星空
「はい、これが君たちの部屋の鍵ね」
チェックインを済ましたナッシュがロビーで渡してきたのは、カードキーだった。コナーがそれを受け取る。
「二部屋しか空いてなかったね」
「こんな夜遅くだし、仕方ないさ」
五人がやって来たのはノースロップの中央区、ビル群の中でも一際異彩を放つ一流ホテル、フランプトンホテル。
過去に何人ものスターやモデルが泊まったと言われる、世界でも有名なホテルである。
「フランプトンに居る......俺、フランプトンのロビーに居るよ、エズラァァア......」
バレットはさっきからホテルの内装を見ては、横のエズラに泣きついている。エズラが迷惑そうにホテルのモーニングのメニューを読みながら、彼の体を引き剥がしていた。
「俺はバレットとエズラと同じ部屋っすか」
コナーはルームキーをまじまじと見る。携帯電話もアプリをインストールすれば鍵として使えるようにしているようだが、B.F.で貸し出されているものには対応していないらしく、アナログな鍵になった。
と言っても持っているだけで透明なブロックが付いたホテルキーはずっしりと重く、存在感があるのでこれはこれで良いな、とコナーは思った。
「まあね。交換したいならいいよ。ドワイトと寝るかい?」
「結構です」
「......」
すっぱり断るコナーの潔さにドワイトが心做しかしょんぼりとした。
「じゃあ行こうか。僕らは22階だよ」
「はいっす。おい、行くぞー」
コナーが柱の側で何やら取っ組み合いになりそうな二人を呼ぶ。
五人はエレベーターに向かった。
*****
「じゃ、僕らはこっち」
「俺らはこっちっすね」
部屋はナッシュとドワイト、コナーとバレットとエズラに別れた。
「おやすみ、みんな」
「おやすみなさーい」
コナーは鍵を差し込んだ。おもむろに扉を押していく。
「おおおっ............!!!!」
三人の目に飛び込んできたのは、今まで見たことの無い高級感が漂う部屋だった。キングサイズの巨大なベッドが三つ、映画を見たら迫力満点であろう大きな壁掛けテレビ、ノースロップの夜景が一望できる窓の奥には広いバルコニー。
「すっげええー!!」
「広いなー!!」
「でっか......!!!」
三人の目が少年のものそれに変わった。荷物を投げ出してベッドに飛び込むと、弾力のあるマットが三人の体をそれぞれ弾き返した。
「うはー!! もはやトランポリンじゃん、これ!!」
「テレビも映画とドラマ見放題だってパンフレットに書いてありましたよ!!」
「まじで!? 後で見まくろうぜ!!」
「俺今日寝ない!!」
「俺も!!」
「俺も!!!」
トランポリンではしゃいだ三人は息を切らしてベッドの上に大の字になった。
「やべえー......外部調査最高かよ......」
「今日一日頑張った甲斐がありましたね......」
「ナッシュさんって、時々飴と鞭の比率がおかしい時があるけど、これは正解だな......」
「費用出してくれたブライスさんに感謝ですね......」
三人は落ち着いたのか、放り出された荷物をとる為にやっと立ち上がった。が、バレットはふと目に付いた扉が気になって開いた。
「......!!!」
バレットの目がかっと開かれる。
「風呂でっかー!!!」
「まじ!?」
「見せろ!」
せっかく落ち着いていた三人の心は、またあっという間に少年に戻されたのだった。
*****
「喜んでくれているかなあ、みんな」
ドワイトが夕食に買ったスパゲティを温めながら、ソファーで今日の超常現象の情報についてペンを走らせているナッシュに問う。
「当たり前じゃないか。もっと僕のありがたみを知るんじゃないのかな」
ナッシュが顔を上げてニイッと笑うのを、ドワイトも笑って返す。
地下で過ごす彼らにとっては、きっと楽しい夜になるはずだ。大変な思いをしている彼らにとって少しでも心休まる時間があればとナッシュは提案したのだろう。
請求書を見たブライスが眉を顰めるのが目に見えている。あとでブライスには報告の電話を入れるはずだから、その時点で頭を抱えるのだろうが、彼だって本気で叱るようなことはしないはずだ。
ナッシュと同じようなことを考えているのをドワイトは知っている。
「さ、これで報告書も問題なく書けそうだ」
ナッシュがペンを置いた。
「子供たちは仕事もしないで寝るだろうな。全く、せめて書くのを見届けてから自由にするんだった」
「まあまあ、今日くらいいいじゃないか。優秀な子達だから明日になっても同じようなものを書けると思うよ」
ドワイトが温めた二つのスパゲティをテーブルに持ってきて、一つを手前に、もう一つをナッシュの前に置いた。
「それもそうだね」
ナッシュが机に広げていたものを全てしまった。
「それじゃあ、乾杯」
「......いつの間に」
グラスに注がれたワインにドワイトは気づかなかった。目を丸くしてグラスを手に取る。
「大人の楽しみだって無くっちゃ」
「本当に後で何か言われそうな気がしてきたな」
二人はグラスで小さく音を奏でた。
*****
バレットはバルコニーへの扉を開いた。風呂に入って温まった体を程よく冷やすには気持ちが良いくらいの夜風が吹いている。
「おおー......」
そして何より夜景に勝るものはなかった。ビル群の真ん中にあるホテルなので周りもそれなりのビルだが、このホテルがこの辺りで一番背の高い場所らしい。
「コナーさん、今風呂入った」
後ろで扉が開いてエズラがやって来た。手にはグラスが二つあった。
「お酒?」
バレットが興味津々に彼から一つを受け取るが、匂いが甘い。
「俺ら酒飲めないだろ」
「たしかに」
口をつけると爽やかな味のするオレンジサイダーだった。
成人はしているが、B.F.に居てそのまま、酒も知らずに大人になったのだ。B.F.に酒を飲んではいけないというルールはないが、何となく飲むのを躊躇していた。B.F.には飲酒する大人がまあ少ないので、それに感化されたのだろう。
皆大きなイベントの時くらいにしか飲んでいるのを見たことがない。日常的に飲むのは少数だ。きっと超常現象にすぐ対応できるようにしているのだろう。
自分の先輩もあまり飲まない方だったなあ、とバレットは思い出しながらグラスを傾ける。
「星見えないな」
エズラが空を見上げて言った。
「まあ、都会だしね」
街が明るいので当然星空は見えない。B.F.がある方は建物が周りにほとんど無いので、仮施設の電気さえ消してしまえば星はよく見える。
「そういや」
バレットがグラスをもう一度傾けたところで、エズラが此方を見たのが視界の端に映った。
「お前、少し前に自分の夢について実験したいって言ってたよな。ブライスさんとナッシュさんに資料もらったって」
「ああ」
バレットが頷いた。
この外部調査の依頼が来る数週間前、バレットはブライスとナッシュにあるお願いをした。
物心がついている時からずっと見てきた夢の正体について教えて欲しい、というものだった。
砂漠のような場所で誰かに担がれて、黒い霧のような不思議なものから逃げる夢。決してその霧に追いつかれることもない。
ただ、全く変わらない夢を十何年も見続けているのだ。
ルームメイトにそれを話したところ、超常現象ではないかという話が出ていた。
せっかくB.F.で働いているならその説で考えてみようと、バレットはブライスとナッシュにそういう超常現象は無いかと教えてもらった。
すると、二人はそれを知っていた。やはり超常現象の類のようだ。
後日、バレットが二人からもらった資料は七年前から一年ごとに派遣されている研究員達の資料だった。誰一人として帰ってきていない危険な超常現象らしい。
ただ、一年前の資料だけはなかった。ブライスとナッシュの話では一年前に誰かをまたその超常現象に派遣したようだったが、その人に関する資料は貰えなかった。
しかし、七年分の資料は手に入ったので、バレットはそれで満足だった。
目を通してみると驚いたことにその超常現象はバレットが幼い頃から見てきた夢の光景にそっくりだった。あまりにも想像が容易い資料の内容に、バレットはやはり小さい頃から見てきた夢はこの超常現象だったのだと思い知らされた。
しかし、腑に落ちないことがある。それは、この資料に今まで関わってきた人間、もちろん調査に行って戻ってこなかった者も含めて、自分の夢にこうして超常現象が出てきた者は誰一人として居なかったということだ。
誰かの夢に出てきて同じ光景を何度も見せるという性質はこの超常現象になかった。
資料を読んでいくと、それは砂漠のような場所へと気づけば移動するという異空間の超常現象で、黒い霧に襲われたり、殺人鬼に襲われるという恐ろしいものだったが、誰かの夢に出てきて砂漠を見せたり、自分のことを誰か大人の男性に担がせたりするという性質は持っていなかったのだ。
なので、バレットが見ているこの夢が本当にこの超常現象なのかはまだ僅かに信じられないが、これだけ一致している場所が多いならそうなのだろう、とバレットはそれっきりだった。
「資料だけ読んで、あとは自分の納得する情報だけは受け入れた感じかな」
バレットは遠くの光たちに目をやる。キラキラと輝くその光は高さこそ違えども星空のようだ。
「......そうか」
エズラが小さく言った。からん、と氷がもう残りが少ないサイダーの量を想像させる。
バレットとエズラの間に冷えた夜風が流れていった。遥か下で車が走る音が絶え間なく流れている。もっと耳を済ませば人の雑踏も聞こえてきそうだ。
バレットとエズラは少しの間静かにグラスを傾けていた。サイダーの炭酸が舌を刺激し、バレットはそれを一気に喉に押し込んだ。グラスが空になる。氷がそれを知らせる音を鳴らしたところで、エズラが口を開いた。
「俺さ」
彼が自分の方を向いたのがバレットには分かった。グラスを元の傾きに戻して口から離す。彼を見ると、エズラは真剣な顔でバレットを見つめていた。いつも真剣な相棒ではあるが、今の彼はその比にならないくらいの真剣さであった。思わずバレットも体の向きを彼の方に変えた。
「お前に、ずっと黙ってたことがあるんだけど」
エズラが目を伏せた。バレットは眉を顰めて彼を見た。
「何?」
今までこんなにシリアスに何かを打ち明けられる場面というのが存在しなかったので、バレットは妙に緊張した。
今まで相棒に秘密にされてきたことなんて、彼が他の同僚からもらったお菓子の隠し場所くらいだ。大抵バレットが見つけて食べてしまって喧嘩になったが。
今回は喧嘩になるような話が起きるような気配がなかった。
エズラはなかなか言い出さなかった。ただ、目を伏せ続けていた。
地面に何か居るのかとバレットも目を同じ場所に向けたが、タイルが貼られているだけで特に何も無い。虫すら居ない。何をそんなに言い難いことがあるのだろう。
こんなエズラをバレットは今まで見たことがない。
「その超常現象の名前、砂漠の鎮魂歌だろ」
「え、そうだけど......お前に言ったことあったっけ......?」
やっと開いたエズラの口から出てきた名前は資料に書いてあった、超常現象の名前だった。ただし七年分の資料にはまだ名前が決められていないのか『砂漠型の超常現象』としか書いていなかった。
『砂漠の鎮魂歌』という名前がつけられたのはここ一年ちょっとの間らしい。バレットが貰っていない資料に書いてある情報だ。
しかし、エズラの口からその名前が出てくるのは不自然なことであった。バレットがエズラに話した範囲にその超常現象の名前はなかった。彼は『砂漠の鎮魂歌』を知らないはずなのだ。
「いや、ない。でも、俺は知ってた。お前が星3の頃。まだペアを組む前。独立もしてない頃の話だ」
「星3......」
バレットにとって星3の期間は忘れられない事件が起きた時だ。
「星3って......俺がデビットさんに預けられた時の_____」
「お前に、話さないといけないことがある」
エズラがバレットの言葉を遮った。バレットは思わず口を噤んだ。
「お前の先輩の話だ。デビットさんじゃない」
エズラが真剣な顔でバレットに迫る。バレットは大きく、目を見開いた。
「コーデルさんの話だ」
バレットの頭の中に、何かが大きく浮かび上がった。
どこまでも広がる黄金の砂。誰もいない村、泣き叫ぶ子供。ぬかるみにハマって動けない子供たち。美しい水を蓄えたオアシス。リヤカーの上で感じた生ぬるい風。
そして、今二人の目の前に広がる夜景は_____大空を瞬く星々。
天を仰げば、いつも見えたあの星空。隣に居た人は_____。
「バレット......?」
エズラがバレットの名前を呼ぶ。バレットは遠くを見つめていた。
そして、彼はうわ言のように呟いた。
「......思い出した」
彼の奥で数え切れない星が瞬いていた。
「......思い出した......コーデル、さん」
彼の手からグラスがするりと力なく抜けると、それはタイルの上でバラバラに割れた。
「砂漠の鎮魂歌」
エズラは思わず息を呑んだ。ガラスの破片に光を通してもこれほど綺麗な輝きを見せることはないだろう。朝露に湿った葉から滴る水滴を見てもこれほど綺麗だとは思わないだろう。
彼は初めて相棒の涙を見たのだ。




