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時空戦艦『大和』  作者: キプロス
第7章 戦時の大和~1943年
76/182

第74話 オーロラ作戦(後)

 第74話『オーロラ作戦(後)』

 

 

 1943年6月24日

 ソビエト社会主義共和国連邦/レニングラード州

 

 その日は朝から、EU(ヨーロッパ同盟)空軍の偵察機による断続的な市街地偵察が続いている。6月上旬にフィンランド第2の都市ヴィープリを奪還され、国境外のレニングラードにまで追い出されていたソ連軍カレリア方面軍総司令部の将校達は、一種の『威圧偵察』とする見解で一致していた。はたしてこれが単なる敵中枢部への偵察なのか、それとももっと大きな目論みの下に行われた重要な下準備なのか、兵士1人1人を塵屑程度にしか認識していなかった彼らにとっては、検討もつかない事なのだろう。

 その判断が誤りであることはすぐに証明される。母なる太陽が真南の空で燦々と輝き始めてから1時間、レニングラードは南西100キロの上空にいくつかの機影が現れたのだ。観測所のソ連兵達は監視そっちのけで暖を取ったり、酒飲みに没頭していた。そんな彼らが前線後方で謳歌していた“平和”と酒の酔いに醒めたのは、その機影が空を埋め尽くさんばかりにその数を増やしていた頃である。報告は電気的にレニングラード市内、レニングラード軍管区、そしてモスクワのソ連軍最高司令部(スタフカ)まで駆け巡った。レニングラード軍管区内に存在する全航空機――それこそ空軍の練習機から自家用の農薬散布機までがスクランブル発進し、500機近い航空機が迎撃に向かう手筈を整えさせた。

 僅か数十分の間にここまで出来たのは、確かに上出来だった。しかし、EU空軍はこの状況を既に想定済みだった。1300時、重爆撃機の大編隊がソ連第2の都市レニングラードに驀進する間、Ju87『シュトゥーカ』を始めとする急降下爆撃機、高速爆撃機、戦闘機合わせて1000機近くがレニングラード軍管区内の各飛行場に奇襲攻撃を仕掛けていた。これにより、ソ連空軍・海軍の航空機実に6割が空に上がる前で撃破され、残り4割にしてもEU空軍の各国戦闘機の前に呆気なく撃墜された。

 こうして、重爆撃機編隊はレニングラード軍管区内の防空網を難なく通過し、レニングラードの西30キロの地点にある町、ペテルゴフ直上に出た。爆撃軍団の指揮官、アーサー・ハリス英空軍中将は、そこから一望できるロシア皇帝の避暑地、『夏の宮殿』ことペテルゴフ宮殿の荘厳な光景に目を瞠ることとなった。100以上の噴水と鮮やかな緑を誇り、ロシアの冷涼な夏を思わせる大庭園。隣接する荘厳な大聖堂。そして白を基調とする格調高い大宮殿からなるそのペテルゴフ宮殿は紛うことなきピョードル1世の所有物であったが、現在ではソ連の最高指導者、ヨシフ・スターリンのもの――表向きは人民のもの――となっている。もしピョードル1世が存命していて、スターリンのその邪悪で薄汚れた手で自身の離宮を触られたかと思うと虫唾が走ることだろう。

 EU空軍の進攻を遮る敵機はペテルゴフ上空にはない。天気は快晴。恰好の爆撃日和だったが、流石のハリス中将もこの荘厳な施設群を爆弾や焼夷弾によって完膚無きにまで破壊する程、無粋な心の持ち主ではなかった。元々、EU空軍上層部からもソ連の歴史重要文化財を破壊することは制限されていた。もし、それを破ってエカテリーナ宮殿や冬宮殿を爆撃しようものなら、一瞬にして彼のキャリアは崩れ去るだろう。それはそれで大勢のソビエト国民を救うことになるのでいいかもしれないが、彼には“人命尊重”よりも“得点稼ぎ”の方が大事だったのだ。統計上において、如何に多くの施設、車輛、農地、そして人命を奪い取るかが、彼にとってはもっとも優先すべき事項であり、一個人としての感情など持ち合わせていなかった。

 


 1943年6月24日1330時。レニングラード郊外西30キロの町、ペテルゴフ。ロシア皇帝ピョードル1世によって開拓され、現在では建築用石材や時計を製造する国営工場が数多く存在する。そしてその中には“軍需工場”――も少なからず存在しており、EU空軍はレニングラード市街地の前にあるこの町で、身体を暖める準備体操的に練習爆撃を敢行しようと画策していた。『夏の宮殿』を見逃した重爆撃機編隊は転進、町郊外に位置する工場施設群に向けて驀進する。

 工場施設群にはソ連赤軍の正規兵、民兵、そしてレニングラード大学の男女学生達が集められ、高射砲や対空機銃を宛がわれていた。ここペテルゴフにはレニングラード大学のキャンパスの1つがあり、人員不足に悩んだ軍部は急遽、学生達を招集したのである。無論、武器など扱ったことのない学生達は専ら弾薬運搬などの後方任務に回されていたが、中には高射砲を扱う者もいた。

 「敵襲ッ!! 撃て撃て撃てぇぇぇぇぇぇぇッ!!!!」

 稲妻のような轟音と閃光が迸り、76.2mmM1938高射砲や85mmM1939高射砲が無数の砲弾を空に打ち上げた。曳光弾や通常砲弾が信管に従い、あちこちで炸裂している。空はどす黒く染まり、地平線の向こう側から姿を見せていた重爆撃機編隊は見えなくなった。

 傍目から見れば、ソ連軍の勇戦に見えるだろうが、それはとんだ見当違いだった。対空砲火などもろともせず、既にEU空軍の重爆撃機編隊は目前まで迫っていたのだ。重爆撃機のプロペラの唸るような回転音が、頭上から響いていた。と同時に、無数の爆弾・焼夷弾がばらばらと直上の空から落ちてくる。凄まじい爆音と衝撃が大地を揺るがし、重爆撃機の力強いエンジン音が空を震動させる。

 それはまさに震天動地、阿鼻叫喚の光景だった。工場の建物は崩れ落ち、方々で火の手が上がっている中、防空部隊司令官のユーリ・カリンニコフ少佐は防空部隊の後退を命じようとしたが、思わぬ人物に邪魔をされた。

 「貴様……何故だ……」

 「ユーリ・カリンニコフ少佐。軍は退却を命じてはいないぞ。引き返せ」

 そう淡々と語るボリス・I・サハロフ中佐を異形の念を持って見つめていた。サハロフ中佐はソ連軍内でも独立した権限を有する督戦隊『スメルシ』に所属する佐官だった。

 スメルシは史実、独ソ戦真っ只中の1943年4月19日に設けられた“スターリン直属”の防諜部隊の通称――名の由来は『スパイに死を』を意味するキリル字の頭文字――である。主な任務は敵対勢力に対する防諜だが、同時に軍内部の不穏分子の粛清・統制にも関わっていた。脱走兵、ドイツ側に寝返った赤軍兵士、前線における敗北主義者の摘発である。摘発者の多くはその場で銃殺刑、若しくは逮捕してソ連の強制収容所(グラーグ)へと送り込まれた。たとえそこに送り込まれただけで済んだとしても、過酷な重労働のはてに餓死・凍死・過労死することが常だった。その死者数は、ナチス・ドイツが実行したホロ・コーストよりも多いと言われている。

 スメルシの実情を知る上で有名な一説といえば、ヒトラーの死亡確認やスウェーデン外交官ラウル・ワレンバーグの逮捕などだろう。大戦中、ワレンバーグはハンガリーの首都ブダペストにおいて、ユダヤ人とその住居を中立国スウェーデンの保護下に置くことを明記した“保護証書”を発行し、10万人にも及ぶユダヤ人の命を救ったのは、よく知られた話である。数だけでいえばあの杉原千畝を超えるユダヤ人を助け出したことになる。

 何故、杉原のように同盟国の外交官としての特権も持たず、中立国スウェーデンの外交官であったラウル・ワレンバーグが10万人ものユダヤ人を救い出せたかというのには、様々な要因が存在する。

 まず、ワレンバーグの考案した“保護証書”は何の法的効力を持たないものではあったが、杓子定規な書類仕事を好むナチス・ドイツの性癖にはよく噛み合ったことがある。つまり、これを作成し、配布することで、所持者はスウェーデンの保護下にあることになり、ナチスの手から救い出せたのである。

 次に、ワレンバーグの血筋が関係する。ワレンバーグ家はスウェーデンの金融界と産業界において多大な影響力を誇る富豪の一族であり、それはドイツが戦争を遂行する上においても重要なビジネス・パートナーであることを意味していた。即ち、スウェーデンはドイツが持たざる“鉄鉱石”を数多く保有しており、それを実質上支配しているワレンバーグ家と事構えることは、軍需資源の安定供給に支障をきたしかねない――ということだった。ワレンバーグ家とドイツはそこで友好的な密約を締結し、ユダヤ人の命とスウェーデンの鋼を交換したのだというが、それは定かでは無い。ラウル・ワレンバーグはワレンバーグ一族の中でも邪魔者扱いされた存在であり、事実、彼がスメルシによって逮捕された時にも、莫大な財産と権力を有するワレンバーグ家は彼をソ連のグラーグから救い出そうとはしなかった。大戦中、ワレンバーグ家はソ連にも鋼を供給しており、スウェーデン政府にも数多くのコネを有していた。その気になれば救えた筈なのだが、一族の異端児であったラウル・ワレンバーグは救い出すに値しない存在だったのだ。

 こうしてユダヤ人を助ける最中で訪れた1945年1月、ラウル・ワレンバーグはソ連軍防諜部隊スメルシの手によって逮捕され、強制収容所送りとなった。罪状は『アメリカのスパイ容疑』だったという。実際、ワレンバーグはアメリカの諜報機関『OSS』との繋がりを持っており、あながち嘘ではなかったが、ソ連の秘密を握っているような人物でもなかった。しかしスメルシはあくまでも彼をアメリカのスパイとし、一切の弁解も許しはしなかった。1986年に始まったロシアの情報公開政策『グラスノスチ』によると、ラウル・ワレンバーグの死去は1947年7月、収容所内での病死だというが定かでは無い。その後の目撃情報があるからだ。そのため、彼の捜索は現在でも続けられている。


 「サハロフ中佐。そんな事を言ってる場合か!」

 防空部隊司令官のカリンニコフ少佐は喚いた。殺戮の業火はすぐそこまで迫っている。このままここにいても犬死するのが常だろう。こんな男に構っている場合ではない。

 「統制を欠いた軍隊など、ただの無法者集団に過ぎん」サハロフは言った。「いまや君達はそうなりつつある。祖国ソビエトと同志スターリンへの忠節を尽くすためにも、ここに残って最後の一兵になるまで戦い続けるのだ」

 最後の一兵だと? 爆撃に巻き込まれたら、人の単位なんて何の関係もなくなるじゃないか。皆一緒に吹き飛ばされて終わりだろうが。カリンニコフは胸の内にそう吐き捨て、再度サハロフの顔を睨み付けた。

 「ならそれでもいい。ここで黒焦げになって死ぬぐらいなら、グラーグの中でもがいて生き残る方がマシだ」カリンニコフは言った。「サハロフ中佐。アンタはここで最後の一兵になるまでスメルシの坊や達を指揮してるがいいさ。俺達は行くからな」

 カリンニコフはサハロフの軍靴に唾を吐き捨てると、部下を引き連れて後退を始めた。



 工場施設群の防空部隊が後退し、陣形を立て直している中、重爆撃機編隊の先端は既にレニングラード市街地へと侵入を試みていた。レニングラード市内の防空網は郊外以上に強固なもので、簡単には食い破れない。だからこそ、先のドイツ空軍による戦略爆撃でもドイツ空軍側は豊富な戦果に等しく多大な損失を免れなかった。だが今回は戦闘機も少なく、何より爆撃機の数が多い。物量と質において圧倒的優勢にいるEU空軍の戦略爆撃隊が今作戦で大敗する可能性は限り無く低いだろう。

 また重爆撃機に先行して出撃した急降下爆撃機と高速爆撃機、フィンランド湾に展開するEU海軍機動艦隊から発艦した艦載航空機の活躍により、レニングラード市内の主要飛行場の全ては沈黙、航空機という航空機が地上で撃破されており、彼らを阻む障害は殆ど皆無に近かった。

 

 「なんてこと……」

 レニングラード中心部から南西に17キロの地点、ソ連の国営航空工場の敷地内で、ソ連空軍のオリガ・H・ヤムシチコワ大尉は青ざめた表情で西の空を見張っていた。昼下がりのうららかな碧空の中でオリガとその周囲に立ち尽くす工場員達は、橙色に薄く染まる西の空を見た。まるで夕焼けのような光景だったが、それがEU空軍重爆撃機軍団による無差別爆撃であることは誰でも理解できる。葉巻のようなずんぐりとした胴体と、4発のプロペラを搭載した重厚な翼を持つEU空軍の至宝――『アブロ・ランカスター』4発爆撃機がおびただしい量でレニングラード近郊の町、ペテルゴフの空を埋め尽くしていたのだ。その大編隊の中を、Ju87『シュトゥーカ』を始めとする急降下爆撃機がランカスターとランカスターの間を縫うようにして走り回り、対地攻撃を仕掛けている。

 オリガは工場施設の外壁に沿って進み、やがて彼女が目を付けていた航空機格納庫に着いた。ここは、工場の製造ラインで完成した機体を運送するまで一次保管しておく場所だ。彼女はこの航空工場の運営指導者の1人であり、格納庫の鍵も持っていた。格納庫の重厚な扉をその鍵で開けると、彼女の目に最初に飛び込んできたのはソ連空軍最新鋭戦闘機――Yak-9だった。

 「この機体、使わせて貰うわよ」

 オリガは工場の運営指導者の1人、ヴィクトル・アントーノフ中尉に言った。

 「ダー(はい)。いえ、ニェット(いえ)、駄目です。そんな事、許されませんよ」

 アントーノフは当惑した。この非常時とはいえ、工場で出来立てほやほやという機体を使って迎撃に向かおうなどとは考えも寄らなかった。名案といえば名案だが、この国では柔軟性は不必要とされる要素であり、その計画自体にも複数の問題があったため、アントーノフはこの勝気な女性士官を何とか諭そうとした。

 「大尉。機体は揃ってても、燃料や弾薬はありません」アントーノフは言った。「それに離陸、着陸はどうするおつもりで? ここには航空機の製造設備があっても、滑走路はありませんよ」

 オリガは頷いた。「大丈夫よ。燃料や弾薬は近くの物資集積所や工場から調達すればいいし、離着陸には車道を利用すれば」

 最初の解決案にはアントーノフも納得したが、車道を戦闘機の離着陸用滑走路として利用するのには同意しかねた。この辺りは確かに航空機やその材料となる鋼鉄類を運搬するため、レニングラード市内においてもインフラ整備に力を入れている。しかし、はたして距離が足りるだろうか。道路は戦闘機の重量に耐えられるだろうか。そして、本当に機体が空を飛ぶことができるのだろうか。

 「本気なんですね、大尉」

 「もちろん本気よ」オリガは言った。「市内の飛行場も充てに出来ない今、私達が唯一、このレニングラードを守る最後の希望なのよ。ここで1機でも多くの戦闘機が飛び立てば、1機でも多くの敵機を倒せて、1人でも多くの人をすくうことができる」

 アントーノフは呆れた様子で首を振った。「分かりました大尉。何をすれば?」

 「まずは燃料・弾薬の調達ね」オリガは言った。「次に車道の整備。連携を取るためにも、管制施設も作っておくべきだわ。貴方は機体の整備・運用の責任者として、地上に残ってちょうだい」

 「了解しました」アントーノフは頷いた。


 1400時。航空工場前に位置するアスファルト舗装の車道の両端にはずらりとYak-9戦闘機が並んでおり、暖機運転中だった。クリーモフM-105PF液冷エンジンがけたたましい轟音を立て、機首に備え付けられたShVAK20mm機関砲が陽光を受けて輝きを放っている。そしてそのYak-9が立つ平らな黒い大地を複数の工場員達が走り回り、最終調整に明け暮れていた。

 Yak-9はA・S・ヤコヴレフ設計局が開発したソ連空軍の主力戦闘機で、EU空軍の高性能な戦闘機に不満を漏らす現場が待望していた『ヤク・シリーズ』の新型機だった。20mm機関砲及び12.7mm機関砲という強力な武装と新型エンジンによる高馬力化を実現し、中・低高度においてはMe109やFw190といったドイツ空軍の主力戦闘機にも劣らぬ性能を発揮している。また、製造が非常に安易であり、独ソ戦においては30000機以上が製造され、戦線に送られている。

 しかしYak-9の生産が始まったばかりというこの工場では、未完成機を含めても30機程度しか機体のストックが無かった。その中で実際に使えるのは20機にも満たない数で、しかもオリガのように飛行訓練を積んだ人間が非常に少なかったため、実際に飛行機を操縦したことのない人間も――車の運転などを経験したという理由だけで――乗せられていた。そういう人間には、オリガや他の空軍パイロット達が熱心に指導していたのだが、なにぶん時間が足りず、結局エンジンの掛け方やら操縦桿の操り方、そして離着陸の基礎的な知識だけを超短時間のうちに叩き込まれただけに終わってしまった。後は運と実力次第――という訳だ。

 『大尉。出撃準備完了です』

 Yak-9コクピットの無線機から、航空管制室指導者のアントーノフ中尉の声が響く。新品だというのに雑音混じりで、何を言っているのかオリガにはよく聞き取り辛かった。

 もしこれがソ連のプロパガンダ映画なら、そんなことにはならなかっただろう。滑走路に見立てた車道には威風堂々とYak-9が並び、その左端を工場員達が整然と一列に並んで埋める。オリガやYak-9のパイロット達はコクピットからその工場員達に向かって敬礼し、工場員達も敬礼する。若しくは「ウラーーー!!」と万歳するかもしれない。そしていかにもロシアらしい荘厳な音楽が流れ、ごくごく自然に離陸する。そしてEUの重爆撃機を次々と撃墜し、時には護衛戦闘機も撃墜し、ついでに意味の分からない曲芸飛行をする。フィニッシュは複数の爆撃機を撃墜して、堂々と工場まで帰還するか。それとも重爆撃機に特攻して、祖国ソビエトへの愛国心を表現するか――であろう。

 「了解。出撃する」

 Yak-9は一層大きな轟音を響き渡らせた。よく熱せられたクリーモフM-105PF液冷エンジンは甲高い咆哮を上げ、両翼下の車輪はギイギイと軋みながらゆっくりと動き始めた。やがて速度は急激に増し、尾翼が宙に浮く。無数の風切り音が周囲に鳴り響いたかと思うと、既に機体は宙に舞い上がっていた。

 「離陸成功。これより迎撃に向かう」

 彼女はそう言い残すと、全速力でEU空軍重爆撃機編隊へとYak-9を進める。その背後には、ぴったりと19機近いYak-9が付いてきていた。全機とも、離陸には成功したのである。

 


 EU空軍重爆撃機編隊に対するオリガYak-9飛行隊の最初の攻撃は、編隊左翼部を形作るフランス空軍アミオ143への攻撃から始まった。空の抵抗が皆無だったこともあり、アミオ143の搭乗員達は動揺を隠せずにいた。Yak-9とアミオ143は向かい合ったまま、互いに手を出さず沈黙を続けていたが、その沈黙を破ったのはYak-9のShVAK20mm機関砲の咆哮だった。

 20mm砲弾はアミオ143の前方進撃路から僅か5mの誤差範囲内で全て炸裂し、その黒い弾幕がレニングラード市内への爆撃位置に着きつつあったフランス空軍兵達の視界を遮った。数分のうちに5機のアミオ143が火を噴き、黒煙を曳いて錐揉みを始める。

 さらに両軍機が交錯すると同時にオリガは得意の空戦技術を駆使し、インメルマンターンを繰り出す。彼女のYak-9はピッチアップし、機首を上空に向けた。そのまま真上に180度ループして、反転。機腹が空を向く。その後、180度ロールすることでYak-9は爆撃機の直上に着くことができた。

 「いくわよッ!!」

 Yak-9は悲鳴にも似た金切り音を上げながら急降下し、一撃離脱戦法を以てしてアミオ143を攻撃した。ShVAK20mm機関砲が甲高く咆哮したかと思うと、10発近い砲弾がアミオ143の右翼を射撃、砲弾はいとも簡単に右翼を貫き、引き裂いた。アミオ143は末期の悲鳴を上げた後、黒煙を漏らしながら下へ下へと落ちていった。

 他のYak-9もそれに倣い、インメルマンターンや急旋回を繰り出した。そして咆哮、粉砕、撃墜という手順が簡潔に繰り返され、気付けばフランス空軍側は12機近いアミオ143を失っていた。これで少なくとも、10t近い爆弾がレニングラード市街地に落とされる心配は無くなった。

 しかし、残り6000t近い爆弾はまだ温存されている。それに本命であるドイツ・イギリス空軍の4発爆撃機に関しては、まだ1機も撃墜を成功させていなかった。オリガは飛行隊をイギリス空軍機本隊の所まで向かわせる為、転進を命じた。

 数分後、イギリス空軍の4発爆撃機『アブロ・ランカスター』の機影が眼前に飛び込んできた。その重厚な機体は堕ちる気配もなく、レニングラードの空をわが物面で驀進していた。その数、ざっと400機。それはイギリスが用意した爆撃隊の一部に過ぎなかったが、爆撃第一波を成功させるに重要となる戦力でもあった。ソ連から講和を引き出し、優位な立場で戦争を終結させるにはこの爆撃機を失う訳にはいかなかったのである。

 「中尉、ランカスターが見えた」

 『分かりました。落伍機は?』

 オリガは周囲を見回し、飛行隊の所属機を確かめた。「ゼロよ」

 『では攻撃を開始して下さい。できれば、右翼下方から』

 爆撃機にとって下方といえば、死角となる位置である。しかし、それは迎撃機がよほど優速でなければ実現しない戦法でもあった。両機の速力差が無く、水平飛行によって迎撃機が十分に追走できるのであれば、下方からの攻撃も成功し易い。しかし、爆撃機が速かったり迎撃機が遅かったりすると、下方からの攻撃は成功し難くなるのだ。

 アブロランカスターは4発重爆撃機であるが、4基のマーリン・エンジンは多大な馬力を生み出していた。その為、ある程度はスピードを出せてはいるのだが、依然として4発爆撃機の鈍足さを払拭できている訳ではなかったのだ。

 一方、Yak-9は最新鋭の戦闘機だが、オルガ達が操る初期型機は高高度での戦闘においては分が悪い。Yak-9がその真価を発揮したのは、クリーモフVK-107A液冷エンジンを搭載した後期型機なのだ。初期型機ではアブロランカスターとの差は五分五分というべき性能だったが、後期型機なら十分な脅威になり得たであろう。そして練度の低いパイロットが大半を占める今の現状を鑑みると、やはりYak-9側の方に分が悪いといえた。

 「射線に捉えた!」

 オリガは叫び、操縦桿の機銃スイッチを力一杯押し込むと、ShVAK20mm機関砲及び12.7mm機関砲が火を噴いた。オレンジ色の閃光が煌めき、唸りを上げて砲弾が飛び交い、驚くほど優雅な弧を描いて曳光が両軍の背後へと消えていった。

 「位置修正……射ッ!!」

 彼女は再び照準器の十字線をアブロランカスターに合わせたが、既に両者は通り過ぎていた。背後からは爆撃機機銃手の砲弾が抜け飛んできていて、油断が出来ない。その証拠に、この一連の戦闘で既に2機のYak-9が失われている。先のフランス空軍機との戦闘で弾薬が尽きかけており、勝負は次の追撃に掛かっていた。

 『大尉。後退して下さい。燃料はともかく、弾薬が……』

 突如、無線が途切れた。慌ててオリガが工場の方角へと目を向けると、無数の急降下爆撃機の対地攻撃によって、太い黒煙と火柱を上がっていた。これでは後退も出来ない。やはり――。

 「各機、連携を密にして攻撃! EUの豚共を撃ち落とせッ!!」

 Yak-9は酷使に耐え切れず悲鳴を上げる。最高スピードで追撃するオリガは、アブロランカスターの死角である右翼下方へと何とか潜り込んだ。

 「くそッ! 敵は下に居るぞ!!」

 オリガに狙われたアブロランカスターの機内では、イギリス空軍の兵士達が慌てふためいていた。空の要塞たるアブロランカスターといえど、柔らかな脇腹を突き刺されればひとたまりもないのだ。オリガは躊躇わず、Yak-9に残った全弾薬をその脇腹へと突き刺してやった。アブロランカスターは血のように紅い爆炎を噴き出し、悲鳴を上げながら堕ちていった。

 「はぁはぁ……」

 オリガが視線を周囲に向けると、部下達がYak-9を勇敢に駆り、数多くのアブロランカスターを協同して撃墜する光景が映った。10機以上のYak-9が撃墜され、同じように10機以上のアブロランカスターが撃墜された。

 「やっぱり……」

 オリガは落胆した。確かにアブロランカスターは多くが撃墜された。しかし、その何十倍という数の機影が依然として目の前に存在した。そして爆撃機隊の第一波は爆撃ポイントであるレニングラードの工業地帯へと到達してしまったのだ。アブロランカスターが爆弾投下扉を開口し、無数の爆弾を工業地帯の軍需工場施設群とそこで働く工場員の頭上に降りかかるのに、そう時間は掛からなかった。工業地帯は火の海に包まれ、灰色の大地は鮮紅に染まった。

 『大……大尉……』

 突然、無線が生き返ったのは、その直後のことだった。オリガは瞠目して、無線をひったくるように掴んで燃え盛る工業地帯に目を向けた。

 「中尉! ヴィクトル中尉!」

 『は……大尉ですか』

 そう言うと、アントーノフは安堵の吐息を漏らした。

 「中尉。何があったの?」

 オリガは訊いた。

 『急降下爆撃機の攻撃を受けました。それで無線機材を運んで、後方の地域へ撤退したんです。爆撃の前で助かりました』アントーノフは言った。『空軍及び防空軍総司令部は反撃作戦を開始しています。レニングラード軍管区以東の航空基地から多数の要撃機が迫っており、温存していた対空砲の配備も進みつつあるという事です。大尉も帰投して下さい。滑走路となりそうな道路を見つけましたので、誘導します』

 「……了解」オリガは瞳に涙を浮かべて、頷いた。

 

 

 1943年6月24日から7月1日の1週間に渡り、行われたEU軍による戦略爆撃『第二次レニングラード空襲』は死者数8万名、全焼家屋100万軒以上、市内の軍事施設実に70%を破壊したという大戦果を挙げた。これに対しEU側は航空機680機を喪失しただけに済み、ソ連側はその倍近い数の航空機を1週間のうちに喪失してしまった。鉄道網、海運、道路等の交通網にも甚大な被害が及び、ソ連カレリア方面軍は少なくとも半年間はフィンランドへの大規模侵攻を行えないような現状に至ってしまう。


 そして空襲から20日後の1943年7月21日、ソ連はついにEU側に対して講和を要求する。イギリスを始めとするヨーロッパ各国は安堵し、国民は戦争終結と平和な時代の到来を歓迎した。世界は確実に、平和への歩み寄りを進めていたのである。


 

 しかし――それは次なる戦火への幕引きに過ぎなかった。



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