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Black File  作者: 葱鮪命
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星3昇格試験・講習会

 その日、キエラ・クレイン(Kiera Crane)は「行ってきまーす」と元気にオフィスを出た。

 オフィスを出る直前まで彼の先輩であるイザベル・ブランカ(Isabelle Blanca)が不安げな顔を自分に向けていたが、彼は心配事など何一つないような、晴れた空のような表情で廊下を歩くのだった。


 そんな彼の腕の中には分厚い資料があり、最も上の紙には【昇格試験のご案内】と書かれている。


 彼がこれから向かうのは第八会議室。B.F.で定期的に行われる昇格試験の前準備として説明会に参加するのだ。彼は今星2なのでこれから受ける試験は星3である。


 星1から2への昇格の時に渡された資料の、何倍もの厚さがある資料を渡されて最初は戸惑ったが、自分があの完璧な先輩に近づく階段なのだと意識すれば、何としてでも取らなければと熱い思いを抱く彼であった。


 キエラが第八会議室に着くと、既に席は満席に近い状態だった。日曜会議で使用される部屋だが、キエラは片手で数えられるくらいしか入ったことがない。


 B.Fの会議室は九段階の広さがあり、最も広いのは第九会議室だ。八にもなると大学の講義室くらいだろうか。もっとも彼は大学という場所に足を運んだことがないのでそれを比較に持ってくるのは分からないが。だが、とても広い部屋である。

 因みに第九会議室はとある超常現象によって立ち入りが禁止されている。なので現在使用出来る会議室は、第八会議室までだ。


「えーっと......星2の座る場所は......」


 星2から星5まで座る場所は区分けされている。キエラが見える位置にあるのは星4への昇格を目指す研究員らが座る区画だった。キエラは巨大なドーナツ型のテーブルの周りを歩いていって、ようやく星2の区画を見つけた。そこには知っている背中があった。


「カーラ?」


 黒髪を肩につくかつかないかくらいの所で切りそろえ、頭に大きな赤いリボンを付けた少女の研究員、星2のカーラ・コフィ(Carla Coffey)だ。


「キエラさん」


 カーラも気づいたのかパッと表情を明るくした。一緒に実験をしたことはないが、エスペラント誘拐事件の際に色々と話す機会があったので、あれからは廊下ですれ違う度に二言三言言葉を交わす仲になった。


「カーラ、もう星3に昇格する予定なの? この前星2に昇格したんだよね?」

 キエラはカーラの隣がちょうど空いていたのでそこに腰をかけた。


 B.F.の昇格試験は年に四、五回ある。今年に入って既に数回あったが、カーラはちょうど今回の一つ前の試験で星を一つ昇格したはずだ。その時キエラの親しい先輩であるラシュレイ・フェバリット(Lashley Favorite)も星4へと上がったが、カーラはあまりにも次のステップが早すぎやしないだろうか。


「ドワイトさんがお仕事を沢山持ってきてくださるので......そのお手伝いをしていると、いつの間にか星3を受けられるくらいになっていました」

 カーラが頬を掻いてそう言った。


 星をひとつ昇格する条件は様々だ。まず一番は、研究員としてどれくらいの仕事量を受け持っているかによる。


 カーラの先輩であるドワイト・ジェナー(Dwight Jenner)はこの会社のトップの一人なので、彼が受け持つ仕事もきっとそれなりだろう。確かにその手伝いをしていれば、すぐにその条件はクリアになりそうだ。


 他にも実験回数や研究員として過ごした日数など、そのどれかの条件をひとつでも満たしていれば星の昇格試験は受けることが出来る。


「星は取れる時に取るのがいいとドワイトさんも仰っていたので、来てみたのですが......やっぱり早かったですかね」

 不安げに周りを見回す彼女にキエラは「そんなことないよ!」と明るく言った。


 B.F.に最年少で入社したので周りの空気に圧倒されるのも頷ける。星3にもなると周りはかなり経験を積んでいる、彼女から年が離れた大人ばかりだ。


「僕も頑張るから、一緒に頑張ろうね」

 キエラが言うとカーラは嬉しげに「はい!」と頷いた。


 やがて会議室の前の扉から三人の白衣の男性が入ってきた。カーラがパッと其方に目をやる。無理もない。


 入ってきたのは三人の男性。その中には彼女の先輩であるドワイトを始め、同じくこの会社のトップであるブライス・カドガン(Brice Cadogan)と、ナッシュ・フェネリー(Nash Fennelly)が居るのだ。


 この三人が揃うとどんなに騒がしかった会場も一瞬にして静かになる。

 空気が緊張し、キエラも自然と背筋が伸びるのだった。


「全員揃っているか」

 ブライスがマイクを通して問う。空いている席はほとんど見られない。大丈夫そうだよ、とナッシュがブライスに言ったのをマイクが微かに拾う。


「では、これより昇格試験の事前説明会を開始する。各自配られた資料の1ページ目を開け」


 キエラは資料を開いた。イザベルと共に読み込んできたので大まかなことは頭に入れている状態だ。もしイザベルが居なかったからこの資料の分厚さに逃げ出していたかもしれない。


「まず星2昇格を目指す者への説明から行う」

 ブライスが説明を始める。星1の研究員たちが真剣に耳を傾ける。


 キエラは懐かしいなあとその話を共に聞いていた。自分も思えばこの会社に来てかなり経った。


 入社した当時は会社で迷いすぎて自分でもポンコツだと痛感していたが、イザベルのもとでの修行の成果が、少しずつだがついてきている気がする。まだまだ足りないところはあるが、それでも前へは進んでいる実感があった。


「次は星3昇格を目指す者への説明を行う」

 思い出に浸っていると、いつの間にか自分らの番だった。キエラはページを捲る。


「星3の主な試験内容は筆記と実際に対象の実験、そして怪我をした際の応急処置だ。星2から星3は最も難関と呼ばれているが、慎重になればそれほど難しいことは無い」


 ブライスの言葉にキエラはゴクリと喉を動かす。応急処置。星3に上がる時の難関ポイントだ。

 仲間が怪我をした際、安全地帯にどうやって運ぶか、骨折や出血の応急処置などを習得して実験で命を守る訓練を行うのだ。

 確かに実験で怪我をするとイザベルはすぐ応急処置をしてくれる。


 昇格試験の内容は今と昔で少し異なっているようで、星3の昇格試験にこうして応急処置という枠組みが組み込まれるようになったのは、B.F.に医者というものが今いないからだという。


 話を聞く限りでは過去に二人の医者がB.F.には勤めていたそうだ。一人はキエラも知っている。それはエスペラントの誘拐事件の時に小さな診療所を経営していたベティ・エヴァレット(Betty Everette)である。ブライスの元恋人でとても美人な女医だったことをキエラは思い出す。


 彼女と、もう一人医者がいたが、どちらもB.F.を出ていってしまったということで、B.F.には今医者が0人という状態なのだ。

 よって最近こうして研究員だけで治療ができるように、昇格試験の内容に取り入れるようになったそうだ。


 また星4に上がるための銃の昇格試験は逆で、元々はもっと星が低い時点で行う試験だったそうだが、今は危険であり、更には応急処置を組み入れたことで星4からの試験ということになっている。イザベル達の代は星2、3の時点で既に銃の試験は組み込まれていたという話だ。


「応急処置については後日再び星3昇格試験を受ける者だけに集まってもらって座学会と実技講習を行う予定だ。日付はその資料に記載済みだから確認しておくように。続いて、星4の昇格試験を受ける者だが_____」


 *****


「盛りだくさんでしたね」


 キエラが資料を閉じてペンを白衣のポケットにさしていると、隣からカーラが話しかけてきた。


「星が上がるにつれて難しいっていうのは知っていたけど......応急処置の実技試験、上手くできるか不安だよ」


 キエラはため息をついた。応急処置の方法が書かれた資料は事前に貰っており、キエラはそれにも目を通していた。

 工程がかなり多く、その場でランダムにお題を出される。そのお題の怪我、状況にそった実技を計三つ行うというのが応急処置の試験の主な内容だ。グループワークも入ってくるので少し不安である。


「大丈夫ですよ。事前に講習会があるという話でしたから。その時に分からないところは聞いて、一緒に星3になりましょう」


 最初とは逆の立場になってしまっているが、キエラは彼女の言葉に元気づけられていた。


「そうだね.....頑張ろう」


 そう、イザベルに近づくためにも頑張らなければならないのである。


 キエラはぐっと拳を作って小さく気合いを入れた。


 *****


 説明会から一週間後、キエラは再び会議室に呼ばれた。


 今回の会場は第八会議室から面積を縮めた第五会議室だ。縮めたと言ってもやはり広さはある。今日は座学会と実際に体を使う講習会だ。時間は三時間。限られた時間で頭と体に叩き込まねばならない。


 会場にはまだほとんど集まっていなかった。カーラの姿を探したが、彼女もまだのようだ。少し早めに出てきすぎたな、とキエラは腕時計をちらりと見る。


 だが、会場では既にドワイトとナッシュがマイクやプロジェクターの用意をしていた。


 彼らと共に機械の用意をしている研究員はキエラが見たことがある二人だ。星4のバレット・ルーカス(Barrett Lucas)、そしてエズラ・マクギニス(Ezra McGinnis)。彼らもエスペラント誘拐事件の時に助けてくれた先輩である。


 機械の配線を繋げる手伝いをしているようで、ドワイトとナッシュに教わって真剣な表情で準備を行っていた。

 彼らは今回星5の試験は受けるのだろうか。あの説明会では星5試験を受ける研究員らの中にはいなかったような......とキエラが一週間前の光景を思い出していると、会場に何人か研究員が入ってきた。

 その中にカーラも混ざっており、キエラはすぐに彼女に手を振った。気がついたようで彼女は駆け足でキエラに近づいてくる。


「キエラさん、早いですね」


「うん、ちょっと早く出てきちゃった。イザベルさん、オフィスに居なかったし......」


「そうなんですか?」


「今日は用事があるって。行ってらっしゃいを期待してたけどなあ」


 今日のイザベルは、朝早くから会議やら何やらでオフィスに居なかった。キエラがオフィスを早く出てきたのはイザベルが居なかったから、という理由も大きい。彼女をギリギリまで粘りたい気もしたが、遅れてもということでオフィスを出てきたが、やはり粘った方が良かったなと軽い後悔が彼の中で生まれる。


「でも私もドワイトさんがオフィスに居なかったので、早々に出てきました」


 カーラが恥ずかしげに言う。彼女の場合この場にドワイトは居るが二人の距離はずっと遠いので少しだけ寂しいようだ。


「カーラも僕も、自分の先輩が大好きな点が一緒だよね」

「はい、一緒です」


 カーラは更に恥ずかしそうな顔をした。


 キエラは彼女を微笑ましい感情で眺めていた。父母を早くに亡くしてこの施設に来たという彼女の心の拠り所は、いつだってドワイトである。エスペラント誘拐事件の時だって彼女のピンチをドワイトは体を張って守っていた。


 二人の中にあるものはそう簡単に千切れるものではないことがよく分かる。果たして自分がイザベルを思うこの気持ちと一緒にしていいのか、とキエラは言ってから考えたが、自分だって彼女には誰にも引き裂けない何かがあると思っている。それが何かは明確には言えないが、とにかくあるのだ。


「皆、好きなところに座ってね」


 ドワイトがマイクを通して言った。気づけば、会議室はそれなりの数の研究員で溢れていた。キエラとカーラは軽く目配せをして席についた。


 *****


「まず始めに今回指導に当たる星5の講師を紹介する」


 ブライスの言葉を合図に前の扉から三人の男女が入ってきた。キエラはそれを見てハッとする。金髪の美女の姿が目に映った。そう、イザベルだった。


「イザベルさん、講師として呼ばれていたんですね」


 カーラが小声で言った。キエラは「みたいだね」と頷く。


 これはチャンスだ。自分の一生懸命なところを思う存分見せる場なのだ。授業参観の日の子供のようにキエラの心はとてもワクワクしていた。


 入ってきたのはイザベルの他、ノールズ・ミラー(Knolles Miller)、そしてアロン・ボンド(Aron Bond)という星5の男性研究員だった。アロンという研究員は40代程で、ノールズやイザベルと並ぶとずっと大人っぽく見えた。


 ノールズが渡されたマイクを通して軽い挨拶をして、早速座学会が始まった。


 キエラは持ってきたノートを開いた。後々テストに出ることなので学校のようにメモをして聞くのだ。カーラも隣で同じようにしていた。


「治療を行う場合は声がけが大事だ。それから、チームワークだな。後半は数人で班を作ってもらうが、お互いに声を掛け合って活動を行うように」


 主な説明はブライスが行うようだ。彼はメモをしやすいように、そして聞き取りやすいスピードで話をしてくれた。おかげでキエラもカーラも遅れることなくメモをとることができた。

 内容としては簡単な用具の説明、緊急時に使用する器具の名前、またそれらがない場合代用できるものは何か、などだ。


 一時間が経つ頃には、頭に詰め込まれた情報でキエラはフラフラになっていた。


「だ、大丈夫ですか、キエラさん」


 隣に座っているカーラが声をかけてきてくれるので、キエラは「うん......」と頷いた。イザベルが見てくれているのならば、かっこ悪いところは出来れば見せたくない。ただ、そのせいもあって説明の間はずっと背筋を伸ばしていたのだ。

 キエラは背中の骨が杖の持ち手のように曲がっているような感覚を持って、椅子の背もたれを使ってバキバキと音を鳴らした。


「カーラは全然平気そうだね......」


 後輩の方がピンピンしているのでキエラは先輩として顔がない。カーラは頬を掻いていた。


「長い間話を聞いているのは私も疲れますよ。でも次は実技試験に向けて体で覚える実技講習ですし、体を動かせるのでさっきよりは退屈しないはずです」

「いよいよ実技講習......」


 キエラはぐっと拳を作って頷く。今度こそである。キエラはチラリと会議室の前方を見た。ナッシュとノールズに混ざって真剣な顔で話し込んでる自分の先輩の姿が目に映った。

 相変わらずの美人である。冗談抜きでこの世界で彼女以上に美しい人は居ないのではないのかと疑いたくなるほどだ。


 キエラが見つめていると、彼女と目が合った。ちょうどナッシュらと話を終えたようで、此方に気づくと微笑んで小さく手を振ってくれた。心臓がぎゅんと変な音を立てた。


「はああっ!!!」


 キエラが胸を押えて突然机に突っ伏したので、隣のカーラがぎょっと彼を見る。


「え!? 大丈夫ですか、キエラさん!?」


 *****


 20分の休憩を挟んで後半の実技講習に入った。部屋の中央にある大きなテーブルを避けて、二人から五人で班を作って、前半の座学会で得た知識と資料の中に書いてあるもので応急処置の仕方を確認する。


 班にはそれぞれビニール袋やネクタイ、新聞紙や雑誌、ダンボール、そして物干し竿のような長い棒が二本と、それぞれのオフィスの仮眠ベッドに常備してある毛布が配られた。


「まず手始めに、骨折をしている人の応急処置からしてみよう。皆、班に一人骨折している人が居ると仮定して、資料を元に応急処置をするんだ」


 ナッシュの言葉に、キエラは資料のページを開いてみた。骨折をした人の患部には、添え木と言って固いものを添えなければならないらしい。


「じゃあ僕が骨折をした人をするね。んー、じゃあ足! 足にするよ」


 キエラは床に片足を投げ出した状態で座った。カーラは「わかりました」と頷いてキエラのそばにしゃがみこむ。


「えっと......じゃあ、雑誌とネクタイと......」


 カーラは配られたものの中から雑誌とネクタイを手にして、雑誌を手の中で縦にくるくると丸めた。雑誌の背が固いのでそれだけでかなりの硬さになる。カーラはそれをキエラの投げ出した右膝の裏側に当てた。


「ネクタイで結ぶんだね?」

「そうなんですが......ネクタイが一本足りなくて」


 どうやらカーラは丸めた雑誌の上と下を足に固定したいようだ。


「あ、じゃあ僕のネクタイ使っていいよ」

 キエラはネクタイを外してカーラに差し出す。

「ありがとうございます」


 カーラはそれを借りて二本でキエラの足に雑誌を固定した。かなりキツく固定をしなければ緩まって取れてしまう。そうなると意味は無いので、カーラは懇親の力を込めてネクタイを縛った。


 しかし、


「解けてるよ!」

「うう、すみません......」


 どうも上手くいかないようだ。カーラの小さな指は圧迫されて白くなっている。キエラも手伝うが彼も同様なかなか不器用だった。


「どうしよう、まだ種目一個目なのに......」

「ネクタイすら結べないなんて......」


 二人で絶望していると、


「大丈夫?」


 柔らかい男性の声が降ってきた。二人が顔を上げると、心配げに此方に歩いてくる男性の姿があった。さっきノールズらと自己紹介をした講師のアロンだ。


「えっと、ネクタイが結べないんです......」

「ああ、足を固定したいんだね。簡単に解けない方法を教えてあげる」


 カーラの傍らにしゃがみこんでアロンは説明を始めた。キエラの足にネクタイで雑誌が固定されていく。さっきに比べれば遥かにキツく、そして揺らしても弛まず解けない結び方だった。


「キツすぎるとまた体に悪いから、そこは調整だね。足に限らず腕もやってみて」

「はい」


 今の方法でカーラは今度キエラの片腕を固定した。さっきよりも確実に上手くなっていた。


「どうですか?」

 カーラはアロンに完成した形を見せる。アロンはそれを見て「いいね」と頷いた。


「じゃあ、それをこっちの子にも教えてあげてね」

 アロンの視線がカーラからキエラに渡る。


「はい、ありがとうございました!」

「ありがとうございました!」


 二人はアロンにお礼を言って早速練習をした。お互いの腕と足を使いながら何度か結んでいると完全に固定できるようになった。


「できた!! 完璧だね!」

「はい、次に行きましょうか!」


 二人は次の工程に入った。今度は骨折した腕を吊る方法。しかし資料にはその処置に何を使うのかが全く書いていない。


「腕を骨折している人って、片腕を布か何かで首から吊り下げているよね?」

「はい、肘を折って吊るしていますね」


 二人の頭に中にあるイメージは白い三角巾で首から骨折した腕を曲げて下げているというものだ。しかし、配られたものの中に白い三角巾はない。資料にも何も書いていない。


「代用できるものを探せってことかな......」

 キエラはブライスの言葉を思い出していた。


『緊急時に必要な医療器具が揃っている場合は極端に少ない。瓦礫の山や何も無い砂漠、そんな場所で怪我をした場合、何でもいいから代用品を見つけることが大切だ。ネクタイは紐の代わりになる。ハンカチはガーゼの代わり、他にも色んな使い方ができる。とにかく、使えるものは使え。今日は使ってはいけないものを指定しない。敢えて資料に必要なものを書かないこともあるが、そこは自分たちの知恵を使って乗り越えろ』


「そうだ、ネクタイ!」


 キエラは床に落ちている自分のネクタイを手にして、端と端を結んで輪っか状にした。それを自分の首にかけた。片腕を半分だけ通すとそれらしい形に持っていけた。


「キエラさん、流石です!」

 カーラがぱちぱちと拍手をした。なるほど、この閃きが必要なようだ。ネクタイは固定にも使えるが、こうして腕を吊るすのにも使えるという万能性が分かった。


「でも、これだと細すぎてすぐ腕がずり落ちそうだね」

「やっぱりもう一本必要かもしれませんね」


 カーラが頷いて、もう一本のネクタイを同じ形にするとキエラに通してくれた。


「あとは添え木を作って......」

 続いてカーラは手元にあった新聞紙を縦に丸めた。丸めただけでは大した強度にはならないが、それを折り曲げるとかなり固くなった。


「これを、腕ごとハンカチで縛ってしまいましょう」


 カーラがてきぱきと事を済ませていく様子をキエラは眺めていた。仕事が出来る人というのはこういう人のことを言うのか、と考えながら。彼女がドワイトのもとで助手の仕事ができているのもこういう適応能力に優れているからなのだろう。


「できました!」


 カーラが丸めて更に折り曲げた新聞紙を添え木にしてキエラの腕に添えると、ハンカチでそれごと縛り固定した。そして二本のネクタイでそれを首から吊るすと、キエラは完全にさっき頭に浮かべたイメージと同じ格好になった。


「すごい、完璧じゃん!」


 ノールズがいつの間にか二人の間に居た。キエラの形を見てそう言った。


「簡単そうに見えて案外その発想に至るまで難しいのに......二人ともすごいね!」


 褒められて満更でもないキエラとカーラは、顔を見合わせて笑いあった。


 *****


「次は担架作りをしよっか」


 再び二人だけになり、カーラとキエラが資料を捲ると、次は緊急時の担架作りについてだった。配られた毛布と二本の物干し竿を使うようだ。此方は作り方が最後まで記してあった。


「えーっと......」


 二人はそれを見ながら担架を作り上げていく。横向きにした毛布の片端から三分の一の場所に物干し竿を一本置き、折り返す。折り返した辺の端にもう一本の物干し竿を置く。残っている布の部分も折り返すと確かに担架の形になった。


「できたけれど......二人じゃ人が足りないね」


 担架を運ぶ練習もするよう資料には書かれているが、担架に乗る役、そして担架を運ぶ役が必要だ。担架は二人でも運ぶことが出来るが、二人ではそれなりに力も必要とする。

 キエラもカーラも、体は小さく力もないので、尚更二人では持ち上がらない。


 人数も力も足りないので二人は困っていた。


「手伝うわよ。担架を運びたいの?」

 声が聞こえてきてキエラはその方をすぐ振り返る。近くの班で応急処置の方法を教えていたイザベルが此方に来たようだ。


「はい、でも人が足りなくて......」

「そうね、手が空いていそうな人を見つけましょうか」


 イザベルは周りを見回してそれらしい人を探す。


「お困りかい?」

 ドワイトがイザベルと目が合った。


「担架を運びたいんです」

「ああ、いいよ。人数が足りないんだね? 私とアロンが行くよ」

 ドワイトは少し待っててね、と他の班に言うと、近くに居たアロンを連れて此方に小走りでやって来た。


「乗る人を決めようか。キエラ君、カーラ、先にどっちが乗る?」

「カーラ、先に乗りなよ」

「は、はい」


 カーラは緊張した面持ちで担架の上に腰を下ろし、位置を調整して寝転がった。


「担架を運ぶ時のコツはなんだったかな?」

「えっと......」


 キエラは頭の中で資料をペラペラ捲る。イザベルと何度か確認したのだ。


「掛け声をかけることです。一緒に立ち上がらないと乗っている人が怖い思いをするから......」

「そう、頭から上がったら怖いよね。足の方が上がっても同様。アロン、君はそっちへ」

「はい」


 アロンはカーラの足元につく。続いてイザベルがその隣。ドワイトはカーラの頭側、キエラも同様カーラの頭側の持ち手を持つことになった。


「それから、運ぶ時は必ず足側を進行方向にすること。これも運ばれている人の恐怖心を少なくするためだよ。じゃあ、やってみよう」


 四人は担架の四隅でそれぞれしゃがみこむ。


「せーの」

 ドワイトの掛け声を合図に四人は立ち上がった。毛布がずれてカーラが落ちたりでもしたら......とキエラはハラハラしていたが、毛布は案外丈夫に出来ていた。カーラも特に問題はなさそうだ。


 少しだけ周りを歩いてみて、キエラはこれを二人となるとかなり大変に感じた。緊急時には大人を運ぶこともあるので、そうなればこの比にならない体力を使うことになるだろう。


「カーラ、乗り心地はどうだい?」

「結構揺れるんですね......」

「階段を降りる時は尚更注意が必要だね。揺れを少なくするのも視野に入れて、今度はキエラ君を乗せてみよう」


 カーラが乗った担架が床に降ろされたところで、遠くの方でナッシュがドワイトを呼ぶ声が聞こえた。


「イザベル、アロン、任せてもいいかい?」

「はい、大丈夫です」


 二人が頷いて、ドワイトは「よろしくね」と微笑むと行ってしまった。


「代わりの人を探さないといけませんね」


 キエラは担架に乗りながら辺りを見回す。皆まだ担架作りにまでは至っていないようで、手の空いている人は少ない。


「仕方ないわ、他の班から誰か_____」

「その必要は無いね!!」


 イザベルが何処かへ向かおうとすると、ノールズがどこからともなく現れた。


「担架運ぶ人が足りないんでしょ? 俺も手伝う!」

「今あなたを呼びに行こうとしていたんだけれど......」

「え!? イザベル、嬉しい!!」

「ノールズさん!! 離れてください!!」


 イザベルの手を握ろうとするノールズが視界に入って、キエラは寝かしていた体を起こした。


「この調子じゃ終わらないわよ」

 イザベルがノールズを突き放して大きなため息をつく。


「はいはい。じゃ、キエラ、運ぶから体寝かしてね」

「む、むう......」


 キエラは体を再び横にする。会議室の天井が常に見えているのは不思議な感覚だ。今度はアロンが声をかけた。せーの、という合図を始めとして四人が立ち上がると、キエラは床から離れた感覚をしかと感じた。四人が歩き出すと当然視界も動く。毛布は安定しており、揺れも少ない。


「どう? キエラ!」

 ノールズが聞いてくる。


「すごい、全然揺れないです!」

「さっきよりは注意して運んでいるからね」


 アロンが頷くのが見えた。キエラが下から見上げるイザベルもまた綺麗だ、と思っている内に床に降ろされた。何だかまだ世界が揺れいているような感覚が残っていて、キエラは立ち上がってからもフラフラしていた。


「じゃあ二人は次のステップに進めそうだね」

 アロンが担架を片付けた。


「はい、皆さんありがとうございました!」

「うん、残りも頑張ってねー!」


 ノールズ達がそう言ってその場から離れていき、二人は次なる工程に進んだ。


 *****


 終了ギリギリまで二人は今まで行ったことの復習や、資料の隅々のことまで徹底して行った。

 火傷をした時はどのような応急処置が必要か、血を止めるにはどうすればいいか、心臓マッサージや人工呼吸、瓦礫に埋まった人を助ける方法などなど......。


 確認すべきことを二人で共有し、分からないところは伝説に博士を始め、三人の特別講師にも教えてもらい、やがて講習会は終了した。


「試験は二週間後。実技と筆記、それぞれ抜かりなく勉強すれば難しいことはない。気を引き締めて受けるように」


 ブライスがそう言って講習会を締めくくった。


 *****


「学ぶものが沢山ありましたね」


 カーラが筆記用具を片付けながら言う。キエラもその隣で頷いた。

 B.F.を出てからも役立ちそうなものがあったので、一生使える知識になりそうだ。

 ノートにもポイントはまとめられたので、あとはこれを復習するだけである。


「星3、一緒になろうね」

「はい、頑張りましょう」


 二人はそれぞれ会議室を出る。


 どちらも最後は不安な表情をしていなかった。この講習会で有意義な時間を過ごせたのが原因だろう。


 目指す目標はどちらも同じだ。

 自分の先輩に近づくという、その真っ直ぐな目標を抱えていた。

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