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時空戦艦『大和』  作者: キプロス
第12章 戦時の大和~1947年
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第166話 ズイリャンカの戦い(前)

 第166話『ズイリャンカの戦い(前)』

 

 

 1947年5月11日

 シベリア社会主義共和国/サハ共和国

 

 サハ共和国北東部、コリマ川中流に位置するスレドネコリムスクは狩猟と漁業を産業の基盤とする都市である。そして永久凍土とツンドラによって覆われた荒涼な大地に佇むそのスレドネコリムスクは1947年3月、米軍の侵攻作戦を受け、占領下に至っていた。

 1947年2月以降、米軍はカムチャッカ半島方面に傾注し、大日本帝国軍の数倍の兵力を投入しての総力戦によって短期攻略を画策していた。しかし3月1日、大日本帝国海軍による『真珠湾攻撃』と、それに伴う対米宣戦布告が表明された後、ドイツ、イタリア、そしてシベリア社会主義共和国の3ヶ国が同じく対米宣戦布告。アメリカ、そして中立を表明したEU主要各国はこの報に驚かされることとなった。何しろ敗戦国――形式上は講和ではあったが事実上は敗戦国に他ならないシベリア社会主義共和国がアメリカに対し、宣戦を布告したのだ。それは日独伊の3国枢軸陣営にシベリアが含まれていることを示す何よりの証拠であった。

 それと同時に1947年3月6日、コマンドルスキー諸島ベーリング島近海にて勃発した『第二次ベーリング島沖海戦』にて米海軍が甚大な損害を被り、1ヶ月以内のカムチャッカ半島攻略を計画していたチュクチの米軍北方方面軍は当惑した。制海権・制空権が大日本帝国側の優勢となり、アラスカルートでの兵力増強が困難となったからである。かくしてカムチャッカ半島の戦闘は栗林忠道大将を総司令官とするカムチャッカ方面軍の猛抵抗に遭い、遅れることとなっている。そしてその一方、シベリア社会主義共和国は対EU国境線を中心に配備していた国防軍を西から東へとシベリア鉄道を利用して大移動させ、サハ共和国へ次々と送り込んでいた。

 そこで米軍北方方面軍は二正面作戦の可能性を危惧する所となった。このままカムチャッカ半島を侵攻しても泥沼化するのは必至。ならば、とシベリア方面への侵攻を決意したのである。そもそも米軍――前合衆国大統領フランクリン・D・ルーズベルトは1945年4月の『米ソ戦争』において、チュクチ民族管区の完全占領後、そのまま西進してサハ共和国を攻略するという侵攻計画を企てていた。それはルーズベルトとラヴレンチー・P・ベリヤが結んだ『アラスカ密約』に反するものであり、シベリア社会主義共和国の建国と講和が無ければサハ共和国がアメリカによって奪われていたのは必至だったろう。

 そんなサハ共和国に対する侵攻計画は、1945年版のものに若干の修正が加えられただけである。結果として迅速に米軍をサハ共和国に送り込むことが出来た。

 しかしその一方で、シベリア社会主義共和国も旧ソ連軍部が計画していたサハ共和国の防衛計画を受け継いでおり、スターリンの意向が反映された部分をカットするなどして修正が試みられ、すぐに米軍の侵攻に対処することが出来たのである。

 まさに“ドングリの背比べ”であったが、それを先に打破することが出来たのは決定的な兵站能力と距離の差であった。1947年4月下旬、コリマ川を境に睨み合いを続けていた米軍北方方面軍が渡河を開始し、コリマ川岸沿いに位置するニージネコリムスク、スレドネコリムスク、ズイリャンカの3方面に侵攻したのだ。28個師団65万名に及ぶ大兵力と戦車2000輌以上を以て行われたその攻略作戦はシベリア国防軍が設置した堅強なパック・フロント(対戦車陣地)をいとも容易く粉砕し、3つの領土は短時間のうちに蹂躙された。米軍はこの3拠点の確保を行うとともに、西より移動中のシベリア国防軍に備えるべく、ニージネコリムスクとズイリャンカに防衛線を設置。戦いに備えたのである。


 

 1947年5月11日。シベリア国防軍はニージネコリムスク、ズイリャンカに対し、攻勢を開始した。シベリア国防軍総兵力は55個師団80万名。ソ連解体後、旧赤軍とシベリア赤軍を組み合わせ、再編制された国防軍はかつてに比べれば弱体化の一途を辿っていた。IS『スターリン』重戦車の大半が独伊といった国々の賠償金として整理され、更に4発戦略爆撃機・ジェット航空機の製造も禁止。陸軍の人数制限に関しては大幅緩和されたものの、その代償で海軍が廃止されたこともまた、シベリア国防軍にとっては大きな痛手であった。

 そんなシベリア国防軍を率いるのは前戦争の英雄、イワン・C・コーネフ国防軍元帥である。コーネフは『日ソ戦争』では戦争初期に第1赤旗軍司令官として満州国へと侵攻。関東軍が設置した対ソ要塞線の一角である“東寧要塞”の攻略に成功。しかしその後は関東軍による怒涛の反撃によって敗退を続けた。その後、終戦間近の1945年1月に欧州戦線へと転属され、『シベリア革命』ではトロツキーらシベリア赤軍を指示している。シベリア社会主義共和国建国後は、シベリア国防軍欧州国境警備軍総司令官として、対EU防衛を担っていた。


 サハ共和国ズイリャンカ近郊、シベリア国防軍第22軍野営地。米軍とは目と鼻の先というその場所で、ゲヴォルク・A・ワルタニャン国防軍少将は、いつものように無線室で黙々と仕事を続けていた。その顔色は険しく、頬には自然と汗粒が滴っている。その無線機には逐次、米軍が放つ暗号通信が流されており、ワルタニャンら“シベリア防諜局”――通称『CCK』に課せられた任務は、それらを解読し、戦争を優位に進めることにあった。しかし米軍の暗号は日々進歩を続けており、解読は容易ではなかった。

 ワルタニャンは、そんなCCK所属の将官である。旧ソ連時代、GPU――ソ連諜報部の密命を受けた彼は、イランでの対英工作任務に従事。これは史実と比べれば、“連合国”であったという点を除いて全く同じであった。アルメニア系イラン人である彼はその点と自身の諜報能力を活かし、イラン内に潜伏するドイツ諜報員約400人を特定。更に、当時同じ“連合国”でありながら、イランを根拠地にソ連に対して破壊工作を続けていたイギリスに対し、妨害工作も展開していた。その功績が称えられ、彼はソ連英雄の称号を得ることとなる。

 そんなワルタニャンであるが、今物語においてもその功績は計り知れなかった。史実同様、GPUの密命を受けてイランに出国した彼は、イギリスのMI6やドイツの諜報機関、更には大日本帝国の『帝機関』テヘラン支局に対してもその諜報活動を展開。ソ連に有利となる情報の確保や、妨害工作に成功したのである。その後、シベリア社会主義共和国建国後には、新たに設立されたシベリア防諜局――CCKに所属。現在はサハ共和国において、対米軍の諜報活動を行っていたのだ。

  

 イワン・C・コーネフ元帥はこの日、ワルタニャンらCCK職員達の詰める無線室へと、足を運んでいた。CCKの諜報活動の進展を確認することと、労いのウォッカを振舞うためである。突然、無線室の扉が開かれ、PPSh-41『バラライカ』を肩にぶら下げた兵士数名とともに戦争の英雄、国防軍の重鎮たるコーネフが入ってきた時には流石のワルタニャンも動揺を隠せなかった。だが、兵士の1人が持つ木箱の中身を見て、ワルタニャンもこの状況を理解することとなったのである。彼は最初、自分達が粛清――は流石にないだろうが、任務怠惰を理由に叱責を食うと思っていたからだ。

 兵士の1人が木箱から数本のウォッカの酒瓶を取り出し、各々のコップに注ぐ中、ワルタニャンはコーネフに任務の進展具合と現状を報告した。米軍は現在、スレドネコリムスク・ニージネコリムスク・ズイリャンカの3拠点での兵力増強を続けており、5月下旬にはヤクーツクへの侵攻計画を企てているという。その報には、流石のコーネフも驚きを隠せなかった。

 「アメリカという国は全くもって化け物染みている……。既に日本と戦争をしているというのに、まだ西にも手を伸ばせるというのか……」

 「同志。CCK極東支局の報告では、日本はカムチャッカ半島で米軍に圧されています。このままでは、カムチャッカ半島からの撤退も止むを得んでしょう」ワルタニャンは言った。「米軍の防諜・諜報能力は非常に高く、既に何十名という諜報員がOSSによって捕えられています。率直に申し上げまして、現状の資金、人員ではこれに対抗出来ません」

 「それは国防軍全体の問題でもある。同志トロツキーはその問題解決に全力を尽くしておられる。CCKの問題に関しても、だ。しかし君の嘆願に関しては、私からも同志に伝えておこう……」

 そう言い、コーネフはウォッカの注がれたコップを持ち上げた。

 「だが今は……。この一時は戦争のことを忘れ、共に日々の努力を労おうではないか」


 そうコーネフは言い、コップを掲げ――叫んだ。



 「シベリア社会主義共和国万歳!!」


 

 

 

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