第25話 生まれ変わったような気分
『――――――秋人なんて、大っ嫌い……っ!!』
その言葉が、頭の中に反芻して。
俺は……飛び上がるように、目を覚ました。
「……ははっ。悪夢でも見た気分だな」
全身がぐっしょりと汗で濡れている。胸の中には、棘のような嫌な感触が残っている。
――昨日の夜、俺が鈴北さんとエンフィルをやっていたときのことだ。
瀬名たちと遊びに行っているはずの恋歌が、なぜか俺の部屋に来て。
そして、はっきりと、こう告げてきたのだ。
秋人なんて、大嫌い――と。
「あれは悪夢なんかじゃなくて、現実だってのに……」
部屋の扉のほうへと、視線を向ける。
そこには、いまだに恋歌の残影が立っているように見えた。
あのときの彼女の絶望したような顔と……その頬に流れた一滴の涙を、俺は絶対に忘れないだろう。だけど――、
「……なんだろうな、この感覚」
頭がぼうっとする。少しずつ、胸の痛みが引いていく。
虚しさ――この表現が、いちばん近いような気がした。
恋歌はもともと、俺のことを嫌っていた。なのに俺は、どうしても恋歌のことを諦められなかった。叶うはずのない恋心を捨てられず、うやむやにしたまま抱え続けていた。
でも、これでもう、明白になった。
俺は――恋歌に、拒絶されたのだ。
この状況で“諦めない”だの“まだ終わってない”だのと言えるのは、せいぜい少年漫画の主人公くらいのものだ。
(今さらだけど……そりゃ恋歌も怒るよな、って話だよな)
俺は昨日、発熱を理由に恋歌たちとウィンディーネランドに行く約束を破った。
そんな中で、いくら回復したからといって、鈴北さんと部屋でゲームをしていたら……当然、誰だって怒るに決まっている。
しかも恋歌は去り際に、おかゆやスポーツドリンクの入ったレジ袋を俺の部屋に置いていった。つまり彼女は、俺のお見舞いに来てくれたということになる。
そんな恋歌の優しさを、俺は昨日、見事なまでに裏切ってしまったわけで。
……今すぐ恋歌に謝罪すれば、彼女は許してくれるだろうか。
あれは誤解なのだと説明すれば、わかってくれるだろうか。
いや――、
(どうせ時間の問題だったろ。なんかもう、どうでもよくなってきたな……)
もともと恋歌は、俺のことを陰で大嫌いだと言っていた。
昨晩の一件は、俺にとって、ただの答え合わせのようなものだったのだ。
遅かれ早かれ、きっと俺と恋歌は、こういうふうになっていたのだろう。
そう考えると……何もかもが、面倒に思えてくる。
だから俺は、そこで思考を打ち切った。どれだけ俺が頭を悩ませたところで、それで何かが解決するわけじゃない。だったら今は、何かべつのことに時間を使うべきだ。
「よし、勉強でもするか」
だいぶ早めに目が覚めてしまったが、かといって二度寝できるほど眠くもない。
俺は机に向き合って、一年生の授業範囲の復習をはじめた。
なんだかんだで中間テストも近い。頑張らなきゃな、と思う。
数分後には、すっかり勉強に集中できていた。なんなら、いつもより効率良く進められたような気もする。
「なんか……本当の終わりって、意外とあっさりしてるんだな」
恋歌のことを忘れられるわけじゃない。
昨日のことだって、俺は死ぬまで忘れないだろう。
だけど、俺が恋歌と過ごしてきた記憶は全て、このままただの古傷になっていくんだろうな――そんな感覚が、俺の中にあって。
なんだか……生まれ変わったような、そんな気分だった。
◇◇◇
登校する。恋歌は珍しく、まだ来ていないようだった。
鈴北さん……は、今日はべつの友達と話してるみたいだな。俺へと笑顔でフリフリと手を振ったあと、その友達との会話に戻っていった。
(もしかしたら、昨日のことで気を遣ってくれちゃってるのかもな)
彼女には昨日、俺と恋歌の喧嘩? を見せてしまった。
そのことを鈴北さんは、自分のせいだと思っているのかもしれない。だとしたら、それは誤解だと伝えなければ。
(そういや、瀬名たちにも早いうちに謝らないと)
と、そんなことを考えていると。
教室に、亜麻色の髪をセミロングに伸ばした美少女――藤咲恋歌が入ってくる。
昨日の一件があったとしても、もちろん、それで彼女の容姿の可愛らしさが変わるわけじゃない。いまだに恋歌の可憐さに見慣れてない俺は、その夏服姿につい視線を奪われてしまう。
(……ま、端から見るぶんにはタダだしな。むしろ、このくらいがちょうどいい距離だったりして)
さすがに俺はもう、恋歌の恋人になりたいとは考えていない。
とはいえ、冷静に考えれてみれば――クラスメイトに超絶という言葉がつくほどの美少女がいて、それをいつでも眺めることができるなんて、とてつもなくお得じゃないか。
恋歌には二度と関わらないと決めた。だけど彼女の姿を見て癒されるくらいは、どうか許してもらいたいところだ。
「……あ、秋人。その……お、おはよう……」
と、そんな恋歌は俺と目を合わせず、しかし丁寧に朝の挨拶をしてくれた。
さすがは完璧美少女。あれほどまでに嫌っている相手に対しても、礼儀作法は欠かさないということか。
「あぁ。おはよう、恋歌」
スマホをいじりながら、それだけ恋歌に返す。
……正直なことを言うと、俺としても、あまり彼女とは話したくない。せっかく塞がりつつある傷口が、また開きそうになるからだ。
「あ……う、うん……」
恋歌の声は暗かった。まあ、気のせいかもしれないが。
そういえば、合鍵は返してもらわないとな。どこかのタイミングで、瀬名にでも頼んでおくか。
というか、そんなことより……ヤバいな、一限って数学じゃん。
数学は俺のもっとも苦手な科目だ。理解できない授業を一時間も聞き続けたくはないし、ちょっとでも今のうちに予習しておくか。




