第170話 悪魔が来たりて逆落とし(前)
第170話『悪魔が来たりて逆落とし(前)』
1947年11月15日
アメリカ合衆国/アラスカ州
米国の原爆開発計画――通称『マンハッタン計画』は一定の成果を得た。10月、ニューメキシコ州アラゴードにて実施された原爆実験――『トリニティ実験』は19ktに相当する核爆発を成功させ、プルトニウム型原子爆弾『ガジェット』の作動と核兵器の有用性を証明した。それまで理論上の域を出なかった原子爆弾――それが成功したことは、科学史に残る偉業であった。但し、史実とは異なって先に原爆開発に成功したのは、大日本帝国である。しかしそれは、今日行われている『太平洋戦争』には何ら関係の無いことであった。それまで原爆という切り札を握ってきた大日本帝国はここにきて、米国に追いつかれたのだ。そして原子爆弾は兵器である。兵器製造――即ち“戦争”というものは、国力の戦いであり、軍事・経済においてあらゆる国を勝っているのが米国であった。今回の『マンハッタン計画』もまた、米国による圧倒的な国力によって成り立った事業なのだ。米国は既にこの時点で計3発の原子爆弾を保有し、更に数ヶ月後からは月産1発ペースでの原子爆弾製造が開始される。それは大日本帝国の国力では到底真似することの出来ない行為であり、米国だからこそ成り立つことであった。
1947年11月上旬、ニューメキシコ州ロスアラモスから特別輸送列車によって、ガンバレル型ウラン原子爆弾『リトルボーイ』が移送された。列車は西海岸サンディエゴへと到着。『リトルボーイ』は降ろされ、米海軍の重巡洋艦『インディアナポリス』に積載され、西海岸沿いにアラスカ州アンカレッジ軍港を目指した。『インディアナポリス』といえば史実の1945年7月、ウラン型原子爆弾『リトルボーイ』とプルトニウム型原子爆弾『ファットマン』の為の必要部品と核材料をテニアン島まで輸送する任務を帯びていたことで知られる重巡洋艦である。そんな『インディアナポリス』が今回、アンカレッジに届けるのは1発の原子爆弾だけであり、残る原子爆弾『ファットマン』は未だロスアラモスの倉庫にて厳重に保管されていた。しかしそれも1週間後には搬送される予定だが……。
閑話休題。11月8日、サンディエゴを出発した『インディアナポリス』はアンカレッジ軍港に到着。積荷である原子爆弾の存在は極秘とされており、その荷下ろしは徹底した監視下の中で行われた。その後、特別車両に積載された『リトルボーイ』は、アンカレッジ郊外に位置するエルメンドルフ陸軍航空基地へと移送された。この基地は米陸軍航空軍第11航空軍――『アラスカ方面航空軍』司令部であると同時に、カーチス・E・ルメイ陸軍中将が指揮する米陸軍航空軍極東爆撃軍団の司令部も併設していた。そのため、基地における指揮系統の最上位に立つのは、実質的にルメイ中将であった。
基地にはB-17『フライングフォートレス』やB-25『ミッチェル』といった旧式爆撃機の他、B-29『スーパーフォートレス』、P-80『シューティングスター』のような新鋭機が多数配備されている。特にB-29の配備数は米国内でもトップであり、対日・対シベリア戦線の戦略爆撃において、非常に重要な役割を担う基地であった。
そんなエルメンドルフ陸軍航空基地にはこの日、原爆投下作戦の総指揮を担うルメイの姿があった。彼はコンテナに厳重に格納されていた原子爆弾『リトルボーイ』をB-29に搭載する作業に立ち会い、初めてその悪魔の兵器の実態を目の当りとした。
「成程、これが原子爆弾か……」ルメイは興味津々といった様子で、『リトルボーイ』へと近付いた。「……思ったよりも小さいんだな、グローヴス少将」
ガンバレル型ウラン原子爆弾『リトルボーイ』は、全長3.12m、最大直径0.75m、総重量5tである。これは米軍が現在、対日戦で広く使用しているM56A1/2t爆弾と対して変わらない大きさだった。B-29はこの2t爆弾を計2発搭載可能としている。
「でなければ、機体に載せることが出来ませんよ。我々は計画でもその要求を満たすことを注意しつつ、複数の設計を練ってきた訳ですからね」ルメイの横に立ち、現場指揮を行っていた『マンハッタン計画』責任者のレズリー・R・グローヴス少将は言った。「しかしこの『リトルボーイ』に使用されているガンバレル型は、非常に生産工数とコストが掛かる代物なのです。ですがこの『リトルボーイ』の兄弟にあたる『ファットマン』に関しては、月産1発ペースでの製造が可能であり、ロスアラモスでは既に合計60発の製造計画を進めている途中です」
それを聞いたルメイは思わず感嘆の声を上げた。「60発かね? 都市1つを壊滅してしまう代物を60発
作るとは、まさしく“神”によって創られた人類を滅ぼす――“神”を冒涜する行為だ」
「ルメイ中将の考えでは、アジア人は黄色い類人猿ではなかったのですか?」
「まぁな、猿に文明を夢見ることなど許されない。私は日本を石器時代に戻して、猿並みの生活――というものを教えてやりたいよ」
それはジョークなどではなく、ルメイの本心が捻り出した言葉だった。
1947年11月15日明朝、米陸軍航空軍極東爆撃軍団隷下の第305混成部隊は、エルメンドルフ陸軍航空基地から飛び立った。計4機のB-29――原爆搭載機『トップ・シークレット』を中核とし、観測機『マッド・ドッグ』、気象偵察機『フルハウス』、作戦予備機『テキサスレンジャー』からなる編隊は、チュクチ民族管区経由で航行し、途中の飛行場にて燃料補給を受けた。その飛行場で作戦予備機の『テキサスレンジャー』は万一の場合に備えて待機状態となり、残る3機がカムチャッカ半島を目指して南下を続けた。
同編隊を指揮するのは、原爆搭載機『トップ・シークレット』機長のマイク・A・クーリッジ大佐である。クーリッジ大佐はサウスカロライナ州出身、合衆国陸軍士官学校卒業後はフロリダの陸軍航空隊に入隊し、その後も航空畑一筋で歩んできた軍人だった。1945年の『米墨戦争』では初めて実戦投入されたB-29の機長となり、『米ソ戦争』でも爆撃部隊の指揮官として従軍。その後もチュクチでの駐在を続け、極秘の対日国境線爆撃任務などにも従事したこともあり、非常に経験豊富で上層部からも高い評価を受けていた人物であった。そして今回、彼はそんな実績を買われて原爆投下作戦の現場指揮官という大役を拝命し、今に至っている。
クーリッジは今回の作戦において、不安要素は多いが成功しない作戦ではないと考えていた。何故なら、最近の大日本帝国軍の航空優勢が衰えつつあったからだ。P-80のような新鋭機の大量投入は、質において勝る日本軍機を圧倒し、B-29はそんな迎撃機が駐留する航空拠点を根こそぎ粉砕していった。制空権は米側に傾きつつあった。このまま押せば、一気に逆転することも可能だろう。
『――中高度の雲量は10%、高高度は異常なしだ』
ペトロパブロフスク・カムチャツキー上空。クーリッジのB-29に先行し、同市上空の気象偵察を起こっていた『フルハウス』は、原爆投下に必要な気象情報を無線で報告してきた。クーリッジは上空を見渡した。空は白々しく染まっており、雲は少ない。敵機の姿はそれほど見えなかったが、対空砲火がやや激しく地上から放たれていた。これは無視するしかない。
「出来るだけ早く済ませる。ジャップのジェット機は厄介だ」
クーリッジは大日本帝国軍の墳進戦闘機――特に四式墳進戦闘機『火龍』や『橘花』、そして新鋭墳進戦闘機『迅雷』を懸念していた。これらの戦闘機は先日B-29計600機を投入して行われた空襲で大部分が破壊されていたが、帝国陸海軍は地下格納庫などを建造しており、空襲を逃れた機体も少なくは無かった。
「敵機発見、数6ッ!!」
「くそッ……! 奴らきやがったか」
クーリッジの懸念は的中した。空襲を生き残った四式墳進戦闘機『火龍』6機が編隊を作り、こちらに迫っていたのだ。同編隊には12機のP-47『サンダーボルト』が護衛として随伴していたが、帝国陸軍の『火龍』の成功は侮り難いものがあった。『火龍』はスロットルを全開にし、一気にB-29に肉薄する。しかしそんなことはさせまいと、P-47の直掩機が間に割り込んだ。P-47は12.7mm機銃6門の火蓋を切り、大量の弾丸を火龍めがけて撃ち放った。対する火龍は55mm墳進弾を発射、計24発の墳進弾が扇状に展開し、P-47の編隊の間を掠め飛ぶと、彼方へと消えていった。
初見は両者とも、命中弾なし。だが空戦は始まったばかりに過ぎなかった。火龍は機動性・速力ではP-47に優れていた。対するP-47は高高度での機動性に優れ、急降下性能においては音速の壁を超えることも可能である。史実、P-47相手に急降下での離脱を試みた敵機はことごとく撃墜されている。
両者は睨み合い、銃撃による応酬を続けた。しかし、性能(P-47は対原爆仕様の改造を受け、機体重量が増していた)と練度において勝る火龍は次第にP-47を圧倒していく。やがて火龍の一部が、観測機としてクーリッジに随伴する『マッド・ドッグ』に襲い掛かった。20mm機関砲による一条の閃光の直後、『マッド・ドッグ』機体右翼の付け根が真っ二つに折れ、制御を失い始めた。
「爆弾投下目標直上!!」
午前5時、クーリッジのB-29『トップ・シークレット』はペトロパブロフスク・カムチャツキー上空に到達し、予定爆弾投下目標を目視で確認した。P-47と火龍による銃撃の応酬が飛び交う中、爆撃手のリチャード・マンソン少尉が爆撃照準器に諸元を入力し、投下目標を設定した。
「投下開始!!」
クーリッジは言った。激戦の最中、死と隣り合わせのその瞬間、静寂が機内を支配した。運命の瞬間――爆弾倉がゆっくりと音を立てて開閉され、『リトルボーイ』が上空に放たれた。
1947年11月15日午前5時45分。世界で2番目に製造された米国の原子爆弾『リトルボーイ』は――遂にペトロパブロフスク・カムチャツキーに投下された。クーリッジは即座に原爆の衝撃波から逃れるべく、155度の旋回と急降下を行った。既に同編隊に所属していた2機中1機は撃墜され、市内中央部に不時着していた。それでもなお、クーリッジは任務を遂行し、そして緊急脱出を行ったのである。
48秒後、眩い閃光と強烈な衝撃波がぺトロパブロフスク・カムチャツキーを襲った。熱風と衝撃波は爆心地500m圏内を蒸発させ、爆風は市内の建物をドミノのように次々と突き倒していった。木造建築物は一瞬のうちに焼き払われ、強烈な熱線が兵士の肉体に突き刺さった。幸い――というべきは、多くの兵士が地下防空壕に潜伏するようにして活動していたことだ。これによって爆風と熱線から救われた兵士は多かった。しかしそんな爆発の瞬間を生き残った兵士達の多くは、その後の放射能汚染によって死を招いてしまう。
その結果、ペトロパブロフスク・カムチャツキーに対する原爆投下で、計9万名以上の兵士の命が喪われた。そしてその中には、あの栗林忠道大将も含まれていた。
――世界はこの日初めて、“原爆”という究極の兵器の存在を思い知ったのである。
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