第89話 誅一号作戦(中)
第89話『誅一号作戦(中)』
1943年9月24日
ソビエト社会主義共和国連邦/日本海
戦艦『長門』の血筋を汲む空母『鳳凰』、それは第一航空艦隊の旗艦でもあった。1946年のビキニ環礁から核の閃光と衝撃に包まれ、逆行してきた戦艦『長門』は、本来存在してはならない“長門型戦艦3番艦”としてその生命を存続させる訳にはいかず、長門型戦艦の設計を反映した装甲空母『鳳凰』として新たな歴史を刻む事となった。そんな鳳凰の初仕事は、目前に迫っていた。
目を疑いたくなるような光景だった。果てしなく広がる蒼茫の日本海には、巨大で重厚な艦影がまるで窓の無い摩天楼のように、一線上に並び海原に聳え立っている。そしてそれを取り囲むように駆逐艦クラスの小さな艦影が、摩天楼を支えるかのように中央に向かって見事な弧を描いて、摩天楼をすっぽりと包み込んでいる。ソ連太平洋艦隊の勢揃いだ。
先の『オホーツク海海戦』で戦艦2隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦5隻の喪失を経験したソ連太平洋艦隊だが、それでも未だ機動戦力として温存しておいた空母5隻は健在だった。また、“戦艦空母”とも言うべき航空戦艦『オクチャブルスカヤ・レヴォリューツィヤ』も飛行甲板の損傷を味わっていたが、ウラジオストクで拡張された海軍工廠で修繕され、戦列復帰を果たしている。但し、旗艦『ソビエツキー・ソユーズ』の損傷は致命的で、1ヶ月のドック入りを与儀無くされて今回は参加を見送っていた。
このソ連太平洋艦隊の総出撃の背景には、大日本帝国軍が決行した『誅一号作戦』が大きく関係してくる。ソ連太平洋艦隊の母港であり、ソ連海軍の太平洋拠点でもあるウラジオストクを標的にした今回の作戦にソ連太平洋艦隊が黙っている訳が無く、総出撃を決意したのである。総指揮官は太平洋艦隊司令長官のイワン・S・ユマシェフ大将だった。彼は先の『オホーツク海海戦』で旧式戦艦2隻の喪失を喫し、当の本人を含めて誰もが粛清されるだろうと思っていたが、スターリンは帝国海軍の象徴である『陸奥』の撃沈――実際は“爆沈”を高く評価しており、ユマシェフは面目を施したとして『ソ連邦英雄』の称号まで与える始末だった。こうして英雄に祭り上げられ、後が無くなったユマシェフとしてはこの『第二次日本海海戦』をかの航空戦艦『オクチャブルスカヤ・レヴォリューツィヤ』を旗艦として出撃し、艦が沈むようなことがあれば運命を共にする決意であった。
一方、帝国海軍としてもこの『第二次日本海海戦』をこの先長期間に渡って繰り広げられるであろう『日ソ戦争』の正念場として認識していた。連合艦隊は喪失した『陸奥』、及び中破した『日向』『扶桑』をその戦列から外し、機動戦力重視の艦隊編成を行った。艦隊中核は第一航空艦隊が担い、第一艦隊やイギリス東洋艦隊はその補助に回ることとなった。
こうして集結した両者の戦力は――。
■帝国海軍連合艦隊(司令長官:吉田善吾大将)
戦艦:(8隻)
『大和』『長門』『伊勢』『山城』
『金剛』『比叡』『榛名』『霧島』
航空母艦:(13隻)
・正規空母『鳳凰』『赤城』『加賀』『蒼龍』
『飛龍』『翔鶴』『瑞鶴』『雲龍』
『葛城』
・特設空母『飛鷹』『隼鷹』『瑞鳳』『龍驤』
重巡洋艦:(12隻)
『衣笠』『青葉』『古鷹』『高雄』
『愛宕』『鳥海』『摩耶』『那智』
『羽黒』『妙高』『利根』『筑摩』
軽巡洋艦:(6隻)
『阿武隈』『川内』『北上』『大井』
『矢矧』『酒匂』
駆逐艦:(42隻)
■イギリス東洋艦隊(司令長官:トーマス・フィリップス大将)
戦艦:(2隻)
『プリンス・オブウェールズ』『レゾリューション』
巡洋戦艦:(1隻)
『レパルス』
航空母艦:(3隻)
・正規空母『イラストリアス』『フォーミダブル』
・軽空母『ハーミーズ』
重巡洋艦:(2隻)
・英重巡洋艦『エセクター』
・豪重巡洋艦『キャンベラ』
軽巡洋艦:(6隻)
・英軽巡洋艦『バーミンガム』
・豪軽巡洋艦『パース』『ホバート』
・蘭軽巡洋艦『デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン』『デ・ロイヤル』
『ジャワ』
駆逐艦:(27隻)
■ソ連太平洋艦隊(司令長官:イワン・S・ユマシェフ大将)
航空戦艦:(1隻)
『オクチャブルスカヤ・レヴォリューツィヤ』
航空巡洋艦:(5隻)
・重航空巡洋艦『アストラハン』『ノヴォシビルスク』
・軽航空巡洋艦『チャパエフ』『チカロフ』『イルクーツク』
重巡洋艦:(1隻)
『クラースヌィイ・カフカース』
軽巡洋艦:(1隻)
『モロトフ』
駆逐艦:(32隻)
――となった。稼働可能な残存艦艇を総動員した計40隻の水上部隊を編成し、出撃するソ連太平洋艦隊に対し、日英豪蘭4国同盟艦隊はそれを凌駕する圧倒的な艦隊で海戦に挑まんとしていた。連合艦隊だけでも81隻からなる水上部隊を投入しており、英豪蘭の艦艇を含めると122隻の艦艇を相手にしなければならないのだ。陸では強大なランドパワーにものを言わせ、怒涛の如き猛攻を仕掛けてきたソ連軍にしてみれば、戦力差での敗北というのは皮肉に違いなかった。
かくして、『第二次日本海海戦』は――その幕を開けた。
“鎖の強さは、もっとも弱い輪によって決まる”
これは英語の諺の1つだが、弱い輪があれば全体の輪が弱くなるということを言っている。輪という輪が完全な強度を持てばそれだけ鎖は強くなるが、1つでも弱い輪があれば、その鎖の強度はそのもっとも弱い部分と同じ程度しかないという訳だ。実際、この諺は現在の連合艦隊にも当てはまっていた。EU海軍からの横槍で、作戦指揮にイギリス海軍が割り込んできたのだ。ジョンブルを良しとしない帝国海軍の提督達はこれに苛立ちを覚えるのに、時間は掛からなかった。
しかし一方で、“もっとも弱い輪”に当てはまるであろうオランダ海軍を率いるのは、かのカレル・ドールマン少将であった。航空機ライセンスを持ち、オランダ海軍における航空部隊創設を夢見ていたという、先見の明を持つ人物だ。彼が率いる蘭印艦隊は新鋭軽巡洋艦『デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン』を旗艦とし、2隻の軽巡と7隻の駆逐艦をその隷下に加えていた。
そんな“弱くもあり強くもある輪”を持つ日英豪蘭4国艦隊は、日本海はウラジオストク近海に到達、ソ連太平洋艦隊の出撃に合わせて偵察機を投入する。EU海軍の日英機動艦隊を指揮するのは――建前上だが――塚原二四三中将である。
第一航空艦隊司令長官塚原二四三中将は『闘将』であった。彼の隷下には同じく見敵必戦・即断即決の山口多聞少将や角田覚冶少将といった闘将が居並んでおり、第一航空艦隊は実質、勇者の多い艦隊であった。一方で智将小沢冶三郎中将のような智者は少なかった。というよりも、闘将達にとって実戦の何たるかを理解せず、理論のみで戦を進めようとする頭でっかちの無能参謀は不要な存在であり、排除すべき存在だったのだ。 しかし時に、この『闘将』と『智将』のバランスは重要なものとなる。史実の太平洋戦争におけるウィリアム・F・ハルゼーとレイモンド・A・スプルーアンスの例がそれだろう。1つの艦隊をそれぞれローテーションで指揮し、『第3艦隊』と『第5艦隊』という2つの艦隊を演出したこの闘将と智将は、智将チェスター・W・ニミッツを指揮官として、数々の輝かしい戦果を挙げている。もっとも、そのさらに上を行く合衆国艦隊司令長官のアーネスト・J・キングは、闘将――悪く言えば荒くれ者――だった訳だから、戦争を指揮する者にとって、必要となるのはやはり“攻撃性”と“知性”なのだろう。無論、帝国海軍でも山本五十六は航空機を尖兵として、ハワイに対する航空攻撃を仕掛け、ミッドウェーという決戦場を演出しようとしている。
そのミッドウェー海戦で敗北した理由の1つには、『闘将』と『智将』を使い分けられなかったツケがあったのだろう。ニミッツは、このミッドウェー海戦を当初から負け戦として判断しており、空母温存のためにも慎重派のスプルーアンスを指揮官として擁立し、その隷下に闘将で敗将のフランク・J・フレッチャーを置いた。一方、山本――というより帝国海軍の人事――は、凡将たる南雲忠一中将を指揮官として擁立し、その隷下に闘将山口多聞を置いた。これが天王山の戦いにおける勝敗の分かれ目だったのかもしれない。自ら決戦場を演出し、攻勢に回った筈の帝国海軍が慎重――もっと言えば臆病――で積極性を欠いた戦闘を展開した結果が空母4隻の喪失であり、数少ない“聡明”な『闘将』の喪失であった。
山口少将は見敵必戦を第一とする闘将だった一方で、対米海軍への決戦の必要性――対米早期講和と帝国海軍の士気低下が要因――を訴えたり、ミッドウェー海戦前には戦艦や巡洋艦を用いた『輪形陣』を提案するという『智将』的一面を持つ人物でもあった。友軍の空母3隻と自身の旗艦を失いつつも、米海軍の空母1隻に一糸報いた山口だったが、結局彼は運命を共にする。それは、帝国海軍人たるスタイルを貫き、自らの信念を貫いたが故の決断であった。“もし”彼がミッドウェー海戦における全権を掌握し、輪形陣といった革新的な戦法を採用していたならば、相手を上回る戦力で挑んだミッドウェー海戦であれほどまでの醜態を晒すことはなかっただろう。
戦争においては上が『闘将』と『智将』の両面、或いは側面を持たなければ結果が伴ってこない。その点で言えば、この『第二次日本海海戦』における帝国海軍には1つの問題が生じていた。それは、連合艦隊司令長官吉田善吾大将である。彼は『闘将』にも『智将』にも当てはまらない、言わば『凡将』であった。そんな彼を支えるのが『智将』伊藤整一連合艦隊参謀長だが、刻一刻と変化を見せる戦場において第三者に全てを頼るのは、好くは無かった。上がそれでは下も付いてこないし、命令伝達にも間が開いてしまう。吉田自身、その事について考えることが多く、『オホーツク海海戦』後は鬱状態にあった。『大和会』としても新たな司令長官の必要性は感じられたが、一人の人間の人生をまるで“ゴミ”のように扱うことはあまり好しとしていなかったため、先延ばしにされていた。ある所では藤伊一中将を大将に昇格させて……だの、山本をまた司令長官に戻す……だの、堀悌吉中将を予備役から……だの、と色々な案が出されてはいるが、当の伊藤と山本、そして堀の3人がそれを拒んでいるため、進展はしなかった。
「我々は攻手に転じておる。今は、積極性が第一である!」
空母『飛龍』飛行甲板。鼻を啜る音がする。大馬力のエンジンの唸り声がする。日本海の苛烈な荒波が、艦体を打ち付ける音がする。そして、山口多聞中将の力強い声がする。戦時中将の階級を持ってヨーロッパの荒海に挑んできた男にすれば、日本海も恐るるに足らず――だった。騒音と猛風入り乱れる『飛龍』飛行甲板に仁王立ちし、鬼神の如き表情を浮かべる彼は、訓示を行うという海軍提督というよりも、地獄の門前で亡者を選定する閻魔のようであった。『鬼の多聞』とは、よく言ったものである。
「見敵必戦。これが英国海軍の精神である。黄金期のロイヤル・ネイヴィーにとって、『休息』の言葉は辞書にはなかったのだ。分かったか、諸君! その英国海軍の流れを汲み、いまやそれを凌駕せんとする我が大日本帝国海軍にとっても、その言葉は当てはまる。分かったな、諸君!」
「はッ!!」
山口の問いかけに、横一列に並ぶ『天山』艦攻隊の隊員達は甲高い声で答えた。
「……栄えある時代である。帝国の黄金時代である。諸君は、この時を十分に楽しむ権利を持っている。誇りに思うことだ」山口は言った。「分かったら、一生懸命死んでこい!!」
彼がそれを言い終わる前に、三式艦上攻撃機『天山』の隊員達は駆け出した。見敵必戦、そのためには相手の先を行かなければならない。そして1943年6月から実戦配備された世界最高峰の艦攻『天山』パイロットならば、それを十分にやってのけるだけの絶対的自信もあった。空母『飛龍』艦攻隊の指揮官は、『雷撃の神様』こと村田重冶少佐だ。この村田少佐率いる艦攻『天山』12機・艦攻『流星』6機を始め、艦爆『彗星』18機、零戦18機の計54機が出撃、『第二次日本海海戦』に臨むこととなった。そして、そんな空母『飛龍』艦戦隊の中には、伊藤叡少尉の姿もあった。名前からも想像に難くないが、彼は伊藤整一の息子だ。
山口が見守る中、伊藤少尉を含めた艦戦・艦爆・艦攻機は全機、無事に発艦を終え、日本海上空に飛び出した。9月6日のオホーツク海とは打って変わって、見渡す限りの蒼空がそこには広がっていた。海面は燦々と照り付ける太陽の光を受けて輝いている。まさに晴れ舞台。世紀の大海戦を繰り広げるには、美しすぎる海であった。
1943年9月24日0835時。日本海。
計16隻の空母を擁するEU機動艦隊は、ウラジオストク沖合に出現した敵艦隊の存在をレーダーと偵察機による索敵網で捕捉した。第1次攻撃隊として空母『鳳凰』『加賀』『飛龍』『翔鶴』『雲龍』という5隻の正規空母から計274機の戦爆連合(零戦70機、紫電20機、天山36機、流星55機、彗星56機、九九式艦爆37機)を。及び『飛鷹』『瑞鳳』『龍驤』という3隻の特設空母から計66機の戦爆連合(零戦33機、天山12機、流星21機)を。そして英海軍空母の『イラストリアス』『フォーミダブル』『ハーミーズ』3隻からは、計68機の戦爆連合(艦戦『シーファイア』12機、艦戦『シーハリケーン』18機、艦戦『フルマー』8機、艦雷『アルバコア』12機、艦雷『ソードフィッシュ』18機)を出撃させた。この英海軍を含めれば、第1次攻撃隊の参加機数は408機にも上る。
一方、ソ連太平洋艦隊は空母5隻(正規空母2隻、軽空母3隻)を主力とした機動戦力を中核に、残存の駆逐艦と巡洋艦を輪形陣に展開、迎撃態勢を整えていた。EU海軍機動艦隊側は低空飛行やチャフといった下手な小細工を使わなかったので、ソ連太平洋艦隊司令部は敵機の位置、編隊隊形、機体数といった明確な情報を取得するとともに、空を埋め尽くさん程の数の敵を前に戦々恐々としていた。航空戦艦『オクチャブルスカヤ・レヴォリューツィヤ』を筆頭に、『アストラハン』『ノヴォシビルスク』『チャパエフ』『チカロフ』『イルクーツク』という5隻の重軽航空巡洋艦は、計170機の迎撃部隊(艦戦『Yak-9』22機、艦戦『Yak-1』62機、艦戦『I-16』36機、艦戦『F4F』40機、艦戦『F2A』24機)を緊急出撃させた。この迎撃部隊は、ルーズベルト大統領による対ソ支援によって貸与された米海軍製のF4F『ワイルドキャット』とF2A『バッファロー』艦上戦闘機が配備されていた。米ソ各種メーカーの新旧機体が入り乱れており、いわば“戦闘機のデパート”とでもいうべき部隊だった。一方の艦爆・艦攻機についても、ソ連が誇る対地攻撃機『Il-2』や旧主力機の『Su-2』、そして米海軍のTBD『デバステーター』雷撃機やSB2U『ヴィンディケーター』艦上爆撃機が配備され、混成攻撃部隊となっていた。
これらの戦力概要からも分かるように、機体性能・戦力差・練度とあらゆる面でソ連海軍側は不利だった。虎の子の大型正規空母『アストラハン』級は70機以上の艦載機の搭載量を誇るが、一方で帝国海軍はそれを凌駕する11隻の正規空母を有する上、さらにバックアップとして英海軍の正規空母2隻が加わっている。そもそも話にもならない訳だ。
「これで負けろという方が無理な話だよ」
戦艦『大和』艦橋。連合艦隊司令長官の吉田善吾大将は笑みを漏らして言った。「16隻の空母、相手はその半分にも満たん数だ。奴らがこの海戦に勝つとあらば、それは唯、我々が何もしないことに違いない。機関を停止して、海に浮かぶ『下駄』とでもなれば、奴らにも勝機を見えるだろうよ」
伊藤整一連合艦隊参謀長は頷いた。「しかし、お忘れなきを。敵にはとっておきの“空母”がありますから」伊藤は言った。「『不沈空母』です。つまりは陸上ですな。確かに相手の空母は少ないですが、ウラジオストクやハバロフスクには、黎明爆撃から逃れた陸上戦爆がまだまだ隠れておりますから、油断と慢心は禁物です」
一方、ソ連太平洋艦隊司令部がある旗艦『オクチャブルスカヤ・レヴォリューツィヤ』でも、それに絡んだ話が話題に上がっていた。
「危険なのは承知だ。だが、機動部隊を率いるツカハラ提督はどちらかと言えば“闘将”と聞いている。彼の血気盛んな性格を利用すれば、B-25やSB-2といった爆撃機の攻撃可能圏内に誘き寄せることが出来るのだ」ソ連太平洋艦隊司令長官のイワン・S・ユマシェフ大将はそう言い、高らかに拳を振り上げた。「私はやるぞ、同志マレンコフ。歴史に名を残す。無論――“勝者”として」
しかし塚原二四三中将は闘将であったが猪武者ではなかった。特に、『大和会』から史実における自身の顛末――中国軍による奇襲爆撃――を聞いてからは、冷静な判断を重んじる傾向にあった。無論、陸上爆撃機を用いたソ連海軍側の思惑も、塚原にはお見通しであった。
だが、時に軍人というのは協調性を必要とされる。帝国海軍の長い航続距離による『アウトレンジ戦法』により陸上爆撃機の介入を許さず、迅速に始末してしまおうと考えていた塚原であったが、英海軍側への配慮からその案は却下された。英海軍機の航続距離が乏しく、尚且つ戦艦・空母入り乱れての豪勢な海戦を望んでいたからだ。艦載機が空になった裸の空母や、蚊帳の外にされた戦艦の写真など日英の軍部は欲しくなかったのである。華麗なる空戦、奮闘する戦艦、そして猛進する空母の姿を海戦の次の日に発行されるであろう新聞の一面――『第二次日本海海戦大勝利』――に飾りたかったのだ。
かくして、小手先なしの力押しによる戦法を取った帝国海軍と、機動艦隊を囮に利用し、陸上航空機の飛行可能圏内に誘引するという手の込んだ戦法を取ったソ連海軍、両者の戦いはおびただしい血の応酬を見ることは明らかであった。
1943年9月24日0900時。日本海。
計408機に及ぶ日英海軍第1次攻撃隊は、5隻の空母と1隻の航空戦艦からなるソ連機動艦隊を目視圏内に収めた。空母を中心に形作られた6個の輪形陣は、濁紺の日本海に漂っていた。対空砲火が上がり始めたのは、それから間も無くしてのことだ。対空砲弾とともに上がってきた170機の迎撃戦闘機部隊が確認され、前衛の護衛戦闘機隊は前へと躍り出た。機体数は142機。
数では劣るEU海軍だが、質では負けなかった。一時期は太平洋を支配した『零戦』、F6Fにも匹敵する性能を誇る新鋭戦闘機『紫電』、イギリスの傑作戦闘機『スーパーマリン・スピットファイア』の海軍版機である『シーファイア』と、選りすぐりの精鋭パイロット達が集まっているのだ。また、帝国海軍の零戦や紫電は、三式55mm噴進弾や20mm機関砲といった強力火器や高い防弾性を有していた。一方、ソ連海軍の新鋭戦闘機である『Yak-9』は確かに優れた性能を持ってはいたがその配備数は少なく、『Yak-1』やF4F『ワイルドキャット』といった主力戦闘機は、その性能面だけなら零戦に匹敵はするが、パイロットの技量までもが同格という訳ではなかった。いくら優れた機体であれ、練度の低いパイロットが駆れば十分な実力も出せないのだ。
それでもソ連海軍パイロット達は戦うしかなかった。一度空は閃光と衝撃に包まれ、戦場独自の空気が流れ始めた。機銃弾の雨が降り注ぎ、三式55mm噴進弾という名の稲妻が迸る。銃撃を受けた戦闘機が噴き出す黒煙と、炎上し墜落していく戦闘機が放出する熱気とで、その空域は赤黒く染まっていた。対空砲が上げる咆哮と、空中で信管が作動した砲弾の炸裂音が絶え間なく響いていた。
そんな空戦の光景を目の当たりとして、これほどまでの激戦は初めてだ、と伊藤叡少尉は思った。
彼は言わずと知れた伊藤整一の息子であり、空母『飛龍』の戦闘機隊の分隊長だ。『鬼多聞』『人殺し多聞』こと山口多聞少将を将に仰ぎ、3機の零戦を率いていた。空母『飛龍』の飛行隊内では、かの連合艦隊司令部参謀長を務める伊藤整一中将の息子として、一目置かれる存在だったが、山口中将だけは一士官として扱うことを止めなかった。父の名声ではなく、自身の実力によって相応に扱ってほしかった叡としては、それは有り難いことであった。
『分隊長、背後を回られましたぁッ!!』
無線電話越しにそう報告してきたのは、分隊員の荒井飛曹だった。叡が風防越しに周囲の空を見回してみると、F4F『ワイルドキャット』の瑠璃色の機体と零戦五二型の明灰白色の機体が螺旋を描き、宙を舞っていた。敵機は3、荒井一人には荷が重過ぎる相手であった。
「待ってろ、蹴散らしてやる」
そう言い、叡はスロットルレバーを機首に向かって押し込んだ。零戦はグングンと速度を上げ、やがてF4Fの背後に付く。
「よーし、覚悟しろッ!!」
叡はF4Fを睨み付けながら呟くと、スロットルレバーに付いた発射柄を力強く引いた。刹那、ダダダダダッ、と零戦の翼内20mm機関砲2門が吼え立てた。重厚な射撃音とともに曳光弾がF4Fの瑠璃色の機体に吸い込まれていく。たちまちF4Fの機体は、黄金色の閃光を浴びて眩いばかりの炎に包まれ、錐揉みしながら墜ちていった。
「よしッ! 1機目」
続いて13.2mm機銃が頼もしく吼え、F4Fの胴体部を貫いた。しかし流石は『グラマン鉄鋼所製』の渾名を持つ機体、そう易々と撃墜できる代物ではなかった。その間にも、3機目のF4Fが急旋回し、こちらに向かってきていた。
『分隊長、お任せを!』
荒井の零戦はひらりと急旋回をし、叡と対峙するF4Fの間に割り込んだ。F4Fは標的を荒井へと変え、両者は睨み合ったまま旋回を始めた。
「じゃあ、俺は……」
叡は3機目のF4Fに狙いを定めた。相手も同様だ。両者は相対し、すれ違い、機体を反転させた。巴戦の始まりだ。大空に優雅な螺旋を描きながら対峙する零戦とF4Fだったが、零戦の運動性能の前では鈍重なF4Fなど相手になる筈もなかった。
刹那、零戦は華麗に空を舞った。叡は左斜め宙返りを繰り出し、その頂点となる部分で左フットバーを踏み込んでいた足を緩め、その次の瞬間、右フットバーを軽く蹴り込んだ。背面飛行する機体は、左に横滑りになりながら空を疾駆していた。そして操縦桿を右に倒すと、翼は垂直に立った。そして気付けば叡は、F4Fを眼前に捉えていた。これこそが零戦独自の空戦技術、『左捻り込み』である。繊細な操縦技術と相応の力量が試される技術で、手先の器用な日本人ならではの技であった。
「射ーッ!!」
轟音が零戦の機体を貫き、20mm弾がF4Fに叩き込まれる。鋼鉄の雨を喰らったF4Fは黒煙を吐き出し、轟然と炎を噴き上げながら堕ちていった。
「2機目だ!」
叡は快哉を上げ、堕ちゆく戦果を眺め見た。アメリカ製の戦闘機を撃ち落としたとなれば、飛龍の強者共にも格好がつくというものだ。彼はそんなことを考えながら再度、燃え盛るF4Fの機影を眺めた。
『ワレ、敵艦隊ヲ発見セリ。空母1隻認ム、サレド左旋回ヲ続ケタリ』
そう打電したのは、村田少佐率いる空母『飛龍』艦攻隊であった。ソ連海軍の軽空母『イルクーツク』が敵艦隊の前方に展開し、ただひたすら左に舵を取り続け、海面に大きな丸い航跡を描いていたのだ。その報を聞いた山口中将は、顔を顰めながら腕を組み、悩み込んだ。
「どういうことだ? 露助の水兵は酒飲みの穀潰しと聞いておったが、まさかこんな大海戦を前に空母の舵を故障させるような輩なのか?」
その報は戦艦『大和』の連合艦隊司令部にも届いていた。
「おそらく、ソ連側のミスでしょう。これは契機、動けん空母を豪快に料理してやりましょうぞ」
そう意見を述べたのは、黒島亀人先任参謀だった。変人奇人で知られる男で、山本五十六のお気に入りでもあった。が、相手の過小評価や自身の評価過大で作戦を危険に晒す人物でもあった。
「曳航する、という手もあるが……」吉田は呟いた。「そんな余裕は無い。やはり沈めよう」
連合艦隊司令部でそんな意思決定がなされている頃、既に第1次攻撃隊の艦攻・艦爆はこの軽航空巡洋艦『イルクーツク』と、その隣で対空砲火を上げ続けていた重巡洋艦『クラースヌィイ・カフカース』を撃沈せんと殺到していた。その間、後方の機動艦隊が迎撃戦闘機部隊を残して反転している事実は、この時点では蚊帳の外に置かれていた。
手負いの獅子、重巡洋艦『クラースヌィイ・カフカース』に攻撃を仕掛けたのは、英海軍空母『イラストリアス』雷撃隊の『フェアリーソードフィッシュ』艦上雷撃機だった。複葉機で鈍足だったが、使い勝手が良く評判の高い機体だ。ソードフィッシュが放った730kg航空魚雷は、クラースヌィイ・カフカースの左舷に直撃、先の『オホーツク海海戦』の傷口が開いたのか、船体は真っ二つに折れ、轟音を立てながら轟沈した。
重巡洋艦が誇る苛烈な対空砲火が止んだと同時に、日英艦攻・艦爆隊は排水量13,000t弱の軽航空巡洋艦めがけて殺到した。その中には、村田少佐率いる『飛龍』艦攻隊も含まれていた。艦はとにかく左旋回を続けているのみだから、楽といえば楽であった。未来位置を予測し、航空魚雷が放出される。
しかしイルクーツクは、突然舵を右に切り、雷撃と水平な航路を取った。
「くそッ! 奴ら騙しやがったな。アイツ動けるじゃねえか!」
村田は憤慨した。舵故障を装っていたイルクーツクは縦横無尽に海を駆け始めたが、13,000tの巨体が魚雷を何十本と避け続けるのには限界がある。案の上、空母『雲龍』の艦攻隊が放った航空魚雷の数本が立て続けに食らい、ものの数十分で海の藻屑と化した。
「奴ら、何がしたかったんだ?」
首を傾げる村田だったが、反転して急後退する敵機動艦隊を見て、ようやく理解できた。あの軽空母とその輪形陣は機動艦隊後退のための時間稼ぎ。そして艦攻・艦爆の戦力を分散させ、弾薬を消費させ、攻撃の手を緩めるためのサンドバック。即ち――“囮”だったのだ。
ソ連太平洋艦隊司令部。ユマシェフ大将は不敵な笑みを口許に浮かべていた。
「私はね、同志マレンコフ。外道と言われようが良いんだよ。戦争ってのは、人を相手がいて自分がいる。人を殺して殺されての事象だ。人道だの外道だの、非道だのと言うが、結局は死ぬんだ。死に方にケチを言われる筋合いは無いってものさ」
ユマシェフはさらに続けた。「そのまま戦って空母6隻を失うか。それとも空母1隻を犠牲にするかわりに空母5隻に希望を与えるかという選択を与えられたら、おのずと後者を選ぶだろう。数から見たら、そちらの方が“人道的”じゃないか。でも、その死に方は“人道的”じゃないんだろうがね」
「まさかな……空母1隻を“囮”に使うとは……」
戦艦『大和』艦橋。吉田は呆気に取られた様子で呟いた。ソ連太平洋艦隊司令部が犠牲にしたのはそれだけではなかった。発艦した護衛戦闘機部隊についても、航続距離の足りない機体は例外なく見捨てられる運命にあったのだ。しかしそれにしてもソ連太平洋艦隊司令部にしてみれば、170機の戦闘機とパイロットの喪失は“許容範囲”であったのだ。工業・人的資源大国ソ連だからこその判断だった。
そしてその軽空母1隻と戦闘機170機分の見返りは、陸上爆撃機の到着であった。
『長官、電探に感あり! 大編隊がこちらに向かっていますッ!!』
その電探員の報告を前に、吉田は青ざめた。敵の大編隊。そんなものは護衛戦闘機隊の存在もあって想定外だ。まさかこちらに向かってくるのか?
「空母に残存する戦闘機を邀撃に出せ。今こそソ連の航空兵力に印籠を渡してやる!」
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