第107話 スターリン爆撃指令(後)
第107話『スターリン爆撃指令(後)』
1944年12月4日
ドイツ/ベルリン
戦時体制に移行するドイツ第3帝国首都ベルリンだが、その現実とは裏腹に街は栄華と贅の限りを尽くしていた。街中を自動車が行き交い、市場には色とりどりの食材が並び、史実のように空襲警報に夜を悩まされてはいなかった。週末にはベルリン各地の公園に人々が集い、都会の喧騒から離れて足を伸ばす。子供は顔に笑みを湛え、徴兵年齢に達しない若者達は他愛無い青春の一時を楽しげに過ごし、妊婦は豊かに膨らんだ腹部を優しく擦りながら、従軍した夫の帰還を祈る。それは何気ない休日の昼下がりの光景である。そこから東方でEU(ヨーロッパ同盟)軍とソ連軍が血みどろの戦いを繰り広げていることなど、想像もしないだろう。それほどまでに牧歌的で、平和だった。
その一方、ベルリンはドイツ第3帝国の首都に相応しい街として、生まれ変わろうとしていた。ベルリン建築総監兼軍需副大臣を務めるアルベルト・シュペーアを筆頭に、総統ヒトラーに気に入られた建築家・美術家たち――ナチ党員――が集い、世界首都『ゲルマニア』創造に携わる。ゲルマニアは芸術家でもあったヒトラー自身がグランド・デザインを描き、築かれた首都改造計画だ。それは先鋭的であり、保守的である。近代的であり、前近代的でもある。未来と過去を融合化させたそれは、ヒトラーにとっての“究極のビジョン”であり、ナチスを嫌う者達からすれば“エゴのキメラ”でもあった。
此処、ティーアガルテン地区もまた、そんなヒトラーの『ゲルマニア計画』の影響を受けた地区である。この地区の中心地に存在する“大ティーアガルテン公園”には、ドイツ帝国がデンマーク戦争勝利を祝って建造した戦勝記念塔が移設されていたのだ。これは本来、ドイツ国会議事堂前の広場に聳え立っていた筈のものだが、『ゲルマニア計画』に基き、1939年に広場から移設され、現在は大ティーアガルテン公園に聳え立っていた。1865年から1873年にかけて造られたそれは、高さ67mの塔の上に、勝利の女神たるヴィクトリアの黄金像が聳え立ち、戦争の勝利を讃えていた。しかしそんな彼女が今、このティーアガルテンに居るのも、元々はヒトラーの野望が原因であった。
「世界首都ゲルマニア。それが現実になろうとは……」
戦勝記念塔頂上の展望台には、ドイツ国防軍情報部『アプヴェーア』長官のヴィルヘルム・カナリス海軍大将と、『大和会』対独戦略の要たる原茂也陸軍大佐の姿があった。2人は展望台から眼下に広がるベルリンの街中を見渡し、『ゲルマニア計画』によって改造されつつある首都ベルリンの現状を寂しげに見張っていた。純粋なドイツ人であるカナリスにとって。そして純粋な親独派――親ナチ派ではない――である原にとってその光景は見るに堪えないものだった。まるで子供が積み木で家を作るかのように、ベルリンの通りはヒトラーの思い通りに造り変えられていく……。
「となると、あの総統官邸が世界の中心になるのか……」
原は視線の先に見える一軒の邸宅を見て呟いた。それは『対ソ戦』勃発まで公務の場として利用し続けてきた総統官邸である。ヴィルヘルム通りの一角に聳え立つ総統官邸は起源を1878年に持つ歴史的な建物だ。当時は首相官邸として機能していた。しかし現在、その建物は総統という絶対的な地位に就いたヒトラーの私邸となっており、その色は実利的なものから利己的な色に塗り替えられている。1935年、ヒトラーは官邸2階に居住用の私室を設け、外務省に隣接する庭園に国賓等の接偶のために200名の収容が可能なレセプション・ホールを新築させ、同時に地下には総統地下壕を設けさせている。1938年には建築家でもあるアルベルト・シュペーアに頼み、総統官邸にバルコニーを増設した。
そんな主の居ない総統官邸は、政府機能の中枢たるヴィルヘルム通りの中にいて、寂しげにポツンと立ち聳えていた。そもそもこの総統官邸、ヒトラー自身も完全に気に入っている訳ではない。旧ドイツ帝国時代の遺物であったからだ。ヒトラーは新しいものを常に望んでいる。だからこそ現在、首都ベルリンには“第2の総統官邸”として『新総統官邸』が建築中である。18世紀に回帰したかのようなその外観は、ヒトラーの趣向を色濃く反映していた。
「ドイツが世界の中心になるのは悪い気はしないが……」カナリスは唸るように言った。「ヒトラーが世界の指導者となることには同意出来ない。断固拒否する」
「それは私も同意見です」
原がそう言うと、カナリスは申し訳なさそうに俯いた。
「済まない。私にもっと力があれば……奴をのさばらせずに済んだのだろうが……」
そんなカナリスの言葉に、原は笑みを漏らした。
「“たられば”は厳禁ですよ。過ぎた事を嘆いていても仕方が無い」
「ああ……それは理解している」
結構という具合に原は頷いた。
「それでカナリス提督。例の『クリスマス作戦』についてですが」
原は真剣な眼差しをカナリスに向けた。「ドイツは既にソ連へ情報をリークしているのですか? とすれば、我々としても対応の議論を速めざるを得ない」
「既にゲーリングが空軍内で作戦のことについて触れ回っている。空軍内部に潜伏するソ連のスパイが聞きつけるのも時間の問題だろう」
「むしろ、彼等を狙って情報漏洩をしているのですから、真っ先に知るのでは?」
「いや、ゲーリングやSD(親衛隊諜報部)はそこまで馬鹿じゃない。ソ連のスパイは常に警戒を怠らんから、故意に流された情報についてはすぐに見破るだろう。あのシェレンベルクのことだ、じわじわと空軍内で“噂”として浸透させていく腹に違いない」
カナリスはシェレンベルクとは親交が深く、彼の能力の高さについてもよく理解していた。諜報と謀略に長けた彼ならば、EUに嗅ぎ付けられるというヘマを起こさず、確実にソ連側へと伝えられる事だろう。ヒトラーもそのことを考慮した上で今回の判断を下しているのだ。
「では、こちらからイギリスに警告を発しますか?」
そんな原の意見にカナリスは眉を顰めた。
「それではEUに我が国の蛮行が露呈し、尚且つ我々の関係も露呈しかねん。私や君はヒトラーの名の下に処刑され、ドイツ国民はEUの下に制裁を食らうだろう。いや、アメリカか」
「では、どうします?」
カナリスは溜め息を吐き、口を開いた。
「何もしない……というのが無難だろう。英空軍のパイロットには悪いが、我々アプヴェーアにも家族や仲間がいる。その家族がSSの手によって処刑される様を私は見たくないんだ。君だってそうだろう?」
そんなカナリスの問い掛けに、原は頷いた。彼は史実の1946年から転移してきた人間、『大和会』の一員である。家族はいないし、自分の居場所も『大和』以外には存在しない。だからこそ、EUやアメリカの魔手によって『大和』が再度凌辱され、屈辱的な最期を迎えることは許されなかった。
「分かります。失言でした……」
と、素直に反省する原はカナリスに深々と謝った。
「しかしこの戦争は――」
「君の言いたいことは分かるよ」カナリスは原の意を汲み取った。「この戦争の意味する所。それは――“皆無”だ。ソ連という一つの大国の命運が尽き、世界のパワーバランスは大きく二分してしまった。すなわちEUとアメリカ。戦争によって躍進を続けるEUと孤立を続けるアメリカ。欧州は再び世界の覇権を握り、復活を果たし、そしてまた絶え間無い戦争を続けることだろう……それがヨーロピアンの性なのだから……仕方は無いさ」
かつての栄光を取り戻しつつある大英帝国。近代化の道を歩みながらも、進歩の少ないフランス。急速な躍進を続けるイタリア。そして狂気の――ドイツ第3帝国。役者は揃っているし、ロシアの母なる不毛な――そして血みどろの――大地という名の舞台は整った。後はいずれかが導火線に火を付ければ、先は見えた話である。そこに極東の辺境にポツンと存在する大日本帝国が果たして加われるのだろうか? 原は不安だった。世界には秩序が必要だが、この世界にはそれを率先して行える人材が居ない――いや、イーデンやヒトラーといった面々はいれど、彼らはあくまで利己的な行動・主張しかしないだろう。世界を統一し、慈悲深い心を見せることの出来る唯一の国はやはり、アメリカ合衆国しかないのだ。
「アメリカは我が国に原爆を落とした。それによって世界を沈黙させたのだ」
原は淡々と語った。
「しかし世界のイニシアチブを取るのは兵器ではない。世論だ」カナリスは言った。「悲しい話、我がドイツの民衆はヒトラーという独裁者を支持している。それも熱烈にだ。人々は本気でヒトラーを愛し、尊敬し、そして“崇拝”している。ヒトラーが敗北を見せない限り、ドイツ第3帝国は繁栄の限りを尽くし、そして暴虐の限りを尽くすことだろう」
「だからこそ戦争を終わらせねば!」原は叫んだ。「戦争の勝利は独裁者の株を上げる最高の方法だ。それは軍部にだって言える。平時は無駄飯食いと罵られても、いざ戦争に勝利すれば、人々は嫌でもその有難みを理解する。問題なのはその時、軍部に主導権を取られない事だ。世論は強い。だが、世論の方向は風向き鳥も同然だ」
「……ゲシュタポ本部まで聞こえるぞ」
カナリスは皮肉を込めて言った。
「あ……あぁ……すまない」感情的だった原は我に帰った。「既に帝国陸軍でも、『大和会』に対する目立った離反行為や戦争継続論者が後を絶たなくなってきているという話を聞いたんだ。ハバロフスクやウランバートルといった首都の陥落が原因らしい」
「ふむ……それは不味いな」
カナリスは静かに呟いた。戦争における最大の敵は――“慢心”である。自身が圧倒的に強く、誰にも負けないというその慢心こそが、冷静な判断能力と作戦展開に致命的なダメージを与える。圧倒的国力差によって慢心する敵国の艦隊を叩きのめした『アルマダの海戦』や『日本海海戦』然り。絶対に攻め込まれる筈が無いと慢心し、防御を怠ったがために歴史的敗北を見た『バルバロッサ作戦』や『真珠湾攻撃』然り。大国は小国を相手とせず、慢心したがために手痛い目に遭い、そして時として滅亡を迎えた。それが歴史における戦争の常であった。
開戦から約2年間。勝利に次ぐ勝利を見せ、慢心しきっていた史実の大日本帝国もまたその例に漏れず、滅亡を迎えた。『日露戦争』における連合艦隊の圧倒的勝利を信じ、戦ってきた帝国海軍。開戦緒戦に早くも東南アジアを掌握してしまい、列強諸国の植民地軍を悉く粉砕してきた帝国陸軍。その両軍は開戦と同時に繰り返してきた怒涛の勝利が揺るがない事実だとして、太平洋戦争の最終的勝利は既に確実であると、タカを括っていた。しかしそんなものは目糞鼻糞も同然である。1942年中盤から徐々に敗北を見せ始め、その後は敗北に次ぐ敗北を見せた。そして『無条件降伏』という屈辱的な条件を呑むことにより、ようやくこの戦争に一つの区切りを付けられたのである。いわば勝利国アメリカから情けを掛けて貰ったに過ぎない――ということである。
「これは陸軍だけの話じゃない。海軍も『第二次日本海海戦』の勝利に浮かれ、やれカムチャッカだの、やれパールハーバーだのと話を大きく、ややこしくさせているらしい」
そんな話を聞いたカナリスは、さも意味ありげな含み笑いを浮かべる。
「それは伊藤中将も気の毒だな」
「ああ……全くだ」
原は同意すると頷いた。
「気の毒と言えば、ドイツ軍も……」
そんな原の言葉にカナリスは頷いた。
「戦争開始から1年と経つが、戦死通告書と新兵は増え続けるばかりだ。今やドイツ経済は悲鳴を上げ、農村地では日常的に物が不足している。インフレ率も高くなっている。いずれ、ヴェルサイユ体制のそれと同様の数値になるのも時間の問題だろう」
原は沈痛な表情を浮かべたが、口は噤まれたままだ。
「原大佐。私も早く戦争を終わらせたい。終わらせたいんだ……」
消え入りそうな声を漏らし、カナリスは明後日の方向を呆然と見張っていた。
1944年12月13日
ソビエト社会主義共和国連邦/オムスク州
「バガー(クソッ)! 2時の方向にソ連軍戦闘機ッ!!」
「速いぞッ! 弾幕が間に合わない」
「撃て撃て撃てぇぇぇぇぇぇッ! 奴らのケツに鉛弾ぶち込んでやれッ!」
罵詈雑言と銃弾飛び交う、州都オムスク上空。計16機からなる英空軍の戦略重爆撃機『アブロランカスター』の編隊は、計40機にも及ぶソ連空軍防空戦闘機部隊の猛撃を食らっていた。その一機の機長であるジョセフ・J・ウィリアムズ空軍大佐は上空1万フィートで被弾する恐怖を常に頭の中にイメージしながら、ただひたすらにソ連深奥を目指し、飛び続けていた。相手は凄まじい攻撃を仕掛けてきており、20機いた編隊は既に4機を喪失している。20機中4機といえば上出来だと思えるが、ウィリアムズ大佐にとっては喜ばしい事では無かった。その撃墜されたランカスターには気のいい連中が乗っていたからだ。彼らとはロンドンのパブやインドのホテルのバーで一夜を飲み明かしたことがある。その時、ウィリアムズは彼らの人柄に惚れ込み、そして戦友として尊敬した。だが今やそんな彼らは灰と化し、ソ連の名も知らぬ地で眠りに着いているのだ。
秘密裏に事は進む筈だった――が、何故かソ連軍は事前に情報を掴み、こちらの一歩先を行っていた。ウズベク・ソビエト社会主義共和国――今や“ウズベキスタン”と呼ばれる所に彼は配属された。彼が所属するのは英空軍第617飛行中隊。『ダムバスターズ』の渾名で有名なこの部隊は、護衛戦闘機も付けずに単独で敵陣占領地深くまで侵攻し、与えられた目標を与えられた爆弾で容赦なく破壊するという、中々肝っ玉の据わった連中だった。
ところが、水の得ない魚がただの飛び跳ねるだけの魚であるように、空を飛んでいない爆撃機はただのジュラルミンの塊に過ぎなかった。ウズベキスタンの首都サマルカンドに設置された英空軍の飛行場に突如、ソ連空軍のIl-2『シュトゥルモヴィーク』戦闘爆撃機やYak-9戦闘機の編隊がその姿を現し、眼下の地上に広がる飛行場に対し、容赦ない攻撃を仕掛けたのである。攻撃を受けたランカスターは堪ったものではなかった。インドで改造された機体には5t爆弾『トールボーイ』が半ばはみ出た形で収納されており、取り外しは投下以外では無理だった。そこにIl-2のロケット弾攻撃を食らい、誘爆を引き起こしたのである。飛行場は強烈な爆発と爆風によってズタズタに引き裂かれ、滑走路は使えなくなった。結局、この攻撃は同飛行場に配備されていたスピットファイア戦闘機によって阻止されたが、それでも機体の喪失数は凄まじかった。配備してあった機体30機に対し、生き残ったのは僅か16機。半分以上の機体が助かり、残り半分が破壊されてしまったのだ。
「メ……Me262ッッッ!?!?」
半ば半狂乱の声が機内に響いたが、ウィリアムズ大佐は動じなかった。このMe262『シュヴァルべ』ジェット戦闘機はソ連軍によって鹵獲された機体なのだ。造ることこそ出来なくても、それをドイツ軍から奪い、その手駒として使うことは出来た。自身の死を恐れたスターリンは鹵獲したMe262を実験機も含めて総動員し、オムスク上空に配備したのである。
「落ち着けッ! 問題はそこじゃないッッ!!」
ウィリアムズ大佐は叫び、Me262の主翼下にぶら下がる筒状の物体を見張った。それはドイツ空軍のR4M55mmロケット弾である。その破壊力は凄まじく、B-17『フライングフォートレス』を一撃で破壊することが可能だった。天空の要塞がそんな有様では、ランカスターが助かる見込みは全く無かった。唯一の希望は、ソ連空軍がそのロケット弾の保存管理を怠り、暴発させてしまうことだ。R4Mロケット弾は強力な兵器だったが、信管や火薬等で不備が出やすかった。
「各員、迎撃開始! Me262には注意せよ!」
「アイ、サー!!」
ウィリアムズ大佐は頷いた。
「……止むを得ない場合には、『トールボーイ』を分離せよ」
1944年12月13日。『クリスマス作戦』は大失敗の下にその幕を閉じた。ドイツ空軍に潜伏する諜報員から事前に情報を受け取っていたスターリンは逃亡、オムスクには重厚な防空線が敷かれ、ウズベキスタンにはソ連空軍の攻撃部隊が送り込まれた。結局、オムスクまで到達出来た機体数は16機中6機と10機ものランカスターが撃墜されたのである。これは英空軍や政府としても由々しき事態だった。情報漏洩、資産流出、国民に対する約束の不可能化。そしてソ連空軍戦闘機部隊による大反撃。上空でありとあらゆるものが光り、煙を上げ、そして――爆発した。全てはスターリンから直々に『粛清』の言葉を聞く羽目になると脅された戦闘機パイロットの奮闘の成果だった。
そしてそれは実ったのである。
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