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第15話『おっさん、しばらく普通に過ごす』

 州都セニエスクで水精人のバレウを救出し、敏樹らがDランクに昇格した日からひと月ほどが経っていた。

 

 ヘイダの町に戻った敏樹は引き続きこの町を拠点にし、たまに実家とこちらとを行き来しながら適度に魔物を狩りつつ生活していた。

 精人奴隷の件に関しては現在天網府と憲兵隊とが協力しあって摘発を進めている。

 あの場で州都憲兵隊の隊長であるドラモントを味方に引き込んだのと、副隊長であるレンドルトを天監が捕らえたというのが大きかったらしい。

 

「あのときは副隊長一味を追い詰めるために隊長を呼んだつもりだったんだけどなぁ」

 

 州都憲兵の副隊長というかなり高い地位にある者が、最も貴い法である天網を犯したということで、憲兵隊はその汚名を(すす)ぐため精力的に動いているようだ。

 しかも天監の手足となるようなかたちで。

 これに関しては敏樹の予想をいい意味で裏切ることとなった。

 

 敏樹ら一行は適度にのんびりとした冒険者ぐらしを続けており、その生活にこれと言った変化はない……、と言いたいところだが大きな変化がひとつ。

 

「シゲル! 明日は訓練場に来るのだろうな?」

 

 ヌネアの森での討伐依頼を終え、ギルドを出たシゲルの後を追ってひとりの女性が駆け出してきた。

 燃えるような赤い髪から猫科の耳を覗かせ、少しだけ不機嫌そうに尻尾をゆらゆらと揺らす軽装の女性は、ケシド州天網監察署の職員テレーザであった。

 いま彼女はマントを羽織っておらず、装備している軽鎧は白銀のものではなく革製であった。


「おお、明日は馬車も休みだからなぁ。冒険者どもに稽古つけてやるかぁ」

「むふふ。では私の相手も頼むぞ?」

「おう。別にいいぜぇ」

 

 嬉しそうに、しかしどこか獣じみた笑みを浮かべるテレーザに対し、シゲルは鷹揚に答えるのだった。

 

**********

 

 バレウを救出した翌日、敏樹らは州都セニエスクを出発し、特にトラブルもなく商都エトラシを経由してヘイダの町へと帰り着いた。

 それから遅れること数日、事情聴取を終えて集落へと帰れることになったバレウがヘイダの町にやってきたのだが、その際にテレーザが護衛兼道案内として同行していたのだ。


「集落へはロロアの里帰りも兼ねて俺たちも同行しますよ」

「ふむ、お前たちなら信用できるから、任せてしまっても構わんか?」

「まぁ俺たちは別にいいですけど、それって職務怠慢じゃないです?」

「気にすることはない。お前たちさえ黙っていればなんら問題はないのだからな」

「いや、充分問題ありな気がするんですけど……」

 

 とはいえテレーザが同行しないのであれば、敏樹の〈拠点転移〉で楽に帰ることができるし、行き帰りの日数を削った分だけロロアも集落でゆっくりできるので、それ以上は追及しないことにした。

 

「じゃあテレーザさんはどうされるんです? あまり早く帰りすぎるとマズいと思いますけど」

「大丈夫だ。しばらくはこの町に身を置くことにするから」

 

 そこでテレーザはシゲルに鋭い視線を向け、口元に笑みをたたえた。

 

「ふふふ……、少し気になるやつもいることだしなぁ」

 

 一応シーラやファランたちにも声をかけたが、皆それなりに忙しいようで、このときは敏樹とロロア、そしてバレウのみで集落へと帰ることになった。

 

「姉ちゃん!!」

「え、うそ……。バレウ? バレウなのっ……!?」

「うわあああ! 姉ちゃん! 会いたかったよぅ!!」

「ああっ! バレウ……!! 本当に……よかった……!!」

 

 帰り着いた集落でバレウとニリアの再会を見届け、しばらくぶりの故郷を楽しむロロアと数日まったり過したあと、ふたりはヘイダの町に戻った。

 夕暮れ時にホテルへと入った敏樹は、集落で貰ったどぶろくを手土産にシーラたちを夕食にでも誘おうと思ったのだが、外出しているようなので冒険者ギルドへと向かう。

 

「またとんでもない者を連れてきたのう……」

 

 ギルドに着くなりギルドマスターのバイロンにそんなことを言われた。

 

「Aランク相当、といったところかの」

「Aランク? 何の話です?」

 

 バイロンはその問いには答えず、無言で顎をしゃくった。

 その先には訓練場へと続く扉があった。

 

「おらおらぁ、そんなんじゃ全然とどかねぇぞぉ!!」

「ぬうぅっ!! まだまだぁ!!」

 

 訓練場には人垣ができており、その中心ではシゲルとテレーザが訓練用の武器を手に戦っていた。

 

「いや、テレーザさんなにやってんの……」

 

 呆れたように呟いた敏樹だったが、間もなくふたりの戦いに目を奪われることとなった。

 テレーザの猛攻は凄まじく、正攻法でここまでシゲルを追い込めた者は、少なくともこのヘイダの町にはいなかっただろう。

 無論シゲルはそれなりに手加減していたが、それでもテレーザの戦いぶりには目を瞠るものがあった。

 

「おう、トシキ殿」

「あ、ガンドさんどうも」

 

 敏樹の前に現われたガンドは、この日も訓練に勤しんでいたのか、体中に打ち身や擦り傷をこしらえていた。

 傷の回復を促す効果のある訓練場にいながら、ここまでの傷が残っているということは、かなり手ひどくやられたのだろう。


「あのテレーザなる女性にょしょうはトシキ殿のお知り合いと聞いたが?」

「ええ、まぁ」

「何者であるか? それがし、そこそこ腕に覚えはあるのだが、手も足も出なんだわ」

「へぇ、ガンドさんが……」

 

 このガンドという男、酒癖に関しては褒められたものではないが、冒険者としての戦闘能力はかなり高い。

 

「あの人は天――」

 

 と言いかけたところで敏樹は言葉を飲み込んだ。

 

(ガンドさんが素性を知らないってことは、もしかして隠してるのか? 彼女が天監だってことは、あまり言わないほうがいいのかも……)

 

 通常であればテレーザは天網監察署に詰めているので、天監であることを秘匿しているわけではない。

 しかし、あまり大っぴらに喧伝するものでもないのだろう。

 このとき敏樹の頭にふと思い浮かんだのは、刑事ドラマなどで警察官が「地方公務員です」と名乗るシーンだった。

 

「州都で少しお世話になった方ですよ。まさかあそこまで強い人だとは知りませんでしたけど」

 

 素性を隠す必要はないが、広く知られ過ぎると何かと面倒なことになりかねないので、敏樹は適当にごまかすことにした。

 

「であるか。あれほどの強さでありながら、冒険者ではなかったというし、少し気になってな」

「冒険者ではなかった? というと、いまは……?」

「うむ。この訓練場は冒険者しか利用できんのでな。わざわざ冒険者登録をしておったぞ」

「……なにやってんだか」

 

 そのとき、ふたりの戦いを見守っていたギャラリーからどよめきが起こった。

 シゲルの放った痛烈な一撃を腹に受けたテレーザが、その場に崩れ落ちたところだった。

 

「しかし、ガンドさんが手も足も出ないとは……。バイロンさんはAランク相当って言ってましたけど」

「ふむ。ギルドマスターがそう言うのであればそうであろう。なるほど、どうあがいても勝てぬわけだ」

「でも、ランクひとつ違うだけじゃないですか」

 

 そう言われたガンドは、ひどく真剣な顔で敏樹を見た。

 

「トシキ殿。BランクとAランクの間には非常に高い壁があるのだ。常人には決して越えられぬ壁がな。それがしにもおそらく越えられぬだろうなぁ……」

「へぇそんなに……」

 

 冒険者の生涯最高到達ランクで最も多いのはEランクであり、Dランクに到達できる者は冒険者全体の3割にも届かないといわれている。

 Bランクともなると全体の5パーセント未満で、Aランクに至る者はBランクの内の1%にも満たないのだとか。

 

「ふん。今日はここまでだなぁ、猫のねーちゃんよぉ」

 

 そしてシゲルは極小数の、おそらくは天才と呼ばれるに値するテレーザを、あっさりと倒してしまうほどの強さを持っているのだった。

 

「ね、猫じゃない……山猫だ……」

 

 そう言い残して気絶したテレーザを、ギャラリーの中にいた数名の女性冒険者が担いでいった。

 

 このようなかたちでテレーザはこの町に居着き、シゲルとの訓練に勤しむ日々がひと月ほど続いたのだった。

 

**********

 

「ところでテレーザさん、いい加減帰らなくて大丈夫なんですか?」

 

 森での討伐を終えた敏樹らはこの日、バルナーフィルドホテルのレストランでテレーザと夕食をともにしていた。

 共に訓練に励む間柄のおかげか、テレーザはシーラたちとも仲良くなり、その流れからかファランたちとも交流を持っているようだった。

 

「別に構わんよ。どうせ暇だし」

「でも、精人奴隷の関係で結構忙しそうですけど?」

「なに、今は上が出張ってきているからな。それに憲兵隊という手足もあることだし、私ら下っ端は案外ヒマなのさ。それこそマーガレットひとりで充分こなせる程度にはな」

「つまり、マーガレットさんに全部押し付けて、テレーザさんひとりで遊んでるわけだ」

「むむ! 遊んでいるわけではないぞ? 訓練も立派な仕事だし、上には報告しているからな」

 

 そこでテレーザはパンをちぎって皿に残ったソースをつけて口に放り込んだ。

 数回咀嚼したのち、赤ワインで口の中のパンを流し込み、ふたたび口を開く。

 

「このあいだ州都憲兵の副隊長宅へ一緒に乗り込んだお前ならわかると思うが、天監が動くときというのは大抵荒事(あらごと)になるのだよ。となればそれなりの武力は必要なのさ」

「だからってわざわざ冒険者に登録することはないでしょうに」

「シゲルのような訓練相手は稀有だからなぁ。天監には化け物じみた連中もそれなりにいるが、各地に散らばっていてそう簡単には会えんのだよ」

「そういうもんですか……。っていうか、天監って兼業オーケーなんですか?」

「冒険者、魔術師、治療師ギルドへのみ登録は許可されている。ただし、依頼をこなして報酬を得ることは禁止されているがな」

 

 補足しておくと、商人ギルドを始めとするその他商工関連ギルドに関しては、商売に直結するギルドであるため、天監だけでなく騎士団や警備隊、憲兵隊などの公的機関に所属する者は登録自体禁止されている。

 日本で言えば公務員が副業を禁じられているようなものだ。


 魔術師、治療師ギルドに登録が許可されているのは、魔術や回復術を習得するためにはそれらギルドへの登録が天網により定められているからである。

 生活魔術すら習得を禁止されてしまうと、一般職であっても仕事に支障をきたすし、戦闘職にある者が魔術や回復術を使えないとなると、無駄にリスクを高めることになるのだ。

 冒険者ギルドへの登録が認められているのは、例えば騎士団などは有能な冒険者をスカウトすることが多々あり、その際わざわざギルドを脱会させるのが手間だから、という理由からである。

 

「ああ、だからいつも訓練場にいるわけですね?」

「そういうことだ。まぁボランティアで魔物討伐くらいはしても問題ないが、魔物との戦いはあまりおもしろくないからな」

 

 本来冒険者というのは長期間依頼を受けずにいるとギルドから除名されてしまうのだが、公的機関に所属している者はそういった縛りから免除される。

 ただ、彼女の場合はその手の特別な処置など不要かもしれない。

 テレーザはシゲルが魔物討伐依頼で町を離れている間も訓練所にいる。

 彼女の強さはこの町の冒険者に知れ渡っており、となればテレーザに教えを請う者も現われてくるのは自然の流れだろう。

 特に女性冒険者からの支持が厚く、バイロンも彼女の指導を高く評価しており、テレーザを特別訓練教官に任命した。

 立場としてはシゲルと同じだが、報酬が出ないという扱いである。

 

「で、特別訓練教官とやらになったおかげで、いまやEランクですか」

「うむ。ギルドマスターが気を回してくれてな。別に不要なのだが……」

 

 報酬は出ないが評価はする、ということで、テレーザが訓練場で指導をするごとに評価ポイントがたまり、ひと月でEランクに到達したのだった。

 

 

 さらに数日が経ったある朝のこと。

 日の出前のまだ薄暗い時間に、敏樹の部屋をノックする者がいた。

 

「ふぁい……」

「私だ。テレーザだ」

「あぁ……テレーザさん……」

 

 寝ぼけ(まなこ)をこすりながら、ふらふらと室内を歩き、ドアを開ける。

 

「こんな朝早くなんでしょう?」

 

 寝室を出てリビングを歩いているうちにそこそこ頭のすっきりした敏樹が、ドアの前に立つテレーザに問いかける。

 テレーザはマントを羽織っていたが、その隙間からはここ最近装備していた革の胸甲ではなく、白銀の胸甲が見え隠れしていた。

 

「商都に呼び出された。どうやら精人奴隷の件で大きな動きがあるようだ」

「そうですか。短い間でしたが、お世話になりました」

 

 そう言って軽く頭を下げる敏樹に、テレーザは呆れたような視線を向けた。

 

「何を言っているのだ? お前たちも来るのだよ」

「……俺たちも?」

「そうだとも。悪いがロロアとシーラたちを連れてロビーに来てくれ。ファランには私から連絡を入れてあるので、そろそろ来るだろう」

「え、ファラン?」

 

 無関係と思われていたファランの名前が飛び出し、敏樹は軽く混乱した。

 

「ああ。今回はドハティ商会の協力も必要だからな」

「ドハティ商会って……、いつの間にそんな話に?」

 

 そこでテレーザは得意げな笑みを浮かべ、わざとらしく腰に手を当てて胸を張った。

 

「言っておくが、訓練の傍ら天監としての仕事もしっかりこなしていたのだぞ?」

 

 赤毛の山猫獣人は、そう言ってふんすと鼻息を荒らげるのだった。


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