第112話 風雲急を告げ……(前)
第112話『風雲急を告げ……(前)』
1945年4月5日
ソビエト社会主義共和国連邦/チュクチ民族管区
3月24日、オアフ島真珠湾を出発した米海軍第3艦隊旗艦『ニュージャージー』は、アラスカ準州の米海軍基地で補給を済ませた後、ソ連最北東端のチュクチ民族管区に向かっていた。艦体を黒と灰の特殊階調の2色迷彩によって彩られたその戦艦『ニュージャージー』は、米海軍が誇る最新鋭戦艦『アイオワ級』のうちの一隻であった。史実よりも対戦艦色の強い仕様となった『アイオワ級』だが、その対空戦闘能力は健在だ。エリコンFF20mm機関銃、ボフォース40mm機関砲、Mk12-5インチ両用砲からなる対空砲群は、その圧倒的な火力を以て強靭なる弾幕を張り、敵機を寄せ付けない。そして堂々と聳え立つは主砲――Mk7-50口径40.6cm三連装主砲塔3基9門である。だが当初、アイオワ級には『大和』型戦艦同様の46cm主砲、Mk1-18インチ砲の三連装主砲塔(若しくは二連装)搭載計画があった。しかしMk.1はその時代にはそぐわぬ旧式砲だった。その点、新型のMk.7は16インチ砲でありながら、Mk.1の2倍の発射速度を誇り、その射程距離も長かった。また16インチ砲に耐え得る装甲を付けることもでき、結局米海軍はMk.7を主砲に採用したのだ。
しかし、現在建造中の新型戦艦『モンタナ級』は、戦艦『Y』――『大和』型戦艦に対抗すべく、その主砲を『大和』型同様の18インチ砲。装甲を対18インチ砲装甲とし、速力を犠牲にした純粋なる『艦隊決戦主義戦艦』として誕生しようとしていた。そして既にペンシルべニア州のフィラデルフィア海軍工廠では、第1番艦『モンタナ』が竣工、就役を迎えており、ノーフォークで米海軍大西洋艦隊旗艦としての最終調整を行っていた。また第2番艦『オハイオ』もまたサンフランシスコで最終調整を迎え、太平洋艦隊旗艦としての設備導入が進んでいた。
そしてアイオワ級戦艦もまた、第4番艦までが就役を迎えていた。しかし1940年7月に承認された『スタークス・プラン』――と呼ばれる合衆国海軍艦隊拡張計画では、アイオワ級戦艦の建造数は計6隻と定められていた。なので、史実では途中で建造中止が言い渡された第5番艦『イリノイ』や、第6番艦『ケンタッキー』もまた、その建造が続けられていたのである。しかし驚くべきはそれだけではない。新型の『モンタナ級』もまた、アイオワ級同様に計6隻の建造計画が進行中だったのだ。これもまた、『スタークス・プラン』による計画のうちのことであり、アメリカの国力を以てすれば、何ら驚くべきことではなかった。しかしその一方で、『エセックス級』航空母艦の建造数は計16隻。史実では計32隻が発注、中止された8隻を除いても24隻が、1942年から1950年の間に就役したのである。ところが今物語での就役数は計16隻。『スタークス・プラン』では計8隻のみの建艦が予定されていたのだが、その後に提案された『第2次スタークス・プラン』によって更に8隻エセックス級空母の建艦が認められたのである。これにより、エセックス級空母の建造数は計16隻となったのだが、それでも航空戦力の不足は否めない。
そんな米海軍の現状に、第3艦隊司令長官たるウィリアム・F・ハルゼー大将は苛立ちを隠せなかった。常日頃無愛想な彼の顔はそんな不機嫌さ故か、紙を握り潰したかのような、皺だらけの面となっていて、頬は普段よりも強く赤みが差していた。いや、頬の赤みは軍服を収納するクローゼットに常にストックされているウィスキーからきたものかもしれない。
口を開けば、不満を漏らしているハルゼー。そんな彼の下、頭痛薬として酒を手放せられない今日この頃を過ごす第3艦隊参謀長、ロバート・B・カーニー少将。そしてハルゼーを『ブル・ハルゼー』と尊敬し、全幅の信頼を寄せる第3艦隊乗組員――“ボーイズ”達。彼らによって編制、組織された『第3艦隊』は、米海軍が誇る最大・最優秀の艦隊だった。海軍演習では常に首位の成績を保つ第3艦隊は、公私が認めている。その自由奔放な言動はともかく――としてだが。
「とりあえず、出撃できただけでも良しとしようじゃないか」
波高し北太平洋海上。第3艦隊旗艦『ニュージャージー』の艦橋でその顔を綻ばせ、米極東派遣軍総司令官のドワイト・D・アイゼンハワー陸軍大将は頷いた。その隣には、金剛力士像の如く睨みを利かせ、腕を組んで仁王立ちする米海軍第3艦隊司令長官、ウィリアム・F・ハルゼー大将の姿があった。その日、チュクチ民族管区を西に臨むベーリング海峡は、確かに波は高いが艦隊航行が不能になる程までのものではなかった。そこで第32代米合衆国大統領フランクリン・D・ルーズベルトはゴーサインを出し、アラスカに集結した米軍に出撃命令が下されたのである。
「アイク、俺が不満に思ってんのはそんな事じゃねぇんだよ」
荒々しい口調でハルゼーは言った。「機動戦力が足りねぇ……ただ、それだけの事だ」
この時、米海軍は第3艦隊・アジア艦隊を中核とし、大西洋艦隊・アラスカ方面海軍艦隊(第7艦隊)の2個艦隊から戦力を抽出、編制されていた。その総戦力は戦艦14隻、航空母艦8隻、重巡洋艦11隻、軽巡洋艦12隻、駆逐艦80隻から成る。戦艦14隻というのは、艦隊決戦としては最高規模の砲戦力だが、『航空屋』たるハルゼーにとっては戦艦など、ただのお荷物――海に浮かぶ砲台でしかなかったのだ。
「ジャップも『第二次日本海海戦』では、10隻以上の空母を揃えたって言う話だ。あの黄色猿共にできて、なんで俺達栄光の米海軍太平洋艦隊がそれを実現できねぇんだって話だよ。ただそれだけさ」
荒々しく喚き散らすハルゼーに、アイゼンハワーは渋面を浮かべた。今回の作戦では、陸軍航空軍もB-29『スーパーフォートレス』を始めとする航空戦力を揃えている。だからハルゼーが喚くほどに空の事情は逼迫している訳ではなかったのだが、それはあくまで上陸作戦時までのことである。上陸作戦では艦砲による支援が多く必要だからだ。しかしその後、内陸に侵攻するとなれば、海軍機の支援も必要となってくる。しかも情報部からの報告によれば、ソ連軍は『IS』――と呼ばれる重戦車を配備しているらしい。が、現在米陸軍に対抗出来る重戦車は存在していなかった。ラジオやT型フォードのように大量生産される主力中戦車M4『シャーマン』はあったが、果たしてそれが通用するかは――未知数である。
「ソ連極東空軍は既に壊滅状態らしい。制空権の心配は無いだろう」
そうアイゼンハワーが呟くと、ハルゼーは肩をすくめた。
「蛆虫ってのはな、簡単に叩き潰すことが出来る。でも、そう易々と息の根を止められねぇ……ってのがタチが悪いんだ」ハルゼーは言った。「放っておけば、いつの間にか息を吹き返して、しかも数が増えてやがる。だから手加減しちゃいけねぇ……“確実”に息の根を止めてやるんだよ」
「じゃあ“猿”は?」
アイゼンハワーが唐突に訊くと、ハルゼーは不敵な笑みを口許に湛えた。
「“猿”なら簡単さ。バナナで釣っておびき寄せ、首を締め殺してやればいい」
「それが提督、貴方の見解か?」
「ああ、もっとも――『一般論』って奴だけどな」
そう言い、ハルゼーはニヤリと笑みを漏らした。
「ハルゼー、アンタって人は……」アイゼンハワーはハルゼーのあまりのジャップ嫌いに、驚きを通り越して呆れた。彼が言うように、“猿”をバナナで釣って締め殺せというのが、世間の人間が胸の奥底に秘めた『一般論』である。特に戦艦『Y』の表明以降、世界随一の海軍力を誇っていた筈の米海軍は、その鼻っ面をぶちのめされたかのような屈辱感を覚えずにはいられなかった。だからハルゼーのように、日本人――帝国海軍に嫌悪感を抱く人間は少なくなかった。かくいうアイゼンハワーもまた、そんな反日感情を持つ一人であるが、ハルゼーほどに頭でっかちではない。
「『第二次日本海海戦』……」豪放に笑っていたハルゼーだったが、ふと、ポツリと呟いた。「まぁ俺としても、あの戦いから何も学ばなかった訳じゃあねぇ。『第一次日本海海戦』並の圧勝には終わらんだが、あれはあれで連合艦隊とアドミラル・ヨシダの力量を計れて良い機会だったよ」
『第二次日本海海戦』――という単語を聞き、アイゼンハワーはとある朝刊の3面紙を思い出した。そこには、『第二次日本海海戦』の報が載っていたのだが、それは淡々と結果のみを書き記したものに過ぎなかった。手に汗握らせる煽り文も無ければ、ソ連に勝利したことへの賛美の声も書かれていない。ただただ結果のみを伝える情報文。それが、本来のあるべき新聞のスタイルであることはアイゼンハワー自身も理解していたが、潔い戦いに賞讃の一言も綴ってやらないというのは、どうも軍人たる彼には納得が出来なかったのである。だが彼は何も言わない。軍人とは、常にそうあるべき存在だからである。軍人や公務員といった、国家に奉仕する者は、国家を否定しない。それは国家の屋台骨たる彼らとしては、自らを否定するようなものだったからである。
「どうだね、日本海軍の力は?」
アイゼンハワーが訊くと、ハルゼーは首を振った。
「我々米海軍の力を100とするなら、日本海軍は50だ。但し、これはあくまでも太平洋と大西洋の両洋艦隊が束になって戦ったら……の話だけどな。太平洋艦隊だけなら、日本海軍の力は80。いや、それ以上かもしれんね。そこにライミー(英海軍)やクラウツ(ドイツ海軍)が加わったら……」
「ブル・ハルゼーともあろう男が、随分と弱腰なんだな?」
言い切ってから、アイゼンハワーは徐に背後の幕僚を振り返った。幕僚は左脇にやや厚めの封筒を携えており、それをアイゼンハワーに渡すと敬礼を行った。アイゼンハワーはその幕僚に敬礼を返し、封筒の封を切った。中には、数枚の書類が入っていた。
「何だ、その書類は?」
「――大統領閣下からの命令書だ」
アイゼンハワーは言った。
1945年4月5日
ドイツ/東プロイセン州
「これが先日、スヴェルドロフスクで撮影された偵察写真です。多数の列車が確認出来ると思われますが、これらの行き先は極東――チュクチ民族管区です」
ラステンブルクの東約8kmの森林の奥深くにひっそりと聳える総統大本営『ヴォルフスシャンツェ』の作戦会議室で、卓上に広げられたMe100『ゾネ』戦略偵察機の偵察写真を手で示しつつ、クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐はドイツ第3帝国総統アドルフ・ヒトラーの顔色を窺った。ヒトラーはいつもと同じの無精髭を生やした、生気の無い顔だが、胸中に湧き上がるものがあるに違いない。一方のシュタウフェンベルクもまた、その胸中に煮えくり返るものがあった。アドルフ・ヒトラー。第3帝国総統であり、大量虐殺犯。反ユダヤ的思想を掲げ、無数の罪の無い人間を虐殺した男。その隣には、かの悪名高きSS長官、ハインリヒ・ヒムラーの姿もあった。また、その3人左隣には『金髪の野獣』こと、ラインハルト・ハイドリヒSS大将の顔を垣間見える。
『ヴォルフスシャンツェ』――直訳すれば“狼の巣”。その名の如く、高貴な狼が棲みつく秘密の巣であるが、同時に仮借無き屠殺場でもあった。巣穴にはアドルフの他、ずる賢いSSの犬や丸々と太った空軍の鴉、狐のようで獅子のようで犬のような陸軍の奇妙な生き物、年老いた海軍の鮫が鎮座しており、日々、会議という名の不毛なる派閥競争に精を出しているのだ。イワンをどう扱うとか、ユダヤ人の税金を増加するといった重要な案件でさえ、彼らは踏み躙っていく。彼らの目の前にあるのは対ソ戦――その不毛且つ有益な戦いで自身が優位に立つべく、身内で醜い争いを続けているのだ。
そんな光景を見て、シュタウフェンベルク大佐は気が気でなかった。
名門貴族の生まれであるクラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐は現在、ドイツ陸軍総司令部参謀本部の第12課――『東方外国軍課』の主任参謀を務めていた。彼の任務は、ソ連に対する諜報活動であり、ソ連軍の動向・補給線の状況・ソ連軍兵力・国内情勢等、対ソ連戦争遂行に必要な情報収集を行っていくことだった。そのため、時には彼自身がソ連領内まで赴くこともあったが、それが仇となった。前線視察を行っていた途中、ソ連空軍のIl-2『シュトゥルモヴィーク』戦闘爆撃機の機銃掃射を受け、重傷を負ったのだ。彼は左手の手首から上、右手の薬指と小指を切断し、右目摘出を与儀無くされた。その後、約3ヶ月の病院療養を受け、1944年の夏中頃には後方勤務に回されることとなった。しかしそこで彼は――『ヒトラー暗殺』を決意する。
史実、シュタウフェンベルクは『ヴァルキューレ作戦』――というヒトラー暗殺計画の実行犯として、歴史にその名を残していた。1944年7月、彼はこの『ヴォルフスシャンツェ』に赴き、時限爆弾によるヒトラー暗殺未遂事件を起こすと、「SSが総統の逝去に乗じて叛乱を起こした」という虚偽の事実を振りかざし、国内予備軍の結集と動員に関する命令――『ヴァルキューレ作戦』を発動させたのである。しかしそのクーデター作戦は、儚くも潰えた。異常ともいえる幸運が味方し、ヒトラーは一命を取り留めたのである。かくしてシュタウフェンベルクら、クーデター首謀者達は処刑された。
しかし『ヴァルキューレ作戦』は、今物語においても密かに計画されていた。しかしその計画に、ドイツ国防軍情報局『アプヴェーア』や大日本帝国が関わっているのは、新たなる歴史の相違点だった。また、シュタウフェンベルクが陸軍参謀本部の第12課の主任参謀を務めているのも、そうだった。だが、歴史は繰り返す。『ヴァルキューレ作戦』の反ヒトラーグループは、知ってか知らずかアプヴェーアの手によって巡り合い、史実同様に『ヒトラー暗殺計画』を企てたのである。そしてこのシュタウフェンベルクもまた、ソ連の前線で生死を彷徨い、これまでの倫理観を改めた。それはナチスによる圧政を傍観せず、皆で立ち上がって祖国ドイツを復活させるというものであった。そこには、ユダヤ人やアーリア人といった人種はあまり関係無い、かつての偉大なるドイツの復興という大いなる目標があった。反ヒトラーグループはそんな信念と目標を武器に――立ち上がったのだ。
「どういうことなのだ?」
ヒトラーは誰にでもなく、皆に訊いた。これまで『冬将軍』と『第2次スターリン・ライン』によって耐え、漸く戦力が整ったソ連軍がシベリア鉄道を介し――“東”へ向かっていたのだ。ソ連軍は本来なら、“西”に戦力を差し向けるべきなのだ。そこには、ドイツ軍を始めとしたEU軍が迫っており、ソ連の重要な生命線である油田・炭田、といった潤沢な資源があった。また、ウラル山脈に築かれた要塞防衛線の盤石化という重要な課題も残されていた。だが東には、ソ連軍が守るべきものは殆ど残されていなかったのだ。
「恐らくは……アメリカの参戦に向けた戦力再配置でしょう」
「米国の参戦?」
ヒトラーの問いに対し、陸軍総司令部参謀総長のクルト・ツァイツラー上級大将は答えた。「アメリカは2月14日に宣戦布告を表明して以来、ソ連本土への直接的な侵攻作戦を行っていません。戦略爆撃機によるチュクチ民族管区への大規模空襲は続いていますが……」ツァイツラーは更に続けた。「第3課(西方外国軍課)の報告によれば、ハワイの真珠湾から米海軍太平洋艦隊が出撃したとのことです。また同じく、フィリピンでも第7艦隊が出撃を開始しており、マッカーサー大将率いる米極東陸軍の輸送船団の護衛任務に従事していると」
そんな話を聞いていたヒトラーは、静かに首を振った。
「アメリカめ……奴らはいつもそうだ。“傍観者”でありながら、“悲劇の主人公”を演じたがる。第一次世界大戦然り、日露戦争然り、そして『第二次米墨戦争』然り、だ」
ヒトラーは拳を握り締めた。「いいかね、諸君。今回の米国参戦は、あの『第二次米墨戦争』から僅か1年近くしか経っておらん。第二次米墨戦争同様、アメリカの理不尽な宣戦布告による戦争だ。しかしこれは他人事ではない。我が国も、この戦争を終結させた後、僅か1年……いや、1年も経たず、アメリカとの戦争を与儀無くされるかもしれん。だが今回、我々は教訓を得ることが出来る。米ソという2人の醜き巨人共の戦いを刮目し、記憶に焼き付けておくのだ。それが後々――役に立つ」
ヒトラーはそう言い、天井を見つめる。そんな勿体振ったヒトラーの言動を見たシュタウフェンベルクの視線は、他の側近達が向けるものよりも極めて冷徹で、感情が籠っていないものだった。遂に米ソ間の戦争が始まる。それは悲劇の幕開けか、喜劇の終幕となるかは、この時点ではヒトラーやシュタウフェンベルク達には予想し得ぬことであった。
ご意見・ご感想等お待ちしております。




