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Black File  作者: 葱鮪命
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File051 〜砂漠の鎮魂歌〜 中編-2

 その悲鳴が上がった瞬間、コーデルは建物に走り出した。後ろからリンジーがついてくる気配はなかった。


 遠くから見て建物に何か変わった様子は無い。しかし、近づくにつれて、コーデルは血の匂いを感じた。


「バレット!!」

 建物に飛び込むと、そこには赤い血が広がっていた。建物の中に居たのは、赤い甲冑をつけた武装兵のようなものだった。顔や皮膚は見えないが、石よりも硬そうな甲冑から血を滴らせている。それは一人ではなく、三人も四人も居た。


 建物の中には大人が一人、子供が七人居たはずだが、大人は居なくなり、子供が四人、砂の上にうつ伏せで倒れていた。バレットが泣き腫らした目でコーデルに近寄ってくる。コーデルは恐怖で動けなくなっているもう二人をすぐに近くに呼び寄せた。


「アイツは何だ!」

「知らない、急に現れたらみんなを殺しちゃったんだ!!」


 バレットが泣きじゃくりながら言う。


「シェイネが連れて行かれた! さっき外に引きづられていった!!」

「デニスは死んだの? ナタリーはまだ生きてる?」

「デニスは胸を槍で突き刺されてたよ」


 子供たちは混乱している。コーデルはすぐに建物から出たが、外の光景に絶句した。


 そこには赤黒い空が広がっていたからだ。青い空でも、満天の星空でもない、赤い血のような空だった。


「黒い霧が......」

 小さな子供がコーデルが向いている方とは反対の空を指した。其方は皆が逃げてきた西の方角で、霧が覆い尽くしているはずだが、霧はある一定の場所に留まっている。


「霧のエリアを抜けたのか......」


 コーデルは一人呟いた。


 四日はかかると言われたので本当にそう思っていた。まさかこれだけ早く抜けられるとは思わなかったのだ。それよりも今は、得体の知れない甲冑から子供たちを守る必要がある。


「おい、走るぞ! 車に乗れ!」


 コーデルは最も近くのリヤカーに幼い子供を二人乗せた。


「バレットは俺の近くから離れるな。わかったな」

「う、うん。母さんは......?」


 バレットの目が不安げにコーデルを見上げる。コーデルはそう言えばと辺りを見回した。


 リンジーの姿は見えない。さっき後ろからついてくる雰囲気はなかったので、そのまま何処かへと行ってしまったのだろうか。彼女は本当に何者なのだろう。この世界線の人間なのか。


「行こう、また後で合流するかもしれないから。今はこの四人で動くんだ」

「......うん」

「リヤカーに乗ってる二人はしっかり掴まれよ。行くぞ」


 四人は動き出した。赤い鎧は彼らをゾンビのように追いかけていった。


 *****


「嘘だろ......」


 砂丘に登ると、此処から先の全貌が見えた。

 砂丘の先にある集落があった。しかし、そこに居る人間は誰ひとりとして動いていなかった。赤い甲冑が蠢いている様子だけが、見下ろせた。


「あんなに沢山......」

 バレットが隣で、甲冑から目が離せなくなっている。


「迂回する。そっちから降りよう」

 そう言ってコーデルは方向を変えたが、既に向こうからは此方に向かって歩いてくる甲冑の姿があった。リヤカーに乗っていた子供たちが恐怖のあまりに泣き出す。ならば反対は、と反対を見ると、やはり其方からも甲冑は来ていた。


「くっそ、囲まれたな」

「コーデル、俺ら死ぬのか......?」

「馬鹿言え、死なせてたまるか」


 この人数になってでも絶対に助けてあげなければ。今まで彼らを守ってきた親たちの犠牲を無駄になんて出来ない。コーデルはこのピンチから抜け出す方法を絞り出す。


「コーデル、もう無理だよ!!」

「アホ、まだ諦めんな!」

 バレット以外はもうパニックで話を聞く耳を持たない。


「......コーデル、リヤカーに乗って砂丘を降りよう。勢いつけたら、きっと降りられるよ」

 バレットが言った。


「リヤカーに......そうか、そうだな。彼奴らも早い動きには着いてこられないみたいだし。よし、バレット」

 コーデルはバレットをリヤカーに乗せる。リヤカーはかなり重くなったが、コーデルは気にせず、リヤカーの後ろに回った。


「いいか。俺がいい、って言うまで目を開くなよ、三人とも。あとしっかりお互い掴まってろ!」


 コーデルはリヤカーを押した。タイヤは砂に埋もれることなくスイスイと前に進み、斜面に前輪が触れるとそこから一気に滑り落ちた。風に乗ってリヤカーは一気に砂丘を下っていく。コーデルは自分も時々飛び乗って勢いを上げた。甲冑たちはあまりの勢いの良さに後ろに下がっていったり、道を譲ったりしている。


 砂丘を下り終えてもスピードは落ちなかった。コーデルはこの辺でいいだろう、と足を地面に下ろしてブレーキをかけた。リヤカーはそこでようやく止まった。


「いいぞ」

 お互いに掴まりあって落ちないようにしていた三人がゆっくりと目を開く。周りを見回して、自分たちが降りてきた砂丘にくっきりと浮かび上がるリヤカーのタイヤ痕を見て歓声を上げて喜んだ。


「バレット、ナイスアイデアだったな」

 コーデルが彼に言うと、彼は嬉しそうに笑って頷いた。


「これからどうなるの?」

 リヤカーに乗っていた一人が不安げにコーデルを見上げる。コーデルは「そうだな......」と振り返る。甲冑は足は遅いが確実にコーデルらに向かってきている。この様子では霧の時のように時々走って前に進まなければ確実に追いつかれてしまう。そして、残酷な運命に三人を巻き込むことになってしまう。そんなことは決してさせない。


 コーデルは「ちょっと待ってな」と言って、久しぶりにブライスに連絡を取る事にした。彼と話せば少しでもヒントを与えてくれるだろう。


 しかし、無線機は電源を入れてもノイズが聞こえるだけでブライスの声はいくら待っても聞こえてこない。話しているのかもしれないが、ノイズの方が確実に勝っていた。


「ちっ、だめか」

 コーデルは軽く舌打ちをした。不安げな子供たちと目が合って慌てて顔に笑みを浮かべる。


「何とかなるって。歌でも歌うか」

「歌?」

「いいよ、俺上手いんだよ!」

「俺の方が上手いし!!」


 リヤカーに乗っていた幼い二人が喧嘩を始めようとしているのをバレットが止めている。微笑ましい光景だ。コーデルはリヤカーを引いた。バレットが降りてくれたのでスイスイ進む。近づいてくる甲冑の音を背に、四人はまた歩み始めた。


 *****


 バレットの他に居る二人の名前は、それぞれホルヘとリランと言った。どちらも四歳ほどの男の子である。バレットによく懐いている様子だった。


「繋がったか?」


 四人になって二時間ほど。疲れて眠ってしまったリヤカーの二人を起こさないよう、慎重に足を進めながらコーデルは隣のバレットに問う。彼の手には無線機がある。今更隠しても仕方がない。ブライスという人間と何とか会話をしたいのだと伝えて無線機を託したのだ。


「ううん、繋がらないよ」

 バレットが首を横に振る。あれから何度かブライスに無線を繋げようと試みたが、一度も繋がっていない。ザラザラと酷いノイズが聞こえてくるだけだ。


「まあ、何があっても俺が守ってやるから大丈夫だ。ブライスさんの力がなくたってな」

「......うん」


 バレットは無線機の電源を切った。ノイズが途絶えて辺りに突然静けさが戻ってくる。遥か後ろから甲冑のガシャンガシャンという音が聞こえてくる。


「母さんは、もう戻ってこない?」

 突然バレットが聞いた。コーデルは思わず足を止めた。


「母さん、何処行ったの?」


 バレットの声が震え出す。コーデルは目を伏せた。


 赤い甲冑にバレットらが襲われた時に、リンジーは助けに来ようとはしなかった。そして、あの何もかも見透かしたような発言から考えるに、彼女はこの世界が人が新たに入る度にループしていると知っているようだった。


 彼女の正体は謎だ。この世界線に元々居た人間なのだろうか。もし違うとすればバレットとは血の繋がりが無いことも考えられるのでは_____。


「寂しい」

 バレットが静かに泣き出した。彼の地面が濡れていく。コーデルは彼の手から重い無線機を取り上げて、彼の頭を抱き寄せた。


 何も言うことはできない。何を言おうとリンジーは戻ってくる気がしなかった。変な期待をさせて絶望させるよりはまだマシだ。


「なあ、バレット。俺さ、リンジーと約束したんだけど」

 バレットの目が力なくコーデルを捉えた。


「絶対にバレットだけは守ります、ってさ。母親がもし居なくなっても俺が代わりに守りますって。そして、守り抜いた暁には絶対にバレットに沢山美味しいもの食べさせてあげます、って約束した」

「......なにそれ」


 バレットがぷぷ、と笑った。


「変な約束」

「だろ?」


 本当はこんな約束していない。だが、コーデルは続けた。


「アンタが一人で寂しくないように一緒に居てあげるよ。大人になったら一緒に仕事もしような」

「じゃあ、一緒に寝て、一緒にお風呂にも入って」

「一緒に勉強して」

「一緒にご飯も食べて」


 歌うように二人は「一緒に」の声を重ねた。二人の笑い声が混ざりあって赤い空と一つになる。


「まあ、何が言いたいかって......俺が絶対に守ってやるってこと。これから先、ずっと」

「お父さんってこと?」

「あー......お兄ちゃんがいい」

「おじさん」

「アンタなあ」


 少し乱暴に頭を撫でてやるとバレットがけたけた笑った。


「俺、コーデルが来てくれて良かった」

 バレットが前を向いて言った。


「毎日すごくつまらなかったから......だから、ちょっとだけ、楽しい」

「......そっか」


 人が死んでいる状態で楽しいというのは気が引けるのか声は小さかった。それでも、バレットの目には少しだけ輝きが戻っていた。


 *****


 何処まで行っても赤い空は続いた。子供たちは起きると自分たちが残された四人のうちの一人なのだと再確認してまた泣き出した。母親と父親のことを呼びながら泣くので、コーデルも心が傷んだ。そんな時はバレットの出番だった。彼だって十分疲れているはずなのだ。


「なあ、歌うぞ。ホルヘ、リラン」

「何を歌うの?」


 泣きじゃくっている2人にバレットは笑いかけた。そして、いつかの夜に歌ってくれたあの歌を口ずさんだ。


「地に始まり、空に終わる 幾多の亡者から逃げず背を背けずして戦え しばしの別れを楽しもう 我が英雄」


 バレットに続いて子供たちの歌を口ずさんだ。三人の合唱をコーデルは聞きながら、ふと考えた。


 幾多の亡者......。


 コーデルは後ろを振り返る。ちょうど砂丘のてっぺんにあの甲冑達の姿が見えた。


 もしかして、この歌はこの状況そのものを表しているのだろうか。前に霧から抜けた研究員たちは、この歌について何か資料を残していないのだろうか。せめて、ブライスと無線が繋がれば良いのだが。


「コーデルも歌って!」

 ホルヘがすっかり泣き止んで、コーデルに言った。


「はいよ」

 コーデルは微笑んで、三人の合唱に加わった。赤い空に溶け出す歌声は、まだ四人に希望を見せてくれた。


 *****


 それから二日間、四人は休み休み歩き続けた。鎧の速さもまだ逃げ切れるものであった。だが、四人の心身は限界を越えようとしていた。


 食料がそもそも足りないのだ。リンジーらと別れたあの場所にもう一台のリヤカーは置いてきてしまい、甲冑から逃げるのに必死で荷物が少ないリヤカーを持ってきてしまった。積んでいた食べ物はほとんどが底を尽き、水ももう無かった。


 幸運なことに赤い空のおかげで砂漠の気温は上がらなかった。しかし太陽の光が分散されて方角の手がかりは途絶えてしまった。今が朝か夜かも分からないほど辺りは薄暗い。星もない、月も太陽もない。風も永遠と弱々しく吹いていた。


 子供たちの口から歌が紡がれることはなくなった。脱水症状になるのも時間の問題だ。オアシスでも早く見つけなければ命も尽きてしまう。


 コーデルも最低限のことは話さなかった。動き続けているせいか、水分を取っていないせいか、体の節々が痛く、口もカラカラだった。腹が空いて力が出ないので、砂丘は自然と避けていた。よって、最初の頃より甲冑たちには距離を詰められていた。


「うう」

 突然、隣でバレットが腹を抱えてうずくまった。


「バレット」

 コーデルは足を止めてバレットに声をかける。


「どうした、腹痛いのか?」

「気持ち悪い......コーデル、吐いてもいい?」

「分かった。背中摩っててやるからな」


 コーデルはバレットの背中を摩った。バレットが何度もえずく。苦しげな呼吸に、リヤカーの上でホルヘもリランも不安げにバレットを見ていた。


「大丈夫、大丈夫だぞ」

 コーデルは優しく彼に言う。バレットは砂の上に胃液を吐いた。何も食べていないのが伺える、透明な胃液だった。


「苦しいな」

 気持ち悪いのか目に涙を溜めて胃液を吐き続けるバレットにコーデルは言って、周りを見る。近くに何かないのか。これ以上は子供たちが限界だ。


「ホルヘ、リラン。バレットを見ててくれるか。俺、少し周りを見てくる」

 コーデルはリヤカーの上の二人に言った。


「追いつかれない?」

 リランが甲冑達を振り返る。


「大丈夫、すぐ戻る」

 コーデルが二人の頭に手を置くと、ズボンの裾が重くなった。コーデルが見下ろすと、バレットが小さな手でコーデルの裾を掴んでいた。


「行っちゃダメ。行かないで」

 バレットの体は震えていた。


「大丈夫、約束だ。戻ってくる」


 コーデルがそっと足を動かすと、そもそもあまり力を入れていなかったのか、バレットの手は簡単に解けた。


 コーデルは三人を置いて一番近くの砂丘に走った。砂丘を避けていたので周りの状況が分からない。近くにオアシスでもあるなら、水を今すぐ子供たちに飲ましてやりたいのだが......。


 コーデルは頂上まで走った。目の前が霞んでくるのは、きっと眠っていない疲労のせいだろう。無理もない、眠らず走り続けるなんて人間のすることじゃない。


 てっぺんに登りきった時、コーデルは遠くに人工物を見た。それはあろうことか空に浮かんでいるように見えた。それとも、彼が認識したのは小さくポツポツと建っている人工物の集まりだろうか。


 それを確かめる前に彼は意識が遠退いた。


 *****


「デビットさん、こんにちは!」


 デビットが日曜会議に出席するために第八会議室に入ると、入口で星5研究員のリディア・ベラミー(Lydia Bellamy)が待っていた。いつもは挨拶を交わすくらいだが、彼女はデビットが会議室に入るなり近くにやって来た。周りを少し気にしている様子で、声を潜める。


「コーデルさん、大変って聞いて」

「ああ」


 デビットの元助手であるコーデル・ローチ(Cordell Roache)が砂漠の異空間の超常現象に送られてから、そろそろ一週間が経とうとしている。


 ブライスの話によると三日前から彼との連絡が途絶えたらしい。やはり彼もか、とデビットは思うしか無かった。


 あれだけの研究員が犠牲になっているのだ。コーデルもまた同じ運命を辿るであろうことを何となく理解していた。止めようと思えば止めることはできたのだが、彼にはもっと他に強い意思があったように感じられた。


「エズラが心配してくれているんだ?」

「そうなんです。バレットの近くにいつも居たコーデルさんが見当たらないから心配になったみたいで......ブライスさんに私が直接聞いてきたんです」


 リディアは目を伏せた。彼女の助手のエズラ・マクギニス(Ezra McGinnis)は、今デビットのオフィスで預かっているバレットの同期であり親友だ。バレットとは性格が真反対だが、入社した頃から二人は仲良しである。


「あいつは戻ってくると信じているんだけどね......これでも一応、何年も一緒に仕事をしてきた仲間だし......何より、息子みたいなものだから」


 笑ったつもりが、よく分からない表情を作っていたようだ。泣き出しそうな笑い顔になってしまったかもしれない。リディアの顔がそれを物語っている。


「コーデルさんには、私も戻ってきて欲しいです」

「......そうだな。エズラとバレットと見ていると、自分の助手とその親友を思い出すな。ちょうど性格もそんな感じだったよ」


 リディアは一瞬だけきょとんとしていたが、弱々しく笑った。彼女には似合わない顔だ。


 リディアは助手のエズラ、そしてコーデル、バレットと何度か食事をしているのを見たことがある。コーデルは面倒見が良いので後輩のリディアにも良くしていた。リディアからすれば兄のようなものだったのだろう。いや。だった、というのは良くない。


「とにかくあいつは大丈夫だよ。心配かけて済まないね、愚息が」

「いえ、何か手伝えることがあれば言ってください」

「ああ、その時はよろしく」


 リディアとはそこで別れた。ちょうど前から伝説の博士が入ってくるところだった。ブライスが真ん中に居るが、彼は何だか冴えない表情をしていた。コーデルとの連絡ができなくなったことが原因だろうか。そうであって欲しいし、その顔がまた通常に戻るのをデビットは期待せざるを得ないのだった。


 *****


 コーデルは目を開いた。いけない、気を失ってしまっていた。


 自分の体は砂に倒れていた。そして、状況を思い出したコーデルは弾かれたように体を起こした。


「バレット!! ホルヘ、リラン!!!」


 砂丘のてっぺんだったので簡単に彼らは見つけられた。が、リヤカーの上に乗っているのはホルヘとリランだけであった。バレットの姿は何処にもない。コーデルはサッと血の気が引いた。転げ落ちるように砂丘を降りて、二人が乗っているリヤカーに走る。


「ホルヘ、リラン!! バレットは!? バレットは何処行った!」

 二人に詰め寄ると、ホルヘもリランも怯えた顔になった。焦りのあまりつい声を荒らげてしまった。


「ごめん、バレットは、何処だ?」

 声を落ち着かせてコーデルは再度聞いた。すると、ホルヘが口を開いた。


「バレットは吐くのが止まらなくて......近くを通りかかった人が助けてくれた。あっちに行ったよ」


 ホルヘが指さしたのは砂丘を避けた右側だった。確かに人の足跡が続いている。コーデルは足跡をじっと見る。バレットの足跡は無い。担がれて行ったのだろう。もし、それが誘拐ならば......。


「くそ......アンタらは何もされなかったか?」

「うん、優しい人だった。男の人。お水とお菓子をくれたよ」


 リランが答えて服のポケットから小さなお菓子の包みを取り出した。それから二人の膝の近くにペットボトルが置いてあった。


「そうか......わかった。その人を追ってみよう。甲冑は?」

 コーデルは自分たちを追いかけていたはずの甲冑を見ようと顔を上げるが、何処にもその姿はなかった。


「居ないの。何でかは分からないけど、気づいたら居なくなってたんだよ」

「助けてくれたお兄さんが、もう甲冑は来ないって言ってた」

「は......?」


 コーデルは訳が分からず二人と、甲冑が居たはずの方を交互に見る。バレットを助けてくれた男性の言葉が本当だとしたら、甲冑のエリアを抜けたということか。


 次のエリアもまたあるのか。


 いつまで、続くのだろう。霧、甲冑......次は、何だ。


「コーデル......?」

 名前を呼ばれてコーデルはハッと我に返った。


 いけない、子供たちを不安にさせてはダメだ。気をしっかり持て。


「バレットを助けてくれた男の人を追ってみようぜ。歌でも歌いながら」

「うん」


 コーデルはリヤカーを引き始めた。謎はどんどん増えていく。


 *****


 一時間ほど、足跡を辿ってリヤカーを引いた。すると、遠くにうっすらと人工物が見えてきた。それはポツポツと離れて建っている家だった。バレットらが住んでいるような場所よりも家らしい家が群集している。


 コーデルは思わず足を早めた。やっと、それらしいものが見えた。この子達を苦しみから少しだけ解放させることができる。それに、早くバレットの安否を確認したい。


 集落に着くと、家々から少しずつ顔を覗かせて、何人かが外に完全に出てきた。


「此方に、赤髪の男の子が運ばれては来ませんでしたか」


 コーデルが尋ねると、最も近くに居た女性が「はい」と頷いて案内してくれた。白い建物だった。石でできているようだが、一体何処から石なんて切り出してくるのか。そんな疑問は、その建物に入って目に飛び込んできた光景によって、簡単に吹き飛んだ。


「リンジー......」


 建物の中にベッドがあり、そこにバレットは確かに横たわっていた。そんなベッドの傍らに一人の男性と、もう一人よく知る顔があった。それはバレットの母親、途中ではぐれたリンジーであった。


 彼女はコーデルを見ると、あの柔らかい笑みを浮かべた。


「どうして、アンタが此処に!?」

「一足先にこの場所に着いたの。そうしたらたまたまバレットが運ばれてきて......」

「バレットは無事なのか......?」

「ええ、大丈夫。今さっき薬をもらって今は落ち着いているわ。彼が助けてくれたの」


 リンジーの瞳は、ベッドを挟んで反対側に立っている男性に向けられた。彼がホルヘとリランにお菓子と水をくれたのだろう。


「ありがとうございます」

 コーデルは頭を深深と下げた。男性は笑った。


「いいや、困っていたらお互い様だろう。危なく死ぬところだったよ。よくあの甲冑達から逃げたね。よく頑張った。君も、それから君らも」


 男性の目はコーデルから、コーデルの後ろの方に向けられた。ホルヘとリランが心配そうに建物の入口から中を覗き込んでいた。そして、リンジーに気がつくと嬉しそうに彼女に抱きついた。リンジーも我が子のように二人との再会を喜んでいる。それは、ナイフを持って人を殺めたとは思えない程の喜び様だった。


「僕はラミロ。ラミロ・サッカレー」

「俺はコーデル・ローチ。こっちがホルヘ、そしてリラン」

「軽くリンジーからは聞いているよ。さあ、疲れただろう。ゆっくり休んでくれ」


 ラミロはホルヘとリランに手招きし、二人のために作ったのか、ソファーを繋げたベッドに二人を案内した。水と食事を貰うと、二人はたちまち眠ってしまった。コーデルも水、そして簡単な食事をもらった。


 リンジーは常にバレットの傍に居て、彼の手を握りしめていた。コーデルは彼女から目を離せなかった。


 もし彼女がバレットに何かしたら......そもそも、彼女が何故先に此処に着くのだろう。

 彼女はあの甲冑から逃げたのか。自分たちよりも先に?


 じっと見ていることに気づいたのか、リンジーと目が合った。彼女は小首を傾げて微笑んできた。


「甲冑から逃げ切ったのか、リンジーは」

 コーデルは声を低くして問う。リンジーは微笑んで頷いた。


「コツがあるのよ」

「コツ? でも、じゃあ......どうして俺らと来なかったんだ」

「あら、コーデル達が先に行くからじゃない。私を置いて行ってしまったでしょう」


 そういうつもりがあったのか、今ではよく分からない。リンジーがこれ以上仲間に、家族に手を加えるのは避けさせたかった。


 最も、彼女の存在は子供に毒だと思った。


 彼女が人を殺めた時、流石のバレットも目を疑っていた。あの怯えた顔をもう一度させたくなくて、自分はリンジーを置いてきた。そういうことにしておいた。


「甲冑のエリアを抜けたら次は何なんだ」

 コーデルが声のトーンを変えずに問うと、リンジーは「さあねえ」と首を傾げた。わざとらしいと言われればわざとらしい。彼女ならそれがナチュラルな仕草でもあった。


「そもそもアンタは何者なんだ! この世界がループしてるって理解してるんだろ!」

 コーデルが椅子から立ち上がると、ラミロが「コーデル、子供たちが起きるよ」と注意した。コーデルは口を噤んで椅子に座り直す。


 そういえば、ラミロは何か知っているのだろうか。リンジーは何処まで自分のことを話したのだろう。


 コーデルの問いをラミロは最初から分かっているようだった。彼はリンジーの代わりのように口を開いた。


「不思議な世界に迷い込んでしまったようで、コーデル」

「やっぱり何か知っているんだな」

「と言っても僕らだって何十年も此処に居るんだ。この世界が何で繰り返しているのか、知りたいのはこっちなんだよ」


 ラミロがため息をついて、背中を椅子の背もたれにつけた。


「君みたいに研究員としてこの世界にやって来た人は何人か居た。此処まで来たのは君で二人目だ」

「......」


 コーデルはその先を無言で促した。


「不思議なことを言うと、この世界に存在している人間の中で何人かが記憶が引き継がれてループの波に乗れるんだ。僕がそう。リンジーも、多分そうだ」

「......」

「自分が一体どうしてこんな世界に存在しているか、それは分からない。生まれついた時の記憶が自然と無いのは、きっと前世が近いうちに存在していたんだ。ワープしてきた、とでも言うべきかな」

「じゃあ、アンタらも俺みたいに同じような方法で此処にやってきたんじゃ......?」


 ラミロが肩を竦めた。


「どうやらそうでもない。だって、君は此処に来る前の記憶が確かにあるだろう? 僕らはないんだ。それに、君らみたいな外から来た人は死んだらそのまま復活はしないだろう。僕らはする。でも、そこの赤髪君や、二人の男の子とはまた違うベクトルなんだ」


 コーデルは彼の言葉を頭の中で整理する。


 ラミロとリンジーはこの世界がループしていると知っている。この世界を第三者の視点から見ることが出来る。しかし、バレットやホルヘ、リランはそれを理解していない。理解するには幼すぎるのか。


 なら、今まで会ってきた大人はどうだ?


 タイラーはこの世界についてまるで生まれた時から今この瞬間までこの世界がひとつしかない、と認識しているようだった。自分がループしているということなど知らない様子だった。記憶がリセットされていると考えるべきか。


 そういえば、バレットらの集落に初めて入った日、遊ぶ子供たちを眺めるコーデルの横にいたあの老人。彼は何か深いことを言っていた。


『私たちはね、終わりに向かっているんだ。その途中まで、今来ている』


 確か、そんなことを言っていた。


 彼はリンジーらと同じベクトルの人間だったのかもしれない。前の記憶が引き継がれる者なのだ。


「アンタらはこの世界から抜け出すことを望んでいるのか」

「もちろん」

「逃げ出せるのならね。でも、簡単じゃないわ。此処から先が難所なのよ」


 リンジーがそう言って、バレットの頭を撫でる。


「私は彼処で何度も殺されたもの」

「......」


 この先に行った者はおそらくB.F.研究員では過去に一人。だが、戻ってこなかったというのはそういうことだ。この世界をループしている彼女らでさえ難所と呼ぶのだ。いよいよか、とコーデルは目を伏せた。


「この歪んだ世界をどうにかしたら、アンタらは助かるのか」

「僕らも何とも言えない。知っている情報が少なすぎる。寧ろ君に情報を教えて欲しい」


 ラミロが体を前のめりにした。


「仮に元の世界にアンタらが戻れたとしたら、バレット達はどうなるんだ? まだこの世界に取り残されるのか?」

「この子達のことは分からない。この世界ができると同時にプログラムされたように、この世界と一体の存在とも考えられるわ」

「じゃあ、やっぱり消えちまうのか」


 バレットはまだ眠りから覚めなかった。命懸けで守ってきたこの子達、そして、また誰かがこの世界に入ってきたら生き返るように「設定」されている人間。


 彼らを解放する為に自分に出来ることは何か。


 コーデルは床にじっと視線を落とす。バレット達と出会った集落にある家とは比べ物にならないほど立派な造りだ。床に木が使われており、これが何処から運ばれてきたものかは建物の壁を作る石同様、謎である。


 耳の奥で、何かが繰り返し歌われる。それはあの歌だ。


 地に始まり、空に終わる 幾多の亡者から逃げず背を背けずして戦え しばしの別れを楽しもう 我が英雄_____。


「地に始まり、空に終わる_____」


 コーデルの口から歌が紡がれる。リンジーはパッと顔を上げてそれに反応した。ラミロは聞いたことがないのかきょとんとしている。


「なあ、この歌って誰に教えてもらったんだ?」

 コーデルはリンジーに聞いた。リンジーが「え?」と声を出して、


「そうね......集落にずっと昔から伝わっているものだから......。起源は分からないわ。でもその歌不思議なのよ。私たちの集落がループする度に、その歌が皆の頭の中に最初から刻み込まれているんだもの。皆の名前は忘れてもその歌は忘れないと思うわ」


「この歌詞の意味をちゃんと考えた人はいるのか?」


「さあ......あまりにも当たり前な記憶だからきちんと考えたことはなかったかもしれないわね」


 リンジーが眉を顰めた。


 コーデルは何かないかとポケットを探る。すると、メモ用に持ち歩いている紙と短い鉛筆が見つかった。歌詞を紙に書き出してみる。


「......地に始まり、空に終わる」


 コーデルの記憶の種が水を得てふっくらとした双葉を土から生やした。


 自分が嘔吐を繰り返すバレットを助けたくて、オアシスを求めて砂丘に登った時、自分は倒れてしまった。その時ふと、遠くの空に見えた謎の物体。モヤモヤとした視界が邪魔で何かまでは判断できなかったが、確かに空に何かが浮かんでいた。


 だが、次に目が覚めると空には何も無かった。赤い空が広がっているだけなのだ


「......空に、何かあるのか?」

「え?」

「空?」


 リンジーとラミロが目を丸くする。


「赤い空って、永遠にこうなのか?」

「そうだね。青い空が見られるのは、赤い甲冑のエリアより前だ」

「つまり、黒い霧のエリアなんだな」

「空に何かあるの?」


 リンジーが体を前のめりにして聞いてくる。コーデルは紙を見つめながら頷いた。


「この世界から開放されるヒントが、空にあるかもしれないな」

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