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第6話『おっさん、王家の動向に呆れる』

 王女メアリーが死に、王バートランドが病に伏せってひと月ほどが経った。

 その間エリオットが王に代わって政務を行い、王の不予による混乱も徐々に治まりつつある。

 このまま王が復帰できずとも、国は滞りなく運営できるだけの地盤は、ほぼ固まったと言っていいだろう。


「王の様子はどうだ」

「もう随分よくなっておりますよ、兄上」


 エリオットの質問に答えたのは、次男のヴァルターだ。

 彼は政務にほとんど興味を示さず、いつも軍に顔を出しては訓練に参加している。

 兄に似ず巨漢の偉丈夫で、冒険者に紛れて魔物の討伐を行なうというやんちゃなところのある第二王子は、軍部と庶民からの人気が高い。

 親衛隊をほぼ手中に収めている次男に、エリオットは王の幽閉と監視を任せていた。

 これまでエリオットは、王のことを気にかける暇もないほどの激務に追われていたが、ようやく父のことをほんの少しだけ考える余裕が持てたという状況だ。


「しかし、わざわざ我らを集めたということは、なにか重大な変化があったということではないのか?」


 この日玉座の間には、ヴァルターの呼びかけでエリオットのみならず、主立った文官や武官も集められていた。

 王を監視しているヴァルターの呼びかけに、あるいは王の健康状態に重大な変化があったのではないかと心配したエリオットだったが、どうやらそうではないという。

 当初はさっさと死んでくれれば、と思っていたエリオットだったが、自身の足下が固まるにつれ、隠居さえしてくれるなら、父には余生をのんびり過ごして欲しいと思えるだけの余裕はできた。

 妹に続いて父親まで手にかけるようなことは、可能であれば避けたいと思っていたのだ。


「なに、父上も少し元気になったことだし、そろそろ政務に戻ってもらおうかと思いましてね」

「なに?」


 ヴァルターにはすべてを話していた。

 自身が妹を手にかけたことも、王に代わって政務を執り行うことも。

 そして場合によっては父に死んでもらうかもしれない、ということまで話しており、ヴァルターはそれらを承知したうえで、彼自身と信頼の置ける者数名で王を監視していた。


「な……、王……?」


 得意げに話す弟の視線を追うと、その先には王の姿があった。


「ヴァルター、これは……」


 どちらかと言えばふくよかだったバートランドだが、襟から覗く首や袖の先に見える腕や手は枯れ枝のように痩せ細り、頬はげっそりとこけて別人のようだった。

 年の割には豊かだった頭髪も大半が抜け落ち、残った部分も色素が抜けて白くなっている。

 幽鬼のように痩せ衰えた王だったが、落ちくぼんだ目だけは爛々と輝いていた。


「父上……」


 見た目に反してしっかりとした足取りで近づいてくる父の姿を、エリオットは玉座に座ったまま呆然と眺めていた。

 それは他の臣下たちも同様で、皆一様に恐れを孕む視線で、王の動向を見守っている。


「ごくろうだったな、エリオット」


 気付けば目の前に立っていた父が、おぞましい容貌とは裏腹に、穏やかな口調で声をかけてきた。


「父上……?」

「私がいないあいだ、よく国を運営した。さあ、立ちなさい」


 子供に言い聞かせるように言われ、エリオットは思わず立ち上がり、王へ玉座を明け渡した。

 ごく自然な動作でバートランドは玉座に座ると、おもむろに口を開いた。


「ここから一番近い水精人の住処はどこか」

「王国南部、ケシド州ヘイダのさらに南方に、精人の森と呼ばれる場所があります」


 王の問いかけに対して、ヴァルターがごく自然に答えたことに、エリオットを始め文官たちがどよめきの声を上げる。


「父上? ヴァルター?」


 戸惑うエリオットの声を無視し、王と第二王子は続ける。


「そこに蜥蜴(とかげ)の氏族はおるか?」

「はい。グロウなる者が長を務める氏族がおります」

「ふたりとも、先ほどから何を……」


 王はただ正面を見たままエリオットを無視し、ヴァルターは兄を一瞥してフッと笑みを漏らした。


「禁軍を編成せよ」

「御意」


 禁軍という単語に、エリオットは青ざめ、文官たちのどよめきはさらに大きくなった。


「ふたりとも何を言っているのだ!!」


 そしてようやくエリオットは、王の前に立ち、ふたりを窘めることができた。


「兄上、無礼ですよ」

「何が無礼なものか!! 父上、禁軍を編成してなにをなさろうというのです!? いかな王とはいえ返答次第では――」

「メアリーがな……」


 自身の視線を遮るように立つ長男を見るでもなく、正面を見たままバートランドは口を開いた。


「メアリーが生前、最後に欲しがったのが蜥蜴の涙石なのだ」

「……それが、どうしたというのですか?」


 そこでようやく王は目線を上げて長男と目を合わせ、穏やかに微笑んだ。


「墓前に供えてやろうと思うてなぁ」


 場がシンと静まりかえる。

 エリオットは、父の表情と言葉に背筋が寒くなるのを感じた。


「涙石が必要なら、私がその氏族と交渉して譲ってもらいましょう。禁軍を編成する必要はないはずです」

「兄上、メアリーはわが王国の王女ですよ? その墓前に石をひとつふたつ並べるのではあまりに寂しいでしょうし、メアリーも安らかに眠れますまい」

「だまれヴァルター!!」

「いや、ヴァルターの言うとおりだ。メアリーの墓前にあの子が欲していた涙石を山と積んでこそ、供養となろう」

「……そのために、親衛隊を動かすと?」


 王と次男は禁軍といい、エリオットは親衛隊という。

 本来禁軍とは天帝直轄の軍にのみ許された呼称なのだが、王の多くは天帝を軽んじ、自身の親衛隊を禁軍と称するのだ。

 それを律儀に親衛隊と呼ぶあたり、エリオットの天帝に対する敬いの心が見え隠れする。


「その氏族はいかほどか」


 王はエリオットを無視してさらに続ける。


「100名には満たないかと」

「ふむ、では禁軍1000を率いて事にあたるがよい」

「御意」

「いいかげんにしろふたりとも!!」


 エリオットは腰の剣に手をかけた。

 これ以上王の暴走を許すわけにはいかないと、王の首を狙う。

 それはさながら居合いのような動きであった。


 ――ガゴ……ッキィンッ!


 しかし抜かれた刃は次の瞬間、無残にも折れ飛んだ。


「な……!?」


 この場で帯剣できるのは王族のみである。

 つまり、自分以外にヴァルターが帯剣していることもわかっていた。

 だが仮に妨害されたとしても、無理やり押し込めば首筋に傷をつけ、頸動脈を斬るくらいはできると思っていた。


「ヴァルター……!」


 通常、エリオットはサーベルを、ヴァルターはロングソードを装備している。

 いかにヴァルターの武技が卓越しているとはいえ、魔術を封じられたこの場において、付与魔術もなしにロングソードでサーベルを一撃の下に折るなど不可能だろう。


「兄上、王を手にかけようとするとは、乱心されましたか」

「お前、最初から……!!」


 エリオットは弟の手にある剣を見て、歯噛みする。

 それは普段彼が愛用しているロング・ソードではなかった。


 ――ソードブレイカー。

 

 (くし)状の峰を持つ、片刃の剣である。

 ソードブレイカーは、その櫛状になっている峰で敵の刃を絡め取り、テコの原理で刃を折るという、その名の通り剣を破壊することに特化したものだ。

 とはいえ実際のところその峰で剣を捉えることは困難であり、まして剣を折るなど曲芸に近い技術が必要となる。

 だがこのヴァルターという男、こと武芸に関しては突出した才能を持っており、王道の剣術を習得する傍ら、こういった変わり種の武器も好んで扱っていた。


「こんなこともあろうかと、用意しておいてよかったですよ」

「貴様……」


 弟は得意げに、兄は憎らしげに、互いを見合う。


「これ」


 そこへ静かな声が割って入った。


「兄弟は仲良くしなさい。私はもうこれ以上愛しい我が子に傷ついてほしくはないのだ」


 心底憂うような父の言葉に、エリオットは呆然とし、ヴァルターは得意げな表情のまま恭しく一礼した。


「禁軍長!」

「はっ」


 ヴァルターの呼びかけに、武官の列からひとりの男が駆け寄ってくる。


「兄上は連日の激務でお疲れのようだ。部屋まで送って差し上げなさい」

「かしこまりました。さぁ、エリオット様、こちらへ……」


 エリオットはちらりと臣下たちを見た。

 驚き、怖れ、混乱する文官たちとは対照的に、武官は誰ひとり取り乱すことなく、落ち着いた様子だった。

 どうやらヴァルターは王に懐柔され、武官たちはヴァルターに懐柔されていたのだろう。

 では、父はいったいどのような言葉で次男を丸め込んだのか。


「精人は……強い……」

「さすが兄上、よくおわかりで」


 ヴァルターは常々、小さな小競り合いばかりで戦い甲斐がないと漏らしていた。

 軍を率いて、強敵と戦ってみたいと。


「そんなくだらないことで、お前は国を傾ける気か!」

「はは、おおげさな。まぁあとのことは俺に任せて、兄上はゆっくり休んでいてください」


 弟が妹以上の愚物であったこと、そしてその弟に王の監視を任せたまま、せっせと政務にいそしんでいた自分の愚かさに、エリオットはがっくりとうなだれた。


**********


「……この王国の次男とか軍人はアホなんですか?」


 マーガレットの話を聞いた敏樹は呆れた表情でそう告げた。

 そしてこの場にいる誰もが――自身の故郷が標的となっていると聞かされたロロアでさえ――恐れや怒りを感じるより前に呆れたのだった。


「そんな無茶すれば、天帝が黙ってないでしょう? ということは周辺の王国がこれ幸いに手を取り合ってここを潰しにかかるんじゃないですか?」

「あくまで訓練の一環で押し通すつもりらしいですよ」


 敏樹の問いかけに、マーガレットもまた、苦笑を隠そうともせず答えた。


「バレないと思ったんですかね?」

「どうでしょうね。武官は次男が完全に掌握しているみたいですし、文官にしたって、国を挙げて精人を襲うなんてことが明らかになったら王国が滅ぶわけですから、口をつぐむと思っていたとか?」

「でも、天網府はもう知ってますよね?」

「人の口に戸は立てられませんからね」

「やっぱアホですか?」

「バレてもいいと開き直ってるんじゃないか?」


 ふたりのあいだに、テレーザが割って入る。


「あそこの次男は脳筋だからな。周りが敵対するなら、それはそれで戦ができるとか思っていそうだが」

「……やっぱアホじゃないですか」

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