55話
怪我を負った子供のオオカミを前に、僕は思わず言葉を失った。小さな体を震わせながら、それでも必死にこちらを睨みつけるその姿に、胸が締めつけられる。
ラテがそっと一歩、前へ出て、優しい声で手を差し伸べた。
「大丈夫っすか?」
「うん。あのね、ボクより……母ちゃんが、怪我をしてる」
子供のオオカミの声はかすれ、僕を見る怯えた目。この子は僕を恐れている。もしかしてその傷は、人間――冒険者に傷つけられたのか。
「怖がらなくていいっす。俺っちのご主人様は、優しい人なんすよ」
ラテの言葉に、警戒心がほんの少し緩む。僕はそっとしゃがみこみ、子供の目線に合わせて、穏やかな声で言った。
「まだ、怖いかもしれないけど……お母さん、助けられるかもしれない。怪我を見せてくれる?」
「……か、母ちゃんを、助けてくれるの?」
「できるだけのことはするよ」
「俺っちも、手伝うっす!」
子供のオオカミは、小さくうなずくと、「こっちだよ」と言って森の奥へと歩き出した。僕たちはそのあとに続いた。
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異世界で踏み入れる初めての森は、見知らぬ草木に覆われ、どこか幻想的な雰囲気。
初めて聞く鳥の声、鼻をくすぐる独特の香り……そのすべてが、ここが自分の世界ではないことを、強く実感させられた。
やがて、大木の根元にたどり着いた。そこには、馬ほどもある巨体のオオカミが、荒い息を吐きながら横たわっている。全身には無数の傷跡が走り、血の匂いが空気に混じっていた。
「母ちゃん!」
子供のオオカミが駆け寄り、頬をすり寄せた。その子供の行動に、母親のまぶたがかすかに揺れ、わずかに目を開いた。しかし、その視線が僕に向いた瞬間、母親は鋭い牙を剥き、低いうなり声が森の空気を震わせた。
「人間……私たちを、また捕らえに来たのか?」
その声には、痛みと怒り、そして何より深い恐怖が滲んでいる。僕はゴクッと息を呑み、返す言葉をひっしに探した。




