File051 〜砂漠の鎮魂歌〜 中編-1
思いのほか『砂漠の鎮魂歌』が長編になってしまったので、中編に番号振ります!
紛らわしいですが、ご了承ください!
すっかり辺りは暗くなってしまった。コーデルは星空を睨みつけるようにして、方角と星の位置を頭に叩き込んでいた。
集落の人間が星の出る前に眠ってしまうのならば、頼りになるのは自分の記憶力である。ある程度の位置を頭に叩き込んで、決して迷わないようにしなければならない。
そろそろ集落に着く頃である。この時間帯ならみんな寝ているだろう。自分も戻ったら寝よう。明日の朝に集落を出る準備をして、集落の人々に此処から避難するよう伝えなければならない。
コーデルは星空から進行方向へと視線を落とした。そして違和感に気づいた。
集落が明るい。焦げ臭い。これは焚き火の臭いだ。だが、昨夜付けていた焚き火は今にも消えそうな程に小さいものであった。この臭いと明るさから考えて焚き火の大きさはそれなりのものだろう。
コーデルは嫌な予感がして走り出した。
そして気づいた。黒い霧が既に集落の向こうから迫っていることに。
*****
「ああ、コーデル!!」
集落に着くと住民は既に避難する準備をしていた。リヤカーに出来るだけ多くの荷物を積み、子供たちはいつでも逃げられるように霧とは反対側に並べられている。
「リンジー、黒い霧か!?」
リンジーは家の中で食料庫から食べ物を出しているところだった。彼女の家の中にも今夜は火が灯っていて明るい。
「ええ、急に音がしたから目を覚ましたら、砂漠の向こうから......」
確かにゴゴゴ、と変な音がする。霧は広範囲から迫ってきていた。だが方角からしてコーデルが考えている避難ルートの真反対だ。これならば、確認した道順にそって逃げられるだろう。
「俺が食料を運び出す。集落の人には霧とは反対側に逃げろ、って伝えてくれ!!」
「わかったわ」
リンジーが家から出ていく。コーデルは無線の電源を入れて、食料庫の中から野菜を取り出した。リヤカーにそれらを放るようにして乗せていく。
『コーデル、何があったか説明しろ』
突然の無線にブライスも困惑しているようだった。
「黒い霧が集落に戻ったら既に発生していました。まだ犠牲者は出ていませんが......聞いていた話と違います!!」
『確かに、霧は三日間滞在しなければ出現しないはずだ。逃げ道は確保出来ているのか?』
「時間の許す限りは散策したつもりです」
『ならば霧から逃げるしかないだろう。夜は比較的動きやすい。走って移動しろ、いいな』
「はい」
無線を切ったと同時にコーデルは食料をリヤカーに積み終わった。それを引いて家を出ると、住民が避難を始めていた。コーデルはそれについて行く。
「コーデル、これは何が起きているの? あなたは何か知っていたの?」
リンジーが走りながら彼に問う。コーデルは自分が旅人ではなく、この超常現象を調査しに来た人物であることを明かした。
また、霧に入ると死んでしまうこと、これからこの霧から逃げ続けることを話した。
声が届く範囲では住民は驚いているようだった。子供たちも不安な顔で砂の上を走っている。
コーデルは後ろを振り返る。霧は西の空を覆い尽くしている。歩けば追いつかれないとは聞いていた。確かに一見近づいているような感覚は無い。だが、足を止めたらどうなるか。
「夜は走れ!! 昼は休める場所を確保しているから、そこで休むぞ!!」
コーデルは先頭の方に向かって言った。逃げるのに必死なので返事は僅かだった。コーデルは自然とバレットの姿を後ろから探した。彼はほかの子供と手を繋いで逃げていた。まだ彼が生きていると言うだけで、コーデルは前に進む力をもらった気がした。
*****
走り続けて数時間。行先の空が白み始めると、コーデルは一つ目の人工物を見つけた。避難ルートの確認で見つけた、あの半分砂に埋まった建物だ。
「此処で一旦休憩しよう。もう少し行けばオアシスがあるから、水は今のうちにとっておいたほうがいい」
コーデルの言葉に人々は持ってきた水を開けて飲み始めた。コーデルは建物に皆を避難させ、西の空を確認する。走り続けたおかげで霧からはかなり距離を取れた。あれならばあと数時間は安全だろう。
「一体何が起きているっていうんだ?」
コーデルが戻ってくると彼に近づいてきたのは村の若い男だった。
「お前は何者なんだ? あの黒い霧は何なんだ?」
男はコーデルが指揮をとっていたのを気に入らないのか、今にも掴みかかってきそうな勢いだった。皆疲れが出ているのか、顔に不安げな表情を浮かべている。
コーデルは普通に説明をしてもきっと納得して貰えないだろう、と他の理由を考える。だが、黒い霧が突然現れて、最初から全てを把握しているようにそれから逃げろなどという怪しい男の言葉は、例え信憑性があるように聞こえても信じてはくれないだろう。
コーデルが黙っていると、男はいよいよ掴みかかってきた。
「おい、何とか言ったらどうだ!! あの霧が迫ってくるって知ってたのか、お前は!」
「やめて、タイラー。彼らは私たちを安全な場所に避難させようとしているのよ」
間に入ってきたのはリンジーだった。
「お前は集落に来て数日の男を信じるってのか」
タイラーと呼ばれた若者の怒りの矛先は次にリンジーに向かった。リンジーは彼を真正面から見る。
「子供にあれだけ慕われているのよ。子供は人を見抜く力があるの。コーデルはきっと私たちを守ってくれるわ」
「......」
タイラーは舌打ちをすると、コーデルを睨みつけた。
「信用しているわけじゃないからな。黙ってないでどうにかこの状況を説明するくらいはしろよ!!」
彼はそれだけ言うと建物の奥へと引っ込んで行った。コーデルはリンジーに「ごめんな」と謝った。リンジーは「大丈夫よ」と微笑んで水を手渡してきた。
「それで、色々と説明をしてもらえるかしら。みんなと情報を共有しておいた方がきっとすぐ動いてくれるわ」
「ああ......」
上手く説明できるだろうか。時間が無いし、信用されているという自覚がコーデルにはそこまでなかった。だが、それらしい嘘も思い浮かばない。
コーデルは改めて自分がこの超常現象を調査する研究員で、全員をどうにかあの黒い霧から避難させようとしていると伝えた。
「じゃあ、あなたが集落にやってきた時からあの霧は発生する運命だったてこと?」
ある女性が目を丸くして問う。
「ああ。霧が発生するのは集落に着いてそこで三日間滞在したら、って条件だったんだが、あの霧は三日どころか二日で発生しやがった。この理由は俺にも分からない」
コーデルの言葉は全員の表情を不安にさせていった。そもそも自分たちが超常現象の中に住まう者だと知り、彼らは少なからず困惑しているようだ。自分が生きている世界線ですらあやふやになる事実を聞かされたのだから、困惑するのも無理のない話である。
だが言うべきことは全て話し終えた。全員余すことなく聞いてくれたはずである。
「......そう」
リンジーは砂の上に膝を抱えて座っていた。その隣ではバレットが眠たそうに目をこすっている。
「とにかくあなたが私たちを助けようとしているのはよく分かったわ。あの霧から逃げ切ることが、今私たちがやるべきことなのね?」
「ああ。霧の速さはそこまでじゃない。夜は動きやすいから走って移動して、昼間はこういう建物で休むか、歩いて移動するのがベストだと思ってる」
「なるほどね。確かに霧のスピードはゆっくりね」
リンジーは窓の外を見る。霧はさっきよりも近づいてきてはいるが、まだ距離があった。
「ただこの先こんな建物があるかは俺には分からない。昨夜この先にもうひとつ建物を見つけたが、その先までの散策は出来ていないんだ」
「この更に先なら一人だけ行ったことがあるわ」
リンジーが言った。彼女の目は反対の窓際で三人の子供に囲まれて座っている40代程の男に向けられた。
「フィデル」
リンジーが男を呼ぶ。フィデルと呼ばれた男が「期待しないでほしい」と言って苦笑いを浮かべた。
「10年も前に少し歩いてみただけなんだよ。新しい土地を開拓する予定だったんだ。あまり上手くいかなかったけどさ」
フィデルは肩を竦めて、ゆっくりと立ち上がる。片足を引き摺っているので足が悪いようだ。
フィデルは「着いてきて」とコーデルを建物の外へと連れ出した。彼はある大きな砂丘を指さした。あの辺は昨夜コーデルが行けなかった場所だ。
「あの向こう辺りまでの状況ならわかるよ。彼処に行く途中に三つほど建物がある。適度に休憩するなら使えると思うよ。あの砂丘を超えるともうひとつ建物が建っている。でもオアシスは此処からすぐの場所にしかないんだ」
フィデルの話を聞いてコーデルは道を考える。水が無くなるという状況が最も避けたいものである。子供たちも多いので、できる限り水は持っていきたいが、リヤカーの台数は限られており、水は重いので走る時に邪魔になるのだ。
「そうか......水さえどうにかなればいいんだけどな......」
「やっぱり人を減らすしかない」
フィデルが突然言った。コーデルはギョッとして彼を見た。彼は静かに砂丘の向こう側に目を向けていた。
「ご覧の通り僕は足が悪いんだ。さっき走る時も子供の手助けが必要だった。何年か前に病気で上手く機能しなくなってしまってね。僕はお荷物だから、此処でリタイアするよ」
「ちょっと待て! そんなの俺が許すか!」
コーデルは声を大きくするが、彼は寂しげに微笑むばかりだ。
「人は少ない方が逃げやすいよ。他にも具合が悪くなった人や体が悪い人は置いていった方がいい。あの霧から四日も逃げるんだろう? なら連れて行っても良い事ないよ」
「でも......」
「君は優しいんだな」
フィデルが笑う。コーデルは何も言えなかった。彼の足に目を落とす。細くて頼りない足だ。立っているのが辛いのだろうか。片方の足で体重を支えているのが体の傾きでよく分かった。
「子供たちは一緒に連れていくことにするよ。父親が居なくなったら彼らはどうしようもなくなる。それに、僕が寂しいからね」
彼は静かに建物の中に戻って行った。コーデルはそれを何とも言えない気持ちで見守っていた。
霧はもうそろそろ出発しなければならないところまで来ていた。コーデルも、フィデルを追いかけるように建物に戻った。
*****
「メイシーも、ヤコブもマーキスも置いていっちゃうの?」
バレットはその建物を離れるその瞬間まで納得がいっていないようだった。何度も彼らを振り返り、リンジーに聞いている。コーデルは何も答えることが出来なかった。リンジーもバレットに対して微笑むだけだった。
フィデルとその子供を含めて計七人の住人がその建物に残ることになった。せめてもとコーデルが水や食料を置いていこうとしたが、フィデルに無言で突き返された。
コーデルは胸が張り裂ける思いだった。ただ、冷静に考えて彼らの命はあと一時間も持たないだろう。霧はすぐそこまで迫っていて、そのために水や食料を置いていくのは此方の命取りとなる。
コーデルはせめてものということで、瓶いっぱいの水を預けた。子供たちだけでも間際に喉を潤すくらいはして欲しかった。
一行は霧から離れるようにして再び前進を始めた。
コーデルは定期的にブライスと連絡を取り合った。彼はいつ眠っているのだろう。無線を繋げると絶対に彼が出てくれる。異世界と現実の世界では流れている時間が違うのかと一度質問をしてみたが、そういうわけでもないという。
コーデルの実験にとことん付き合いたいと彼は言った。コーデルはそれ以上何かを聞かず、とにかく霧から逃げる方法やルートを彼と共有した。
「疲れてないか?」
コーデルは黙々と自分の後ろを歩く住民らに聞いた。リンジーは「大丈夫よ」と答えるが、その顔には疲労が見えていた。
子供たちもリヤカーに乗せられたり、大人におんぶされたりしていた。バレットはリンジーの後ろをただ黙々と歩いていた。フィデルらとの別れが辛かったのか、皆の顔に余裕はなくなっていた。
やがて日が傾き始めた。コーデルらはオアシスに着いた。そこで水の補給をし、簡単な休憩をした。久しぶりに好きなだけ水を飲めるその時間は人々の心を癒してくれた。ずっと灼熱の砂漠を歩き続けるのは体力を大きく消耗する。コーデルは夢中で水を飲んだ。
*****
「おい、このペースだと追いつかれちまうぞ」
コーデルが水を飲んでいると、あの短気な若者のタイラーがやって来た。
見ると霧はかなり近づいてきている。フィデルらはもうあの中に囚われてしまっただろう。この先にいくつか建物があることをフィデルから聞いているが、休んでいる時間はなさそうだ。
「走るの?」
リンジーは不安げな顔でコーデルを見ている。コーデルはこれから自分らが行く道を見た。砂丘が多く、まだ太陽が出ているこの時間帯に超えるにはかなり体力が必要だろう。
「出来れば走りたい」
霧の速度も考えて走った方が良さそうだ。コーデルはブライスと連絡をとるために無線の電源を入れた。
「ブライスさん、聞こえますか」
『ああ。霧からは順調に逃げられているか?』
「それが、休み休みだと追いつかれてしまうと思うんです。みんなの顔にも疲労が溜まってきていて......」
コーデルは住民の顔を見回しながら言う。
『なるべく動けるうちに動いた方がいいだろう。じきに夜になる。砂丘は避けてでも前に進め』
「分かりました」
『月の満ち欠けから考えて明後日は新月だ。分かりやすい目印が無くなることを考えれば進める時に進んでおくのがいいだろうな』
「はい」
コーデルは無線を切った。
「今日中にあの砂丘は超えてしまった方がいい。フィデルの話によればあの砂丘の向こうに建物があるから、砂丘を超えたら少し休めるぞ」
「だけど砂丘までまだかなりあるよ」
そう言ったのは子供だった。することがないので大人たちの話に入りたくなったのだろう。黄色い布を被った小さな少女だった。
「走れば大丈夫よ、ヘーゼル」
リンジーが少女の頭を優しく撫でた。
「まだ体力は残っているか?」
コーデルは残りの住民を見る。疲れてはいるが、怪我をしていたり具合が悪そうだったりする人は居なそうだ。
「子供はリヤカーに乗せましょう」
ある女性が提案をした。
「そんなの重くて運べるか」
タイラーがそれに返す。
「いや、その案はいいかもしれない。子供の方が体力がない。小さい子はリヤカーに乗せるんだ」
コーデルは自分が引いていたリヤカーに近くにいた子供を乗せた。
「砂の上は走りづらいからな。今からのことを考えて水の消耗も抑えたい」
「そうね。そうしましょう」
大人たちは次々に子供に水の瓶を抱えさせてリヤカーに乗せた。バレットはもう大きいという理由からリンジーの後ろを着いている。
「バレット、苦しくなったら遠慮なく言えよ」
コーデルはバレットの頭を撫でる。バレットは「うん」と小さく頷いて歩き始めた。
*****
日が完全に落ちて星が瞬き始めると、住民たちは砂丘を登り始めた。ずっと走っていたのに加えて坂道を登るのは全員の体力を確実に削っていた。
「もう少しだ。頑張れ」
コーデルは列の先頭で三人の子供を乗せたリヤカーを引きながら後ろに声をかけた。子供たちはすっかり疲れたようでリヤカーの上で眠ってしまっている。
やがて砂丘の頂上にやって来た。コーデルはすぐに周りを見回す。フィデルが言っていた建物が見えた。最初に休憩をした場所に比べて大きさは半分ほどになっていたが、彼処で体は休められるだろう。
「さ、行くぞ」
登ればあとは下るだけである。スピードを出しすぎないように慎重に一行は砂丘を下って行った。
*****
建物に着いた一行は、睡眠を含めて休むことになった。コーデルは建物の外で布を敷いて体を横にした。建物の中には女性や子供を寝かせ、男性は外で寝ることになった。タイラーは不満げだったが、リンジーに言いくるめられて渋々外で眠っていた。
ずっと走り続けていたので皆死んだように眠った。霧が近づいてくるゴゴゴ、という音だけが夜の砂漠に静かに響き渡っていた。
「コーデル、コーデル」
コーデルは眠っていたところを揺すられて起こされた。目を開くと目の前にバレットが居た。彼は何やら深刻そうな表情だった。
「どした......?」
目が覚めたばかりでコーデルは半分夢の中だったが、次の彼のセリフで目が覚めた。
「母さんが居ない」
*****
リンジーのものと推測される足跡はコーデルらが来た砂丘を戻っているようだった。
「アンタは待ってろって」
「やだ」
バレットに建物で待つように言ったが、彼はコーデルの袖を掴んで離さない。仕方ないので彼を抱えてコーデルは砂丘を登った。霧はコーデルらが休憩したオアシス辺りを既に飲み込んでいた。
「リンジー」
コーデルは声をかけるが、暗闇のおかげもあってそれらしい姿も見当たらない。ブライスの話によれば新月も近いので月明かりもない。
「母さん」
バレットもコーデルに続いて暗闇に向かって声をかけるがやはり返事のようなものは聞こえない。
「大丈夫だ、見つけてやるからな」
バレットを抱えてコーデルは砂丘を降り始めた。
夜の砂漠は涼しいが方向を失わないように星を頼りにしなければならない。散策した日の帰りに頭に叩き込んだ星の地図を頼りに彼は砂漠を戻った。しかしリンジーは見当たらなかった。
「居ないな......」
黒い霧の音が不気味に近づいてくる。バレットがコーデルの服にしがみついて小さく震えていた。母親が居ないのと、霧を間近に感じて怖がっているようだ。
「戻ってみるか。案外建物の中にちゃんと帰ってきてるかもしれないぞ」
「うん......」
コーデルは砂丘を戻り始める。戻りながらブライスに無線を繋げた。
『リンジーが行方不明になっただと?』
「はい。そうなんです」
『資料を見ていて気づいたんだが、リンジーに会ったどの研究員も、彼女は霧から逃げて一週間以内に行方をくらましている。最初からそう言う運命にある人物なのかもしれんな』
ブライスの言葉を聞いて反応したのはバレットだった。
「母さん、もう戻ってこないの......?」
「いやそれは......」
コーデルはこれ以上バレットに情報を入れないように無線を切った。バレットは既に目に涙を溜めていた。
「俺が言うこと聞かないから? 俺悪い子だから?」
「そんなわけないだろ」
泣き出すバレットの頭をコーデルは撫でる。ブライスの話が本当なら確かに彼女はもう戻ってこないかもしれない。この超常現象に存在する人間たちの前で彼と無線で話すのはやめておいた方が良さそうだ。
コーデルは泣きじゃくるバレットを宥めながら建物に帰った。
*****
「.....母さん!!」
建物に戻ると、何故か焚き火がしてあった。リンジーはそこに居て、何故か彼女は沢山の荷物を持っていた。明らかに集落を出る時には持っていなかったものだ。コーデルは怪訝に思って彼女に聞いた。
「この荷物は?」
「近くに集落があったの。そこに居た人達からとってきたのよ」
「とってきたって、まさか盗んできたのか?」
話に入ってきたのはタイラーだった。
「あら、そんなことないわ。ちゃんと話し合いをして、きちんとそれに見合ったものを貰ってきただけよ」
荷物の中身は食べ物や水だった。
「これだけの量をリンジーが一人で......」
とても女性一人で抱えてこられる量ではない。
「母親の力よ。子供たちにはお腹いっぱい食べて欲しいもの。さあ夕食にしましょう。今日はみんな、ほとんど何も食べていないでしょう」
そう言って彼女は食べ物や水を住民たちに配り始めた。
*****
たらふく食べた後はまた皆眠ってしまった。だが、コーデルだけは眠ることが出来なかった。白み始めた東の空を見て建物の外に出て、近くの砂丘に登った。
一体何処に集落があるというのか。周りを見回してみると、遠くに何かが見えた。それは人だった。一人という数ではない。十、いやもっと。全員砂の上で絶命しているようだった。血の赤色が微かに見える。
遠くに、霞んでいるが集落のようなものが見えた。人々はそこから来ているようだった。
リンジーは人を殺して食べ物や水を盗んだのだろう。それが子供たちのためであれば許されるということではない。そんなリンジーをバレットがどう思うというのだろう。とにかくあの光景はバレットに見せてはならない。
疲労と空腹が優しい彼女を変えてしまったのだろうか。
霧から逃げ切るまでまだ時間はかかる。この先平穏なことが待っているようには、コーデルには到底思えなかった。
*****
日は登り、体力が戻った彼らは再び歩き始めた。霧は眠っていた分迫ってきているので早足にならなければならない。ただリンジーのおかげかたらふく食べたので皆すっかり元気になっていた。あの光景を知っているコーデル以外は、皆明るくなっている。
「コーデル、眠いのか?」
そう聞いてきたのはタイラーだった。彼は子供を乗せたリヤカーを引いていた。コーデルは「いや」と首を横に振った。
心を病んでいたってこの先良いことはないだろう。
コーデルは無理にでも自分の気持ちを明るくさせるために、何とか明るい話題を出したりした。例えばB.F.での自分の失敗談。助手の面白い話や、自分の師匠であるデビットの話。思いつく限り話して、彼らは元気にしているだろうか、と内心考えていた。
「師匠が居るのね」
リンジーが言った。彼女は昨夜のことを忘れてしまったかのような人の変わり様だった。
「俺の会社では絶対にそういう人を見つけないとならないんだ」
「面白い会社ね」
一行は何度か砂丘を超えていた。休憩のおかげかすっかり雰囲気も良くなり、このまま夜も歩くことができそうであった。
*****
夜になっても一行は休むことなく歩き続けた。寧ろ夜は走る時間で、昼間より早足で霧から距離を取った。そんな中、
「うわっ」
突然前の方を歩いていたタイラーを含む集団から悲鳴が上がった。コーデルやリンジー、後ろに居た集団は足を止める。
「どうかしたか?」
「足が急に砂に埋まった!!」
「どんどん砂に埋まっていく!!」
そんな声が聞こえてきたコーデルは眉を顰めた。暗くてよく分からないが、何かが起きている。リヤカーを置いて彼は前の集団に近づいた。すると、
「来るな!!」
タイラーの厳しい怒号が飛んだ。
「流砂だ」
彼らの体は既に半分ほど埋まってしまっていた。目を凝らすと彼らの体は濡れた泥に埋まっている。子供たちが乗っていた二台のリヤカーも流砂にズボズボとはまっていく。
「子供たちをリヤカーから下ろせ!」
タイラーが叫んだ。コーデルはすぐに子供たちに手を伸ばした。リヤカーに乗っていた子供たちが無事だが、タイラーを含む四人の大人が流砂にまだ取り残されている。
流砂という言葉は聞いたことがあるが、実際に見るのは初めてなのでコーデルは混乱していた。無理に助けに行って自分もはまれば元も子もない。
「俺らは自分たちで何とかするから、お前らは先に行け」
タイラーが言う。
「そんなことはしない」
コーデルは彼らに手を貸そうとするが、近くにいた若い男に掴まれた。
「この状態での救助は危険すぎる。そもそも流砂っていうのは手を差し出しただけでは抜け出せないんだ」
「でも......」
「此処で俺らに構ってちゃ霧に追いつかれるぞ」
タイラーが男に続いて言った。
「流砂は頭までは完全に沈まないってフィデルから聞いたことがある。俺らはまだ死ぬわけじゃないんだ。俺らに構ってないでさっさと前に進め」
「......」
コーデルはまだ葛藤していた。このまま彼らを置いていくというのか。今の話を聞けば自分たちにこれ以上やれることはないのだが、だとしてもこれだけの人数が急に居なくなると、そして生きるか死ぬかの彼らを置いていくのは、フィデルの時同様コーデルを苦しめた。
「行くしかないよ」
他の住民もそう言った。コーデルは唇を噛んで、頷いた。
彼らが自力で抜け出せるならその可能性にかけるしかないのだ。自分の今の目標は霧から逃げることである。
「まだ時間はあるんだろ? すぐに追いつけるから大丈夫だ」
タイラーがそう言ってチラリと霧を見た。確かにかなり歩いたおかげで霧とは再び距離を取れていた。
「行きましょう」
リンジーの一声にコーデルらは歩き始めた。大人よりも子供の方が数が多くなってしまった。
コーデルはこれ以上人を減らしたくない一心で歩き続けた。
*****
長いこと歩いた。途中で二人の大人が体調不良を訴えだした。歩きすぎたのがやはりいけなかったらしく、一度座り込むと動かなくなってしまった。置いていかざるを得ない状況になり、また一人、また一人と人は減っていった。
「こんな行為、続けて何になるんだ」
ある時突然男が言った。最初の方に黙ってついてきていた彼だったが、少人数になったグループに限界が来たらしい。突然コーデルの前に出てきた。
「みんな死んでるじゃねえか。お前が来たからじゃないのか? お前が来てから、俺らの生活は脅かされたんじゃないのか!!」
胸ぐらを掴まれて、コーデルは男に怒鳴りつけられた。
大人の数はリンジーとコーデルを含んで四人、子供の数はバレットを入れて七人の計11人にまで減っていた。子供達は今にも喧嘩が始まりそうな雰囲気を察して、目線をそらした。
「どうせ死ぬんだろ? 俺らはどうせ死ぬんだろうよ!!」
「......死なせない」
コーデルは呟くように言った。
実際、これだけの人数が減るとは思っていなくて、彼の心は沈んでいた。更に死んでいくものは皆、誰もコーデルを責めることはしなかった。まるで最初から死ぬ事が分かっているかのように落ち着いていた。自分の子供に別れを告げる時も、ただ微笑みを見せるだけで、あとは何も言わなかったのだ。
罵ってくれた方が、コーデルは心がまだもった、と思った。
正直この状況にコーデルも限界が近かった。このまま目の前の男に殴られるかして、いっそ気絶をしてお荷物と化して置いていかれた方がまだ良いな、と思った。
「何でお前一人に生活が脅かされないとならないんだよ!!? 俺の家族まで殺しやがって!! どう責任とるつもりだよ!!」
「......」
「お前が居なければ......」
「もうやめましょうよ」
リンジーがいつものように間に入ってきた。眠っていないこともあって彼女の目の下に濃いくまができている。
「いがみ合って何か生まれるかしら。憎しみを増やしたところで暑さも眠気も吹き飛ばないわ。子供たちを不安にさせるようなことは言わないで」
「......くっそ、お前はいっつもいっつも、そうやって気味悪く笑いやがって」
男がリンジーに唾を吐いた。リンジーはそれでも動じない。
「良いよな、お前は。自分の子供だけ守ってりゃいいんだから。こん中で一番楽な奴だ」
「そんなことない!」
突然、バレットが男に叫んだ。
「母さんをバカにするな!! お前よりもずっと頑張ってるのに、楽してるのはお前の方だろ!!」
「何だと、クソガキ!!」
「母さんみたいにご飯なんか持って来てないくせに! 母さんみたいに、みんなに優しく声掛けないくせに!! タイラーみたいに子供を助けようともしてないくせに!! 自分だけ楽してるのはお前の方だ!!」
「っ、こいつ!」
男がバレットに殴りかかった。コーデルが彼の前に出ようとするが、それよりも先に動いたのはリンジーだった。
彼女の手に持っているものが何か、コーデルには分からなかった。しかし、男が突然動きを止めた。その時間が妙に長く感じて、男はおもむろに体のバランスを崩した。完全に男が砂の上に倒れると、コーデルはリンジーの手に持っているものの正体を知った。
「ナイフ......」
リンジーは手に小さなナイフを持っていた。それを男の胸に突き立てたようで、男は胸から血を流して絶命していた。コーデルもその他の者も言葉を失った。
「母さん......?」
バレットが母親を見上げる。
リンジーは光の無い目で倒れた男を見つめていた。
*****
次の建物に着くと、バレットはリンジーから離れた場所に居たがった。誰も近くに寄らせないようで、建物の隅で砂の上に色々な模様を描いている。コーデルも彼をそっとしておくことにし、問題のリンジーと話をすることにした。リンジーを外に連れ出し、子供たちに聞こえない場所まで連れてくる。
「バレットの前で人を殺めるなんて何考えてるんだ、アンタ」
「ケレンは私の子に手を出そうとしていたわ」
「だけど、殺そうだなんて思わなくてもいいだろ。子供達に見せていい光景だったか?」
「子供が襲われるくらいなら死んでしまえ、と思っただけよ」
リンジーは最初とは別人のようだった。髪が乱れ、目の下に刻まれたくまがまるで幽霊のようだった。コーデルはあの場にナイフを捨てさせた。人の血がついているナイフなんて、この先なにかの役になど立つわけが無い。リンジーに持っていられても困る。これ以上人が死ぬのは見たくない。
「......なあ、少し聞きたいんだけど」
コーデルはため息混じりにあの話をした。
「アンタが大量の飯を持ってきただろ? あの飯を取ってきた時、アンタは人を何人殺してきた?」
「......」
「そのナイフもそこから取ってきたんだな? アンタ、本当に最初と同じリンジーか」
「......」
リンジーはじっとコーデルの目を見つめている。コーデルもまた、リンジーから目を離さなかった。リンジーは口角を上げた。
「この砂漠から出られると思ったら大間違いよ。私たちは永遠に此処に閉じ込められる未来なんだから。今までやって来たどの研究員も、誰も私たちは助けられなかったの。ただ繰り返される死を待つだけの、永遠に回る砂漠なの」
「......」
今度はコーデルが黙る番だった。彼女はこの世界が繰り返されていると気づいている。そして、前に来た人間が研究員であることを把握している。
「教えてあげるわ。この砂漠の本当の恐怖をね。黒い霧の先にある、血塗られた世界ってのを」
彼女は微笑んだ。最初に見た笑みではなかった。
その瞬間、バレット達が居る建物から悲鳴があがった。




