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時空戦艦『大和』  作者: キプロス
第12章 戦時の大和~1947年
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第171話 悪魔が来たりて逆落とし(後)

 第171話『悪魔が来たりて逆落とし(後)』

 

 

 1947年11月15日

 大日本帝国/東京府


 1947年11月15日午前5時45分。米国による初の原子爆弾の投下の時――ペトロパブロフスク・カムチャツキーは核の炎によって焼き払われた。投下地点は市街地中央部であり、大日本帝国陸軍カムチャッカ方面軍総司令部の位置する場所でもあった。その結果、地下壕に居ながらも総司令官栗林忠道大将を始め、カムチャッカ方面軍司令部の全ての人間が戦死。これによって、辛くも原爆投下の被害を最小限の留めた隷下軍の統制は破綻、原爆投下後に待ち受けていたのは指揮系統の麻痺と、空より降り注ぐ放射能の黒い雨であった。原爆投下の1週間後、ジョージ・S・パットン陸軍大将の米陸軍北方方面軍は同市に侵攻、大した抵抗を受けることなく、この街を陥落させたのであった。

 そしてその原子爆弾『リトルボーイ』の投下同日、大日本帝国の中枢――帝都東京では、この事態を受けて緊急の御前会議が開かれることとなった。大本営が状況を把握したのは早朝。その後、陸海軍や内閣閣僚達に召集が掛けられ、一同が宮中の『東一の間』に集結したのは、正午を過ぎた午後13時頃のことであった。その御前会議のメンバーは、第41代内閣総理大臣の東久邇宮稔彦王を筆頭に、国務大臣の計16名、宮内大臣、枢密院議長の鈴木貫太郎、枢密顧問官、参謀総長の石原莞爾陸軍大将、参謀次官の小畑敏四郎陸軍中将、軍令部総長の山本五十六海軍大将、軍令部次長の柳本柳作海軍中将らによって構成されている。それは今年2月に開かれた『日米開戦』時の御前会議とほぼ同じ面々であったが、そこにはあの“暗躍する参謀”――『帝機関』参謀総長を務める辻政信陸軍中将の姿があった。彼は日米開戦後、南米から欧州経由で本土へと帰還し、そのまま石原の人事で現職に内定していた。

 これらの面々が肩を並べる中、厳かに『東一の間』へと入室したのは、昭和天皇であった。それを見て、午前会議の面々は、粛然と頭を垂れた。一方、昭和天皇は厳然たる足取りで金屏風の前に設けられた席へと進み、腰を下ろした。そして数分の静寂の後、一同を俯瞰する。

 「……今回の米国の蛮行は、全く以て嘆かわしいことである」

 第一声、昭和天皇は哀に満ちた声色で静かに告げた。史実、御前会議における昭和天皇は、あまり会議に干渉することはせず、原則的には控えめであった。昭和に入り、終戦までの間に御前会議は数十回行われたが、政策決定はおろか、天皇自身の発言自体が稀であったという。しかし1941年の『日米開戦』決断や、1945年8月の『御聖断』――大元帥ではなく天皇自身として『無条件降伏』を決断し、戦争を終結へと導いたのもまた、御前会議における昭和天皇の発言として有名な話である。

 「まことに……。私も陛下と同意見であります」そう告げたのは、現『大和会』当主であり海軍軍令部総長の山本五十六海軍大将であった。「しかし陛下……これが戦争で御座います。戦争に“卑怯”という言葉はございません。“奇襲”も戦術の一つでありますし、今回の“原爆”もまた――ただの戦争の駒の一つに過ぎないのです。そして戦争において、その駒は使える時に使わねば勝利は掴めません」

 「……陛下。小官も山本軍令部総長に同意見であります」

 と、口を開いたのは石原参謀総長であった。石原は日米開戦以降、その使える“駒”である原子爆弾の対米使用を主張していた。「米国は遂に原爆を完成させ、そして世界で初めて核攻撃を行使しました。これで米国は“悪逆非道”の名と、“世界の敵”という称号を手に入れたことになります。ここで今、我々は原爆による報復を行ったとしても世界は――そして歴史は我々に味方するでしょう」

 「……つまり原爆による報復をせよ、と?」

 昭和天皇の問いに対し、石原は頷いた。

 「今せずしては、米国の原爆行使に歯止めを掛けることは出来ません。それこそ、原爆の威力に味を占めた米国が、この帝都に原爆を落とさないという保証はないのですから」

 「陛下、宜しいでしょうか?」そう言ったのは山本だ。「私も石原参謀総長の意見には賛成します。我々、帝国陸海軍によって共同運用される『統合戦略航空団』では、2年前からこのような事態を想定し、原子爆弾を搭載した『富嶽』を何時でも出撃出来るよう、核戦略爆撃部隊を保有・整備しております。ですから、我々は今からでも米国に対して原子爆弾による攻撃を仕掛けることは可能なのです」

 更に山本は続けた。「しかしお聞き下さい。米国が今回、原子爆弾投下を成功させたということは、『マンハッタン計画』が成功に終わったということです。米国は同型、若しくは更に威力を持つ原子爆弾を次々と生産していくことでしょう。そうなれば、日米は“核戦争”――原子爆弾による応酬戦が始まります。しかしこの戦争で最終的に勝利に収めるのは、敵側よりも多くの原爆を製造し、敵根拠地に投下出来た方です。これは国力・工業力で圧倒的に劣る我が国に勝つ見込みはありません。ですから私は、今回のカムチャッカ半島での核攻撃に対し、1発の原子爆弾で報復を行った然るのち、こちら側から今後、“核攻撃”は米国側が再度原爆を使用しない限りは行わない――と世界に表明したいと考えております。そのためにも、報復の目標となる地域は、そのメッセージ性が伝わる地域でないといけません」

 「成程。敵の原爆攻撃に対し、敵への原爆攻撃で対抗するのではなく、それ自体を切り札として米国その使用を制限させる――ということだな?」

 昭和天皇の考えに対し、山本は頷いた。

 「米国も自国の都市に原爆を投下されるとなれば、さしもの米政府も考えるでしょう。仮に使用してしまえば、それは米国民が住まう都市の1つを消滅させることと同意義でありますから、米国世論も原爆の使用禁止に動く筈です」

 しかし一方で、今回の原爆による報復が、下手をすれば米国世論に激情的な反日感情を植え付け、徹底的な戦争世論が構築される危険性を含んでいることを山本は恐れていた。米国の国力の真髄は、その米国国民の“愛国心”と、それによって支えられる工業力にある。

 これまで『孤立主義』を続けてきた米国世論が海外介入に傾いたのは前政権――フランクリン・D・ルーズベルト大統領時代に勃発した『民族問題』(西海岸を中心とするメキシコ移民問題とメキシコ国内の軍事クーデターによる安全保障問題)を背景とする『第二次米墨戦争』と、『反共主義』(米海軍駆逐艦『ルーベン・ジェームズ』に対するソ連海軍潜水艦の攻撃)を背景とする『米ソ戦争』によるものだった。この2つの対外戦争を経て、米国世論はこれまでの孤立主義から、積極的に対外介入を進めていくべきだとする方向に傾き、それが発端となって勃発したのが今回の『日米戦争』――いわゆる『太平洋戦争』である。米政府による情報操作によって流されてきたこれまでの米国世論であれば、今回決定されるであろう核報復攻撃が偏向的に捉えられ、より一層世論を刺激するのではないか? その結果、米国国民は更に団結し、戦争遂行に向いていけば、国力で圧倒的な差を持つ両国の戦況は一転するに違いない。それは『HI作戦』――ハワイ攻略による対米戦講和の呼び掛けにも関わってくるだろう。それだけは何としても避けたいと、山本は考えていた。

 

 その後、御前会議の主な内容としては、原爆投下を受けたカムチャッカ半島、ペトロパブロフスク・カムチャツキーからの帝国陸海軍の完全撤退、帝都を中心とした日本本土の防空体制の強化、そして核報復攻撃の目標選定などとなっている。特に核報復の目標選定は文字通り重要案件であった。山本はその期日を本日15日から最低でも1週間以内に実行したいと考えていた。それは逸早く米国に対して大日本帝国の核保有の事実と、『核抑止』のメッセージを表明しなければ、次の米国が定めているであろうターゲットに原爆が投下されてしまうかもしれないからだ。史実、米国は広島に対する原爆の投下から3日後には、長崎に対して原爆投下を行使している。『マンハッタン計画』が史実通り遂行しているとすれば、2発目3発目の原爆がいずれかの都市に投下されてもおかしくはないのだ。それを未然に防ぐためにも、行動は可及的速やかに決行しなければならなかった。

 「首都ワシントンDCへの攻撃は、結論から言って困難でしょう」

 そう言ったのは、海軍軍令次長の柳本中将であった。「『富嶽』の最大航続距離は16000km。しかしこれは増槽を取り付けた場合のカタログデータで、実際に重量5t以上の『阿』号爆弾を搭載すれば、その航続距離は落ちます。南米経由での補給を行えば実行出来ない訳ではありませんが、山本閣下が仰るように1週間以内に実行するとなると、独側への連絡を踏まえなければならず、そこから情報の漏れや作戦開始期日の延長の可能性が生まれてしまうため、小官は支持致しかねます」

 「うむ……。朕としても戦争に関係無い米国一般国民を巻き込んでの報復は望まぬ。辻中将、米国の原爆製造拠点についての情報は無いのかね?」

 と、昭和天皇の問いに対し、辻参謀総長は答えた。

 「現時点で米国の原爆製造に関する情報は不足しておりまして、結論から申し上げますと原爆製造拠点の特定は出来ておりません。しかし『帝機関』の総力を挙げ、一刻も早くこれを特定したく考えております」

 辻の意気込みは伝わったのだろう。昭和天皇は静かに頷いた。

 石原莞爾からその職を拝命し、『帝機関』第2代目参謀総長を務める辻政信中将だが、その成果は近頃落ち悩んでいる。米国の原爆開発計画――『マンハッタン計画』に対する情報量の少なさや米軍暗号解読の困難化、更に米軍による帝国陸海軍への暗号解読の成功などにより、『帝機関』の諜報・防諜能力は疑心暗鬼の目で見られていた。これらは米国の『OSS』や『ONI』といった組織への支援強化や、辻による『帝機関』統制面での不備などが原因であったが、これまで情報戦において勝利を収めていた帝国陸海軍上層部からすると、不満足な結果となっていた。いまや世界の諜報戦争の覇者として君臨していた『帝機関』の不敗神話は崩壊し、米国による圧倒的な人員・コネクション・資金を武器とした諜報・防諜戦争に敗北を喫するようになっていたのだ。

 「しかし米軍に対する無線傍受や間諜、そしてベーリング海を哨戒する海軍からの報告により、今回の原爆投下を行った機体の帰投先を予想しております」

 出し抜けに告げられたその事実に対し、一同は注目した。「機種はB-29。帰投先はアラスカ、恐らくは米陸軍航空軍最大の対日前線航空基地――エルメンドルフ陸軍航空基地と思われます。場所はアンカレッジ近郊です」

 辻のこの報告の後、複数の意見が具申されたが、最終的に決定されたのは――アンカレッジであった。これは原爆を搭載したB-29の発進基地であるエルメンドルフ陸軍航空基地の存在が大きかった。アンカレッジは軍民による戦争遂行が行われている対日前線拠点で、大航空拠点たるエルメンドルフや海軍の補給拠点であるアンカレッジ海軍基地などが点在していた。アンカレッジに対して原爆投下を行えば、その影響は非常に甚大なものになるだろう。最悪、補給拠点を喪失することとなり、パットンの米陸軍北方軍は対日攻勢を中止せざるを得なくなるかもしれなかった。

 結局、攻撃目標はアンカレッジ、攻撃日時は1週間後に当たる11月22日と定められ、作戦が進められることとなった。



 1947年11月21日。夜の闇に染まった横須賀の海軍航空基地の滑走路上では、超重戦略爆撃機『富嶽』出撃の準備が慌ただしく続いている。1週間前、御前会議にて決定された『アンカレッジ原爆投下』は、多くの関係者に苦労を強いることとなった。日々、出撃整備を整えている『富嶽』戦略爆撃隊の運用者――統合戦略航空団としても、『富嶽』と『阿』号原子爆弾のメンテナンスは万全であったが、いざ爆撃するとなれば、その前に敵地偵察をしなければならない。航空偵察による目標地点の情報収集率が作戦の胆となってくるからだ。そのため、統合戦略航空団は3日前から帝国海軍と協同し、爆撃目標地点であるアラスカ・アンカレッジの偵察を続けてきた。潜水艦・空母艦載偵察機や、統合戦略航空団の運用する長距離偵察機によるアンカレッジ偵察は、1日につき20~30回にも及ぶ。また爆撃作戦の真意を感づかれないこと、そしてもう一つの作戦――としてロサンゼルス・サンフランシスコへの『ビラ投下』も含め、多数の偵察機が米西海岸の各都市に飛来、陽動も行っていた。

 多数の偵察機を米西海岸に展開するのは困難を極めたが、それでもやる価値はあった。本来はあくまでも“陽動”に過ぎなかったが、各都市の駐留兵力・防空体制・インフラ設備の偵察を行うこととなり、『HI作戦』後に展開される――日米講和が成し得られなかった場合――『米西海岸上陸作戦』において有益な情報を得ることとなったのは、嬉しい誤算であったろう。

 そんな一連の努力もあり、11月21日深夜、横須賀の海軍航空基地から『阿』号原子爆弾を搭載した『富嶽』が飛び立とうとしていた。この『富嶽』爆撃編隊は本作戦の投入に伴い、『芙蓉爆撃隊』という特別名称を冠することとなっていた。そしてその芙蓉爆撃隊を指揮するのは、『野中一家』で知られる親分肌の爆撃家――統合戦略航空団戦略爆撃隊飛行長の野中五郎海軍大佐だった。野中は先の『真珠湾攻撃』における『富嶽』爆撃隊指揮官という立場の下、功績を立てたばかりだが、それ以前にも『日ソ戦争』等でも多大な戦果を挙げている。そんな彼は3ヶ月前、大佐へと昇格し、その手腕を奮っていた。今回の『アンカレッジ原爆投下作戦』に抜擢されたのも、その戦果と経験を買ってのことだった。

 野中はそんな上層部の人間――山本五十六海軍大将や統合戦略航空団長官の篠原弘道陸軍中将といった“親分”達からの自身への期待を嬉しく思う一方、複雑な心境でもあった。『原子爆弾』という都市1つを破壊し尽くす究極の兵器を投下することへの葛藤もあるにはあったが、一番の不安は敵地の只中――制空権も確保していない地域に単独で進出し、爆弾を落として部下達を無事本土まで送り届けられるか……ということだった。自分自身はどうでもよかった――といえば偽善になるが、部下を巻き添えにしてまでその保身に回るつもりはなかった。第一、この任務はとても光栄といえるものであったし、上からの期待は大きい。だからこそ、自分がこの作戦において目指す目標といえば、この作戦を完璧に遂行することに他ならないと、彼は考えていた。

 11月22日早朝。北太平洋洋上、野中率いる芙蓉爆撃隊はアラスカの大地目指して北上する。野中は、コクピット1内で複雑な心境の下、前方の空を睨んでいた。この海域は比較的敵の哨戒が甘いというが、今もどこかから狙われているという事実は変わらない。連日に渡る偵察機の派遣で、米軍は西海岸を中心に哨戒網を強化し、敵機の確認に務めていた。そしてそれはアラスカでも変わることはない。むしろアラスカは米軍の前線拠点であり、その分危険度は増している。しかし西海岸への執拗な偵察機の派遣が功を奏したのか、アラスカに配備されていた航空機が西海岸防空を背景に移動されており、アラスカ――アンカレッジの防空網が普段より薄くなっているのもまた事実であった。

 「米軍に感づかれると厄介だ。高高度から市内に侵入し、一気にカタを付けるぞ」

 野中の力強い声は『富嶽』機内によく響いた。

 「大佐。アンカレッジの防空体制というのはどうなっているのでしょうか?」

 と訊いたのは『富嶽』一番機の電探手、脇田少尉である。

 「……現在、海軍が陽動作戦を展開しているから、防空を担う戦闘機の数は減っている筈だ。敵が使用する対空砲火も、この『Z指揮機』に配備されている対VT信管ジャミング装置である程度は捌ける。限りなく障害は排除されているから、問題はないだろう」

 「……もう一つ質問して宜しいでしょうか?」

 「何だ?」

 脇田の問いに対し、野中は頷きながらもその問いについて訊ねた。

 「……大佐は今回の作戦、成功するとお考えですか?」

 その脇田の質問を聞いた野中は暫し渋面を浮かべたが、すぐに口を開いた。

 「……いいか、この作戦に“成功”も“失敗”も無い。ただ“爆弾を落とす”――それだけだ。もし万が一、爆弾を落とせなくても予備機が横須賀に待機している。だから落とせなかった場合は、俺達はその予備機に任務を譲り渡す」

 野中は更に続けた。「正直、これはとても危険な任務だ。失敗の方が確率としては高いだろう……。だが、貴様らがそういった“失敗”を恐れない連中だってことを俺はよく知っている。自ら志願してきた、家族想いのヤツラだってことをな……。そして、だ……俺もまたその一人であり、貴様らのことを家族のように慕っているつもりだ。だからこそ、もし貴様らが死ねば、俺もまた死ぬ覚悟でいる……。その時は共に靖国へ逝って、そこで俺を罵ってくれて構わん」

 機内が静寂に包まれる中、野中は最後に一言告げた。

 「……約束する。貴様等は俺が責任を持って本土に帰投させる。俺は絶対に、その約束を守る。だから貴様らも俺を信じ、俺についてこい」

 その野中の言葉を聞き、機内の搭乗員――『野中一家』は静かに頷いた。

 

 

 『――雲量10、良好。爆撃目標目視にて確認する』

 無線越しに響く『芙蓉爆撃隊』観測機の報告。それを聞いた野中の表情は少し変わった。数分後、事前偵察を済ませた観測機に野中の搭乗する『Z指揮機』、多数の機銃によって重武装された特別改造仕様の護衛型、そして『阿』二号原子爆弾――プルトニウム型原子爆弾――を搭載した『富嶽』が順々に到着し、同上空に展開した。米軍は既にレーダーで芙蓉爆撃隊の動きを掴んではいたが、その対応は遅かった。しかしそれも時間の問題だった。多数の邀撃機が飛行場から出撃し、迫っていた。その現状を確認した野中は、「今しかない」と確信し、そして決断した。

 

 「よし、『阿』二号爆弾投下――ッッ!!」


 

 

 1947年11月21日早朝。米国の『ペトロパブロフスク・カムチャツキー原爆投下』より1週間後、大日本帝国は米国アラスカ準州州都アンカレッジに対し、プルトニウム型原子爆弾『阿』二号爆弾を投下した。この『阿』二号爆弾によりアンカレッジには巨大なキノコ雲が立ち上り、放射能が周辺地域にも拡散し、その被害を広めた。その結果、軍民含めた約15万名の人命を死に至らしめ、米軍の対日戦線根拠地たるアンカレッジは完全にその都市・軍事機能を喪失したのであった。


 ――そしてこれは世界で2番目に行われた原爆投下として、歴史に綴られた。

 


 

 

 


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