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時空戦艦『大和』  作者: キプロス
第11章 戦時の大和~1947年
149/182

第143話 コルフ事件(中)

 第143話『コルフ事件(中)』



 1947年2月14日

 大日本帝国/カムチャッカ地方


 遥か彼方の空――天に聳えんコリャーク山脈の頂を越え、驀進するその戦列は、コルフ要塞という“獲物”を前に崩れ去っていた。雷鳴の如き爆音が轟き、厚い雲に覆われた薄暗い空を無数の閃光が迸り、き裂いていく。そしてそんな空を、インクのような黒い染みが支配していった……。それは――無数の機影とその残骸。カムチャッカ半島の付け根、大日本帝国によるカムチャッカ防衛に際し、重要な戦略拠点として機能し得る地――コルフを巡り、日米両軍が激闘を繰り広げる戦場の一角だった。コリャーク山脈の頂を越え、侵攻を果たした米陸軍航空軍第12航空軍。それに相対するはカムチャッカの空の防人、大日本帝国陸軍第四航空軍と、帝国海軍カムチャッカ航空隊であった。

 コルフ地域の航空優勢――即ち制空権を巡るその戦いは両軍では『コルフ航空戦』という名称で刻まれ、後の歴史にも記される。米陸軍航空軍第12航空軍はそのコルフ航空戦に際し、計1430機の航空兵力を同地域に投入。それに対し、第四航空軍と海軍航空隊は計1200機の航空兵力を投入して、一大反攻作戦に打って出る算段だった。というのも、カムチャッカ方面軍総司令官の牟田口廉也大将は、この計1200機にも及ぶ航空兵力を用いての航空打撃と同時に、その航空支援下の恩恵を以て、近接航空支援を得た地上の陸軍にも敵前線に対する短期殲滅作戦――を並行して行おうと思案していたのだ。成功すれば制空権確保、敵航空兵力の削減、敵前線の後退等、様々な面での戦果を期待出来る。が、失敗すれば目も当れられない事態に陥るのは必至であった。

 とにもかくにも2月14日。牟田口大将の号令一下、『航空撃滅作戦』は始動された。が、米軍はそれを事前に察知していた。不用意な無線交信、諜報員の存在、そして暗号解読の結果、カムチャッカ方面軍司令部の情報は全て筒抜けだったのである。

 そして2月14日早朝。米軍は先手を打つ形で、航空兵力を前進させた。それに一早く察知したコルフの対空監視哨とレーダー施設は、この事実をカムチャッカ方面軍司令部に伝える。当然ながら、司令部は恐慌状態に陥った。この作戦の発案者である牟田口もまた、そうであった。この航空殲滅作戦は、第1段階として前線に展開する敵飛行場の全てを強襲し、撃滅。米軍の航空兵力の2割~5割程度を地上撃破してから、航空決戦に至る算段だったからだ。その出端を挫かれる結果となってしまった牟田口は、各地飛行場で準備の整っていた航空機を出撃させ、急遽邀撃任務に変更させたのである。そのため、対地爆弾等を積んでいた攻撃機までもが準備不足のまま飛ばされる羽目となり、対地攻撃は完全に中止されてしまう。しかし前線の陸上兵力には、已然として敵前線への攻撃任務が継続されており、状況はますます悪くなっていくばかりであった。

 2月14日午前9時。コルフへと到着した帝国陸海軍航空兵力は、そこで自分達を凌駕する数の敵機と遭遇することとなる。その敵機の大群――米陸軍航空軍第12航空軍は、米国の新植民地であるチュクチ民族管区を管轄とする航空軍の1つであり、その主力はP-40『ウォーホーク』戦闘機やB-17『フライングフォートレス』戦略爆撃機といった旧式機だった。B-29『スーパーフォートレス』やP-80『シューティングスター』といった最新鋭機も配備されていないことは無かったものの、その大部分は米陸軍航空軍第11航空軍――『アラスカ方面航空軍』に配備されており、チュクチには回されていなかった。

 対する大日本帝国陸軍第四航空軍は、主力として四式戦闘機『疾風』や四式噴進戦闘機『火龍』を用意し、これに迎え撃った。無論、これらの機体は性能面ではP-40のような旧式戦闘機とは比較にならないレベルであり、質においては全体的に帝国陸海軍の方が上だったのは間違いない。しかし、数でいえば負けており、この差を埋められるかどうかが肝心であった。

 「……10分だ。もう10分もあれば、増援の機体が来る筈だ」

 統合戦略航空団――帝国陸海軍のパイロット・航空機を集め、編制された精鋭航空団――の航空団長で、アジア人としては初の快挙となる敵機200機撃墜超え(共同撃墜記録含む)を誇るエース・パイロットでもあり、大日本帝国軍の撃墜王として君臨する男、篠原弘道少将はコクピットの無線に向かって言った。統合戦略航空団の指揮官としての責任を担うこの男だが、現在でも戦闘機パイロットとしては現役だった。その現状はいわば、ドイツ空軍でいう所の“アドルフ・ガーランド”に似ている。無論、並外れた人事権を持つ訳ではないが。しかし、そういったことも許されるだけの権限を有していることは確かであった。 だが同時に、前線指揮を通り越した戦闘機パイロットとしての出撃任務――それに関しては同航空団創設に関わった『大和会』始め、帝国陸海軍上層部や部下からも心配された。だが当人にとって、空を飛ぶことの愉しさなど忘れることも出来ず、また撃墜数を増やしていくという欲に打ち勝つことも出来なかったのである。

 そんな彼は今、帝国陸軍が開発したばかりの新鋭噴進戦闘機――七式噴進戦闘機『迅雷』の先行試作型に搭乗し、統合戦略航空団第一戦闘飛行隊の陣頭指揮を執っていた。そしてその第一戦闘飛行隊の多くのパイロット達もまた、この七式噴進戦闘機『迅雷』を受領し、愛機としていた。

 『ワレ、敵機ヲ発見ス。大編隊ナリ、数百十数機。方位0-8-0』

 先行して発進、敵航空部隊の捕捉を続けていた六式噴進偵察機『閃雲』の打電を傍受した統合戦略航空団司令部から、敵機大編隊が自分達の居る方角に向かっているという報告を受けた篠原は、無線電話等を駆使して編隊の全機に敵大編隊がこちらに向かっているという事実を把握させ、臨戦態勢を敷いた。万が一、敵大編隊の強襲攻撃を受けて編隊が恐慌状態に陥らないための予防措置だ。戦場――御多分に洩れず上空においても、誤射や誤撃墜は日常茶飯事の出来事である。いくら形状が特殊な七式噴進戦闘機『迅雷』といえど、パニックに陥ればその可能性が無い訳ではないのだ。

 ――そして10分後、敵機はその姿を現した。

 「用心しろ、相手はあのP-80『シューティングスター』だぞ!」

 その招かれざる来客を見た時、篠原はまるで心臓を鷲掴みにされたような苦しさをその身に覚えた。米陸軍航空軍の最新鋭ジェット戦闘機、P-80『シューティングスター』は、既に1946年から続く日米国境紛争で幾度か遭遇し、その度、幾人かの部下の命を奪っていったからである。

 P-80『シューティングスター』は米陸軍航空軍が開発した最新鋭ジェット戦闘機で、1946年に制式採用された。設計は、かのP-38『ライトニング』双発戦闘機を手掛けたことで知られるクラレンス・ケリー・ジョンソン技師。その機体構造自体は史実のP-80と大差無かったものの、イギリスによるターボジェットエンジンの技術提供が無かった為、そのエンジンはMe262が搭載するJumo004――ソ連の鹵獲したMe262を米国が密かに入手した――をコピーしたものであった。結果、史実のP-80と比べて速力面で劣ってしまったものの、ろくなジェット戦闘機を持たない米国としては合格点の出来栄えだった。

 一方、大日本帝国陸軍が開発した七式噴進戦闘機『迅雷』は、旧来のMe262や四式噴進戦闘機『火龍』に比べても非常に先進的な機体構造・性能を有する次世代ジェット戦闘機だった。

 その性能諸元は――。


 ■『七式噴進戦闘機迅雷』性能諸元


 全長:11.10m

 全幅:11.20m

 全高:4.53m

 主翼面積:26.0㎡

 自重:3,450kg

 全備重量:6,100kg

 最高速度:1,012km

 発動機:ネ-430(推力:1590kg)

 実用上昇限度:14,320m

 航続距離:2,100km(増槽有り)

 乗員:1名

 兵装

  機首:二式20mm機関砲×2挺

    (装弾数各200発)

    :五式30mm機関砲×2挺

    (装弾数各135発)

  翼下:三式55mm噴進弾×24発

 爆弾搭載量:900km


 ――となっている。

 ドイツ空軍のTa183『フッケバイン』を基に大型化の試みられた七式噴進戦闘機『迅雷』は、その性能面の一部においてだが、オリジナルを凌駕するものを秘めていた。まず、心臓たるエンジンはターボジェットエンジンの開発分野では世界最高峰を行くロールスロイス社の新型発動機『ニーン』を基に開発された三菱の『ネ-430』を採用。その推力は1590kgと、この時代の史実に比べると見劣りする性能ながら、Ta183A(初期生産型)のハインケル・ヒルトHeS011の推力1300kgを上回る――その後、ジェットエンジンの性能向上によりTa183C以降、推力は大幅に向上した――ものだった。また、機体設計をベースのTa183よりも一回り大きくすることにより、機体に余裕を持たせ――後の大型エンジンや新兵装への換装にと――兵器搭載量や防弾性、航続距離の面では若干ながらTa183に勝っている。とはいえ、軽量小型のTa183を相手取ると、どうしても加速性・上昇性・旋回性で劣る部分もあり、完璧なジェット戦闘機とはいえない。しかし、“後退翼”や“エアインテーク”という新機軸の技術を取り入れた『迅雷』は、航空史に残る傑作機ともいえたのである。

 それに対し、帝国海軍が開発した七式艦上戦闘機『旭光』は、ベース機となったTa183同様、軽量小型な機体に重点を置いた設計の下、世界初の空母艦載型ジェット戦闘機としてその名を轟かせている。それは海軍分野において、どうしても他国に劣るドイツとしてみれば何とも悔しい話であった。



 コルフ郊外に広漠と存在する馬鈴薯畑の連なった丘陵を低空で飛行し、遷音速のスピードで地上を圧倒しながら猛進する複数の機影――。それはP-80『シューティング』ジェット戦闘機だった。そのP-80の数は計12機。P-80が3機で1個の編隊を作り、それを4個編制してのジェット戦闘機編隊だ。ジェット後進国アメリカとはいえ、GE(ゼネラル・エレクトリック)社がドイツのユンカース社から模倣したそのジェットエンジン技術は本物であり、その実力は零戦や隼といった旧式機では相手にならない。また、武装する12.7mm機関銃6挺による猛烈な射撃は、威力こそ機体を選ぶものだったが、安定した命中率という点では非常に優良な機体といえた。

 しかし、それはあくまで同じ土俵でない相手を比較する場合。帝国陸軍が最初に開発した四式噴進戦闘機『火龍』であれば、苦戦を強いられることに間違いは無かったのだ。そして更に上の実力を有する相手に対しては、力不足と言えなくもなかった。

 そんなP-80の後方上空から見下ろしているのは、帝国陸軍の最新鋭噴進戦闘機『迅雷』だった。そしてそれを操るのは、大日本帝国きってのエース・パイロット――篠原弘道少将である。『東洋のリヒトホーフェン』や『ソ連人民の敵』といった渾名で知られる彼は、1945年末からジェット戦闘機の操縦指導を受け、従来のレシプロ機からジェット機へと鞍替えしていたのだ。

 性能・経験・実力、そして位置からして、この空戦のイニシアチブを握っているのはP-80の米軍パイロットではなく――篠原だった。篠原と、彼が率いる『迅雷』噴進戦闘機部隊は真上から接近、猛スピードで急降下し、怒涛の銃撃を浴びせ掛けた。一閃、P-80の胴体や主翼といった機体各所に深い孔が穿たれ、蜂の巣となった。燃料タンクやコクピットもまた然り、孔からは漆黒の液体が放出され、どこからともなく発火した炎がその表面を伝い――燃焼に至らせる。鮮紅の眩い輝きを放つP-80に、もはや助かる手立ては存在しなかった。錐揉みしながらただ、墜ちていくのみである。

 「奴ら逃げてくぞ、1機たりとも逃がすなッ!」

 篠原は無線越しにそう下命し、全速力で逃走を図るP-80の編隊を見据えた。

 『こちら上坊一番、B-29を確認した』

 統合戦略航空団第一戦闘飛行隊長の上坊良太郎少佐からの無線連絡を聞き、思わず瞠目する篠原。次の瞬間、彼は無線機を引っ掴み、険しげな表情を浮かべつつも問い掛けた。

 「……数は?」

 『凡そ30数機と認む』

 その報告を聞いた篠原は、ますます表情を険しくした。30機以上ものB-29『スーパーフォートレス』戦略爆撃機がコルフに侵入しようものなら、そこに敷かれた防衛ラインは甚大な被害を受けるだろうからだ。それは看過出来ない。それに正直な所、逃げ腰に入っているP-80を追い駆けたところで果たして意味はあるのかといえば、それは難しい所なのだ。

 「……こちら篠原一番、了解した」

 遂に篠原は決断し、無線を握り締めた。

 「こちら篠原一番。各機、B-29の邀撃に向かえ」

 そう下命するや否や、逃走するP-80を追尾していた『迅雷』の全機が旋回を始め、方向転換を行った。目指すはB-29『スーパーフォートレス』の爆撃編隊である。篠原機を筆頭に、迅雷は心臓たるネ-430ターボジェットエンジンを奮い立たせ、上昇を開始する。そして高度1万2000mまで上昇したところで、迅雷各機は気流に揺られながら巡航を始めた。

 眼下――高度1万mの高高度を駆るB-29『スーパーフォートレス』の大編隊を第一戦闘飛行隊が発見したのは、実に5分後のことである。遥か下、地上間近の低空では邀撃機仕様の施された零式艦上戦闘機や三式戦闘機『飛燕』が、米軍のP-47『サンダーボルト』等を相手に激闘を繰り広げている最中だった。そんな中、大量の爆弾を積み、高度1万mというまさに雲の上の至る高度を悠然と飛翔するB-29。史実の大日本帝国ならば、この高高度に到達出来る戦闘機は一握りしか存在し得なかったが、今物語では本土空襲を経験した『大和会』により、邀撃機を始めとする『対B-29』対策には力が注がれており、レーダーや迅雷のような邀撃機や、対B-29戦術等が確立されるに至った訳である。

 「突撃するぞッ!!」

 刹那、高度1万2000mからのダイブ。眼下に飛翔するB-29の背面目掛け、逆落しに急降下を敢行した篠原はGの衝撃に全身を震わせつつも、務めて冷静に目標であるB-29を照準内に収めていく。そして――一閃。激しい爆炎と同時に、機首部に配置された五式30mm機関砲が咆哮する。そして、その鋼鉄の矢を巨人の背中に射抜いていった。B-29は悲鳴を上げる。業火を右翼から迸らせ、徐々に体勢を崩していき、最後には墜落した。

 次の瞬間、始まったのは猛烈な火箭の交錯だった。B-29が搭載する12.7mm機関銃は濃密な対空弾幕を形成し、迅雷の体躯を削り取る。一方、迅雷は一撃必殺の五式30mm機関砲を以て、重厚なB-29の機体を食い破ろうとする。だがそれにはまず、1機につき平均10挺以上の機銃を擁するB-29の重厚な弾幕を掻い潜り、肉薄しなければならないのだ――“銃撃”ならばの話だが。

 「三式噴進弾、射ッッ――!!」

 帝国陸海軍で制式採用されて早4年。ドイツのR4M『オルカン』を基に開発された三式55mm噴進弾は現在でもベストセラー兵器として使用されていた。かつては不良品が多く、全体の稼働率が5割を切っていたとされた三式55mm噴進弾だが、現在ではノウハウや工業水準の向上により、幾分かは改善されていた。とはいえ、まだまだ課題は多いのだが。

 閑話休題。とにかく三式55mm噴進弾の威力は絶大だった。計24発が織り成すその攻撃はB-29の強靭な装甲を以てしても、簡単に引き裂いてしまえる程の破壊力を備えている。史実では、基となるR4Mを搭載したMe262が敗戦直前の約1ヶ月間に500機もの連合軍機を撃墜しており、アメリカを始めとする連合国は恐怖していたという。そしてその御多分に洩れず、三式55mm噴進弾もまた、圧倒的な火力を以て、B-29を蹴散らしている。

 「撃墜3!」

 密集するB-29の大編隊に対し、噴進弾による攻撃は相性が良過ぎた。その破壊力は絶大故、例え直撃しなかったとしても、その爆発の衝撃によってB-29の航行に著しいダメージを与えていたほどだ。これでは、日本本土を席巻していたB-29も形無しであった。次々と襲い来る噴進弾と大口径機関砲弾の応酬は圧倒的で、戦闘開始時は30機以上も居た筈のB-29が現在では10機近くを割り切っていたのだ。即ち、短期間のうちに全戦力の3分の2を喪失したことになる。

 「機長! このままでは我が隊は全滅です!」

 B-29の乗員がそう唱える先に居たのは、同部隊を指揮するマイヤー少佐だった。

 「……止むを得ん、か」


 そう呟くマイヤー。しかし、次の瞬間には彼の搭乗するB-29も迅雷の猛攻の前にその巨躯を晒し、爆散してしまうのだった――。




 

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