記録
その会議室に集められたのは、星5研究員のデビット・フィンチ(David Finch)、同じく星5のリディア・ベラミー(Lydia Bellamy)、そしてリディアの助手であるエズラ・マクギニス(Ezra McGinnis)だった。B.F.の最高責任者ブライス・カドガン(Brice Cadogan)は三人にそれぞれ資料を配った。
「半年前、コーデル・ローチを派遣した、砂漠の異空間型の超常現象についての資料をまとめ終えた」
デビットがそっとその資料を手に取り、じっくりと表紙を見た。資料の表面にはきちんとした活字体で『砂漠の鎮魂歌』と書かれていた。
「名前がついたんですか」
元助手のコーデル・ローチ(Cordell Roache)がこの超常現象の派遣に決まった時に、デビットは一度同じような資料をブライスから貰っていた。だが、その時の資料の表紙には『砂漠型の超常現象』としか書かれておらず、名前はついていなかった。
そして、もちろん表紙は違うが、今貰った資料と前の資料で決定的に違うのはその分厚さだった。前に資料を貰った時は既に何人かが派遣されており、彼らの情報を掻き集めて作られた資料はこの半分もなかった。
それだけ、自分の元助手がきちんと情報をブライスに届けて共有し、資料をこの分厚さにするまでの収穫があったということだ。そして、此処に呼ばれて改めて説明されるということは、彼が超常現象内で命を落としたということだ。
「名前は俺とナッシュ、ドワイトで案を出して考えたものだ。コーデルが集めた情報を元にな」
「中身、見ても良いんですか?」
リディアがおずおずと問う。ブライスが頷くと、それぞれ資料を捲った。
一人目、二人目、三人目と、コーデルの前に派遣された者から収集したであろう情報は前半のページに固まっていた。後半は全てコーデルが集めた情報となっていた。
三人はほとんど同じペースでページを捲り、時折難しい顔をしたり首を傾げたり、唸ったりしてやがて同じページで同じような声を上げた。
「......バレット」
それは、コーデルが砂漠の鎮魂歌の中でバレットという少年に出会ったという情報が書かれたページだった。バレットという名前を此処に居る全員は知っている。
「そこに書かれているバレットと、バレット・ルーカスとの関係性は無いと現段階では判断している」
バレット・ルーカス(Barrett Lucas)。コーデルの助手で、デビットのオフィスで現在預かっている星3の研究員だ。エズラと同期で、もう少しで星4への昇格試験を控えている。
彼をこの会議室に呼ばなかったのは、きっとコーデルの訃報を彼には秘密にするからだろう、とデビットは思っていた。バレットは、コーデルが長期の実験に出てまだ実験中であると信じているのだ。自分は一時的にデビットに預けられていると信じているのだ。
だが、ブライスは他の理由でも彼をこの会議に呼ばなかったのかもしれない。自分の名前が、見知らぬ超常現象の資料に載っているのなら混乱を招くことは考えるに容易いことだ。
「でもこんな偶然、有り得るんですか?」
エズラが資料を置いた。
「バレットという名前は有り触れた名前だ」
「でも、赤い髪の男の子って......」
「それに関しては今後考える必要がある。もしそのバレットと此方のバレットが同一人物だとすれば、彼は今後その話を自らするかもしれない。何かの拍子に思い出すことがあるかもしれない。だが記憶を呼び起こすことは本人にそれ相応の心の余裕が必要だ。彼がその超常現象内での出来事を思い出した時、同時にコーデルの消失についても認識することになる」
三人は資料から顔を上げてブライスを見ていた。
「......コーデルさんは、消失したんですか」
リディアが呟くように聞いた。
「一か月前に調査隊を送り込んだ。エリアごとの敵はどれだけ経っても現れなかった。そして、今まで消息不明だった研究員たちの私物が砂漠のあらゆるところで見つかった。コーデルのものを除いて」
「......」
「広大な砂漠だからまだ調査は不十分だ。だが、砂漠に送った調査隊は無事に戻ってきた。これは初めてのことだ。また時間を置いて調査隊を送り出すことにする。その時にはデビットにもお願いしたい」
「構いません」
デビットが頷いた。彼は資料に目を落とし、「そっか」と小さく呟いた。
「あいつなりに頑張ったみたいで、良かったです。バレットには、まだ実験から戻ってこないと伝えておきます」
「ああ、そうしてくれ。リディアとエズラもだ。内密に頼む」
「分かりました」
リディアが頷く横でエズラは首を動かさずに資料を眺めていた。
*****
「それで、お前がブライスさんとナッシュさんに相談しに言って、いよいよ話すべきだと思った」
エズラはグラスの破片を集めながら言った。バレットも破片を拾うのを手伝っていたが、彼は何も言わずエズラの話を聞いていた。
「黙ってて、ごめんな」
ペアとして、相棒として隠し事はなるべくしたくない。ブライスに隠すよう言われた時も、それが本当に彼のためなのか分からなかった。なるべくコーデルの死を早く認めさせたらいいのではないか、隠し続けることが本当に彼を思いやった行動なのか。
だが、エズラは安心したのだ。バレットが自らその超常現象について、興味を示してくれたのだ。他人から言われず、自分からアクセスすることは何の心の準備もできず人から言われるよりは、ダメージが少ないだろうから。
「いいよ、いいんだ」
バレットが小さく呟くように言ったのが聞こえた。
「そっか、居なくなっちゃったんだな、コーデルさん」
エズラはそこで手を止めてバレットを見た。彼は静かにガラスを拾い集めている。その横顔はもう泣いていなかった。
「コーデル......」
「......」
エズラが何と言おうか迷っていると、部屋の中に続く扉がガラリと開いた。バスローブ姿のコナーが居る。
「何してんの?」
「あ、いや」
「グラス割っちゃって」
「マジか!! 怪我ないか!?」
「大丈夫です」
コナーも破片を拾うのを手伝ってくれた。エズラはその後何度かバレットの顔を見たが、彼は物思いに耽っているようにぼんやりしていた。
*****
バレットは数日後、エズラと共にブライスの元に向かった。彼に事情を話すと、彼はついてこい、と言って歩き出した。
向かったのは九階の大倉庫だった。そのある棚に、ブライスは手を伸ばした。黒いボックスに厳重に保管されたものだった。ボックスにはテープが貼ってあり、そのテープには「コーデル・ローチ《遺品》」と書かれている。バレットは息を呑んだ。ブライスがそれを開くと、砂っぽい空気が辺りに立ち込めた。パラパラと小石が床に落ちた。
「お前から話があった後、もう一度調査隊を派遣した」
ブライスはボックスの中身に手を入れた。中でビニール袋が擦れる音がした。
「これがその時の調査で見つかったものだ」
ブライスが取り出したのは、ボロボロになった無線機だった。バレットはそれを知っている。コーデルが何度もブライスとそれで連絡を取っていた。
「お前が思い出したのが原因だろう」
ブライスが手渡してきた無線機はずっしりとしていた。粉っぽく、指の跡が付くくらいに砂埃にまみれていた。バレットは懐かしいなあ、とそれに指を滑らす。
「録音のボタンが押されている」
エズラが言ったのでバレットも気づいた。無線機についている、他の機能。それは録音ができるというものだった。赤いボタンは凹んでいて、一度しか使えない無線機の録音ボタンが確かに押されていることを示していた。
「貸してみろ」
ブライスが言ったのでバレットが彼に無線機を渡すと、ブライスは背中に付いている蓋を外して操作をした。すると、
『あーあー、コーデル・ローチです。無事に任務完了! ああ、生きて帰るのは無理そうです。ごめんなさいねえ、デビットさん』
よく知る声が聞こえてきた。バレットは目を丸くして機械を穴が空くほど見つめる。
『ブライスさん、凄いですよ。色々説明したいけど、取り敢えず飛行船にはバレットを届けました。最後のエリアねえ、あれはちょっと難しかったですよ。でもちゃんとクリアしました。バレットもよく頑張りましたよ。ああ、そうだ、例の歌を歌ったら霧も敵も消えちゃいましたよ! そして今、これねえ、伝わんないかもしんないですけど_____』
ゆらりと視界が揺れた。
『綺麗ですよ、青空』
コーデルが笑ったのが分かった。
『いやー、ほんと。俺頑張りましたよね? いやいや、こんなつもりじゃなかったんですけど、でも途中からバレット守ることが目標になっちゃって......アーバンのことなんて飛んでましたよ。ごめんなあ、アーバン』
ブライスはバレットに無線機を手渡した。
『てかこれ、どのくらいの時間録音できるんだろ? あー、じゃあ手短に。デビットさーん、俺やりましたー。肉の食いすぎには気をつけてくださいねー。で、えーと......ブライスさん、迷惑かけてすいませんでした。友人の分も謝っておきます、と。そんで、最後!! そこのアンタ!! そう、アンタだぞ!! バレット!!』
バレットはパチパチと瞬きを繰り返した。
『デビットさんに迷惑かけてないかー? おっかないんだからな、俺の先輩。リディアとか、エズラにも迷惑かけるなよ! それと、もしアンタがこっちのバレットと同一人物だとか、お友達とかそんな奇跡があったとしたら、一言言うな! んーと_____』
音が途切れた。録音のテープが終わってしまったのだ。
「え、終わり?」
「良い所で切れたな」
バレットが呆気なく終わった無線機をひっくり返したりする隣でエズラが笑った。
「あとは本人が直接言ってくれるだろうな」
ブライスはそう言って、そっとバレットの手から無線機を取り上げた。
*****
バレットは夢を見た。
誰かに担がれて、黒い霧と武器を持った敵から逃げる夢を。そして、自分は彼に言われるのだ。
「大丈夫だ。アンタだけは絶対に助けてやる」
「......コーデルさん」
名前を呼んだ瞬間だった。自分を抱えていた腕の感触も、接触していた肩や胴体の感触も無くなった。サラサラと砂になって、彼は消えた。更には追いかけてくる霧や敵も完全に消えて、空は綺麗な青色を見せた。
バレットは遠くを見つめた。思い出せるのだ。自分が彼と過ごした日々が。あれは確かに自分の先輩だった。どんなメカニズムかは分からない。だがそれが超常現象なのだ。そう、超常現象。理由など存在しない。
「当然、本物の空は見られたんだろうな」
その人物は背後に居た。いつもの優しい顔をして。今日は白衣を着ていた。
「コーデルさん!!」
足が自然と動いていた。バレットが彼に抱きつくと、彼はしっかり受け止めた。
「待ってたぜ、思い出してくれるの」
「もう忘れません」
「そうかそうか、安心した」
バレットは顔を上げて下から彼を見上げた。やはり彼だった。
「アーバンさんには会えました?」
「おう、もちろん。何だかなあ、変わってなかったよ」
「良いじゃないですか」
「だな。良い事だ」
コーデルはバレットの頭を愛おしげに撫でて、
「どうだ、鳥になった気分は」
と聞いた。
「放り投げるって言わなかったから怖かったんですよ」
「言ったら手、離してくれなかっただろ」
「まあ......」
否定は出来ない。片時も離れたくなかったのだから。
「まだまだこれからだな、アンタは。きっとこれから色んなことがあるよ。いっぱい食っていっぱい大きくなって、エズラともいっぱい喧嘩しろよ」
「はい、じゃあいっぱい寝ますね。いっぱい成長したいので」
「ああ、それで良い」
コーデルはもう一度バレットを強く抱き締めた。
「ちゃんと見てるからな。本物の空で」
「はい」
コーデルは彼から離れた。遠くから、風に乗って何かが聞こえてきた。耳で聞くはずの音は、心臓に流れ込んでくるようだった。
地に始まり、空に終わる 幾多の亡者から逃げず背を背けずして戦え しばしの別れを楽しもう 我が英雄_____。
二人は声を合わせて歌った。
死者の魂を鎮める為の鎮魂歌は、青い空と砂漠の合間を緩やかな風に乗せられて運ばれた。
「ところで、アンタの母親の名前は?」
「......」
バレットがにんまり笑った。
「リンジーです」
コーデルは目を見開いた。
「リンジー・ルーカスですよ」
「......そっか」
二人は笑いあった。
「作戦大成功」




