第108話 昭和東南海地震
第108話『昭和東南海地震』
1944年12月8日
愛知県/豊川市
薄れゆく午後の陽光の下で、一機の零式輸送機は複数の河川が流れ着き合流する三河湾の海岸線に沿い、沿岸を低空飛行していた。沿岸地域に点在する漁村では、村人達が内陸と沿岸の両方で起こっている異変に唖然としていた。内陸を向けば濛々と立ち昇る黒煙が空を覆い尽くし、沿岸を向けば湾内を埋め尽くさんばかりの艦船が三河湾に集結している。その数たるや、この世にこれほど多くの船があったのかと思いたくなるような圧倒的なものだった。この零式輸送機に搭乗する伊藤整一でさえ、これほど多くの艦船を見たのは、皇紀2600年観艦式やEU合同演習以来のことだ。海上護衛総隊司令長官に任命されて以来、デスクに向き合い続けてきただけに、彼は興奮を隠し切れずにいた。
そして驚くことに、この艦船の中には戦艦『大和』の姿もあった。
戦艦『大和』――『戦艦Y』で世界に知られるその超弩級戦艦は、帝国海軍の顔であり華である。万物を寄せ付けない46cm主砲は蒼穹を仰ぎ、重厚な巨躯は海原を切り裂いて疾駆する。ボ式40mm機関砲が多数配備されており、その様は針鼠だった。そんな『大和』が本来居るべき場所の前線から抜け出し、この三河湾にその姿を現しているのは、国民の国威発揚と海外へのイメージ作りだった。世界最強の戦艦が震災復興活動に従事――というのは、多くの慈愛に満ちた人間を関心させ、行動させるに十分な素材だったのである。
1944年12月7日、俗に言う『東南海地震』発生から一日後、戦艦『大和』の災害救助活動への投入は、世界に波紋を広げた。米海軍さえ未だに実戦配備されていない46cm主砲搭載の超弩級戦艦が、大地震で甚大な被害を受けた地域に投入され、支援活動を行っているのだ。大日本帝国――EUは今、ソ連と戦っているのに、だ。ソ連の敗北は見えていたが、それでもこの事実は世界中を驚かせた。米英といった先進国は、この事実に感服し、敬意と慈悲を込めて義捐金と援助物資を募り、提供した。独伊もまた、義援金という名の“礼金”を送る。唯一、ソ連のみは無反応だったが、それは仕方が無い。それでも十分過ぎるだけの義捐金が集まっていた。
「思った以上の義捐金が集まったようですね」
「アメリカに感謝せねばならんな……」
伊藤の問いに対し、零式輸送機搭乗者の一人、米内光政首相は呟いた。
海岸沿いに点在する最後の漁村が下方に掠め去ってから、既に10分が経つ。その漁村を通り過ぎてからというもの、眼下に連なるのは、瓦礫の山と化した住宅地帯、濛々と立ち昇る黒煙、そして何キロにも渡って続く亀裂だけだった。零式輸送機後部座席に腰を下ろしている伊藤は、流れるように後方に去ってゆく豊川市の景色を見下ろしていた。市街地は崩落した建物が軒を連ね、廃墟の街へと変貌していた。瓦礫の波に呑まれ、道は一本として機能していない。また近辺の飛行場では、滑走路に大きな亀裂が走り、離着陸もままならない状況となっていた。
そこで動き出したのが、帝国陸軍工兵隊である。埋没と隆起、そして亀裂によって破損した滑走路をまず、国産の重機でまんべんなく耕す。そこに工兵が駆け込み、円匙片手に奮闘した。重機と工兵達の手によってある程度地盤が固まったら、次に登場するのが国産の締固め機械だった。締固め機械は堆積した土を押し固め、地盤を整えた。そこでまた工兵が駆け込んできて、スチールマットを敷き詰めた。急造滑走路の出来上がりである。
開始から数日と掛からずに行われたこの作業を上空から見ていた伊藤達は関心した。これまで心血を注いできた国産重機開発が、ここで遂にその実を付けたのである。また陸軍工兵が見せた、鮮やかで適確な応急処置作業もまた、大いに関心させられることだった。
しかしこれに不評を呈するのがパイロットだ。スチールマットは確かに素早く滑走路を修繕することが可能だが、如何せん離着陸の感触が違い、パイロット達には合わなかった。これまで剥き出しの滑走路ばかりを使ってきたことのツケだったのだろう。しかしこの状況下ではそんな不満を漏らすことも出来ず、滑走路には次々と輸送機が離着陸した。着陸した輸送機から支援物資が下ろされる。そしてその支援物資は陸軍の車輛に積み込まれ、運転手は市内各地の避難所や軍事施設目指し、配送に勤しむのだ。
そしてそこには伊藤らの零式輸送機も加わった。急ぎ足で輸送機から降りた伊藤や米内、そして山本五十六海相の目の前に広がるのは――現状だった。少ない物資でやり繰りする陸軍兵。飛行場の隅に設営されたトタン屋根のプレハブ小屋で身を寄せ合う避難民。足りない軍用車輛。駐機され、シートが被せられたままの一式戦闘機『隼』。一同は唖然とし、ただただ沈黙するしかなかった。
「うむ……思ったよりも被害が出ているな……」
最初に静寂を破ったのは米内だった。
「どうやら避難計画に若干の問題が生じたようです」同地震の概要説明をする陸軍の担当士官、福井少佐は言った。「第一に、住民側の避難の遅れ。第二に、予想されていた物資量と必要とされる物資量との大きな差。そして第三として、対ソ戦争の関係です」
「死傷者は?」
「確認出来た所では約1000名。倒壊家屋は2万棟以上」
福井の説明を受け、米内は更に唸った。
「工業地帯は既に疎開していたため、無事でした。大阪では若干の被害が報告されていますが、来年度の生産量には支障ないでしょう」
1940年以降、東海・中京工業地帯に分布する工場の多くは、京浜、京葉、阪神、瀬戸内、北九州といった別の工業地帯へと段階的に疎開させられていた。これは1944年12月7日に勃発する『東南海地震』に備えての対策だった。航空産業を始め、東海地方の工場は大日本帝国の工業基盤を支える重要な屋台骨であった。軍需・民生、国内・国外を問わず、東海地方で生産される製品量は膨大で、その工業規模は日本随一であり、同時に東洋随一を誇っている。そこに突然の不意打ちを仕掛けてきたのが、東南海地震である。史実、この地震を受けた大日本帝国は多大な損害を受けていた。東海地方の軍需工場の多くは壊滅的な被害を被り、その生産量を大きく落ち込ませた。特に航空機生産への影響は凄まじく、戦局が悪化する1944年末期としては頭を抱える問題だった。
「人的被害は酷いがこの時勢だ、仕方あるまい」米内は言った。「問題は工業地帯の復興だ。一度、生産拠点を移してしまった以上、新たな工場を建てるとなるとそれなりの費用と時間と労力が必要となってくる」
山本は頷いた。「そして約1ヶ月後には、『三河地震』が起こります」
「うむ……そうだったな」米内は唸った。さて、どうしたものか。工場は事前に疎開させていたとはいえ、中には民間の古い工場を間借りしているものもある。生産量を増加させるとなれば、東海地方の工業地帯を復興させ、新たな工業基盤を作り上げる必要があった。しかしそれをやるとならば、出来るだけ早いに越したことはない。世界情勢がきな臭くなっている今だからこそ、“時は金なり”なのだ。かつて“ガソリン一滴は血の一滴”という標語が流行ったが、それは時間にも言えることである。1秒も塵が積もれば1時間、1日、そして1週間となってくる。1週間もあればそれなりの軍用機を生産でき、大量の銃火器を前線に送り込むことが出来るだろう。だからこそ、時間は大切なのだ。
「集まった義捐金を頭金として、工業地帯の再興を行おうと思っている」米内は言った。「これからの時代はジェットだ。中島や三菱などとも協力し、ジェット戦闘機の本格的な生産ラインを設置したい。アメリカや諸外国に対抗するとなれば、そうでもしなければなるまい」
世は未だレシプロ機の天下とはいえ、米内を始め、伊藤や山本もジェット機の時代が近いことを認識していた。欧州でソ連軍機を狩り続ける驚異の戦闘機Me262『シュヴァルベ』を造った技術先進国ドイツを筆頭に、イギリスやイタリアもジェット戦闘機の開発・生産に移ったという。フランスも英国と共同で開発を開始したというし、アメリカもP-80『シューティングスター』の開発を進めている。史実とは違い、ジェット先進国イギリスからの支援が無い以上、独力での開発とはなったが、そこはアメリカ。人材と資金豊富なこの国に不可能は無かった。史実並のスペックではないとはいえ、P-80は開発に成功しているのだ。
「ここで日本が胡坐を掻けば、そこで終わりだ」米内は言った。「ジェット戦闘機は次世代の翼。我々が次の段階に進むための重要なカギとなる存在なのだ」
この時点で大日本帝国は、帝国海軍の噴進戦闘機『橘花』が制式採用され、実戦配備されていた。また陸軍版の噴戦『火龍』の生産も始まっていた。帝国陸軍としてはジェット戦闘機の開発や生産よりも、そのパイロットの育成に頭を抱えることが多かった。操作は従来のレシプロ機とは大差ないものの、その速力や推進系は従来機とは大きく異なる。その点を理解せず、無茶な機動を行ったパイロットが次々と事故死していたのだ。これは大問題となり、陸軍としても下のみならず上までもが、褌を締め直さなければならない事態へと陥っていた。
「来年には、海軍で噴戦1個中隊が編制されます。陸軍でも同様です」
そう言ったのは山本だ。
「しかし原大佐からの報告によると、既にドイツ空軍はMe262やAr234といったジェット機で1個航空団を編制していると聞いております」伊藤は言った。「その性能、補給能力、経験は言うまでもなく、我々の完敗でしょう。まともに対抗も出来ないかと」
「では、どうする?」
「やはり新たなジェット戦闘機を造るしかないかと」
そんな伊藤の答えに、米内は唸った。
「我が国には圧倒的に技術が欠けている。ドイツに対抗する機体を独力で造るのは無理があるぞ」
伊藤は頷いた。
「それは承知しております。だからこそ、イギリスやイタリアと手を組むのです」伊藤は言った。「富嶽もそうですが、我々はあの国々との協力があってこそ、多数の兵器の開発に成功しています。いずれドイツが世界の敵となった時、我が国はどうすればいいか? それはイギリスのような国々との結び付きを更に強め、ドイツに抗う力を増せば良いのです」
「成程」米内は頷いた。「しかし肝心のジェット機はどうする? それらの国々と今から開発する訳にもいかん。こちらの魂胆がばれてしまう可能性が高いからな」
「候補は幾つかありますが、本命はTa183でしょう」
Ta183『フッケバイン』はフォッケウルフ社の新型ジェット戦闘機である。後退翼やエアインテークといった先進的な技術が目立つ意欲的な機体だが、帝国海軍の空技廠では、大日本帝国の技術力と工業基盤で生産出来るか、疑わしい機体だった。
「既に機体設計は山崎技師に依頼しております。ジェットエンジンはネ-20を改良すれば宜しいかと」
淡々と語る伊藤だが、その言葉には情熱が帯びていた。
「分かった。それで行こう。だが、失望させないでくれよ」
「分かっています。全力を尽くします」
そんな伊藤の答えを聞き、米内は含み笑いを浮かべた。
1944年12月7日。『東南海地震』の発生がもたらした被害は、史実に比べれば遥かに少なかった。しかし、それはあくまでも軍需工場についての話である。人的被害は史実同様に発生したのだ。これは『大和会』としても苦渋の決断だった。だが、これまでにも謀略の限りを尽くしてきた『大和会』としては、白日の下にその身を晒すのを拒まざるを得なかったのである。かくして東南海地震では約1000名にも及ぶ死者が発生した。その報は世界中に伝えられ、世界各国から義捐金と励ましの言葉が送られた。
――ただ、敵国たるソ連を除いてだが。
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