File053 〜アブノーマルなアホ毛〜
「以上で今日の会議を終わる」
ブライスのその言葉を合図に、会議室を包んでいた独特な緊張感が解けた。やっと終わったー、と星5のノールズ・ミラー(Knolles Miller)は椅子の背もたれに思う存分背中を預けて大きな伸びをしている。夕飯を食べてしまえば今日のタスクは終了だ。
「今日も疲れたー! ねえ、イザベルー?」
ノールズは伸びを終えて隣の同期に話しかける。金色の髪が美しい、古いゴーグルを着けた星5研究員、イザベル・ブランカ(Isabelle Blanca)だ。彼女は資料をまとめていた。ノールズはふと違和感に気づいた。毎日のように会っていて、10年来の付き合いならば少しの変化も見逃さない。
「どうしたのさイザベル。浮かない顔して」
彼女のいつものクールフェイスに影がさしている。イザベルは「え?」と手を止めた。
「心配事でもあるの? 俺に話しなよ!! 将来のパートナーに!!」
ドン、と大きく胸を打つノールズ。いつもならば「何が将来のパートナーよ」と冷たく突き放す彼女だが、今日はキレのあるツッコミが健在ではなかった。
「......それが、少し気になっていることがあるの」
イザベルは資料をまとめたファイルを閉じて、ノールズに向き直った。
*****
話は今朝に戻る。
イザベルは毎朝、星3の助手であるキエラ・クレイン(Kiera Crane)よりも早くオフィスに入る。今朝もそうで、イザベルは一人でパソコンの画面と向き合って仕事をしていた。
イザベルがオフィスに入って30分後。アホ毛の立つ赤毛を持つ、まだ幼い顔つきの少年がオフィスに入ってきた。彼がキエラだ。
「おはようございまーす、イザベルさん!」
彼の高い声はオフィスによく響く。イザベルは手を止めて「おはよう」と彼を振り返った。特に変わらないいつもの彼である。イザベルは再び仕事に戻った。
キエラの毎朝の日課は、イザベルにオリジナルブレンドコーヒーを淹れることだ。彼のコーヒーの腕はそこらのバリスタでさえ舌を巻くほどのもので、今までイザベルの舌を唸らせてきた。彼の淹れるコーヒーは世界一美味しいとイザベルはお世辞なしに思っていたのだ。そこまで褒めると調子に乗るので黙ってはいるのだが。
その日もキエラはコーヒーを淹れている。コーヒーを作っている時の彼はご機嫌そのもので、無自覚に鼻歌を歌っている。知らない曲だが童謡らしい簡単で単調なメロディだ。イザベルは慣れたものでそれをBGMに仕事を仕上げる。
「イザベルさーん、コーヒーをどうぞ!」
淹れ終えた彼がいつものマグカップをイザベルのデスクに置いた。イザベルはありがとう、と言ってパソコンの画面からマグカップへと視線を移す。黒い液体が湯気を立ててマグカップの中で揺れていた。香ばしい香りが昨日嗅いだものと違うことにイザベルは気づく。
「また新しいブレンド?」
イザベルが問うと、キエラは嬉しそうに「気づきましたか?」と言った。週に一度程彼は新作のブレンドを試す。今まで一度もハズレが無いのはすごいことだ。きっと今回もアタリに違いない。イザベルはマグカップを手に取って香りを楽しんだ。フルーティーな香りが強い。ゆっくりとマグカップの縁に口をつけて傾けると、コーヒーが口に入ってきた。苦味とフルーティーさが交互にやってくる。また新しい美味しさだ。
「ど、どうですか?」
彼のソワソワした声が降ってくる。イザベルはもう一口飲んだ。癖になる味だ。やはりアタリだった。
美味しい、と言おうとしてイザベルは顔を上げた。感想を待ち続けるキエラの顔が目に入った。いや、顔と言うより頭である。髪の毛だ。
彼の髪の毛に立つアホ毛がフリフリと左右に動いている。まるで犬のしっぽのように。
イザベルは目を見張る。口に出かけていた一言がひゅん、と喉奥に引っ込んだ。
「も、もしかして不味かったですか......?」
しゅん、とキエラが眉を八の字にして分かりやすく落ち込んだ顔になった。すると同時にアホ毛がお辞儀をするように湾曲した。イザベルは眉を顰めてその様子を見る。
「うう、言葉にならないほど不味かったですかね......い、淹れ直します......」
湾曲したアホ毛がどんどん丸くなっていく。まるでキエラの感情とリンクしているようだ。キエラがイザベルの手からカップを持っていこうとするのでイザベルは慌てて、
「美味しいわ。今までで一番」
と言った。
すると、
「ほ、本当ですか!?」
ピイイイインッ!!!!
アホ毛が直立した。アホ毛が、直立。
「......」
「初めて言われました! 一番なんて! えへへ、頑張った甲斐がありましたよー! 今回の豆選びは正解でしたー!」
フリフリフリフリ......。
「お、お店とか開けちゃうかな......今までのブレンドをメニューにしたら人気出ますかね!」
フリフリフリフリ......。
「キエラ」
「はい!」
「......その......髪の毛が......」
「へ? 髪の毛ですか?」
キエラが首を傾げた。アホ毛が動くのを止めて、くるん、と曲線を作った。ハテナのようだ。
「......何でもないわ。コーヒー、ありがとう」
「はいっ!」
ピイイイインッ!!
*****
「ということがあったの」
「へー、可愛いじゃん」
「あなたね、そんな顔していられるけど、」
頬杖をついて話を聞いているノールズをイザベルは睨みつける。
「もし何か変な超常現象だったらどうするわけ? キエラが何かに寄生されているかもしれないじゃない」
「でも今日一日一緒に過ごして見て害はなさそうだったんでしょ? なら大丈夫だって」
「数日経ったら本性を見せてくる超常現象かもしれないわ」
「イザベルってキエラのことになると、バカ親ならぬバカ先輩になるよね。俺が言えたことじゃないけどさ」
「そんなことないわよ」
「自覚がないところが特に」
ノールズはうーん、と首を傾げる。
「そんなに気になるならいっその事切っちゃえば?」
「切るですって?」
イザベルは目を丸くした。ノールズはそうそう、と手をチョキの形にして自分の頭の上でハサミでカットする動作をする。
「血や神経が通ってたらどうするのよ......」
「髪の毛だってば!」
ノールズが思わず前のめりになって言うが、イザベルはまるで聞いていない。自分には全く構ってくれないくせにキエラのことはこれだけ真剣に考えているのを見ると、やはり彼女は自分の助手をとても大切にしているのだろう。悲しいと思う半分、ノールズは嬉しさが込み上げてきた。
「何ニヤニヤしてるのよ」
気づけば顔に出ていたらしい。いつもの冷たい目が此方を見ていた。
「まあ、そんなに気になるなら俺も見てみるよ」
「そうね。じゃあ一緒に行きましょうか」
*****
食堂にてノールズは助手のラシュレイ・フェバリットを連れて待っていた。ラシュレイは仕事中に呼び出されたので迷惑そうだが、ノールズは気にせず彼と一緒に食堂のメニューを眺める。
「んー、何食べよっかなー」
「俺もう夜飯食べました」
「でもほら、スイーツでもってね! ラシュレイ細いんだからいっぱい食べなきゃ! 俺が奢るからさ」
「いりません」
そんな会話をしていると、
「おまたせ」
イザベルがやった来た。彼女の後ろにはキエラが居る。イザベルと一緒に夕飯を食べられるのが嬉しいのか、顔には満面の笑みが浮かんでいた。そして、
ブンブンブンブンッ......。
アホ毛がちぎれんばかりに左右に振られていた。
「なるほどねえー......」
本当に犬のしっぽみたいだな、とノールズが頷く横でラシュレイは「なんですかあれ」と眉を顰めている。
「とりあえず、ご飯食べよっか」
*****
キエラのアホ毛は基本的に動き続けていた。イザベルが隣に座ると分かれば左右に振れ、ノールズがイザベルに絡むとピンッ!と針のように直立する。
「分かりやすいなー」
ノールズはパンを頬張ったことで再びフリフリと左右に動き出したアホ毛を眺めて言った。
彼の感情とリンクしているなら、彼が今思っていることがすぐに分かるので便利である。この機能を今横にいる助手につけてあげたい。そうすれば彼が思っていることが常に視覚で把握出来る。彼がイライラしている時にどんな行動をすればいいのかを判断できるのだ。怖い目を向けられる回数も減るだろう。
「ノールズさん、今物凄く馬鹿馬鹿しいこと考えてますよね」
「......」
その機能がついているのはむしろ自分の方なのかもしれない、とノールズは思った。
*****
「で、どうすんのあれ」
キエラがトレーを下げに行き、残された三人で顔を寄せた。
「やっぱり変でしょう。もしキエラの身に何かあれば、先輩として行動しないとならないわ」
「いっその事切っちゃおうよ」
「やっぱりそれがいいのかしらね......」
深刻な顔でイザベルが残っているサラダをフォークでかき集めている。
「あれって急になったんですか?」
ラシュレイがノールズに無理矢理頼まれた甘ったるいロールケーキを何とか平らげ、ブラックコーヒーで流しながらイザベルに問う。
「それが、あまり自信がないのよね」
イザベルがサラダを集める手を止めて言った。
「自信がない? どういうこと?」
「あのアホ毛が動く現象が今朝から起きたのか定かじゃないってこと。見慣れすぎていて意識していなかっただけで、ずっと前からあんな感じだったような気がしなくもないの」
「イザベルが初めて意識して気づいたのが今日だったのかもってことか。まあ、でも俺らもそんな気がしないでもないや。ねえラシュレイ?」
「そうですね」
キエラに取り付いているかもしれないあのアホ毛が今日昨日のものでないとすれば、一体いつから取り付いているのだろうか。三人は各々の頭で考える。
「あのアホ毛って出会った時からあったの?」
「えっと......」
イザベルが思い出しているように、空を見つめる。
「あったと思うわ。二人で前に写真を撮ったけれど、その写真にも写っているもの」
「抜けたりするかな? 雑草みたいに、すぽーんって」
「雑草って......根っこでも付いてるんですか」
ラシュレイのツッコミにイザベルが「怖いこと言わないで」とため息をつく。
「やっぱ切ってみようよ。これも実験だと思ってさ。それがキエラのためになるかもしれないじゃん。結局は全部やってみるのが一番だって、俺昔イザベルに言ったでしょ?」
「そうだけれど......本当に大丈夫かしら」
「大丈夫だって! 何かあれば俺らも駆けつけるよ!! ねえ、ラシュレイ?」
「まあ、そうですね」
イザベルは迷っている様子だったが、やがて頷いた。
「わかったわ」
*****
イザベルは実験室を一部屋借りて、準備をしていた。床に白いシートを敷いてその上に椅子を、そして自分の助手をそこに座らせる。
「えへへえ」
キエラは嬉しそうだ。顔だけでなく、アホ毛にそれが出ている。
「嬉しいの?」
イザベルが問いながら彼の体の前からシートをかける。その様子は美容室で今から髪を切られるのを待つ者だ。
「嬉しいですよー、だってイザベルさんに髪の毛切ってもらえるんですもん!! 僕お母さん以外に髪の毛切ってもらうの初めてなんです!」
「そうなのね。私も誰かの髪を切るのは初めてよ。失敗しても大目に見てくれるかしら」
「もちろんです!! どんな髪型になるのか楽しみです!」
キエラが完全に前を向いたので、イザベルも心を決める。散髪用のハサミを持って、今一度前を向いた。ガラスを挟んだ準備室にはノールズとラシュレイ。何かあった時のために二人を呼んでおいた。この部屋を借りる際にブライスにも話はしておいた。きっと大丈夫だ。
「キエラ、じゃあ、切るけれど......何か違和感があったらすぐ言うのよ」
「はーい!!」
イザベルは恐る恐る彼のアホ毛に触れる。ブンブン動いていたアホ毛がイザベルの手に触れられると大人しくなった。イザベルはハサミを根元に当てる。もしキエラが痛がる素振りを見せたらすぐに刃を離さないと。
「......行くわよ」
「はい!」
じょきん!!
イザベルは一気に切り落とした。ガラスの向こうでノールズ達が「おー」と言ったのが微かに聞こえた。
「ど、どう......? 痛くはない?」
「へ? 痛い?」
キエラがきょとんとした様子で聞き返してきた。痛みはなさそうだ。神経は通っていないのか、とイザベルはホッとした。手の中にあるアホ毛だったものはただの髪の毛に戻っている。これはあとでサンプルとして取っておく予定だ。一応この現象は超常現象として報告書も書くので、資料としては大切な材料になる。
ぽんっ!
「えっ」
生えた。新たなアホ毛が、突然。
ブンブンブンブンッ......。
「キエラ......」
イザベルは手の中のアホ毛と、今キエラの頭に新たに生えたアホ毛を見比べる。
髪の毛とはそんなの成長が早いものなのか??
イザベルはハサミを今度は普通の髪の毛に当てた。数本の先っぽだけをちょきん、と切った。そのまま少しだけ待ったが、伸びる気配は全くない。今度は根元から切ったが此方も新たに生えてくる気配がない。
イザベルはもう一度アホ毛を切った。根元から一気に。
ぽんっ!!
生えた。
じょきんっ!!
ぽんっ!!
イザベルは静かにハサミを置いた。
「あ、終わりました?」
キエラが振り返るので、イザベルは彼に手持ちの鏡を手渡す。
「あれ? あまり変わってない?」
「ええ、ちょっと切っただけだから......」
「そうですか......でも、前よりかっこよくなった気がします! えへへ」
幸せそうな彼のアホ毛がブンブンと左右に動いている。
「......キエラ、頭に生えているそのアホ毛......何か違和感は無い?」
「え? アホ毛?」
キエラは鏡を通してアホ毛を見た。そこにはバッチリ動いているアホ毛が映っている。キエラは「え!!」と目を丸くしている。
「何ですかこれっ!!」
「気づいてなかったの?」
「知りませんでした!! い、犬のしっぽみたいですね」
キエラは興味深そうに手を持ってきてアホ毛を撫でている。
「切りはしたけれど、また生えてきたのよ」
「すごい!! 超常現象ですかね?」
「そうかもしれないわ......違和感は本当にないの?」
「ないです!」
「そう......ならいいんだけれど......」
まだ不安は残る。本人でさえ気づかないこのアホ毛の正体は一体何なのか。イザベルはとりあえず注意だけをしておくことにして、落ちた髪の毛を片付け始めた。
*****
キエラのアホ毛はそれからも彼の感情にリンクして動き続けていた。イザベルは超常現象としてそれを認めて、あの散髪を実験と称してブライスに報告書を書いて提出した。
キエラのアホ毛はこれからも色々と考察は深まるが、イザベルは最近気づいたことがある。
以下は報告書の一部である。
『あのアホ毛は時々一定の形を作ることがある。分からないことがあればハテナ、驚いたことがあれば、針のような直立か、雷マークのようなギザギザ......。しかし、私が話しかけるとまた違う形を作る。丸を作って、続いて天辺部分が中心に向かってきゅ、と引っ込む。ハートマークのように見えるが、これが何を意図するかは不明。何に対してのハートか、美味しいコーヒーへのハートか、これから注意深い観察が必要である。』




