第157話 台湾の戦い(中)
第157話『台湾の戦い(中)』
1947年3月16日
大日本帝国/台湾
バシー海峡。台湾島南端からフィリピン最北端ルソン島間に広がるその海峡は、東南アジアと大日本帝国を結ぶ最も重要な補給経路だった。太平洋と南シナ海を連絡するバシー海峡を通過するかしないかでは、大日本帝国へのEU――特に蘭領東インドより“民生品”として輸入される数百万t規模の原油を輸送する場合、この海峡の封鎖は非常に厄介な問題となってくる。仮にバシー海峡を迂回し、ロンボック海峡経由で輸送するとなると、大日本帝国本土までの距離は1000km近く違ってくる。今後の戦局を考えれば、迂回路によるタイムロスは看過し難い所があった。もしもそうなれば真っ先に響くのは台湾・北方の前線地であり、苦しむのはそこで命を削って抗う兵士達であるのだ。また、1つの海峡に頼るというのは航路の混雑にも繋がるので、帝国海軍は更にオーストラリア経由の大回りルートを使わねばならない事態に陥るやもしれなかった。
帝国海軍聯合艦隊司令部と大本営は、この問題に対する解決策として“台湾攻勢”の勝利と“フィリピン占領”が適切であるという見解で一致していた。しかしその解決策の前には総兵力70万名を超すフィリピンの米極東方面軍の存在があり、同時に潜水艦を60隻以上保有する米海軍アジア艦隊の存在もあった。そして現状、大日本帝国軍は台湾において押され気味でもあった。
それでも帝国海軍はバシー海峡の通打作戦を立案、実行しようとしていた。作戦では『HI作戦』に温存される西海岸通商破壊戦用の潜水艦の半数を同海域に投入。更に聯合艦隊主力も合流させ、沖縄・九州の航空兵力と併せて短期航空決戦を決行。台湾遠征中のアジア艦隊と輸送船団を一挙に撃滅せしめ、台湾攻略作戦を頓挫させる算段を付けていた。しかし、米極東方面軍及びアジア艦隊が北方の米軍と連携し、聯合艦隊主力をカムチャッカ半島近海にて張り付けにする作戦を仕掛けており、先の『第二次ベーリング沖海戦』で手痛い一撃を食らった米海軍第3艦隊が戦線に復帰、聯合艦隊に威嚇を続けていた。そのため聯合艦隊は前線拠点のウラジオストクから離れることが出来ず、通打作戦は延期となりそうであった。
しかしながらバシー海峡・台湾近海に展開する米海軍アジア艦隊を見過ごすことは出来ない。そこで帝国陸海軍は3月16日の午後12時頃から沖縄・九州方面に配備された陸攻・局地戦闘機300機以上を台湾方面に向けて出撃。台湾沖に展開する米海軍アジア艦隊に対する航空攻撃を仕掛けていた。これは後に『台湾沖航空戦』と呼称される。
米海軍アジア艦隊の旗艦『インディアナ』は、『サウスダコタ』級戦艦第2番艦である。1942年に竣工し、1946年には米海軍アジア艦隊の新旗艦としてフィリピンに配備された。本来ならば米海軍の最新鋭戦艦たる『モンタナ』級第3番艦の『メイン』を配備するのだが、フィリピンにはそれだけの大型艦を整備する海軍設備が無く、『インディアナ』でやっとだったという訳である。アジア艦隊にはこの他、同型第4番艦『アラバマ』も配備されているが、それだけである。即ちアジア艦隊の保有する戦艦は計2隻。太平洋・大西洋の艦隊に比べると乏しい戦力だが、本来の米海軍太平洋方面の主力は太平洋艦隊――それも第3艦隊として戦力の一極集中化が行われているため、その点はさほど問題ではなかった。またフィリピンは米政府にとってはいわゆる“捨て石”のようなものだった――との理由もある。
そんな戦艦『インディアナ』だが、三式陸上攻撃機『銀河』による航空魚雷攻撃の標的となるのは時間の問題であった。九州より来襲した『銀河』陸攻隊はその胴体部に重量1tの九一式航空魚雷や、五式500kg爆弾を搭載していた。その破壊力は既に『真珠湾攻撃』や『第一次ハワイ沖海戦』にて実証済みであり、『アイオワ』級戦艦を数隻葬っている。当然、前級の『サウスダコタ』級にも効果が無いとはいえないだろう。
「敵機右舷接近ッッ!! 数8!!」
見張り員の怒号が轟く中、米海軍アジア艦隊司令長官のフランク・J・フレッチャー海軍大将は戦々恐々としていた。上空を埋め尽くす圧倒的な対空弾幕。そしてそれを凌駕する数の敵味方機。此処、高雄沖上空ではまさに今、両陣営陸海軍による大規模な航空決戦が繰り広げられていたのである。P-47『サンダーボルト』が宙を舞い、零戦が火の手に包まれる。刹那、その炎上する零戦が前方にて展開する駆逐艦の1隻に突っ込んでいき、巨大な黒煙を噴き上げた。そんな光景が爆弾やら魚雷にその役を代え、次々と行われる。無論、米軍側も多数の迎撃機を上げ、敵機の殲滅に動いた。が、如何せんその数、技量には差があり、両者の間には開きが生まれていた。
「右舷の対空弾幕を密とせよ! 敵機を近付けるなッッ!!」
フレッチャーはそう厳命するが、上空の『銀河』乗員達は戦艦『インディアナ』撃沈に文字通りその命を賭けようとしていた。
「敵戦艦1、これより攻撃を行うッ!」
『銀河』機長はその機体を下げ、水面すれすれを飛行し始めた。時折、爆風に巻き上げられた波濤が機体に降りかかったが、それでも高度と速度を絶やすことは無かった。その『銀河』にボフォース40mm機関砲の群れが吼える。鋼鉄の雨が『銀河』の横や頭上を掠め飛ぶ。しかしその大半は当たることなく海中に没し、『銀河』の翼が墜ちることはなかった。
「九一式航空魚雷、射ぇぇぇぇぇぇッッッ!!」
刹那、胴体部爆弾倉が開口。『銀河』より九一式改6が投下され、海面に解き放たれた。と、次の瞬間、九一式航空魚雷のスクリューが回転を始める。紺碧の海水を撹拌し、速力40ノットで疾駆する九一式航空魚雷は一直線に戦艦『インディアナ』を目指した。九一式は真っ白な雷跡を曳き、それは『インディアナ』の見張り員の目にも止まることとなった。
「魚雷右舷接近ッ!」
「取舵一杯!」
途端にフレッチャーは雷撃の回避運動を命じるも、一歩及ばなかった。『銀河』各機から次々と放たれる九一式航空魚雷と500kg爆弾はインディアナに直撃、その鋼鉄の巨躯をいとも容易く引き裂いたのだ。艦橋よりも高い水柱がインディアナの周囲に立ち昇った。そして艦内からは巨大な黒煙の柱が立ち昇り始める。機関停止、主砲塔爆砕、艦内では甚大な浸水・火災被害が発生しており、ダメコンチームがその対応に追われていた。が、それも残念ながら意味を成さなかった。魚雷4本、500kg爆弾を食らったインディアナはその艦腹を大きく抉られ、砲塔も破壊された。そしてその艦体は右に大きく傾き、絶えず黒煙を噴き上げていたのだ。
「何たることだ……」
数十分後、フレッチャー海軍大将は軽巡洋艦『モントピリア』に移乗していた。頭上で将旗がはためく中、彼の視界には転覆し、間抜けに艦底を晒しながら沈み行く戦艦『インディアナ』の光景が映っていた。それはこれまで“ジャップ”という人種と日本軍の実力を軽視し続けてきたフレッチャー大将にとって、全く以て信じられない光景だった。
『台湾沖航空戦』により米アジア艦隊は戦艦1隻、重巡洋艦1隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦計2隻、輸送艦6隻を喪失した。しかし一方で、帝国陸海軍側もフィリピンより出撃した米陸軍航空軍による反撃で238機の戦爆機を喪失しており、戦況は未だ予断を許さないものだった。またB-29による九州爆撃も報告されているため、航空兵力の大部分は九州各地に留めておかなければならない、という問題もあった。
1947年3月16日午後8時。帝国海軍第二艦隊は漆黒のバシー海峡にて進撃を続けていた。帝国海軍の常設艦隊として3月6日勃発の『第二次ベーリング島沖海戦』にも参加。以後、聯合艦隊主力のウラジオストク駐留に伴い、内地にて留守を任されることとなった第二艦隊は、今回の一件への対応を任された艦隊であった。聯合艦隊母港たる呉を出撃した第四戦隊は道中、第二水雷戦隊と合流。一路台湾を目指した。第二艦隊直卒の第四戦隊は旗艦『常盤』と重巡洋艦『筑摩』『利根』『妙高』の計4隻の重巡洋艦から成り、旗艦『妙高』には第二艦隊司令長官たる木村昌福海軍中将が座乗していた。
通称『ショーフク』と渾名される彼は史実の1943年7月、北部太平洋アリューシャン列島のキスカ島において成功させた『キスカ島撤退作戦』で名高い提督である。今物語では1943年9月に勃発した『オホーツク海海戦』で第一水雷戦隊を率い、ソ連海軍の戦艦『ガングート』撃沈を始め、重巡1隻大破、駆逐艦2隻撃沈、1隻大破という輝かしい戦果を挙げており、史実同様に海軍内で名を上げていた。そして1946年3月、中将昇格とともに第二艦隊司令長官に親補され、現在に至る。
そんな木村中将率いる第二艦隊――『木村艦隊』は重巡洋艦4隻、軽巡洋艦『矢矧』1隻、駆逐艦12隻から成る。旗艦『常盤』は『利根』型重巡洋艦の後継艦であり、艦種としては『防空巡洋艦』に近いものであった。12.7cm噴進砲、12cm連装高角砲、40mm機関砲と本来は空母機動艦隊の護衛に真価を発揮する防空性能を秘めており、今回のような夜襲――いわゆる“殴りこみ”には水雷戦力の乏しい艦だった。しかし高性能な水上・対空レーダーを装備しており、優れた指揮通信能力も有していたので夜戦における“連携”を執り易い艦でもあった。
■大日本帝国海軍第二艦隊(司令長官:木村昌福中将)
重巡洋艦:(4隻)
『常盤』『筑摩』『利根』『妙高』
軽巡洋艦:(1隻)
『矢矧』
駆逐艦:(12隻)
■アメリカ合衆国海軍アジア艦隊(司令長官:フランク・J・フレッチャー大将)
重巡洋艦:(4隻)
『ノーザンプトン』『チェスター』
『ニューオリンズ』『コロンバス』
軽巡洋艦:(2隻)
『マーブルヘッド』『モントピリア』
駆逐艦:(18隻)
『――敵艦隊捕捉。距離2万!』
『敵艦隊応射ッ!! 2時方向』
旗艦『常盤』に響き渡る見張り員の絶叫。それを聞く第二艦隊司令長官木村昌福中将は仁王立ちのまま、そこを微動だにしなかった。次の瞬間海が吼え、重巡洋艦『常盤』の50口径20cm連装主砲による米海軍アジア艦隊への応戦が始まった。強烈なバックブラストが闇を吹き飛ばし、膨張する火球は漆黒を切り裂きながら宙を舞う。数十秒後、『常盤』の放ったその20cm砲弾は漆黒の水平線の先に存在する敵駆逐艦の左舷部を突き抜け、爆炎を噴き上げた。
「報告します。近近遠近遠、夾叉!」
第二艦隊司令部砲術長の松田源二海軍中佐は内心歓喜しながらも、務めて冷静に報告する。何しろ初弾で夾叉を叩き出したのだ。それも相手は練度の低いソ連海軍ではなく、世界第1位の実力を誇る米海軍。この戦果を誇らしく思わない帝国海軍人はいないだろう。
「敵駆逐艦1隻、撃沈」
「よし、良い出だしだ……」
木村中将は自慢のカイゼル髭を擦り、ニヤリと笑みを浮かべた。
「この勢いに続けッ! ヤンキーに目の物を見せてやるんだ!」
旗艦『常盤』直卒の第四戦隊、そして第二水雷戦隊は波濤を海原に立たせつつ、米海軍アジア艦隊に向けて突撃を開始した。第二水雷戦隊司令官の森友一海軍少将は旗艦『矢矧』にその将旗を掲げ、第二水雷戦隊を巧みに操った。帝国海軍でも有数の“操艦の名手”と謳われるその彼の指揮は、濃厚な闇をも見渡し、10キロ先の敵をも見分けることの出来るという帝国海軍見張り員と水上電探の成果もあって敵の砲撃を回避し続けていた。
「照準を敵重巡洋艦に合わせッ! 61cm酸素魚雷、射ッッッ――!!」
史実では『華の二水戦』と謳われた第二水雷戦隊。その由来たる帝国海軍のお家芸――『夜戦』における二水戦の実力は伊達では無かった。それは帝国海軍が世界に誇る優秀な“見張り員”の賜物だが、史実では米海軍の高性能な“レーダー”の前に敗北。お家芸は奪われることとなった。
しかし今物語における米海軍アジア艦隊はレーダーこそ配備しているものの、その普及率は太平洋・大西洋艦隊に比べれば低く、そして運用実績にも乏しかった。幾ら優秀な兵器を保有していたとしても、それを使いこなさなければ意味を成さないことは戦史では多い。その御多分に洩れず、米海軍アジア艦隊もレーダーの質では勝っていたが、運用経験・実戦経験では圧倒的に負けたのである。
米海軍アジア艦隊旗艦『モントピリア』。昼方の『台湾沖航空戦』によって戦艦『インディアナ』が撃沈された後、将旗を移されたその軽巡洋艦は現在、アジア艦隊旗艦として運用されていた。同型艦の『アラバマ』は米陸軍極東方面軍総司令官、ダグラス・マッカーサー元帥の命令により、彼を乗せたままフィリピンへと無断撤退しており、戦力外となっていた。一方で『モントピリア』に避難した米海軍アジア艦隊司令長官のフランク・J・フレッチャー海軍大将は台湾上陸部隊支援のため、同海域に居残らねばならず、『モントピリア』にて指揮を続けていた。
「重巡洋艦『コロンバス』被雷! 損傷甚大!」
「レーダー員は何をしているッ!?」
悲鳴にも似た声を上げ、狼狽するフレッチャー。その眼の先には炎上し、右に大きく傾斜した重巡洋艦『コロンバス』の艦影があった。米海軍アジア艦隊でも数少ない最新鋭艦――それもアジア艦隊主力の重巡洋艦となれば、その損失は計り知れなかった。
「応射だ! 先頭の敵艦に砲火を集中しろッッ!!」
と、ここで米海軍も世界最大の海軍として本領を発揮。レーダー管制射撃による圧倒的集弾率を実現し、帝国海軍の重巡洋艦『筑摩』をいとも簡単に撃沈してしまった。こうなっては夜の闇――という仕切りは関係無い。レーダーとレーダー、人と人の戦いである。そしてその中には“運”も含まれている。それは次の斉射――米海軍アジア艦隊による一斉砲撃が全てを物語っていた。アジア艦隊旗艦『モントピリア』の放ったMk.12/5インチ連装主砲の一撃で帝国海軍の駆逐艦1隻が沈められたのだ。間髪置かずに行われたその砲撃は帝国海軍側に危機感を覚えさせた。
「61cm酸素魚雷、射ぇぇぇぇぇぇぇぇぇッッ!!」
しかし帝国海軍の夜戦技術は世界最高水準である。今もまた、漆黒の闇に紛れて放たれた1本の61cm酸素魚雷が米海軍アジア艦隊の軽巡洋艦『マーブルヘッド』左舷に直撃し、撃沈。更に帝国海軍の洗練された砲雷撃の前に駆逐艦1隻が撃沈された。結果、これで米海軍アジア艦隊の喪失艦艇数は重巡洋艦1隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦計3隻となる。かなりの喪失であった。
更に海戦は続き、両者の差は遂に開こうとしていた。ここまでに帝国海軍は駆逐艦5隻、重巡洋艦1隻、軽巡洋艦1隻を撃沈している。また重巡洋艦『コロンバス』を大破に追いやっていた。対する米海軍では重巡1隻、軽巡洋艦『矢矧』1隻と駆逐艦4隻を沈めた訳だが、やはり帝国海軍は圧倒的であった。更にそこから木村中将旗艦の『常盤』が大きく動き、米海軍アジア艦隊の重巡洋艦『ニューオリンズ』が撃沈されてしまった。
「よし、俺の運もここまでだ。撤収する」
と木村は告げ、艦長以下第二艦隊の総員に撤退を命じた。戦果報告と砲弾が頭上を飛び抜いていくその中で、第二艦隊は早々と海域を離脱したのであった。
この海戦――『第一次台湾沖海戦』は戦術面では帝国海軍が有終の美を飾ったものの、戦略面では引き分けという形となった。何故なら敵艦隊は未だ戦艦や巡洋艦クラスの艦艇を比較的有しており、しかもフィリピンの陸上航空部隊は無事なので、同海域の制空権は十分に確保出来ていたからだ。それどころか今回の海戦で米海軍はレーダーの有用性・実戦での使用実績を獲得することとなり、帝国海軍にとっては好ましくないことへと発展しそうだと、海軍上層部は戦々恐々である。ともあれ今回の『第一次台湾沖海戦』は帝国海軍の勝利と、米海軍アジア艦隊の戦力低下を成し遂げたのだった。
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