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時空戦艦『大和』  作者: キプロス
第12章 戦時の大和~1947年
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第156話 台湾の戦い(前)

 第156話『台湾の戦い(前)』



 1947年3月15日

 大日本帝国/台湾


 台湾南部に位置し、台湾第2の都市と謳われる高雄市。その沿岸に突如として現れたのは、米海軍アジア艦隊の艦艇群と多数の上陸用舟艇であった。上空ではフィリピン方面より飛来したB-17『フライングフォートレス』4発爆撃機の大編隊がその姿を誇示しつつ南下、高雄の街々に無数の爆弾を叩き付けていく。その大空襲を阻止せんと帝国陸海軍の戦闘機が空を舞うも、その大半は九七式戦闘機や零式艦上戦闘機といった旧式機であり、米軍のP-47『サンダーボルト』やP-38『ライトニング』の前に圧倒されつつあった。その間、米軍の上陸用舟艇は高雄の海岸線に無数の兵士を吐き出し、戦車揚陸艦はランディングして観音開きの艦首開閉口よりM4『シャーマン』中戦車を始めとする歩兵支援型の戦車を投入し続ける。また空路からの輸送の手も止まらない。史実大戦でも米陸軍の侵攻作戦を支えた傑作輸送機C-47『スカイトレイン』が次々と高雄の空を舞い、落下傘を付けた空挺兵や物資を投下していたのだ。

 かくして1947年3月15日。米陸軍極東方面軍による“台湾攻略作戦”――通称『ウォッチタワー作戦』が開始され、約30万名の兵員が高雄沿岸部への上陸を始めたのである。その中核を担うのはフィリピン駐留の米陸軍極東方面軍、47万名30個師団。そこに19万名6個師団のフィリピン陸軍を加え、計66万名36個師団の布陣となる。その総司令官はフィリピン総督も兼任する男――ダグラス・マッカーサー陸軍元帥である。米陸軍の東南アジアにおける軍事力の全てを事実上掌握しており、米国民人気の高い有名人でもあった。故にトルーマン大統領とは反りが合わず、本国との連携はあまり取れていなかった。

 対する大日本帝国陸軍台湾軍は現地民兵、予備役を含め計24万名15個師団と、米軍の3分の1程度しかない戦力であり、また航空戦力も帝国陸軍第7飛行師団及び帝国陸軍2個航空隊を合わせても300機程度。対するフィリピンの米陸軍航空軍は800機以上の新旧戦爆機を保有しており、その差は大きかった。また経験豊富なパイロットもその多くが最前線たる北方に転属された後であり、人材不足も否めなかった。

 そんな大日本帝国領台湾に対し、米軍は『ウォッチタワー作戦』を敢行した。その攻略作戦の緒戦として目標とされた高雄は、台湾第2の規模を誇る都市というだけではなく、帝国海軍の軍事拠点としても有名な地だった。その証拠として帝国海軍は『高雄警備府』を設置していた。その高雄警備府には南方の対潜・対空監視のため、『松』型駆逐艦や『中津』型護衛空母のような戦時急造艦、旧式艦艇が配備されており、日々米海軍アジア艦隊の潜水艦部隊の侵入に目を光らせていたのである。まさに高雄は帝国海軍の南方防衛の要であり、米軍にとっては理想的な揚陸地点だったのだ。



 「要地防衛。これが大前提だ」

 台湾首都たる台北市児玉町に居を構える大日本帝国陸軍台湾軍総司令部。この地台北と台湾全土の軍事を司る中枢であり、対米南方防衛の重要拠点たるその庁舎の一角では、台湾軍総司令官の武藤章陸軍中将とその幕僚達が米軍侵攻の対応に追われていた。

 米軍による台湾攻略の前兆は顕著に存在した。大日本帝国による対米宣戦布告の2日前からフィリピン各地の軍港、漁港では多数の船舶が集結を始め、米陸軍極東軍の軍用車輛が物資を満載にして運び込んでいた。また台湾上空でも10日ほど前から敵偵察機の数が増え、時には小規模な空襲も行っていた。首都台北もその標的になったのは言うまでも無い。しかし、台北には帝国陸海軍の航空部隊が多数配備されており、これらの空襲を退けてきた。

 だが今回、米陸軍航空軍は300機以上のB-29『スーパーフォートレス』、B-17戦略爆撃機を投入し、台北を始めとする台湾各地の都市部に戦略爆撃を仕掛けてきていた。何しろ台湾とフィリピンを隔てるのは幅150kmのバシー海峡。台湾南部とルソン島北端を結べば300キロ程度の距離である。帝国海軍はこのバシー海峡に多数の潜水艦を配備し、海峡封鎖を行おうとしたが、米海軍アジア艦隊がそれに呼応する形で潜水艦隊を派遣、水面下での闘争を続けていたのだ。結果、米軍はこのバシー海峡を渡り、台湾高雄近海まで侵攻することが出来た訳である。

 「敵軍は高雄を狙っている。ここには警備府があり、設備の整った軍港がある。護衛空母クラスの艦艇修繕を行える工廠、燃料・弾薬廠、通信施設、飛行場……。これらを無傷で手に入れられれば、敵軍は台湾攻略に十分な橋頭堡を得ることとなり、我が軍は敗北するだろう……」

 そう語る武藤中将は史実、対日戦争を支持し、対米交渉・早期講和に積極的だったという男である。終戦時は中将で、1945年の東京裁判では唯一の中将階級として“死刑”を宣告されている。その罪はフィリピンにおける捕虜虐待――と言われているが、フィリピンのマニラにおけるBC級戦争犯罪人裁判『マニラ軍事裁判』では逮捕訴訟されることなく、山下奉文大将の弁護人補佐を務めるなどしており、東京裁判における死刑判決は矛盾しているとして指摘されている。

 そんな武藤中将は1946年2月、台湾軍総司令官に就任。常備軍10個師団を隷下に収め、南方安全保障を一翼に担う人物としてその手腕を揮っていた。そして今日、米軍による台湾攻略作戦が始動された訳だが、武藤に抜かりは無かった。

 「閣下。既に高雄警備府では爆薬の設置作業が完了しております」参謀長の小坂卓少将は言った。「艦艇は全て脱出済み。飛行場も破壊工作作業が継続中で、ブービートラップの設置も進んでおります。高雄市内の建物という建物は補強を終え、民兵含めた兵士達がゲリラ戦に向けての準備を行っています。これだけの備えがあれば、敵の侵攻を1週間は食い止めることが可能……な筈です」

 1週間前から帝国陸軍台湾軍諜報部と『帝機関』は、フィリピンにおける輸送船団の動きを逐一監視、報告していた。何しろ40万名にも及ぶ兵員の一斉輸送である。各港湾は兵士を乗せた船で溢れ、その動きは手に取るように分かってしまう。そしてそれよりも以前から『帝機関』は米軍の暗号通信の一部解読に成功しており、マニラの米陸軍極東方面軍総司令部から北方方面軍総司令部に向けた通信を傍受、解読し、台湾攻略作戦の具体的な決行日まで大方の見当を付かせていたのだ。これにより大日本帝国本土では九州駐留の2個歩兵師団、沖縄の1個歩兵師団、航空機200機程度の増援を行っていた。予定では明日到着だが、それには先ず米海軍アジア艦隊によって掌握された制海・制空権の奪還が重要だ。

 「肉を切らせて骨を断つ……。いや、肉を切らせて骨を守る、か」武藤は言った。「高雄は我々にとっての南方防衛。そして敵にとっての前線基地という要地だ。この高雄、そして首都台北を中心に台湾の戦いは進行していく。当面は敵側に長期的な出血を強い、来たる時にその首を切り落とす……。その算段で私は今回の戦争を進めていくつもりだ。諸君等にもその点を肝に命じ、事に当たって貰いたい」

 そう武藤は語り、黒煙上げる台北の街並みを眺めた。



 台南上空を駆る数十機のB-29『スーパーフォートレス』戦略爆撃機。最大航続距離9650km、爆弾搭載量9tを誇るその巨人は『超空の要塞』――の渾名に相応しい存在であった。今回、そのB-29はフィリピンから出撃。バシー海峡を悠々と飛び越え、この台北上空まで到達していた。その爆弾倉内には2tを超える爆弾が搭載され、投下される時を粛々と待ち続けている。

 「5時の方向、敵機!!」

 そんなB-29に対し、台南の空の防人として立ち塞がったのは帝国海軍台南海軍航空隊――である。台南海軍航空隊はあの『統合戦略航空団』に属し、訓練部隊のような部隊として知られている。満州国を中心に活躍していた特零空時代から所属隊員の3分の1はローテーションにこの部隊に配属され、休養兼飛行訓練や新型機の実地前テストを行う。零式艦上戦闘機や三式艦上戦闘機『紫電』も、満州国配備前に一度はこの台南の地に運ばれ、空を飛んでいる。

 「こちら杉田一番。B-29を撃破せり」

 閃光を煌めかせ、一瞬にして超重戦略爆撃機B-29の主翼を捥ぎ取った一撃。それは帝国陸海軍のロングセラー対爆撃機噴進兵器『三式噴進弾』による功績だった。そしてそれは七式艦上噴進戦闘機『旭光』が放った一撃であり、史実の撃墜数70機の帝国海軍エース――杉田庄一海軍中尉による一撃でもあった。『闘魂の魂』や『空戦の神様』で知られる杉田は特零空時代には撃墜数12機と史実に比べれば少ないものの、その空戦技術はエース揃いの特零空でも光るものがあった。また豪放磊落な性格で、後進に対する指導も熱心であったことから訓練部隊たる台南空へと配属されたのだ。

 そんな杉田を嘲笑うかのように爆音を轟かせ、頭上を駆る30機以上のB-29。その姿はさながら太古に生息する巨鳥の群れの如く、七式噴戦『旭光』に暗い影を差していた。

 『草薙一番より全機へ。1時目標、B-29は30機程度と認む』

 台南空飛行長を務める草薙中佐は“機銃を以て草(敵)を薙ぎ払う”――を座右の銘とする人物で、優秀なジェットパイロットでもあった。そもそも台南空は1945年頃よりレシプロからジェット機への乗り換えを行うべく必要な訓練等を進めてきており、隊員の多くはジェット機の使い方を良く心得ていた。また台南空自体にも多数の噴進戦闘機が配備されていた。現在、噴進戦闘機『橘花』『火龍』だけでも台南空には40機近くが揃っており、台湾防空の要として運用されている。

 『全機、突撃せよ!』

 草薙の指示が航空無線を通じて各機に飛び、台南空防空部隊はその機首をB-29の大編隊へと向けることとなった。相手は高度1万mの高高度圏を飛翔し、その追手から逃れようとした。確かにその試みは零式といった旧式機には効果的であったものの、登場の久しい噴進機には無駄であった。

 12000mの高高度。大気も薄く、厳寒なるその空に咲くのは爆発と炎と黒煙だった。深く青い空を切り裂くそれは、ジュラルミンで銀色の巨躯を見せるB-29がいとも容易く命を散らせた際、同時に放出された生命力のようなものだった。炎は燃やすものがあれば絶え間なく燃やし続け、黒煙はそれを受けて更に黒く、濃く発生し続ける。

 苛烈なる邀撃を前にB-29はものの10分で半数が壊滅し、残る半分も未だ攻撃を受け続けていた。高高度故、地上の対空砲は全く問題にはならなかったが、この邀撃機は不味かった。成す術も無く撃破され続けるB-29。それに対し、護衛機たるP-38が奮闘するも、噴進戦闘機の圧倒的な速力の前には無意味と言わざるを得なかった。

 結局、凄まじい邀撃を味わったB-29の大編隊はそのあまりの被害率の高さから一時撤退の動きを見せた。その大部分は撃墜を免れたものの、それも気休めに過ぎなかった。台南市だけでも米陸軍航空軍の犠牲は80機以上に及ぶ。台北、高雄でもそれは同じで、その消耗率は確実に増加していた。




 

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