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時空戦艦『大和』  作者: キプロス
第11章 戦時の大和~1947年
143/182

第137話 コマンドルスキー諸島事件(前)

 第137話『コマンドルスキー諸島事件(前)』



 1947年2月6日

 大日本帝国/ベーリング島


 米海軍第39任務部隊の旗艦『サンフランシスコ』艦橋には、同任務部隊を総指揮する米海軍の提督、アーロン・C・メリル少将の姿があった。史実、『ビア・スタンモーラ夜戦』や『ブーゲンビル島沖海戦』において、水上レーダーを駆使した夜戦戦法によって帝国海軍の十八番であった“夜戦”を戦い、見事に勝利を収めたこの人物は、かのアーレイ・A・バークやウィリス・A・リーと並んで賞讃される名提督だった。今物語では米海軍第3艦隊所属、アラスカ軍管区隷下の第39任務部隊(重巡洋艦2隻、軽巡洋艦3隻、駆逐艦8隻)の司令官職に任命され、母港アンカレッジを拠点に対日水上警備任務に日々務めていた。だが今日、彼と第39任務部隊に与えられた命令は全く異なったものであった。

 カムチャッカ半島東部、アリューシャン列島西端に位置する旧ソ連領――コマンドルスキー諸島。ベーリング島とメードヌイ島という2つの島からなるその諸島を巡る物語は、『日ソ戦争』只中の1945年1月まで遡る。その時期、破竹の勢いでソ連極東領へと侵攻を果たしていた大日本帝国軍は、占領地モンゴルを通じ、疎開したソ連中枢が密集するノヴォシビルスク攻略のためにイルクーツクを攻撃すると見せ掛け、カムチャッカ半島に上陸、侵攻作戦を敢行したのである。ものの見事に騙されたソ連は成す術も無くカムチャッカ半島の防御を破られ、奪取を許してしまう。そしてこの時、大本営はカムチャッカ半島東部に位置するコマンドルスキー諸島を一旦、放置する方針を定めていたのである。

 この大本営の決定には様々な理由がある。例えば、同諸島を占領するための兵力・物資・艦艇等が不足していたというものや、アリューシャン列島とは目と鼻の先であるが故、米側を刺激しないためにも占領は控える――というものだった。そして何はともあれその決定は下され、コマンドルスキー諸島は戦火から逃れたのである。

 だが1945年2月、米国がソ連に対して宣戦布告を表明すると同時に、大本営は従来の方針を転換、コマンドルスキー諸島制圧に乗り出したのである。この行為は1945年2月23日に実施され、それから僅か1日と経たず、ベーリング島とメードヌイ島を制圧、占領下に収めた訳であった。

 ところがこれに反発するのが、当然ながら米国である。自国領の端の端であるアリューシャン列島、更にその列島の西端に位置する小さな2つの島とはいえ、それは米国の極東軍事戦略に大きく影響するであろう大問題だった。米国は大々的な抗議を行うとともに、両諸島の領有権は歴史的に見ても米側にあるとして、日本側にその割譲を要求したのだ。

 当初、誰もが信じることが無かったその理不尽が一部認められることとなったのが、『欧ソ戦争』・『日ソ戦争』・『米ソ戦争』という3つの大戦の戦後処理を行う『ヘルシンキ講和会議』での場だった。そこで対米宥和政策を既に取りつつあった英仏EU主要諸国は、大日本帝国側に譲歩を進め、半ば強制的にメードヌイ島の領有権譲渡が決定されたのである。かくして大日本帝国はコルビンスキー諸島の一角、アリューシャン列島に面する小島メードヌイ島の領有権を米側に譲渡したものの、何とかベーリング島の領有権のみは守り切ることに成功したのだった。

 しかし当然ながら、米政府首脳陣はこの結果を良しとしなかった。それは領土の問題よりも、自国領アリューシャン列島に連なる形で大日本帝国の軍事拠点が存在している――という安全保障・軍事戦略上の“目の上のタンコブ”を取り除けないという煩わしさの一点に絞られていた。というのも前述したが、コマンドルスキー諸島ベーリング島は、米国領のアリューシャン列島とは目と鼻の先の距離に位置する島である。その面積は然したるものではないが、隣島のメードヌイ島よりはインフラが整っており、またその居住人口も多かった。

 そして軍事戦略上でも、非常に大きな意味を持つ島だった。帝国陸海軍は1945年5月からこの島の整備を始め、飛行場や潜水艦基地、レーダー施設、要塞防御施設の建造を進めており、1947年2月の時点ではその大部分の工事が完了していた。そしてその防衛には帝国陸軍守備隊と帝国海軍陸戦隊、計2000名が担っており、航空機は戦闘機30機、偵察機15機、爆撃機20機が配備されていたのである。また潜水艦と哨戒艇が常時各5隻ほど駐留しており、対米哨戒任務に就いていた。この事実を見ても、米国がベーリング島に危機感を抱かない筈が無かった。

 ともあれ、大日本帝国陸軍――関東軍の基本防衛戦略は満州国を拠点とし、中国・モンゴル・チュクチ(アメリカ)国境を中心に駐留兵力を配備することだった。そのため、アリューシャン列島に面するベーリング島にも駐留兵力が置かれた訳だが、『日ソ戦争』によって得た広大なソ連極東領をカバーするには、大日本帝国の国力では力不足なのは目に見えており、ベーリング島防衛も兵力不足が否めなかったのである。というのも本来、ベーリング島に配備される兵力は陸海軍合わせて3500名と定められていたからだ。ところが極東領の広大な国土と長大な国境線を防衛するために多大な兵力を割いた結果、約1000名ほどの兵力が欠けてしまったのである。関東軍カムチャッカ方面軍はこの兵力不足を補填しようと躍起にはなっていたが、如何せんどうしようもない問題としてその処理は遅れていた。


 ――そしてその結果が今回の事件を引き起こす一因でもあった。



 1947年1月15日、日を遡ること約3週間前。ベーリング島ではある事件が起こっていた。15日明朝、闇に乗じて一隻のトロール船がベーリング島近海に進出、数名の米国人が不法上陸行為を行ったのである。この米国人というのが実はジャーナリスト――新聞記者であり、彼らの主張による所の“報道の自由”を全うし、世界にこのベーリング島の正当な所有者の所在を証明しようとしたのだという。だが拘束されたのが帝国海軍の潜水艦基地であったことを考えると、その主張はいささか信用に欠けるものだった。このジャーナリスト達は憲兵隊に引き渡され、島内の刑務所に収監されることとなった。

 だがそれは、米国世論の逆鱗に触れる行為だった。1947年1月、アルゼンチンとパラグアイの戦争が開始されてから約2ヶ月が経過したその月、大日本帝国はアルゼンチンに対し、日系人や邦人救出・支援という名目の下、物資供給や軍事支援を行うことを表明し、それを実行していた。その頃から米国内の対日世論は徐々に形成され、熟成されていた訳だが、今回の一件はそんな国民世論を大きく沸き立たせる結果となったのだ。

 アメリカの裏庭で喚く悪党を擁護するに飽き足らず、報道の自由を持ったアメリカ人ジャーナリストまで不当に逮捕する――というそんな歪曲された“事実”が米国民に与えたショックは大きかった。世論はベーリング島で拘束されているジャーナリスト達の即時解放を訴え、米国各都市で反日デモを繰り返すようになった。やがて不況に苦しむ暴徒達によって日系人の店が次々と襲われ、略奪と放火が続けられた。カリフォルニアではアジア系や日系人に対する差別が強まりを見せ、黒人同様に白人との公共設備等の区別化(トイレやバスの“アジア人専用”等)が進められ、場合によっては不当な資産没収が行われるようになった。

 そんな中、実行に移されたのが今回の一件――米軍による『ベーリング島強襲作戦』だった。その主目的は刑務所に収監されたアメリカ人ジャーナリスト達の救出にあったが、それにしてはあまりにも膨大な戦力が用意されていた。まず米海軍は第39任務部隊(重巡2隻、軽巡3隻、駆逐艦8隻)、潜水艦5隻、哨戒艇3隻、高速輸送艦(APD)6隻、メードヌイ島海軍航空部隊(戦闘機15機、爆撃機20機)、アリューシャン方面海軍航空部隊(戦闘機40機、爆撃機35機)という戦力が用意された。これらはベーリング島上陸作戦の支援を主目的としたものであり、同島制圧を担うのは米海兵隊だった。米海兵隊はアラスカ防衛を担当し、アンカレッジ等に配備されていた米第6海兵師団計12000名の兵力からなり、これに米海兵隊航空部隊(戦闘機12機、爆撃機15機)が加わっていた。

 いうまでもないが、帝国陸海軍ベーリング島守備隊と米軍の差は圧倒的だった。まず兵力にすれば、単純計算でも6倍の差があり、戦闘において有効な攻撃を行うためには相手の3倍の兵力が必要となる、という『攻撃三倍の法則』に十分過ぎるものだった。また航空戦力に関しても絶望的な差があり、海軍戦力ではもはや話にもならない。そもそもベーリング島は要塞ではなく、どちらかといえば中継基地のような位置にあったので、これはこれで妥当な戦力配置ともいえるが、今回の場合においてはあまりにも不利な戦力差を生み出す要因となってしまったのである。

 「閣下、準備が整いました」

 ボルチモア級重巡洋艦『サンフランシスコ』(3代目)艦橋。払暁に白く染まった水平線上に茫と浮かび上がるその艦影には、威厳さえ感じられる。そんな重巡洋艦『サンフランシスコ』と第39任務部隊を指揮するアーロン・C・メリル少将は言い知れぬ不安を覚えていた。これだけの圧倒的な戦力差、潤沢な補給支援を受けながらも脳裏を過る一抹の不安。メリルはただただ沈黙し、首を傾げるしかなかった。

 「……あ、あぁ……各艦、艦砲射撃用意」

 「各艦、艦砲射撃用意ッ!!」

 参謀長を務めるウィリアムス大佐は復唱し、艦内は騒がしくなった。主砲塔が轟音を上げて旋回を始め、高角砲は天空を仰ぎ見る。機関部はより一層、蒸気を作り、各区間に供給を始める。やがて射撃用意完了を告げるランプが一斉に点灯する。

 「――撃ち方始め」

 「撃ち方始めッッ!!」

 号令と同時に射撃用意のベルがけたたましく鳴り響き――轟音が迸った。砲撃音だ。耳を劈くその爆音は、サンフランシスコの55口径20.3cm三連装主砲が放った斉射によるものだった。計9門から同時射撃されたそれは海上を飛び越え、空を切り裂きながら、ベーリング島の帝国海軍潜水艦基地に直撃した。伊号潜水艦が一隻、派手な爆炎と黒煙を迸らせ、基地施設の一角が爆風で吹き飛ばされた。それでも砲弾の雨は降り止まない。サンフランシスコに続き、ボルチモア級重巡洋艦『ロサンゼルス』がその20.3cm砲弾を解き放った。数発は海上に着弾し戦果は無かったが、2発ほどが潜水艦の一隻に直撃し、その船体を無残に爆散させた。その様はあまりにも呆気無く、その甲板で作業を行っていた乗員が消し飛ぶ姿もあまりにも惨めで同情をそそるものだった。

 「敵潜水艦2隻撃沈ッ! 地上施設にも甚大な損害ッッ!!」

 戦果報告を挙げる見張り員の声は上擦っていた。無理も無い。これだけ呆気無く敵が屠られていく様を見て、興奮を覚えない者など居るものだろうか? いるとすれば度を超えた平和主義者か、感情を持たない冷徹人間だけだろう。

 「神を湛えよッ! ジャップに鋼の洗礼をッ!」

 艦上では、従軍牧師の男が忙しなく駆け回る乗員達の只中に立ち、神の教えとやらを説いている。彼の言葉曰く、イエスに祝福を、ジャップに呪詛を――ということらしい。ともあれ、イエスと彼の言葉を信じる乗員達は少なくは無かったのである。

 「敵砲台に攻撃を集中しろッ! この機に壊滅するぞッ!」

 メリルが叫び、砲撃が潜水艦基地周辺の海岸線に配置された沿岸砲陣地に降り注いだ。だが、沿岸砲陣地の大半はコンクリート製の堅牢な構造となっていたため、中々破壊することは出来なかった。逆に反撃が開始され、沿岸海域に展開していたクリーヴランド級軽巡洋艦『マンチェスター』に沿岸砲の砲撃が加えられ、3番主砲塔が使用不能に陥っていた。

 「海軍航空隊に支援要請!」

 数分後、けたたましい轟音を放ちながら沿岸砲陣地上空にその姿を現したのは、米海兵隊航空部隊の主力艦上爆撃機SBD『ドーントレス』だった。米海軍では一世代劣る艦上急降下爆撃機であるSBDだが、航空兵力の配備数が限定され、米海軍を支援を受けざるを得ない立場である米海兵隊航空部隊としては、第一線級の機体であった。

 そのSBD『ドーントレス』艦上爆撃機が計12機、ベーリング島東岸の沿岸砲陣地に進出する。この胴体部には545kg爆弾が1基ずつ備え付けられており、背後から降り注ぐ朝陽を浴びて妖しげに輝いていた。その周囲には、複数の機影があった。それは、SBD艦爆隊を護衛する役目を担っているF4F『ワイルドキャット』艦上戦闘機隊だった。そしてこの艦爆・艦戦部隊を率いるのは、米海兵隊でも屈指の空戦技術を誇る男――ジョン・L・スミス中佐である。

 「艦爆隊、アタック・ポジション!!」

 無線機越しに叫ぶスミスの声には凄みがあった。それは絶対に部下を死なせまい、ベーリング島強襲上陸を敢行する海兵隊の同胞達を死なせまいとする強い想いが具現化した結果だった。

 「各機、爆弾投下用意――ファイアッ!!」

 『サー・イエス・サー! 爆弾投下ッ!!』

 スミスの号令一下、SBD『ドーントレス』は次々と急降下を始め、沿岸砲陣地へと駆け降りた。途中、ボ式40mm機関砲や一式88mm高射砲の対空弾幕の洗礼があり、炎上し撃墜される機体も何機か出た。だがそれでも、操縦桿を引き上げることは無かったのである。そうして胴体部に搭載されていた545kg爆弾はSBDの胴体部から切り離され、堅牢な沿岸砲陣地の頭上に降り注いだのだ。

 『ヒーハー!!』

 『独立記念日万歳!』

 拳を大きく振り上げ、SBDのパイロット達は歓声を上げた。帝国陸軍の沿岸砲陣地には次々と火柱が上がり、あたかも独立記念日の夜空を彩る花火が如く、爆発と轟音が響き渡っていた。空は黒煙に染め上げられ、大地には複数のクレーターが出来上がっていた。一方的――とはいえないが、完璧に近い勝利だった。それはスミス中佐としても満足な結果だった。

 「次目標の撃滅に向かう。各機、編隊を崩すな!」



 1947年2月6日。米軍の一方的な攻撃から幕を開けた『コマンドルスキー諸島事件』は緒戦、ベーリング島帝国陸海軍守備隊を著しく苦しめるものとなった。先ず帝国海軍が新設した潜水艦基地がものの見事に破壊され、水際防衛の要たる沿岸砲陣地は砲爆撃の雨を前に次々と沈黙した。また海岸線沿いに連なるトーチカ・塹壕陣地も艦砲射撃を前に徹底的に破壊され、もはや何の意味も成していなかった。ベーリング島守備隊司令部では、早々と島からの脱出や持久戦が論議されることとなったが、最終的には島内西部に建設された地下要塞陣地やその他の要塞陣地に隠れ、増援到着を待つこととなったのである。ところがそんなことを米軍側が許す筈も無く、逆に退却の結果として上陸が容易となった米海兵隊は、その進軍ソ速度を速めたのだった。

 「騎兵隊の到着だ! ジャップ共はくたばれッッ!!」

 ベーリング島西部の町ニコリスニ。人口約600名ほどの漁業町であるこのニコリスニには、6000名近い海兵隊部隊が上陸を果たしていた。同町は帝国陸軍ベーリング島守備隊司令部、及び帝国海軍陸戦隊ベーリング島司令部があり、同島を統治する大日本帝国の軍政の中心地であった。そしてその町外れにはニコリスニ刑務所が存在しており、例のアメリカ人ジャーナリスト達はここで日本への本土送還を待っていたのである。

 「おのれメリケンがぁぁぁぁぁぁッ!!」

 銃剣付三八式歩兵銃を掲げ、米海兵隊のM4『シャーマン』中戦車部隊に立ち向かうのは、ニコリスニの帝国陸軍ベーリング島守備隊である。対戦車砲や戦車の数乏しく、市街地戦で窮地に追い込まれた守備隊兵士達は、何を思ったか銃剣突撃を繰り出したのだ。いうまでもなく、これら兵士達はM4のブローニング55口径12.7mm機関銃で蹴散らされ、残るのは肉片と紅い血ばかりであった。

 ベーリング島守備隊――は帝国陸軍第六十師団から抽出された1個連隊であり、司令官は野沢俊明大佐だ。ベーリング島守備隊は荒木勝利少将を司令官とする独立混成旅団隷下で、兵力は1200名と弱小連隊だったが、協同する帝国海軍陸戦隊の兵力もたかだか800名程度であった。一方、アリューシャン列島には数万名の米兵が駐留しているという情報もあり、この兵力で米軍に勝てる筈が無い、と野沢自身は考えていた。とはいえ帝国軍人として全身全霊を尽くすのが、彼の責務だった。

 ――とはいえ……。



 「……この戦力で何をしろと言うのだ」


 ニコリスニの守備隊司令部で、野沢大佐は呟いた。その表情には絶望の色が見えている。原因は彼が両手で掲げ、見据える双眼鏡のレンズの先にあった。同島守備隊唯一の機甲戦力である九五式軽戦車8輌がM4中戦車30輌以上の砲撃を受け、炎上擱座していたのだ。そのすぐ傍では、一式中戦車3輌と一式88mm高射砲がM4の大群に向け、射撃しているようだが、牽制にもならない様子だった。砲兵隊による後方支援砲撃を加えようと無線電話に手を掛けたが、言うが遅く、砲兵隊は米海軍の艦上爆撃機と戦闘機の餌食となり、更に艦砲射撃によって木端微塵に消し飛んでいた。歩兵は乏しい手榴弾と一式60mm噴進弾(M1バズーカを基とした対戦車噴進砲)を頼りにM4との死闘を繰り広げてはいるが、これ以上は持ちそうになかった。

 「頼みの綱は海軍航空隊だが……」

 双眼鏡を別の方角に向けると、真っ黒な煙柱に包まれた大地が見えた。これはかつて、帝国海軍陸戦隊の工兵部隊が重機等を駆使して建設した飛行場――そのなれの果ての姿だったのだ。今ではすっかり旧式化した零式艦上戦闘機等が配備されていたが、その大半が空に上がる前に地上撃破され、弾薬や燃料、更には別の機体との誘爆を起こし、甚大な損害を招いたのである。

 「自分の身は自分で守るしかあるまい……か」



 野沢は呟き、静かに双眼鏡を下ろした。





 

 

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