第122話 金剛を継ぐ者
第122話『金剛を継ぐ者』
1945年7月28日
広島県/呉市
午後3時、『大和会』当主の藤伊一中将を乗せた黒塗りの公用車が1台、呉鎮守府庁舎に面する『呉海軍工廠』前の駐車場に停まった。駐車場には、帝国陸軍(海軍陸戦隊)の主力軍用車となった『零式小型貨物車』が数台ほどと、黒の“ダットサン・セダン”の姿が1つあった。不透明なガラス越しに、山本五十六海相と、伊藤整一中将、そして元呉鎮守府司令長官にして『大和会』重鎮の加藤隆義大将の3名が座っているのが見えた。いつもながら、不機嫌そうな表情を浮かべる3人だが、その胸の中は興奮に包まれていた。そしてちょうど今、その扉が解き放たれ、3人は颯爽と車外へ繰り出した。藤伊はそんな3人に合流し、軽い挨拶を済ませると、歩みを始めた。
海軍重鎮4名――帝国海軍海上護衛総隊司令長官に、現役海軍大臣、聯合艦隊司令部参謀長、そして軍事参議官の4名は横一列に並び、呉海軍工廠の敷地内に足を踏み入れた。『日ソ戦争』終戦直後、『マル4・マル5計画』や戦時急造建艦計画の遅過ぎる最盛期に至った呉海軍工廠は、大小様々な軍艦が犇めきあっていた。あるドックには、帝国海軍の新鋭大型正規空母たる『大鳳』。またあるドックには、戦時急造型輸送船というように、そのバリエーションは豊富だった。資材という資材が海軍工廠の敷地を溢れんばかりに積まれ、無数の人間が怒号と轟音響き渡る工廠内を駆け回っていた。まさに今、呉海軍工廠は活気に溢れていたのである。
「やはり呉は忙しいな」
山本は自分達の間を駆け巡る造船作業の数々を見て、呟いた。
「……呉海軍工廠は帝国海軍でも最大規模を誇る工廠ですからね」伊藤は言った。「しかし故に、多くの軍艦の建造と修理を委託され、手が回らない状況が続いているようです。工員は連日に渡って過酷な労働ノルマを課せられ、栄養失調で死亡する事例も珍しくは無いとか」
「成程……」山本は唸り、目を細めた。「やはり各工廠の拡張と設備更新を進めんとな」
「そうなると、やはり手始めは『大神』辺りですかね?」
藤伊がそう言うと、山本は静かに頷いた。
「でしょうな。大神は空母や戦艦の建造設備が整っていますし、ある程度の拡張は可能ですからな」山本は言った。「室積(仮称S工廠)は今後の努力次第、といった所でしょう。あそこはまだ小さいですから。だから現時点での需要を満たすためには、少し遠いですがウラジオストク工廠を拡張するのが妥当ですかな」
そこでようやく、口を黙したままだった加藤が言った。
「いや、我が大日本帝国も大英帝国に双肩する大帝国へと躍進を遂げたのだ。北方戦略を考慮すると、ウラジオストクの海軍収容能力では、米海軍に対応出来ないに違いあるまい」加藤は更に続けた。「ウラジオストクの拡張は急題だが、カムチャッカ半島や北海道にも新たな海軍根拠地を築く必要に迫られているのも確かだろう」
伊藤は頷いた。「北方も重要ですが、南方も捨て難い。対米戦略の要としても、トラックやマリアナ諸島の要塞化、及び海軍工廠の設置は必要です」
「トラックか……うむ……」山本は唸った。「ハワイ方面への進出のためにも、必要なのは確かだろう。しかし……旧ソ連領の整備と戦争復興で手が回らんな」
「当面は『明石』型工作艦が何とかしてくれるでしょう。しかし、工作艦に出来ることと言えば、間に合わせの応急措置のようなものですから、已然として工廠の必要性は変わりません」
今物語において、太平洋戦略の一翼を担う『明石』型工作艦は、1番艦『明石』を始め、史実では計画のみで建造されなかった2番艦『三原』、3番艦『桃取』の3隻が就役していた。更に加えて、4番艦『島原』、5番艦『首里』が呉・佐世保海軍工廠で建造されており、近々就役を迎える。これは、太平洋という広大な戦場において、艦隊の損害をカバーするための戦力であり、各司令官達に積極的な攻撃を行わせるための策でもあった。
「ああ、それは承知しておる」山本は言った。「しかし……うむ……全くもって、時間と人手が足りん。こればかりは、努力だけでは解決しない問題だ。それに工作機械も少ないからな。ドイツやイギリスめが、戦艦の建造に精を出しておる為だよ」
伊藤は首を振った。「ところで、『送号作戦』はどうなりました?」
――『送号作戦』。それは、戦後復興で人手を求める大日本帝国に対し、シベリア社会主義共和国から有志――労働者――を募り、シベリア鉄道を介して新大日本帝国領や満州、朝鮮、本土の復興・インフラ整備、作物生産等に従事させる計画である。圧倒的な領土を獲得したはいいが、ろくな労働力を戦争によって根こそぎ失った大日本帝国は、その補填として中国やシベリアから人員を招き、これに対処することにしたのである。そのため、“賠償金の半額”を返還することを条件とし、駐独武官で『大和会』古株の原大佐を通じてトロツキーと直接交渉中だったのである。
「原の話によると、どうやら話は大方片付いたそうだ」藤伊は言った。「駄目なら中国に頼ろうかと思っていたが、今は中国共産党と国民党間の内戦が再燃しているからなぁ……。いや、話がついて本当に良かったと思っているよ」
『欧ソ戦争』終結後、EU内部は急速な変革を遂げていた。英仏独間の関係悪化、中国内戦の再戦、資源分配の割合や、軍備縮小と拡張を巡る論争、急速に広がる貧富の差、植民地国に対する搾取の増大、中東諸国の内紛、アフリカ諸国の内紛、情報漏洩とスパイ戦争――。全ては、共通の敵であった『ソ連』が崩壊し、『シベリア社会主義共和国』としてEU入りを果たしたその時から始まったのである。EU――ヨーロッパ同盟とは名ばかりのその組織は、今や各国が独自の勢力を築き、互いに牽制し合っているという、同盟関係も何もあったものではない状態に陥っていたのである。
呉海軍工廠第2船渠。そこに訪れた4人に、長い沈黙が降りた。ただ呆然とその場に立ち尽くし、歯の隙間からか細い息を吐き出した。山本はちらと藤伊を見る。彼は口をあんぐりと開け、首を振っている。そして数分の後、喉元に溜った唾をごくりと呑むと、徐々に口を開き始めた。
「……長かった」
1945年7月28日。それは藤伊一――いや、伊藤整一にとって、忘れることの出来ない日であった。史実のその日、彼はその目の前で戦艦『榛名』やその他の艦艇が、呉の深き海に沈みゆく姿を呆然と眺めていたのである。戦艦『榛名』――金剛型戦艦第3番艦であるその戦艦は、伊藤にとっては非常に愛着のある戦艦であった。1937年、彼がその戦艦『榛名』の艦長を務めていたからである。約1年間という短い期間ではあったが、伊藤にとっては最初で最後となる“戦艦艦長職”を務めた戦艦。それが『榛名』だった。それから8年後、『榛名』は呉軍港内にて米海軍の攻撃を受け、海中に没したのだ。
「えぇ。全くです」山本は頷いた。「貴方がたがこの世界を訪れてから早8年。世界は――いや歴史は、確かに大きな変化を遂げました。それが良い方向にも悪い方向にもです」
「だが……今回は良い方向ではないか?」
加藤はそう言い、鼻でフフッと笑った。
「閣下の仰る通りです」
藤伊もまた、微笑を漏らした。
そんな2人が見つめる先――呉海軍工廠第2船渠には、ある一隻の軍艦の姿があった。見た者を『戦艦』であると言わしめるその軍艦だが、その艦級は『巡洋戦艦』と呼ばれるものだった。正式にはそうであるが、ある者は前述した通り『戦艦』と言い、またある者は『大型巡洋艦』と言う。そしてまたある者は、こうも言う――『超甲巡』と。
■『武尊型巡洋戦艦』性能諸元
基準排水量:35,000t
全長:246m
全幅:32.0m
吃水:9.7m
機関
主缶:ロ式艦本式重油専焼缶×4基
主機:艦本式高中低圧式ギヤード・タービン×2基2軸推進
:艦本式一六式八型内火機械×8基2軸推進
(出力:186,000hp)
最高速力:33ノット
航続距離:20ノットにて14,000海里以上
兵装
45口径41cm三連装主砲:3基9門
50口径12.7cm連装高角砲:6基12門
60口径ボ式40mm四連装機関砲:20基80門
60口径九六式25mm三連装機関銃:15基30門
三式12cm二八連装噴進砲:3基
試製艦対空誘導弾『蛟龍』:2基(搭載は未定)
装甲
舷側:305mm
甲板:180mm
主砲防盾:370mm
艦橋:300mm
搭載機:3機
『武尊』型巡洋戦艦は、かの『金剛』型戦艦代艦として、その生を授かった新鋭巡洋戦艦である。設計は、あの藤原喜久雄技術少将の弟子、福田啓二技術中将だった。彼は今物語の戦後世界において『大和会』の一員であったが、伊藤らと共に『大和』奪還という強行には至らなかった人物である。そして伊藤らによる戦前世界への転移後は、『大和会』に属する数少ない技術者の一人となった。戦艦『大和』の改装や、戦艦『武蔵』・『改大和』型戦艦の設計にも大きく携わっており、彼の功績は計り知れないものであった。そんな福田により、設計されたのが『武尊』型であった。
しかし『武尊』型は当初、『超甲巡』と呼ばれる大型巡洋艦をコンセプトとして計画立案がなされた艦艇だった。この超甲巡は、『武尊』型同様に金剛型代艦として、また米海軍が建造中だった『アラスカ級大型巡洋艦』の対抗艦として計画された大型巡洋艦であった。主砲には新型の50口径31cm砲を採用、最高速力33ノットという快足を誇り、装甲には2万~3万m以内で31cm砲弾に耐え得る防御性能を持たせ、且つ、優秀な防空・水雷戦力を持たせていたのである。
ところが、この『超甲巡』は色々と問題の多い艦艇だった。火力については、金剛型に匹敵させるべく、新型の50口径31cm砲を装備した。が、この31cm砲、重巡洋艦には十分過ぎる火力だったが、戦艦には全く歯が立たない、という中途半端なものだったのだ。そもそもが、中途半端な『アラスカ』級に対抗すべく、建造された超甲巡である。その火力も巡洋艦級には持て余し、戦艦には敵わない。結局、このアラスカ級は実戦では全く役に立たず、計6隻の計画艦のうち4隻が建造中止されるという結末を迎えていたのである。
この『武尊』型は、そんな超甲巡の欠点を補い、金剛型代艦としての色を強めた新鋭巡洋戦艦であった。主砲は超甲巡計画時の50口径31cm三連装砲から、45口径41cm三連装砲へ変更されており、同時に防空火力の拡充が図られた。
また機関には、ディーゼル機関と蒸気タービン機関の併載――が決定された。これは、機動部隊随伴や通商破壊作戦のための試みであった。その機関部は、ロ式艦本式重油専焼缶4基、艦本式高中低ギヤード・タービン2基(標準出力:66,000馬力)、艦本式一六式八型内火機械8基(120,000馬力)2軸推進で、総合出力は186,000馬力にも及んだ。その大馬力が生み出すのが、最高速力33ノットという快速であり、1万4000海里以上という破格の航続距離だった。蒸気タービン機関は『武尊』型専用の独自開発されたものであり、『改大和』型2隻にも採用される予定だ。またディーゼル機関は、1基出力15,000馬力を誇る新型内火機械――艦本式一六式八型内火機械を計8基搭載している。
だが、ディーゼル機関は技術水準の向上した大日本帝国においても、困難を極める技術分野の1つであった。史実の『千歳』型空母のようなディーゼル機関搭載艦の多くは、その機関部の不調に悩まされ続け、満足に艦を動かすことも出来なかったという。そのため、この『武尊』型においても、ディーゼル機関を搭載するのは1番艦『武尊』のみであり、2番艦『御嶽』以降は、専用の蒸気タービン機関4基4軸(標準出力:132,000馬力)推進となっている。それでも最高速力は31ノット以上というから、金剛型戦艦の後継艦を名乗るだけの高速性能は有していた訳だ。
「しかし……いつ見ても、惚れ惚れするなぁ……」
山本は『武尊』型巡洋戦艦第1番艦『武尊』の威容たる艦首を仰ぎ見て、呟いた。天を衝くその巡洋戦艦は、呉海軍工廠第2船渠に鎮座している。1941年の『マル5計画』で計4隻の建造(1番艦『武尊』、2番艦『御嶽』、3番艦『生駒』、4番艦『雲仙』)が決定され、翌年1942年に竣工を迎えた武尊の工事進捗度は、90%に到達しているという。就役間近である。
「外見は結構だが、軍艦に求められるのは実利性だ。その点はどうなんだ?」
と、ぶっきらぼうに言ったのは加藤だ。
「内火機械の不調は改善されたと、艦政本部から連絡は来ております」伊藤は答えた。「どうやら、イタリア人に学べたのが良かったようです。欧州――いや、世界でも三本の指に入りますからね、イタリアのディーゼル技術は」
今物語におけるイタリアの科学技術は、史実を圧倒していた。その中でも、ぐんを抜いて秀でていたのが――ディーゼル技術である。新型超弩級戦艦『レパント』や、T-34を模倣した『P26』重戦車、ティーガーのディーゼルエンジン版重戦車『P43』等、兵器への利用は多かった。それはひとえに、1920年代からベニート・ムッソリーニが進めてきた重工業化政策が大きく貢献している。
「まぁ、それでも『御嶽』の方が先に就役するだろうな」
藤伊は言った。
1945年8月25日、第1番艦『武尊』は遂に就役を迎える。已然としてディーゼル機関の不備は続いていたが、航行に支障を来たす程のものでは無かった。だが、前途は多難でもあった。巡洋戦艦『武尊』は、針鼠のように対空火砲を張り巡らし、威容の41cm主砲を聳え立たせ、呉海軍工廠からゆっくりと、しかし確実に歩みを進めた。まだ見ぬ海原――日本海へと向かい、慣熟訓練を済ませるのだ。そしてそれが済めば、巡洋戦艦『武尊』は第二航空艦隊第一航空戦隊へと配備される。
――第二航空艦隊。それは、かの小澤冶三郎海軍中将を司令長官に仰ぎ、『改大鳳』型という名称で知られる大型航空母艦――『鳳鸞』型航空母艦をその航空戦力の中核と成す、世界最強の機動艦隊であった。
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