47、ついに王子の不眠が治りました!
「長話に付きあわせてしまったな、疲れただろう? そろそろ休んだ方が良い」
そう言って部屋から出て行こうとする王子を、「待って下さい」と思わず呼び止めた。
「その、もしお時間があるなら……もう少しだけ、傍に居て欲しいです」
どうしても、伝えておきたい事があった。別に今じゃなくて良いのかもしれない。だけど、あの時みたいにもう後悔したくない。
「分かった、気が済むまで傍に居よう。怖い思いをさせてすまなかったな」
「いえ、その……王子」
恥ずかしくて思わず目を背けてしまった。心配そうな声色で「どうした?」と尋ねられる。
顔を上げると、目が合った。王子の綺麗なエメラルドグリーン色の瞳に吸い込まれそうだ。
なんか、すっごい緊張する。心臓が口から飛び出しそうだ。だけど、きちんと言葉にして伝えたい。
「世界で一番、貴方が好きです。私を、貴方のお嫁さんにして下さい」
よかった。ちゃんと言えた。期待して王子の反応を待つと──
「ど、どうしたリア?! やはり、身体の具合が……熱でもあるんじゃないのか?!」
一層険しい顔をして、真剣に心配された。思い描いていた理想とのギャップに妙に切ない気分になった。
「……その反応、あんまりです」
「いや、だって……アンタがそんな可愛いこと自分から言ってくれるなんて、弱ってるとしか思えないだろ!」
確かに今まで可愛げの欠片もなかったとは思うけど、人の決死の告白をそんなにオロオロしながら真面目に心配されるとは……完全に予想外だった。
その不安の滲み出た顔を笑顔に変えさせたかったのに。
「もう貴方に会えないかもしれないと思ったら、後悔したんです。きちんと気持ちを伝えていればよかったと。もし王子が何かやらかして地位を失ったとしても、私が市井での生活の仕方を教えてあげようと思っていたので。貴方が地位より私を選んでくれて、同じ気持ちだった事が、すごく嬉しかったんです。だから……それなのに、ひどいです」
半ば拗ねながら気持ちを吐露したら、途中から恥ずかしくなって、私はプイッと王子から顔を背けた。
「リア……分かった、やり直そう。今度はちゃんと聞くから、もう一度……」
布団にすがりつきながら、王子が訴えてくる。
「言いません。ちゃんと聞いてくれなかった王子が悪いんですからね」
「リアー! 悪かった、この通りだ!」
ふせをしている犬のようだ。そして時折チラチラとこちらを窺っている。
お願いだから、そんな捨てられた子犬のような眼差しを向けてこないで。ついつい餌を与えたくなっちゃうじゃないか。王子はつくづく、わんこ属性だな。でも、そんな所も含めて──
「貴方が好きです。世界で一番誰よりも。だから、私を貴方のお嫁さんにして下さい」
王子の頭を撫でながら気持ちを伝えると、顔を上げた王子は満面の笑みを浮かべて「勿論だ!」と喜んでくれた。
「ただし、それは私が貴方に借金を全て返し終わってからです」
途端に王子は崖から突き落とされたような顔になったけど、それだけは絶対に譲れない。
「まだ気にしていたのか?!」
「逆に王子は、私に奴隷のまま嫁になれとおっしゃるのですか? 対等な夫婦の形とはほど遠い、奴隷のまま!」
それだけは絶対に嫌だ。
平民出の王太子妃なんて、ただでさえ地位やお金目当てと思われるに違いない。他の誰に何を言われようと構わないけど、王子にだけはそんな風に思われたくない。
「だから俺は気にしない。何かを命令するつもりはないし、リアの意見を尊重する」
「なら良いではありませんか。借金返すまで待って下さいよ。それが今、私にとって何よりも優先すべき意見です」
「……結婚してからじゃ、駄目なのか?」
「駄目です」
私の言葉に、王子はしゅんと項垂れた。
うぅ……そんな顔されたって、譲れないものは譲れないのだ。
「逆に聞きたいのですが、どうしてそんなに結婚を急ぎたいのですか?」
「俺の不眠が治ったら、リアは城から出ていくのだろう?」
「ええ。間借りしているだけですから」
「本当は……もう幻覚をかけなくても、眠れると思う」
「それは本当ですか?!」
「ああ。アンタと一緒に寝た日、悪夢は一度も見なかった。逆に何か楽しい夢を見ていた気がする。何を見たのかは覚えていないが、起きた時、すごく心が軽かった」
「よかったじゃないですか! おめでとうございます!」
今までの苦労がついに報われた。
最初はガルルルルと威嚇の激しかった王子が、ついにここまで!
喜ぶ私とは対照的に王子の顔色はどんどん曇っていく。
「全然よくない。アンタは俺の不眠治療係だろ? 俺が治ったら……」
「私の役目は終わりですね」
ああ、そんな事を気にしてくれていたのか。どうしよう、可愛い。可愛すぎる。頭を撫でくり回したいけど、流石に今それをしたら怒られそうだ。
「一緒に居られなくなるじゃないか。それどころか何の繋がりも無くなってしまうのが怖かった。だから俺は……」
「借金を肩代わりしてくれたんですね」
「ただ、傍に居てくれるだけでよかったんだ。アンタが俺の過去を悔やんで立ち止まっていた時間を動かしてくれた。そのおかげで、敵ばかりにしか見えなかった周囲が、今は全然違って見える。それも全て、アンタが教えてくれたんだ。失いたくなかった。たとえどんな卑怯な手を使っても」
駄目だ。我慢できない。
「り、リア?!」
「苦情は後からいくらでも受け付けます。だから今だけ、許して下さい」
引き寄せた王子をぎゅっと抱きしめて、頭を思いっきり撫でくりまわした。ああ、癒やされる。
満足した所でそっと手を離して、王子に問いかけた。
「あの時と今では状況が違います。こうして、確かな繋がりも出来ました。それでは、不安ですか?」
「不安に決まってる。城下には治安の悪い所もあるし、もし何か事件にでも巻き込まれたりしたら……」
「そうですね。だったら、お城のどこか一室貸してもらえませんか? 勿論家賃は払います。ポーラさんから請け負っている仕事もありますし、そこを拠点に新たな仕事を始めようと思います」
「貸すも何も、リアは父上に認められた特別功労者だ。東側の施設は自由に使って構わないはずだ。その中には、遠方からの客人用に宿泊施設もある」
「本当ですか?! だったらその部屋、一つお借りしたいです。それと露店街にお店を出店したいのですが、どうすれば出来ますか?」
「正規の手続きを踏むなら、申請して許可を取るのに三ヶ月はかかる。仕入れルートから販売品に至るまで、定められた項目を事細かに精査する必要があるからな。何を販売するつもりなのだ?」
「幻覚魔法で、お客さんの要望を夢としてみせます。提供するのは、癒やしのアミューズメント空間といった所でしょうか」
「それなら、審査自体はそこまで期間はかからないだろう。ただ問題は、露店街の統括責任者、ブルーバード侯爵の許可が下りるかどうか……そっちを心配したがいいかもしれん」
「ご安心下さい。そこは何としても説得してみせますから」
後は設備と備品をどうするか。お客様は貴族ばかりだし、流石にはりぼて小屋じゃ駄目だろう。
ああ、そうか。その手があった。王子の不眠が本当に治っているのならば、陛下から望む褒美がもらえるはずだ。それを利用させてもらおう。ついでに出店の許可も一緒に口添えしてもらえれば、完璧だ。
お客さんに幻覚をかけて待っている時間に抱き枕カバーを作る。時間の無駄を最大限に省いて、がっぽり稼いでやろうじゃないか。
「時にリア、さっき苦情は後からいくらでも受け付けると言ったよな?」
「え、ええ」
なんか、心なしか笑顔が怖いです。
「シリウスに組み敷かれているアンタを見て、怖かっただろうと俺がどれだけ触れるのを我慢してたか分かるか?」
「わ、分かりません」
「それなのにアンタは……」
はぁっと大きくため息をつかれた。
「し、仕方ないじゃないですか。王子が可愛すぎたのがいけないんですよ」
「そうか。可愛すぎたら何してもいいんだな?」
ベッドの上に身を乗り出してこちらににじり寄って来た王子に、妙な危機感を感じた。
「お、王子……?」
牽制しようと声をかけるも、彼の動きは止まらない。
別に嫌なわけじゃないけど、こちらにだって心の準備というものがある。せめてそれくらいさせて欲しい。
そんな事を考えていたら、伸びてきた手が思いっきり私の身体を抱き込んだ。
「本当に無事でよかった。お願いだから、無理はするなよ。何かあったらすぐに言ってくれ」
私の肩に顔を埋めた王子は、絞り出すような声で私の耳元でそう囁いた。
「ありがとうございます。ご心配おかけして、すみませんでした」
なだめるように、そのまま王子の背中をよしよしとさすってあげる。するとしばらくして、王子がゆっくりと顔をあげた。
「リア……」
熱を孕んだ眼差しで見つめられ、少しずつ王子の端正な顔がこちらに近付いてくる。
しかし寸での所で止まった王子は、そのまま私から離れてベッドサイドに置かれたソファーへドサッと腰を下ろした。
「……何で、止めちゃうんですか」
恨めしげに王子を見ながら、思わず本音が漏れてしまった。この王子、引き際がいつも秀逸すぎる。
「楽しみは後で取っておこう。中途半端に手を出したら、止めれる自信がない。身体、きついんだろう? そろそろ休め」
「お気遣い、ありがとうございます」
そんな事言われてしまったら、引き下がるしかなくなるじゃないか。
「今日は傍に付いててやるって約束したからな。アンタが眠るまで、手握っててやるよ」
どうしよう。逆に心臓がバクバクして、全然眠れない。そんな私とは対照的に──疲れていたのだろう、王子は私の手を握ったままベッドサイドで静かな寝息を立てて眠ってしまった。
どうやら本当に、王子の不眠は治ったようだ。
嬉しい。嬉しいけれど、逆に私が眠れなくなってしまったじゃないか!
この胸の高鳴りが静まれば、いずれ眠気も来るだろう。そう思いつつも、その日は中々眠れなかった。










