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第6話『おっさん、経緯と価値をざっくりと知る』

 近藤が社長を務めるブランドの本社はヨーロッパにある。

 その手の外資系企業にはありがちなのだが、社屋は早々に全館禁煙となることが決まった。

 しかし愛煙家の近藤にとってそれは耐え難いことだった。

 とはいえ、外資系の企業――近年は国内企業もだが――にとって、トップが愛煙家などという事実は醜聞でしかない。

 そこで近藤は、自身が愛煙家であることを本社にはひた隠しにしながら、あらゆるところに手を回してなんとか狭い喫煙室を作ることに成功した。

 もちろん世間や社員に露見することも避けねばならないことではあるが、世間の人々はもちろん、自社の社員ですらこのブランドの日本法人の取締役社長の顔など知りもしなければ興味もないので、その部分に関してはそこまで気を使う必要はなかった。

 

 社内に得た小さなオアシスだが、ほどなく危機を迎える。

 タバコを吸わない多くの社員がいうには、喫煙室から出てきた社員の服に付いたにおいが不快だとのことだった。

 自費で換気扇を強力なものに変えたり高価な空気清浄機を投入したりと悪あがきしてみたもののそれほどの効果はなく、なんとか電子タバコのみ喫煙可、というところで存続することができた。

 

 近藤はいつものように喫煙室で電子タバコを吸っていた。

 水蒸気に混じったニコチンを摂取するという味気のない行為ではあるが、何もしないよりはマシだろう。

 現在喫煙室には、近藤の他に中年の社員と若い社員の計3人がいた。

 近藤以外ふたりはどうやら顔見知りらしく、若い社員の持つスマートフォンの画面を覗き込みながら、なにやらボソボソと話し合っていた。

 

「いや、絶対偽物だろう? そのモデルがそんだけ綺麗なのはありえんぞ」

「ですよねぇ。でもシリアル番号の感じとか、本物っぽくないです?」

「まぁそれはそうなんだがなぁ……」

 

 ふたりの会話が気になった近藤は、ちらりとスマートフォンの画面を覗き込んでみた。

 どうやらネットオークションのアプリを立ち上げているらしく、画面には自社ブランドの、かなり古い型のバッグが表示されていた。

 

「なぁ、それちょっと見せてくれんかな?」

「あ、はい。どうぞ」

 

 ちなみにこのふたりは喫煙室で一緒になったもうひとりの男が自社の社長であることを知らない。

 しかし近年の嫌煙ブームとタバコの急速な値上がりのせいで喫煙者の数は激減しており、結果この部屋を使う者も限られてくる。

 互いに言葉を交わしたことはなくとも、顔に見覚えくらいはあり、さらに数少ない愛煙家として、無意識のうちに仲間意識でも芽生えているのだろう。

 さらにいえば身奇麗な初老の男性ということで、一見して自分たちより上の立場であるということもわかる。

 スマートフォンの持ち主たる若い社員は、特に警戒することもなく、ある程度の敬意をもって接し、近藤に画面を見せた。

 

「む……これは興味深いな……」

 

 近藤はスマートフォンの画面を食い入るように見ながら、静かにつぶやいた。

 それは数十年前に有名女優のために作られ、いまなお多くの人たちを魅了するバッグの原型となったかなり古いものだった。

 

「しかしその割には状態が良すぎる。コピー品か?」

「でもこのモデルのコピー品を作る意味ってあります?」

 

 若い社員の意見はもっともである。

 このモデルのバッグは時代とともに進化を続け、いまなおモデルチェンジを繰り返しながら継続して販売されているが、それでも有名女優の名を冠したモデルのほうが圧倒的に人気であり、コピー品を作るのであればそちらのほうがいい。

 無論人気が低いと言ってもブランド内トップクラスのモデルと比べての話であり、このバッグの近年モデルもそれなりに人気があるため利用者は多く、需要もあるのだろうが、それにしたところでこれほど古い物のコピー品を作る意味はないだろう。

 

「それにこのシリアル番号のところ見てくださいよ。なんか本物っぽくないですか?」

「にしたって、こんだけ綺麗なのが本物ってのはありえなくないか?」

 

 若い社員の言葉に、中年の社員が答える。

 そんなふたりのやりとりを聞き流しながら、近藤はスマートフォンの画面を凝視し、腕を組んで首を捻った。

 

「んー、ここのところの縫製を見れば一発なんだがなぁ……」

 

 近藤は1枚の写真を指差し、画面の端に切れているあたりを示す。

 

「あ、じゃあ写真上げでもらいましょうか?」

「そんなことができるのか?」

「はい、向こうが応じてくれればですけど」

 

 若い社員はそう言って出品者へのメッセージ投稿フォームを開く。

 

「みたところ出品代行とかやってる業者みたいなんで、たぶん応じてくれると思うんですけど……よし、送信っと」

「どれくらいで返事が来る?」

「相手次第ですねぇ……。どうします? 明日もこの時間くらいにここにいるんで、結果はその時でいいですか?」

「うむ、そうだな。ところで……」

 

 そこで近藤は顔を上げ、若い社員に怪訝な表情を向ける。

 

「君はなぜこのオークションを見てたんだ?」

「ええと、俺、ウェブ担当なんで……」

「あー……。じゃあコピー品のチェックか」

「そういうことです」

 

 大手ブランドでは、ネットオークションやフリマアプリなどにコピー品が出品されていないかどうかを監視する部署を持つことが多い。

 このブランドでは専門の部署までは設置しておらず、ウェブコンテンツ管理部署が業務の片手間にやっているという状況だ。

 つまり、この若い社員がネットオークションを覗いていたのは業務の一環ということになる。

 

「なんだ、君は喫煙室にきてまでわざわざ仕事をしているのか?」

「まぁ、喫煙者に厳しい社会ですから」

 

 ひと昔前はタバコを吸うと言えば数分の休憩は黙認されていたが、時代が進むにつれそれに対して非喫煙者から不満の声が上がり始めた。

 そこでこの会社では昼の1時間休憩以外に、15分の小休止を1日に4回、業務との折り合いをある程度つけながらではあるが、比較的自由に個人のタイミングで取れるようになった。

 そして喫煙はその小休止の際に行うように通達されたのだった。

 もちろんこの若い社員はいま小休止中なので、喫煙室にいる片手間で仕事をしなければならない、ということはない。

 しかしこれまで喫煙者が積み上げてきた(カルマ)のせいか、喫煙室に行くというとなにかと冷たい視線を投げかけられるので、一服がてらこうやってちょっとした業務をおこなっているのだった。

 

「はは……我々には生きづらい世の中になったな」

「まぁ、自業自得みたいなもんですけどねぇ……って、早っ!!」

 

 若い社員が突然驚きの声を上げる。

 

「おいおい、急にデカい声だすなよ」

「あ、すいません」

 

 中年社員に軽く注意された若い社員は、手短に謝罪しつつスマートフォンの画面を近藤に見せた。

 そこには新たに追加された写真が表示されていた。

 

「さっそく先方が写真をあげてくれたみたいです」

「ふむふむ……」

 

 じっと写真を見ていた近藤の視線が険しくなる。

 

「……本物」

「本当に?」

「まじですか!?」

「……である可能性が非常に高い。あとは直接見てみないと」

 

 そういって近藤は顔を上げ、若い社員を見た。

 

「これ、すぐに落札できるかい?」

「えっと……向こうに連絡して即決価格を設定してもらえれば……」

「なるほど……。となれば、また連絡して向こうの反応待ちか」

「ですね」

「いや、ちょっと待て」

 

 先ほど同様即決設定を依頼すべく問い合わせフォームを開こうとした若い社員に、中年の社員が待ったをかける。

 

「出品代行ってことは、年間100万の取引額なんてのは確実に超えてくるはずだろ。だとしたら」

「そうか、特定商取引に関するアレか!!」

 

 ネットオークションやフリマサイトで、年間の取引額が100万円を超える場合、特定商取引法に関する法律に基づき、出品者情報を常に確認できるよう表示しておく必要がある。

 若い社員が商品ページを探したところ、比較的わかりやすい場所に出品者情報が記載されていた。

 

「えっと、パンテラモータースの真山さんか……。車屋さんかな? お、電話番号もちゃんと載ってますねぇ」

「よし、私が電話をかけよう」

 

 近藤は自身のスマートフォンを取り出し、表示された番号に電話をかけた。

 

『はいもしもしこちらパンテラモータースっす』

「おそれいります、わたくし近藤と申します。オークションのことでお話ししたいことがあるのですが、真山徹さまはいらっしゃいますでしょうか?」

『あー、真山徹は俺っすけど』

 

 そこから電話でやり取りした結果、100万円に取引手数料と代行手数料、そして消費税分を上乗せした価格で即決に応じてもらうというところに落ち着いた。

 

『じゃあ送り先を――』

「こちらから伺います。御社……パンテラモータースさまのご住所でよろしいですか?」

『え? あー、はい』

「では連絡先をお伝えしておきますので……」

 

 こうして取引は無事成立した。

 余談だが、このときの若い社員と中年の社員には後日正体不明の寸志が支払われた。

 お互い名を名乗ったわけではないが、喫煙者の少ない会社でのこと。

 特定は容易だった。

 その後も喫煙室で顔を合わせることが度々あった3人だが、近藤が簡単な結果報告を行って以降、この件が話題に上ることはなかった。

 

**********

 

「近藤さんから連絡もらった時点だと、まだ1万いくかいかないかくらいでしたからねぇ。いきなり100万でどうだ? って聞かれたときは焦ったっすよぉ」

「いえいえ、そこで諸々の手数料を上乗せしてくるあたり、真山さんもなかなか冷静だったじゃないですか?」

「まぁ、そこはいちおう俺も商売人の端くれっすから?」

 

 取引時のやりとりを話す徹と近藤の姿を訝しげにみながら、敏樹は疑問を口にする。

 

「あの、もしかして終了時まで待ってたらもっと安く落札できたんじゃ……?」

「でしょうな」

「っすね。あのペースだと順当に行って1万ちょっと、最後にグイグイ伸びたとしても5万超えることはないっすかね」

「じゃあなんで100万も?」

「言ったでしょう?」

 

 その問いかけに近藤は、ふたたび穏やかで隙のない笑みを敏樹に向けた。

 

「私は一刻も早く大下さまにお会いしたかったと」

 

 先ほども聞いたその答えに、敏樹は再び首を傾げる。

 

「そもそも大下さまはこれを何だと思われますか?」

 

 近藤はそう言って手にしたバッグを掲げた。

 

「古いボストンバッグ……?」

「ふむう。広義にはボストンバッグといえますが……、ではどういった使い方をするものだと?」

「そりゃ手荷物を入れるんじゃないですか? あ、その大きさだとちょっとした旅行カバンにもなるか」

「そうですね。そういった使い方も可能かとは思います。しかし、本来の用途とは少し異なりますね」

 

 もったいつけるように言葉を切った近藤は、敏樹だけでなく、徹やオーナーの視線を受け、少し自慢げな表情で口を開く。

 

「これはおよそ100年前に作られた、馬鞍入れですよ」

 

 その答えに、敏樹ら3人は一様に目を見開いた。

 このブランドがもともと馬具工房だったことは有名な話ではあるし、3人もそれぞれどこかで耳にしたことがあるのだろう。

 驚きつつもすぐに納得したようである。

 

「つまり、それだけ古いものだから価値があると?」

「もちろん年代物であるということと希少価値という意味でそれなりの価値にはなりますが、その程度でわざわざここまで足を運びませんよ」

「じゃあなんで……」

 

 その瞬間、近藤の視線が少し鋭くなるのを敏樹は感じた。

 

「これだけのヴィンテージ品が、これほどいい状態にあるということに価値があるのですよ」


進みが遅くて申し訳ない……。

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