、はっきりと言い切ることができる。
「恋歌。――今まで、ごめん」
俺の、せいだ。
何もかもが――俺の、勘違いだったのだ。
「俺、恋歌と距離を置くだなんて言い出したり、苗字で呼ぶようにしたり……きっと、何度も傷つけちゃったよな。だから――本当に、ごめん」
――冷静に考えれば、すぐにわかることだったじゃないか。
本当に大嫌いな相手なら、毎日、お弁当なんて作ってくれるか?
勉強を優しく教えてくれたり、風邪の看病に来てくれたりするか?
「……謝って許されることじゃないのはわかってる。でも、どうしても……こうしないと、俺の気が済まなかったんだ」
そうこうしているうちに、列が動く。
俺たちは気づけば、前から二番目にまで来ていた。
……しまったな。気まずい空気を中和させるどころか、より気まずくさせてしまった。自分のコミュニケーション能力の圧倒的な低さには、もはや呆れることしかできない。
「つまり、その……俺はもう、二度と恋歌と距離を取ろうなんて考えない。だから恋歌も、今まで通りで大丈夫だからな?」
俺たちのひとつ前のカップルが、きゃっきゃと何かを楽しそうに喋っている。
仲睦まじい光景だった。……少しだけ、羨ましいなと思った。
「バカ秋人とか、ダメ人間とか。そういうのじゃ、べつに恋歌を嫌いになったりしないからさ。これからは遠慮なく、どうぞ今までみたいに俺を罵ってくれ」
なんてふうに、冗談交じりに告げると同時。
浮き輪に座ってスタンバイを終えたカップルが、勢いよくスライダーを落ちていく。きゃあ、という甲高い声がプールに響く。
次の方どうぞぉ。係員の、やる気のない案内。
「よ、よし。俺たちの番だぞ、恋歌」
「う、うん……」
係員の指示に従って、俺たちは浮き輪をソリのようにして腰を下ろした。
しかし瀬名に借りたこの浮き輪は、ひとり用のサイズだ。本来は想定していなかったであろう使い方をしているのだから、
……ぎゅっ、と恋歌に密着される。彼女のやわらかい身体が、すべすべの肌が、俺の背中に抱きついてくる。
恋歌は、今、どんな顔をしているのだろう。
俺の謝罪に呆れているだろうか。怒っているだろうか。それとも――、
「ね、秋人――」
ホイッスルが鳴る。出発してください、の合図だった。
同時。水の流れに身を任せて、俺たちはスライダーを滑り落ちていった。
背中から聞こえるのは、恋歌の、楽しそうな甲高い声。想像していたよりも早い落下速度に、うわあ、と俺も思わず情けない悲鳴を上げてしまう。
「――――秋人。大好きだよ?」
ざばあんっ!! ……スライダーの加速に従って、プールの水面へと急降下。
激しく上がる水飛沫の音と、ざわざわとした周囲の喋り声。
そんな、騒がしい夏の中で――恋歌の囁くような声だけが、俺の鼓膜を震わせていた。




