30、やられたらやり返す、それで貸し借りはチャラにしましょう
確か昼、サロンにハゲゴリラが現れて、王子が撃退してくれて、お茶会の話をされた。
ドレスに着替えさせられて、NGワードに触れてしまい王子が怒った。
模擬戦の決勝に強制連行される途中、意地になって下ろしてくれない王子に第二の作戦をけしかけた。そして──本当に寝てしまった?!
「あの、王子……模擬戦の決勝戦は……?」
王子の顔色を窺いながら尋ねると、鼻をフンと鳴らして「もう終わった」との返答が。
「アンタがヨダレを垂らして寝るせいでシャツは汚れるし、本当に散々だ」
はぁーっと大きくため息をつかれ、目も当てられない。
「す、すみませんでしたー!!」
ベッドの上で勢いよく土下座をして謝った。あそこで本当に寝ちゃうとか、うん、マジであり得ない。
しかもヨダレ垂らして王子の洋服汚すとか、かるく死ねるレベルの羞恥!
いやむしろ、処刑されてもおかしくないレベルじゃないか、この罪は……ああもう、駄目だ。言い訳考えようにも動揺しすぎて頭が働かない。
「さて、どうしてくれようか」
「本当にすみませんでした! 私に出来る事なら何だってやります! なのでどうか……!」
「そうか。それなら早く自分の部屋に戻って休め」
「はい! 直ちに戻らさせて頂きます! って……あれ? そんな事でいいんですか?」
「最近毎日ゲームの幻覚魔法を使わせていたからな。人を枕にして眠るくらいだ、疲れているのだろう? 無理をするな」
確かに、細かいところまで作り込まないといけないゲームの幻覚魔法は結構疲れる。でも、きちんと睡眠は取っていたし、ご飯も食べていた……って、そうか。今日の昼はハゲゴリラのせいで食べれなかったんだ。
「王子……本当にそれで良いのですか? 私が自ら何でもやるという機会は、そうそう多くはありません。本当に今だけですよ? いいんですか?」
「いいから休め。アンタ、いつも陽の刻近くまで寝てるのはそうしないと身体が持たないからだろう? アシュレイに聞いた。俺の部屋を出た後、倒れたこともあると」
アシュレイに本性暴きの幻覚魔術を使った時のことか。あれはそもそも王子のせいではないんだけどな。
「ルーク王子……気を遣って頂くのは大変ありがたい事ですが、仕事はきちんとやらせて下さい。私がこの部屋を出るのは、貴方を眠らせた後です。それと、汚したシャツは必ず弁償致します。さらに、昼から今までこちらのベッドをお借りした代金もお支払い致します」
正直、かなりの醜態を晒したまま、何のお咎めも無く許されるのは気持ち悪い。後々になって、あの時免除してやっただろう的な恩を売られるのも嫌だ。
貸し借りはしない。やることはきちんとやる。いつもそうやって生きてきた。等価交換の理念に則り師匠と交わした誓約もあるし、今更そこは変えられない。
懐には大打撃だけど、仕方ない。自分でやらかした不始末はきちんと処理しなければ。
「だから、全て不問にしてやる。いいから、アンタはさっさと部屋に戻って休め」
「私はお師匠様とある誓約を交わしています。それは、決して過剰な恩の貸し借りをしないこと。身分制度のあるこの国において、一市民である私が王子のお召し物を汚した。本来ならそれだけで、牢屋へ連行されてもおかしくはない罪状です。それを何の理由もなく不問にされてしまえば、私はうまく幻覚魔法が使えなくなってしまいます」
私の言葉を聞いて、何かを考えているのか王子は口を閉ざしてしまった。しばらくして──
「それなら、貸しを与えなければいいんだな?」
確かめるように、そう尋ねてきた王子に「はい、そうです」と私は頷いた。
「いいか、今から俺が何をしても動くなよ? まずは一つ目の貸しを返してもらう」
「え、あ、はい……」
何をするのだろう? そう疑問を浮かべている間に、何故か王子はこちらに寄ってきた。反射的に距離をとると、「動くな」と怒られた。
いやだって、ベッドの上でこっちに寄ってくるとか恐怖以外の何物でもないよ?
「すぐ済むから我慢しろ。怖いなら、目を閉じててもかまわない」
その言葉で腹を括った。とりあえず目を瞑って終わるのを待つ。
王子の手であろうものが私の肩に触れると、そっとドレスの襟部分を横にずらした。外気に触れた肩からひんやりとした寒さを感じたのも束の間、温かくて柔らかい湿った何かが肌の上を這った。
「ヒャッ……」
思わず声が漏れてしまった。このぬめっとした感覚はもしかしなくても……恐る恐る目を開けると、顔を赤くした王子が私の方から離れていった。
「これで、シャツを汚した件は済んだ。次だ、次行くぞ! 付いてこい!」
そう言い残して、王子は足早に部屋から出て行ってしまわれた。付いてこいと言われた以上、行くしかないだろう。
さっきのはどう考えても、舐められた。つまり、王子もそれで私にヨダレをかけた、だから貸しを返してもらったと。
そこから導き出された王子の行き先はもしかしなくても──やっぱり私の部屋だった!
「いいか? 入るぞ」
「は、はい……どうぞ」
部屋の中に入るなり、王子は私のベッドに腰掛けた。
「一晩貸せ。それで二つ目の貸しは返してもらう」
やっぱりか。なんと律儀な性格をしていらっしゃることか。ここまで来るとやはりこの王子、心根はとても優しい方だったんだろうと思う。
普通なら、わざわざここまでしてくれない。むしろ、私を利用して悪事を働こうとすると思うんだけど。
「貴方は本当に、馬鹿がつくくらいお人好しですね。どうぞお使い下さい。私はソファーで休みますので」
二人掛けのソファーだから足は伸ばせないけど、身体を丸めて寝れば一応横になれる広さはある。一晩くらいなら問題ないはずだ。
「そのソファーじゃ身体が休まらないし、寒いだろう。今、部屋を用意させる」
革張りのソファーだから触るとひんやり冷たいけれど、そこは我慢だ。
「それは駄目です。元はと言えば私の不手際で起こったこと。メイドさん達も休まれているでしょうし、迷惑はかけられません」
「じゃあ、俺がそっちで……」
「それだと意味がありません」
「ああ、そうか。そこまで考えてなかった」
「私の事は気になさらないで下さい。クローゼットには衣類もたくさん用意して頂いてますし、着込めば寒さは凌げますから」
それでも納得出来ないようで、王子は折れない。
「だが!」
「大丈夫ですから!」
としばらく押し問答が続くも、意見は平行線のままだった。そして思い出す。この王子はかなりの頑固者だったなと。
「それでしたら王子、ベッドの隅を貸して下さい。二人で寝ても広さ的に余裕がありますし」
「な、い、一緒に寝るのか?!」
「嫌でしたら、私はソファで寝ます。別にどちらでも構いませんので」
あー、とか、うー、とかうめきながらしばらく頭を抱え込んだ王子は、最終的に「わ、分かった。貸してやる」と了承してくれた。
「それでは、そろそろ休まれて下さい。今日は何の幻覚がいいですか?」
「……要らない」
「でもそれだと眠れないでしょう?」
「今日は、要らない。俺は寝ない」
「大丈夫ですよ、王子。私はベッドに入ると三秒で寝ますから、危害を加えるなんてこと絶対にありません。安心して眠られて下さい」
「いや、そういう問題じゃなくてだな! いや、もういい! とりあえず今日は要らない。これは命令だ。分かったら、アンタもはやく休め」
それ以上話すことはないと言わんばかりに、王子は背中を向けてベッドに入ってしまった。
「かしこまりました」
命令と言われれば、従うしかないだろう。
とりあえず私は、音を立てないよう細心の注意を払いながら、着替えを持って備え付けのバスルームで軽くシャワーを浴びた。身体の汚れと汗を綺麗さっぱり洗い流し、ベッドの隅を借りた。
王子は反対側を向いたまま微動だにしない。起きてはいるんだろうけど、本当にこのまま寝てしまってもよいのだろうか。と考えている間にも、フカフカの布団の気持ちよさに抗えなくて私はそのまま眠りに落ちた。










