第63話 バルト海の死闘(後)
第63話『バルト海の死闘(後)』
1943年1月18日
フィンランド/ラップランド州
当初から対ソ連戦を想定し開発された帝国陸軍の冬季用航空服だが、膨大する人件費と急成長する機甲部隊への戦力増強に予算を回す為、年中金欠な陸軍の常で製造費がケチられたせいなのか、フィンランドの1月においてはお世辞にも暖かいとは言えない――と、第一種航空衣袴を身に纏う加藤建夫陸軍少佐は呟いた。煎茶色のそれは襟と裏地に兎毛皮が潤沢――総重量は4kgを超える――に使われている。また、背中には電熱線が走っていて、確かに暖かかった。しかし、平均気温にして-15度、最高気温が-8度という尋常ではないフィンランドの冬は、それら帝国陸軍の技術力と常識の域を凌駕してしまっているのだ。
暖房器具や重厚な航空服など、暖においては比較的充実しているであろう航空部隊がこの有様なら、地上の歩兵達はどうしているのだろうか、と加藤は考えられずにはいられなかった。恐らく、目も当てられないような惨状が広がっているのだろう……。
実際、加藤の読みは当たっていた。現在、表立って前線に展開しているのはドイツ軍、イタリア軍、イギリス軍、フランス軍、スペイン軍、オランダ軍、そして大日本帝国軍の7軍だが、そのいずれの軍も十分な環境下とはいえなかった。EU加盟国軍、及び敵対国軍とこの戦争に関わる全ての勢力において、なんとかフィンランドの冬を戦い抜いているのはフィンランド軍とソ連軍ぐらいであった。
フィンランド軍は無論、祖国が戦場であるためだ。彼等は地下に複数の拠点を築いてなんとかそこで暖を取り、生まれ育って培った寒さに強い身体を武器にして戦い、イタリアのパスタやフランスのワインといった支援物資によって日々を生き抜いている。一方、ソ連軍はフィンランド軍同様、寒冷地に住んでいることを武器として戦っていた。ソ連軍は基本的に軍からの冬服の支給は無かったのだが、そもそもが寒冷地出身の兵士が多いため、自前のコートやブーツを持参して戦っていたのである。
その一方で、戦闘服の云々で大変な目に遭ったのがドイツ軍だった。ドイツ軍兵士は、鋲打ちの行軍靴とシュタールヘルム型の鉄兜で身を包んでいた。確かにこれなら行軍を容易に行えて、身の安全も保てたかもしれないが、これらの装備品によってドイツ軍兵士の間には凍傷が相次いだ。これは、行軍靴や鉄兜に使われる金属体が冷気を皮膚に伝えた為である。鉄兜を直に被ったあるドイツ軍兵士は脳が凍り、またあるドイツ軍兵士は凍傷にかかった脚からブーツを脱がせようとして、凍り付いた皮膚が一緒に削げ落ちたという。これに慌てたEU第3軍団第1緊急即応集団司令官のエルヴィン・ロンメル中将はフィンランド軍の軍人と協議して対応策を講じ、鉄兜の着用時には頭に布やマフラーを巻いて直に皮膚に触れることを防ぎ、また山岳部隊を指揮していた経験を基に、山岳部隊の凍傷防止のノウハウを一般兵士に伝えることにした。これは、山岳部隊は行軍靴同様の鋲が付いた登山靴を使用しており、高地任務が多くて凍傷にもなりやすかったからである。
フィンランドの過酷的環境はある意味、50万を超えるソ連軍の戦力差よりも悲惨であり、死亡者数に統計的・数字的価値しか見出さなかったソ連軍司令部の将校達よりも残酷であった。11月に到着したイギリス軍海兵隊は凍死死者数が戦死者数に迫り、12月に参戦したフランス陸軍からは脱走兵が続出した。
無論、ソ連軍もその過酷な環境に適応出来た訳ではなかった。ルーデルを筆頭とする勇猛果敢な急降下爆撃機乗りに操られたJu87『シュトューカ』や戦略爆撃機の爆撃、またメッサーシュミットの戦闘機乗り達の功績により、鉄道・道路・空路・海路といった主要補給線の大半が壊滅的打撃を受け、開戦から1ヶ月足らずの12月上旬には、ソ連軍兵士は完全に食糧を失っていた。新年を迎える12月31日の大晦日の夜は、白樺の木の皮の串焼きとフィンランドの雪溶け水で作った薄い紅茶で過ごすしかなかった。煌びやかに飾り付けられる『ヨールカ』――クリスマスツリーのようなもので、角松のようなものでもある――がなければ家族の笑顔もなく、ドイツ空軍による爆撃とEU各国軍による砲撃に煌々と輝く炎と深き闇しか、そこにはなかった。
加藤が着任したのはそれから3日後の1943年1月3日のことである。イギリスで新年を迎え、加藤はそこで始めて『戦争特需』というものを知った。イギリス国内の工場は軍需品の製造に従事し、それによって給料を得た市民が盛大に祝う。それは世界恐慌と『チェンバレン・チャーチル・ショック』以来、貧困と犯罪が蔓延っていたイギリスとは、180度も方向転換した光景といえた。
褐色の航空兵用ブーツを履き、ずだ袋から飛行帽を取り出した加藤は、ロヴァニエミ空軍基地の第11番滑走路に向かって、雪化粧に白く染まった大地を歩き始めていた。その後ろには、史実において『義足のエース』と称される檜與平中尉の姿があった。首元にたなびくコバルトブルー色のマフラーは純白の世界に映え、まるで流星のようだった。
「中尉、あれは?」
加藤は第12番滑走路を颯爽と歩く、パイロットの一団を指差した。陸軍用航空服とは打って変わって、兎革や電熱線を有していないウールギャバジンの航空服は、ここではお世辞にも『防寒着』とは呼べない。その右上がりの斜め畝が付いた煎茶色の生地を冬季用航空服に採用しているのは、大日本帝国海軍の航空部隊だ。
「待ってください……あれは……あぁ、『特零空』ですよ」
「『特零空』……。あの海軍の特別精鋭部隊か」
帝国海軍特別第零航空隊――通称“特零空”は、未来からの鹵獲航空機――『零戦』『F4F』『F6F』を基盤とする特別実験航空隊で、本来は海軍が数十機の零戦・米軍機を実用化すべく、パイロットを育成する為の仮設部隊だった。4年前の『ノモンハン事件』で実戦投入を経てこの部隊は発展し、現在では最新鋭戦闘機や最新鋭爆撃機の実戦試験を担っている。
「少佐、あの革コートの男を見てください。あれは篠原大尉ですよ」
加藤はその檜が指す男の姿を見て、瞠目した。『東洋のリヒトホーフェン』、『ソ連人民の敵』として知られる篠原弘道大尉はノモンハン事件の英雄であり、大日本帝国きってのエース・パイロットであった。総撃墜機数71機に対し、搭乗機の墜落が一度としてなかったという桁外れの人物でもあった。
「篠原は確か陸軍所属だった筈だな?」
加藤は檜に訊いた。
「えぇ」檜は頷いた。「何故、海軍に?」
「何故、海軍に?――というよりは、どうやって海軍に?というべきだろうな」加藤は言った。「こんなことは異例中の異例だ。それに、そんな人物が後に異例の戦勲を立てたのもな」
加藤は滑走路上を颯爽と駆る篠原を訝しげに見て、呟いた。その後ろからは、戦史に刻まれる陸海軍のエース・パイロット達が続いていた。同じく陸軍から海軍に移籍した、『魔のクロエ』こと黒江保彦中尉。史実では『ラバウルの魔王』で知られる西沢広義海軍少尉。『大空のサムライ』として、太平洋戦線の死地を幾度もくぐり抜けてきた坂井三郎海軍上等飛行兵曹。そして、『最強の零戦パイロット』の渾名を冠する帝国海軍トップ・エース――岩本徹三海軍飛行兵曹長。いずれもトップクラスの実力者達で、かのノモンハン事件時には、総撃墜機数10機超えを軽く成し得ている人物達でもあった。
「連中、同胞を救いに行く気だな」
加藤は訝しげそうに腕を組み、特零空の面々を見据えて言った。「我々も急ごう」
そう言い切ると、身を翻して第11番滑走路に向かい合った。既に待機中の『隼』は、飛び立つ直前の精悍さを湛えて加藤を凝視している。メッサーシュミットのじゃじゃ馬エンジンの音が怒鳴りつけるように頭上から降り注ぎ、その爆風が飛行場に掛けられた純白のカーペットを捲り上げる。舞い上がった粉雪と肌を差すような冷気に、思わず加藤は両手をポケットに押し込んだ。
1943年1月18日午後。フィンランド沿岸部から望む1月のバルト海は、濃紺色に波打っていた。眼前が濃紺なら、頭上は灰色、足元は茶色。およそ殺風景で荒涼としたその色彩はまるでフィンランドを、この世の涯の辺境国と描くに困らないだろう。春先にはライム・グリーンの大地とコバルト・ブルーの空が描かれるだろうが、それは当分先の話である。そんな冬枯れの絵の中に最後に付け加えられたのが、大日本帝国海軍の戦闘機群だった。すなわち――“特零空”である。
特零空の使用戦闘機は主に4種類に分かれていた。明灰白色の零式艦上戦闘機、藍色のF6F『ヘルキャット』艦上戦闘機、そして暗緑色の二式単座戦闘機『鍾馗』である。
二式単座戦闘機『鍾馗』は、帝国陸軍の新型戦闘機である。『邀撃用の局地重戦闘機』――をコンセプトに開発され、大日本帝国軍としては初めて、『格闘戦』ではなく『一撃離脱戦法』を想定した重戦機だった。速度は600キロを超え、12.7mm機関砲4門を備え付けたという、日本軍機としては極めて珍しい重武装機であった。戦争末期には20mm、37mm、40mmと威力の高い機関砲が載せられた型も登場、『超空の要塞』でしられるB-29を皇国の空から排除すべく、不利な高高度戦を戦っていた。
しかし今、黒江中尉や特零空の若手パイロット達が駆る鍾馗は、ソビエトはレニングラードより発進した海軍航空隊の双発爆撃機『Ar-2』と『SB』からなる第73爆撃機連隊の迎撃任務に向かっていた。これらは空母『鳳翔』の中核とする第三航空戦隊を殲滅するのが主任務で、艦上爆撃機『Su-2』が搭載し得る最大の兵装の250kg爆弾を複数搭載していた。
前方から低い振動が近付いてくる。それに気付いた黒江は鍾馗の照準器に目を向け、両翼下に備え付けられた特殊兵装の発射レバーを再度確認した。正常に動いている。胸を撫で下ろした黒江だったが、既にソビエトの悪魔はすぐ傍まで迫り寄っていた。
Ar-2とSBを所有する第73爆撃機連隊は、ソ連海軍バルト艦隊直属の高速爆撃機部隊だった。38年前の雪辱――日本海海戦――とソ連海軍最大規模の艦隊直属の部隊として、彼らは多くのことを学び、多くの技術を習得し、そして多くのウォッカを口にしてきた。整備員が酔っ払いならパイロットも酔っ払いで、誰もが赤鼻を作って空に上がるのが日課である。しかし、昨年からの敗北に次ぐ敗北によって、党上層部や海軍上層部は意識改革に取り組み、粛清と規律遵守の嵐が吹き荒れていた。そして、そんな弾圧の嵐は第73爆撃機連隊も例外ではなかった。その証拠に今、Ar-2やSBに搭乗する兵員達は素面だった。
『ヒヒヒヒヒ……』
先鋒の鍾馗より『敵飛行機見ユ』を意味するヒ連送が伝えられると、鍾馗各機は攻撃アプローチに移行した。それらを駆るパイロット達は新たに支給された“玩具”――三式五十五粍噴進弾――を見据え、照準を敵機に合わせ始めた。
三式五十五粍噴進弾は、ドイツ空軍のR4M『オルカン』55mmロケット弾を基に開発された噴進兵器である。これはR4Mの設計図をもたらした『大和会』による成果で、1937年から開発が始まり、ドイツの協力もあって12月中旬に試作品が若干数完成した。鍾馗が搭載しているのはまさにそれで、理論的に事が運ぶならば、B-17を容易に殲滅出来るだけの力をソ連海軍第73爆撃機連隊に与えることが出来る筈だ。
「三式噴進弾、射ーッ!!」
鍾馗部隊長、黒江の下命が無線越しにフィンランドの空を駆け巡る。間もなく、鍾馗のパイロット達は発射レバーを思いっきり引き、両翼に仕掛けられた噴進砲が一斉に火を噴いた。腹を揺さぶるような衝撃が襲い掛かったかと思うと、突然機体はふわりと軽くなった。鍾馗1機につき総数24基の55mmロケット弾は、無誘導で飛翔した後、機体若しくは燃料の許す限り飛び続けて自爆する。24基全てを発射すれば1000m前方で15×30mの範囲を完全に破壊できる。それに耐え切れる機体は、恐らくこの地球上には存在しないだろう。
しかし、鍾馗が放った数はその半分となる12基だった。が、それにしてもソ連製の脆弱な高速爆撃機には十分過ぎる威力であるのは間違いなかった。蜘蛛の巣状に四散する12基の三式噴進弾は白い軌跡を濃紺色の空に描き、ジュラルミンの一群に襲い掛かった。
梱包された火薬量、時限装置の設定、延びて行く軌跡、全てはこの場に上手く作用し、三式噴進弾の性能の良さを体現させた。噴進弾の殆どが30機を超す第73爆撃機連隊の編隊へと吸い込まれ、爆撃機の装甲を粉砕し、エンジンを爆散させ、翼をも打ち砕く爆風と破片の嵐となった。親にあたるR4Mの渾名『オルカン』の由来とはまさにこのことだった。
『敵機……14機撃墜!!』
悲鳴にも似た歓喜の報告が、ザーザーという砂嵐のようなノイズとともに黒江の耳に入った。彼は目を疑った。それまで圧倒的な威圧感を誇っていた筈のソ連海軍爆撃部隊の面影はキャノピー面から消え、恐れをなして四方八方に逃げ惑うソ連軍機の姿が映るのみだったのだ。
その一方で、未だに三式噴進弾を使っていない機体の姿も映っていた。どういうことかと黒江は渋面を浮かべたが、彼等はジェスチャーを駆使して兵装の不備を訴えていた。この時、いくつかの機体で三式噴進弾が発射不良に掛かっていたのである。原因は、電線の不調にあった。
『ヒヒヒヒヒ……』
その最中、再度ヒ連送が伝えられた。が、今度は爆撃機ではない。
「なんだ!?」
黒江は瞠目した。眼前に迫るのは、紛れも無いソ連空軍の最新鋭戦闘機『La-5』と『Yak-1』だった。この真打ちともいうべき新型戦闘機は猛スピードで鍾馗隊に迫っていた。
「一難去ってまた一難……」
黒江は静かに呟いたが、それは日本側だけに言えた話ではないと考えていた。既に戦いたくてウズウズしている零戦、F6Fら海軍戦闘機の多くは攻撃態勢に移行していたのだ。ノモンハンの英雄達は、此処フィンランドの空において新たな伝説を生み出そうとしていた。
進退窮まり、5機の零戦から構築された絶対防空線を友軍の戦闘機に惹きつけさせたソ連海軍艦攻隊の機影が、奮闘する零戦の横を過ぎ去って母艦の待つ海域へと急ぐ。岡昭司海軍大尉は残った5機の零戦で、過ぎ去るSu-2艦上攻撃機を追い撃ちし、うち数機を蜂の巣にして落とすことに成功した。が、残りはまだ十分に確保されていた。
一方の帝国海軍艦爆・艦攻隊も同様だった。航空戦艦『ミハイル・フルンゼ』と護衛駆逐艦4隻からなる小艦隊に向けて、殆ど障害もなく進むことが出来た。敵艦隊の対空砲攻撃圏内に入っても、それは同じだった。グネフヌイ級駆逐艦の7.62mm高角砲や12.7mm機銃の応射はまるで小便弾のように宙を舞い、無駄に消費された。ミハイル・フルンゼの大火力もやっとという具合で、『月月火水木金金』の下に厳しい訓練をやり抜いてきた帝国海軍の精鋭パイロット達には意味を成さなかった。
「あの空母をやるぞ!」
新型艦上攻撃機『流星』に搭乗する佐野博海軍大尉は、機銃手の奥谷飛行兵曹長に檄を飛ばした。この流星艦上攻撃機はこれまでの艦攻としては異例の複座式機――通常は操縦手・偵察員・機銃手――で、操縦者と機銃手の2人が乗り込む。
流星の胴体下部には850kg魚雷が1本搭載されていた。これは空母であろうが航空戦艦であろうが傷付けるに十分過ぎる威力を誇り、当てられればこの海戦はすぐに幕を下ろすであろう。だが、攻撃は思ったよりも困難であった。『窮鼠猫を噛む』という言葉の如く、敵艦隊の対空砲撃の密が増してきたのだ。重厚で濃黒の弾幕がミハイル・フルンゼの両舷に壁を築き、艦爆や艦攻の侵入を許さない。
攻撃開始から、20分弱。フィンランド湾を駆け抜け、敵艦隊の懐に潜り込んだ艦攻・艦爆の3個分隊は、左舷からの飽和攻撃を開始した。九九式艦爆の分隊が躍り出るが、1機が爆弾を艦体に叩き付ける間もなく対空砲の閃光に飲み込まれた。その後ろを進んでいた九九式艦爆2機は対空砲の鋼鉄の洗礼を何とか受け流し、装甲飛行甲板に250kg爆弾を2個投下した。装甲の張り巡らされた甲板はまるでせんべいかなにかのように砕け散り、抉られた貫通痕から黒煙と火の粉が舞い上がった。
「次だ。いくぞ!」
佐野は声を張り上げ、機銃を手に後ろを向いていた奥谷は振り返って頷いた。流星がスロットル全開、海面すれすれの低空飛行で駆け始めると、後続の九七式艦攻もそれに続いた。漆黒に染まったバルト海が足元に広がり、まるで怒っているかのように白い飛沫を立て始めた。轟音を轟かせながら、流星は驀進する。やがて、海面に向けての水平射撃で、高角砲と対空機銃は唸りを上げた。絶えず海面を貫く着水音が轟き続けた。
「射ーッ!!」
刹那、流星に乗る2人の間の時間は――止まった。ぴたりと銃撃音が止み、海面の波打ちも聞こえない。不気味な静寂に包まれた後、2人の乗っていた筈の流星は――見る影もなく姿を消していた。
だが、その前に放たれた800kg魚雷は確かに海中を突き進んでいた。バルト海を撹拌し、白い航跡も立てずに潜航するその航空魚雷は数分後、航空戦艦『ミハイル・フルンゼ』の左舷に直撃した。ミハイル・フルンゼは意外にも脆い艦体をしていた。巨大な水柱が立ち昇り、艦体は左側に崩れ落ちた。ぽっかりと開いた穴からは膨大な量の海水が流れ込み、艦内のところどころで爆発と、火災と、黒煙が発生した。
『左舷被雷!浸水被害拡大中!!』
ダメコンチームの士官の1人が伝声管で悲鳴にも似た報告を、艦長兼小艦隊司令官のイワン・N・ホロストロフスキー大佐に伝えた。
「損害の修復は?」
『駄目です!艦体の老朽化が著しく、修復した傍から二次被害が続出しています』士官は言った。『このままでは艦が持ち――』
「第2波、来ます!!」
青年参謀、セルゲイ・サハロフ少佐は叫んだ。後続の九七式艦攻の攻撃だ。800kg航空魚雷が胴体から分離され、海中に投下される。そして航空魚雷はやはり航跡を描かず、潜航する。その1分後、先程被害を受けた箇所の僅か近くに、1本の800kg魚雷が直撃した。2万t超の排水量を誇る重厚な軍艦に衝撃が走り、艦橋を始めとして艦内の多くの人間が床に崩れ落ちた。
「艦長!」
サハロフは倒れ込んだホロストロフスキーを起こし上げた。
「くそッ……このボロ船め」
ホロストロフスキーは床を睨み付け、伝声管を手に取った。「ボイラー室、状況は?」
『同志艦長、ここは地獄ですよ』機関長は弱々しい声で言った。『既に浸水しています、同志艦長。この船はものの数分で身動きが取れなくなるでしょう……』
「なんてことだ……」ホロストロフスキーは呟いた。
数分後、頭を垂れていたホロストロフスキーは艦橋の幕僚達に向かい合った。「総員、退艦命令を出す。円滑に、合理的に命令を遂行せよ。司令部は駆逐艦『グネフヌイ』に移乗する」
一方その頃、大日本帝国海軍の第三航空戦隊でも、同じようなことが起こっていた。4機のSu-2艦上攻撃機が海面すれすれを飛行し、間合いを詰めていたのだ。やがて所定の位置に辿り着くと、Su-2は250kg爆弾と魚雷による鋼鉄の雨を空母『鳳翔』に浴びせた。
煙突直下から巨大な水柱が奔騰し、鳳翔が悲鳴を上げた。最大貫通力200mm程度の鋼鉄の衝撃は天と地の両方からほぼ同時に放たれ、激震とともに閃光が甲板上に飛び散った。海水は渦を巻き、ぽっかりと開いた鳳翔の傷口から侵入を図る。
『左舷被雷。しかし機関部・弾薬庫に問題なし』
「それは良かった」伝声管からの報告に、第三航空戦隊司令官の角田覚治海軍少将は胸を撫で下ろした。駆逐艦3隻からなる輪形陣を敷き、持てる限りの火力で対処した結果、攻撃に転じるSu-2の数は大きく減っていた。また、機体そもそもがかなりの燃料食いである為、多数が帰投を余儀なくされていた。
「閣下、帝国軍司令部より報告です」参謀長の飯島一志海軍大佐は言った。「救援が順次、こちらに向かっているとのこと。到着の目途は10分弱。また、敵空母の損害が甚大であることが、艦攻隊より入っています」
「では、我々は勝利したという訳か」
角田は言った。「なかなか、喜ばしいものではないがな……」
飯島はかぶりを振った。「閣下、この鳳翔は対潜任務を司る小型空母ですぞ。それが艦隊型空母に勝ち得ただけでも、喜ばしいではありませんか」
と、飯島は言う。しかし彼としても、艦内や他の駆逐艦、そして零戦や艦爆・艦攻隊から出た死傷者のことを想わずにはいられなかった。この勝利にはそれらの人々の働きが作用しており、彼等がいなければ更に多くの死者が出た事であろう。
「俺はこの海の冬を忘れ得ぬよ」
角田はそう呟き、艦橋の外を見据えた。
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